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53 傾国の悪女が生まれた日②

※注意 途中、残酷表現ちょっとアリ。

「はぁー……」


 私は、マリウス家へ戻る馬車の中で溜息を吐いていた。


 求婚の日だと聞かされた沢山の人の目がある場。

 そこで婚約破棄を断言されてしまった私。


 愛を育めないと言われて黙り込んでしまった。

 ……納得してしまったから。



◇◆◇



「クリスティナお姉様? 本当ならルーナ様を傷つけた事を糾弾したいのですけれど」

「ミリシャ……」


 ミリシャは上機嫌で私に話しかける。


「ですが、よほど上手く証拠を隠したようで。これ以上の追求はやめて差し上げます」


 どうして彼女がそこに立っているのかしら。


「先に断っておきますわ。この件でお父様に泣きついても無駄だということ」

「……無駄?」

「ええ! この私がここに居て、殿下の新たな婚約者と認められた事で……分かって下さいますよね? お姉様。マリウス家と王家は変わらず安泰なのです」


 一方的な婚約破棄ではなく、マリウス家は全て了承済みという事でしょう。

 当然、陛下もね。


 双方共に合意の元、レヴァン殿下の婚約者を私からミリシャに乗り換えた。


 元から私の味方は居ないから……問題だったのは【天与】持ちであること。

 そしてレヴァン殿下の寵愛を私が受けていない事だ。


 だから、ミリシャとルーナ様。

 この2人が揃った事で、もはや殿下に愛されない私は用済みとなってしまったらしい。



「せめてもの温情です。私がマリウス家に帰る馬車を用意して差し上げましたわ、クリスティナお姉様。それに乗って王都からは出て行ってくださる? 貴方はもう王妃候補ではないのですから!」

「…………そう」


 何もかもが整えられているのね。


「ああ、そう。ねぇ、お姉様? 知ってるかしら? 貴方が【天与】持ちであること、そのものが疑われてるということ」

「……知ってるわ」


 悩んできた事だしね。


「……本当、マリウスとしては恥ずべき行いですが。それにしたって証明が出来ません。逆もまたですが。ですので、せめて近日中には、ご自慢の『薔薇』を咲かせて頂けるかしら? それが出来ないのであれば……三女神への冒涜として、異端の疑いを掛けさせて頂きます」


 そう。そこまでするの?


「ふふふ。自分にやましい事がおありと知っているのなら……お父様に自ら修道院に入りたいと願い出る事ですわ、お姉様」

「…………」


 修道院かぁ。あんまり気が進まないわね。

 でも『薔薇』が扱えないなら、より私の立場は悪くなるんだし。


 だったら先手で修道院入りしておくのも悪くないのかも?



「そう。ありがとう、ミリシャ。色々と。今後の参考にさせて貰うわね」


 私はニコリと微笑んだ。


 ミリシャからすれば、私はずっと恋仇の邪魔者だったでしょうに。

 家の事があるからね。

 今回も色々と苦労して手を回していたのかもしれない。


 それでいて実は私が一番マシな道を選べるように画策してくれていたのかも?

 フフン! やるじゃないの!



「……! そういうところですよ!」

「えっ」


 何が?


「……まったく! おぞましい。心が鉄ででも出来ているのかしら!」


 何を怒ってるのかしら、この子。

 あれ、今って私の方が怒るところじゃない?


 私は首を傾げたわ。



「まぁいいわ。とにかく馬車を用意してくれたのね。ありがとう、ミリシャ。じゃあ私、マリウス家に帰るわね」

「なっ……」


 ん? レヴァン殿下が、なにか凄い驚愕した顔で私を見てきてるんだけど……。


「何です? 殿下」


 え、馬車で帰っていいって話じゃない?


「君は! 本当に! 僕の事を何とも思っていなかったようだ!」

「ええ……?」


 なんでそうなるの?

 え、私が婚約破棄されたんだけど。


 その反応はおかしくない?


「せめて僕に泣きつくだとか、そういう事すらもしないのか?」


 ええええ……。

 なんかレヴァン殿下が物凄く面倒くさいわ!?


「そう言われても。この状況でですか? 先程まで、物凄く強い当たりで拒絶されたんですが……」


 あと、ルーナ様とミリシャを揃えて、かなり問答無用の雰囲気だしね!

 ……これで私にどうしろと?


「くっ……」


 よく分からない。

 とにかくレヴァン殿下の、何かプライド的なモノが傷付けられたみたいだわ。


 変ねー。


『私』って、こんな殿下は見たことないんだけど? 性格が変わったのかしら?



「……話が終わったなら帰らせて頂きます。今後の身の振り方については、まずお父様にお伺いを立てますわ」


 一応、ちゃんと礼だけをして、私はその場を後にしたわ。

 そうして帰りの馬車の中で溜息を吐いたの。




「はぁー……。修道院かなぁ」


 憂鬱だわ! でも王妃教育はもう終わったのよね。

 今回の件、お父様はどうお考えなのかしら。


 ミリシャを後押ししていたのだからマリウス家的には問題ないんでしょうけど。


 それにしても久しぶりに家に戻るわ。

 憂鬱な報告があるけど……リンディスとお話し出来るわね!

 思いっきり愚痴を聞いて貰おう。ふふふ。



「……お父様、お母様。ただいま戻りました」


 リカルドお兄様は今、家に居ないみたいよ。


 家に帰ると、両親がそこに居て。

 私を待っていたみたいね。

 ミリシャの手回しは、どこまでされているのかしら?


「……ご存知かもしれませんが、王子殿下との私の婚約は解消されました。ミリシャは今も殿下のお側に居るようで、私や皆の前で新たな婚約者とする旨、周知されました」


 まぁ、こんなことミリシャや王子の独断で勝手に言えないから知ってるんでしょうけど。


「……そうか」

「はい」

「それ以外に何か言うことは?」

「特に」


 お父様やお母様に何か言っても無駄だし。


「……はぁ。お前のせいで、どれ程の迷惑が掛かっていたのか理解しているのか?」

「……迷惑ですか」


 どれの事かしらね。


「学園での広がる醜聞。王妃となるよう育てられたというのに、それらを御せないばかりか、殿下の寵愛すら賜れない始末。【天与】で民を豊かに導くどころか、あれ以来、薔薇の一つも咲かせない……」


 お小言、長いのかしら?

 ここまでの旅で休みもなかったし、部屋に戻って横になりたいわ。


 リンディスはどこにいるのかな。

 部屋で待っていたら、愚痴を聞いて貰いましょう。


「……私の至らなさ故です。申し訳ありません」


 とりあえず頭を下げて大人しくやり過ごすわね!

 これが1番だわ!


「……ミリシャが【天与】を授かれば良かったのに」

「そうですね」


 それは私も思ってたわね!


「……お前は! 自分が何をしたのか分かっているのか!」

「何を?」


 分からないわね! フフン!


「【天与】持ちであると偽って、我々を欺いて! それがどれほどの大罪か分かっているのか!」

「……?」


 欺いてないし、偽ってないわね。

 ていうか、あの日見てた人も居るんだから、偽れないわよ。


「では問題はなかったのですね?」

「な……!」

「私は何も偽ってませんので」


 まぁ、薔薇が咲いたのは一度きりだけどね!

 信用が落ちてるのは分かるけど、両親までそんな事を言ってくるとは思わなかったわ。


「……もういい! 部屋に戻っていろ! 数日以内にお前は修道院に入る事になるだろう!」


 お父様ったら、あんなに怒っていらっしゃるわ。

 珍しいかもしれないわね!

 いつもは相手にすらしてくれないって感じだし。

 これはこれで愛情なのかしら? ふふふ。



「リンー、リンディスー!」


 私は久しぶりの自分の部屋に戻ってリンディスを呼び出したわ!


「……お呼びですか、お嬢」

「リン! ねぇ、聞いてよー!」


 ベッドに飛び込んで、足をバタバタさせながら私は声を荒げたわ!

 そうして捲し立てるように愚痴を溢したの。


「もう何もかもがイヤになっちゃう! 修道院なんて行きたくなーい! うーっ!」


 ジタバタ。バタバタ。


「……ここで暴れてもですね。あと幼児退行してません?」


 幼児退行って何よ!


「だって! どうせ修道院行きが決まってるようなものなんだもの。どうしてこうなるの? こんな事なら殿下との婚約なんて、なかった方が良かった!」


 そうしたら流石に王妃教育で縛られる時間なんてなかっただろうし。

 ……もっと違う家との婚約関係なら、こんな風にはならなかったかもしれない。


「……ねぇ、リン」

「はい、お嬢」

「私、もう新しい家族は持てないのかな」

「……それは」


 レヴァン殿下との愛を育めないと言われたけど。

 修道院に行けば本当に誰との結婚も望めなくなるわ。


 それだけは、なんだかとても嫌だった。

 でも。でも。


「そうだわ!」

「はい?」


 私はベッドから跳ね起きて、目を輝かせた。


「リンディス! 貴方が私をお嫁さんにしてちょうだい!」

「ぶっ!」


 どこから噴き出してるのかしら?

 姿が見えないわよ!


「とっても名案だわ!」

「いやいやいや」

「何が嫌よ! 失礼ね!」


 でも、本当にすごく名案だわ!

 私、リンディスのこと好きだしね!

 顔も見たことないけど!

 一緒に暮らしたら、毎日愚痴がこぼせるわ!


「……お嬢。まさか、本気でおっしゃってます?」

「うん! すっごく名案だと思うの!」

「完全に私の気持ちを無視してる上に、思い付きにしか聞こえないんですけどねー」


 だって思い付きだもの!


「……リンは私が嫌なの?」

「こ、答え辛い状況での質問を」


 私は気落ちして、ベッドの端まで移動し、そして足をブラつかせたわ。


「……私、修道院になんて行きたくない」

「お嬢……」

「ねぇ、リンディス」

「はい、お嬢」


 私は顔も見せてくれないリンディスに向かって言った。


「私を連れて、遠くへ逃げて欲しい。……そう言ったら……その。私に付いて来てくれる? べ、別にお嫁さんじゃなくて従者のままでもいいし。逃げた後で、家族は別に探すから……」


 ここから逃げたい。でも1人は寂しい。


 それでもリンディスが付いて来てくれるなら。

 私は、それだけで前を向いて生きていけるわ。


「……お嬢」

「あ」


 姿の見えないリンディスだけど、今、私の前に跪いている事が分かったわ。

 そして私の手を取っている。


「……はい。このリンディス・ジークハルト。お嬢が行くのなら、たとえ地の果てであろうとお供しますよ」

「ん!」


 嬉しいわ! 嬉しいんだけど!


「ジーク……なに?」

「……ジークハルト。私の姓名ですが?」

「そんな名前だったの!」


 初耳だわ!


「……まぁ、名乗ったことありませんけど。今、だいぶ雰囲気に合わせて話したのですが」

「フフン! 私にはリンディスが見えないから意味無いわね!」


 どうせ格好付けるなら、姿を見せてからにして欲しいわ!


「リン。私、貴方がおじさん顔でも別にいいわよ?」

「……おじさん顔じゃありません」

「ええ?」

「いや、ええって」


 それはそれでイメージが狂うわ!


「ただ」

「うん」

「……もし、本気で屋敷を出て行くのなら。お供致しましょう」

「本当!?」


 私は満面の笑顔でリンディスの言葉を聞いた。


「はい。準備して下さい。ある程度の事はどうにかして見せましょう。……ですが最後に、マリウスの家に果たしたい義理だけございます。その分のお時間だけ頂いても?」

「もちろんいいわ!」


 嬉しい! 本当に嬉しいわ!

 修道院行きから逃げてリンディスと2人で逃避行ね!

 ふふふ! 未来がとっても明るいわ!


「どうしたらいいかしら!」

「……最低限の荷物、お嬢の私物をコンパクトにまとめて下さい。夜中に抜け出した方がいいでしょうから……。この後、2時間ほど経ちましたら迎えに来ますので、一緒に屋敷を出ましょう」

「うん!」


 ふふふ。逃げるとなったら楽しいわね!


「……お嬢」

「なぁに?」

「逃げる時には、貴方の前に姿を現しますよ」

「本当!?」

「ええ。もう、ブルーム侯との契約も切って参りますので」


 んん?


「お父様との契約?」

「……ええ、まぁ。私はお嬢に顔を見せるなと」

「なんで?」

「……んー。……娘……が、悪い虫に唆されないように、とかじゃないですか?」

「リンは悪い虫なの?」

「お嬢を連れて逃げるワケですし」

「それもそうね!」


 ふふふ! 楽しくなってきたわ!


「じゃあ、2時間後。一緒に逃げる時に貴方の素顔を見せてちょうだいね!」

「はい。お嬢。お待ちください」


 そこで、すっと私の頭に手が乗る感触がしたわ。

 乱暴なんかじゃない、優しい手付きよ。


「フフン!」

「……それでは、お嬢。また、後で」

「ええ! また後でね!」


 私は声だけリンディスを見送ったわ。


『私』はそこで引き止めるべきだと思ったわ。



◇◆◇



「あら?」


 準備なんてとっくに終わっているのに。

 リンディスは部屋にやって来なかったわ。


「……リン?」


 あれ? 何か変じゃない? 何か。


 ……ゾクリ、と。悪寒が走ったわ。

 私はベッドから飛び降りてすぐ部屋を出た。


「リン! どこ!?」


 これから逃げる予定なのに騒ぎ立てて、でもリンディスは私の元に駆けつけてはくれない。


「あっ!」


 不味い。食堂にお父様が居たわ!

 騒いでいるのがバレちゃった!


「……はぁ……」

「お父様?」


 あれ? 何か様子がおかしいわね?


「えっ」


 お父様の向こうで誰か倒れているわ!


「大丈夫!?」


 執事の誰か……でも見慣れない服を着ているわ。

 私は、ひとまず平気そうなお父様を無視して、倒れている人の元に駆け寄る。


 銀色の髪の毛……?


 珍しい髪の色だけど。この家の執事じゃないわ。

 綺麗な顔で、でも女の子じゃなくて男性だと思う。


「え……!?」


 その、倒れている銀髪の男性の胸には……短剣が刺さっていた。


 短剣が胸に刺さり、服に血が流れていて。


「え、なに、え、盗賊か何か……ですか? お父様は、ご無事で? 怪我は?」


 倒れて動かない男性と、その場に立ち尽くすお父様を見比べる。


「一体、何が起きたのです?」


 とりあえず、この人は介抱して良いの?

 それとも家に押し入った襲撃者?

 そんな騒ぎは聞こえなかったけど。


「…………すべてお前のせいだ、クリスティナ」

「は?」


 何が?


 とにかく一応、手当はした方が。

 そう思ったけれど、倒れている男性はピクリとも動いていなかった。


 ……胸を貫かれているのですもの。

 だから。私は彼の脈を確かめたわ。


「……死んでる。……この方は死んでます。お父様」


 どうして。


「ふん……。その様子だと、今までの契約は守っていたらしいな、こいつは」

「え?」


 どういうこと。契約って?


「セレスティアに似たお前に欲情でもしていると思ったよ」

「……セレス……ティア?」


 誰の名前? 誰の……。何だか私の名前に似た響き……。契約?


『私』は悲鳴をあげたかった。



「契約とは何ですか、お父様。亡くなっている、この方の事を知っているのですか。この方は、この方は…………『誰』なのですか!!」


 聞いてはいけない。

 知ってはいけない。

 気付いてはいけない。


 知っているから。

 気付いているから。



「──穢らわしい魔族だよ。契約で自らを縛り付け、この家で暮らさせてやっていた。だが、もう不要だろう? お前はこの家を出て行くのだから」


 魔族。魔族?


「魔族って何ですか……。東方に居る人々じゃ」

「人ではない」


 ピシャリとブルームお父様は言い切ったわ。


「『魔術を使う一族』ではなく『悪魔の一族』だ。……このような者が居なければ姉上とて、道を踏み外す事もなかっただろう。だが、もう限界だ」


 魔術を……使う一族。


 ズキズキと左眼が痛くなった。

 胸の奥が痛みで苦しくなった。



「お父様……教えて下さい。答えて下さい。この方は……この方は……」


 どんどんと痛みが強まっていく。



「──リンディスなのですか」



 胸に剣を突き立てられ、既にこと切れている、彼が。


「……そうだ。お前の従者気取りをしていた、不快な魔族だよ。一族の汚点の象徴だ。お前には似合いだったのだろうが。せっかく正しい道を説いてやってきたのに」


 リンディス。声だけリンディス。


 ジュグリ……と私の左眼に激痛が走った。

 目玉を内側から抉られるような痛み。


「ぎっ……! あっ!」

「な、なんだ?」


 リンディス。

 リンディス。


 リンディスが、死んでいる。

 もう喋らない。

 もう動かない。



「……ぁあああああ!」


 ブチュっ、と間抜けにも感じる音と共に私の左眼が潰れた。


「なっ!? クリスティナ……!?」


 痛い。

 痛いよ。


 何が痛いの?

 どこが痛いの?



「そんなのってない、そんなのってない。ああ、リン……! 私は貴方が笑う姿だって見た事が無いのに!」


 見えない。

 見えなくなった。


 世界の左半分が。



「はじめて見る貴方の顔が、死に顔だなんて……!」


 そんなのってない。そんなのってないわ。


(これは現実じゃない)



「どうして! どうしてですか! どうしてリンを殺したの!」

「く、クリスティナ、お前、その顔、薔薇は……」


 薔薇なんてどうでもいい!


「答えなさいッ!」


 私はお父様に向けて殺意を抱いた。


「ガッ!?」


 そうすると、光と共に辺りに咲いた薔薇が……お父様の身体に巻き付いたわ。


「ぐっ、クリスティナ、貴様……っ」

「なぜ殺したの、なぜこんな事をするの、なぜ、なぜ、なぜ!」


 部屋中に咲き乱れていく薔薇。

 家具を壊して、壁すらも砕いて、根付いて。


 横たわるリンディスの身体以外の場所を埋め尽くしていく。


「お前を連れ去ろうとしたからだっ!」


 ブルームお父様は、薔薇に縛り上げられながら、そう吠えた。


「今日まで生かしてやった恩を忘れ、挙句の果てにお前を連れ去ろうとした! クリスティナ! お前は部屋に閉じこもっていればよかったんだ! 外になど出なくて良かった!」


 何を。


「……何を言っているの」

「お前はセレスティアと同じだ! 生きてるだけで災いを呼び込むんだ! この私を苦しめ、マリウス家を貶め、迷惑だけを掛け続ける!」


 お父様からは憎しみの目を向けられていた。


「お前なんて生まれてこなければ良かったんだ! その魔族と同じに!」

「────」


 お父様が何を言っているのか分からない。

 セレスティアという人が誰なのかも分からない。


 ただ……。もう、ここには私の家族は居ないのだと。それだけは理解できた。



「……そう」


 私を支えてきた何かの糸は、プツリと切れてしまった。

 ゾワゾワと私の内側から生まれてくる黒い、黒い、何か。


「ぐっ、こ、これは、何だ! この黒い薔薇は……!」


 知らない。

 知らないけれど、どうでもいい。


 リン。

 声だけリンディス。


 もう、その声さえ聞く事はない。


 ビギビキと音を立てて、ひび割れて、砕けていく私の中の何か。



「…………ふふ!」


 だから、私はおかしくなって微笑んだ。

 おかしい。

 だって、何もかもおかしいわ。


「──な」


 激昂していたお父様は、そこで初めて私に恐怖の目を向けたわ。


「魔族でしたかしら、お父様。いけませんわ。侯爵様ともあろう方が……種族で差別など」

「な、なに?」

「貴族とは万人に対して責任を持つ者。ええ、いけませんわ。そんな」


 そうね。

 だったら。


「ああ、では。私はその魔族の味方をして差し上げねばなりませんわ。それが貴族というもの。そう! とっても素敵な考えじゃないかしら! ねぇ、誉めて下さいますか、お父様!」


 とても良い考えだと思ったわ。

 だって差別されてるから殺されるなんておかしいもの。


「貴族とは、貴族同士だけで傷を舐め合う者達のことではありません。民の為に、時には彼らの前に立ち、守って見せるものでなくては」

「何を……言っている! ぐっ!? これ、は……」


 お父様の身体に黒い染みができ始めたわ。


「私は魔族を守って見せますわ、お父様。ですので……魔族を虐げる者は、これから私が排除いたします。誰一人残らず」

「…………な」


 マリウス家は差別をしていて『民』を殺しているのね。

 じゃあ、彼らは殺さなくっちゃ!

 そうだわ! きっと、この薔薇はその為の【天与】なのね!



「ふふふ、ふふふふ!」

「……気が狂ったか! やはり、お前はセレスティアの、」

「もういいわ」


 お父様ったらお小言が続くと長いんだもの。


「ぎっ、ぐ?」


 ブジュリ、と私の薔薇はお父様を差し貫いた。


「うるさいから、もう黙ってね」

「がぎゅ!?」


 そして彼の口の中にも棘の付いた黒薔薇を。

 ああ、これでうるさくなくなったわね!

 ふふふ!


「……お母様はどこかしら? 執事達はどこ? 侍女達は? 差別主義者は殺さないといけないわ。だって、それが私に与えられた【天与】ですもの」


 ああ。ああ。


 見えないわ。

 世界の半分が暗くなって見えないの。


 だから汚いものばかり見える。

 せめて薔薇を咲かせて綺麗にしなくちゃ。


 それから私は大忙し。

 屋敷の中をお掃除よ。


 赤い薔薇、黒い薔薇、紫の薔薇。


 家族が食事をしている扉を私の前で笑って閉じた侍女も。

 旅行に行く家族を見送れと馬車に私を乗せなかった執事も。


 みんな、みぃんな、静かになった。

 赤くて、黒くて、広がって。

 とっても綺麗に咲いてくれた。



「見えないわ」


 ねぇ、リン。見えないよ。

 綺麗なモノが見えないの。


 何にも、何にも。

 私の世界の半分がなくなってしまったの。



「ひっ……く、クリスティナ……!」

「ヒルディナお母様」


 ああ、でも。

 お母様だけは少し綺麗に見えるわ?


「……お母様は違いますよね?」

「え、な、何を……」

「お母様はお父様と違って差別主義者じゃないでしょう?」


 だって。


「リンディスは、私のお母様に恩義があると言っていたの。だから、ね? ふふ」

「ひっ、あっ……悪魔」


 悪魔? 悪魔って誰のことかしら?

 私? とっても失礼だわ。


 でもいいの。私はいいのよ。

 私は何を言われたって、されたって、もう構わないわ。


「ねぇ、お母様。みんな貴族としての覚悟が足りないの。私、さんざん教育されて来たから分かるんだけど。このままじゃいけないみたい。……だって。お父様ったら、貴族の矜持を忘れてリンディスを殺したのよ? そんな凶刃が無辜の民に向けられるかもしれないなんて!」


 そうよね。

 そんな事になる前に皆、殺しておくべきじゃないかしら?

 民を傷付ける者は貴族にあらずよ。


 ふふふ! ちゃんと王妃になる為の教育が生きてるわね!


 褒めて貰わなくちゃ!

 ふふふ! リンディスはどこにいるのかな?


 また姿を隠してるの。困った従者だわ!



「ヒルディナお母様は……私を褒めて下さいますか?」

「ひっ、あ、ぅ……。え、ええ……、ええ。も、勿論よ、クリスティナ……」

「嬉しい!」


 ああ、やっとヒルディナお母様にも褒めて貰えるのね!

 ようやく家族として認められたのよ。


「ふふふ! ヒルディナお母様!」

「ひっ、あっ……」


 私はお母様に抱き着いた。

 これが家族の温もりなのね!


 ああ、もっと早くにこうしておけば良かったんだわ!

 もっと早くに汚い皆に薔薇を咲かせておけば良かった!


 反省しなくちゃね! でも、これからは頑張るわ!



「お父様がね。リンディスを殺しちゃったの。だからね。私、お父様を殺したの。それでね。そのことをリンディスに誉めて貰いたいんだけど、リンディスったら姿を隠してるの」


 もう、肝心な時にいないんだから!


「……く、クリスティナ。え、ええ。私は貴方の味方よ。貴方の……」

「嬉しいわ! ヒルディナお母様だけは味方なのね!」


 ふふふ! あったかいわ!


「ふふふ。ねぇ、お母様。私、これから差別主義者達をどうにかしなくちゃいけないの」

「え、ええ……?」

「だってリンディスを殺すような人達が居たら、リンディスが困るじゃない。私ね、彼と一緒に逃げようとしてたの」


 そうしたら2人で笑って旅をするのよ。

 地の果てまでも付いて来てくれるらしいから、ふふふ!


 じゃあ、地の果てまで旅してみましょう!



「黙って逃げようとしたからお父様が怒っちゃったのね。ねぇ、お母様は許してくれる?」

「も、もちろん……よ?」

「本当? ふふふ! 嬉しい。今日はヒルディナお母様が優しいわ! 今までずっと冷たかったのに!」

「ひっ……」


 優しいお母様なんて夢のよう。

 もっとお話がしたいわ。


「リカルドお兄様はお元気? どうして今日は屋敷に居ないの?」

「あ、う、り、リカルドの居場所……?」

「うん。お兄様とお話がしたいわ、お母様。お父様のようなお考えなら殺さないといけないもの」

「こ……」


 ふふふ!


「もっと早くに殺せば良かった。お父様を。そうしたらお母様は優しくしてくれたのに」

「…………」

「そうだわ! ねぇ、お母様。お父様がね? 私のこと『セレスティアと同じ』って言ってたの。ねぇ、セレスティアってどなたなの? 私、そのお名前が気になって仕方ないの!」


 ヒルディナお母様。

 水色の髪と瞳をしていて、ミリシャには似ているのに、私にはちっとも似てないお母様。


「は、離れて!」

「きゃっ!」


 私はヒルディナお母様に突き飛ばされたわ。


「あ、あんたなんか、あんたなんか私の娘じゃないわ!」


 …………。


「リカルドの所には行かせない、ミリシャの所には行かせない。よくも、よくもブルームを殺して……! よくも、あの女の名前を!」


 あの女。


「ふふふ! お母様ったら! ご冗談よね? 私は貴方の娘だわ! リカルドお兄様の妹で、ミリシャの姉よ!」

「違う!」


 違うの?


「あんたと私に血なんて繋がってない! あんたを愛した事なんてない! もっと、もっと早くに死ねば良かったのに! 殺しておけば良かったのに! 人前で【天与】に目覚めて、王家に声を掛けられて! それすらも出来なくしたお前が! ……ああ、ブルーム!」


 そっか。


 やっぱり。


 私、家族じゃなかったんだ。


 フフン!

 実は気付いていたわよ!

 凄いでしょう!


 だって小さい頃から何度も妄想してきたもの!

 私には本当の家族が居て。

 いつか、この家から連れて帰ってくれるんだって。


 そうしたら平民でもいいわ。

 小さな木の家で、家族一緒に食卓につくの。



「そうなの。じゃあ、私の本当のお母様はどこ? 本当のお父様は?」


 私はワクワクと胸を弾ませた。


「そんなもの生きてるワケないでしょう! あんたを産んで死んだのよ! あんたが生まれて来たから死んだのよ! それを、あの魔族が……ブルームを頼って連れ込んで! あんたは疫病神よ、悪魔の子だわ……!」


 お父様もお母様も、もう居ないの?


「そっか」

「あんたも、ここで殺してや、」

「じゃあ、もういいわ」


 ヒルディナお母様は、そこで薔薇になったわ。

 仕方ないわよね。だってお母様も皆と同じで汚くなっちゃったもの。


 だから、お掃除ね!

 3階を回って、2階を回って、1階を回って。

 ふふふ! 素敵! ちゃんと綺麗に片付けられた!



「ああ、朝日が昇るわ」


 テラスから空を見上げた。

 夜の内にはリンディスと逃避行する予定だったのに。


 リンディスったら、まだ起きないの。

 お寝坊さんだわ。


「ふふふ。お散歩しましょう!」


 サクサクと音を立てて庭を歩くの。

 ふふふ、裸足で歩くのって気持ちいい。


 ポタポタと赤い血が落ちてるけど、痛くないの。

 私の髪の毛や瞳の色に似合ってるかな?


「ふふー、ふーん」


 鼻歌を歌って1人で歩くわ。


 ねぇ、リンディス。

 ここから何処へ行けばいいかしら。


 地の果てってどこかしら。


 分からないわ。何も分からないの。

 どこへ行けばいいの。


 ……世界が半分見えないの。

 汚いものしか見えないの。



「あら?」


 森の向こうから駆けて来る人影が1人。


 その方は……ルーナ様だったわ。



「ああ、……ルーナ様」

「く、クリスティナ様!? その、お顔は……」


 顔? 顔がどうかしたかしら?

 私、他の人よりも美人だって聞いたわよ。

 ふふふ!


「な、何が……あったのです? あの屋敷は……」


 屋敷。


 そう言われて、私は後ろを振り返ったわ。

 かつて私の家だった屋敷は、薔薇に覆われていた。

 ただの薔薇じゃないわ。

 近付く者すべてを傷付ける、黒い黒い毒の薔薇。


 ……あそこにはリンディスの死体がある。

 咲かせた薔薇で綺麗に横たえてあげた、彼の身体が。



「アレは屋敷じゃないわ」

「え?」


 リンディス。

 リンディスはもう居ないのね。


「アレはね、お墓なの」

「……お、お墓?」

「そう。アレはもう私の家じゃない。だから、お墓」

「お、お墓って……誰の?」


 誰って。


「リンディスの、お墓」


 もう屋敷に入っても、部屋に戻っても、彼の声は聞こえない。


 だから。


「もう二度と、来る事はないわ」


 ふふふ!

 これから、どうしましょう!


 どこにも行く場所は無い。

 私は生まれて来た事を望まれなかった。

 私は愛を育めない。



「く、クリスティナ様! う、後ろ!」

「え?」


 ……いつの間にか。

 そこには、大きな、大きな狼が居たわ。


 黒い煙を纏った狼が。


「あっ」


 ザシュ! と鋭い爪が私を引き裂き、そして突き飛ばした。


「クリスティナ様!」


 引き裂かれて、その場に横たわって。

 何処から出て来たのかしら、この狼。


「くっ、こ、これは!?」


 見上げると。

 黒い薔薇のお墓から、次々と黒い狼達が。


 もしかして薔薇から生まれているのかしら?

 私が『魔物』を生み出すの?


「ふふ。あはは」


 ルーナ様が私を庇う。

 綺麗な光の壁で。傷を癒やして。


 でも、もう戻らない。

 彼女にだって治せない傷がある。



【穢せ】


 なぁに?


【聖女を穢せ】


 聖女? どこから声が聞こえるの?


【女神に選ばれた聖女を、もっとも清廉な魂を、陥れて、穢し尽くせ】


 女神に選ばれた聖女……ルーナ様かしら。


【聖女を穢して悪に染めよ、魔に染めよ】


 ルーナ様ったら何か悪い奴らに狙われてるわよ。


 ああ、私も手を貸してあげた方がいいかな。

 でも……もう疲れちゃった。


【堕ちろ、穢れろ、血に染まれ】


 血に染まってるのは残念ながら、ルーナ様じゃなくて私の方なのよね。

 聞こえちゃってるわよ。

 この声、ルーナ様に伝えた方がいいのかしら。


 呪いのようなその言葉は私に纏わりつき続けるわ。



【穢れろ、穢れろ、穢れろ】


(うるさいわね)


【妬め、憎しめ、絶望しろ】


(うるさいってば、耳元で)


【最も穢れなき魂は、最も穢れた魂に堕ちてこそ】


(なんか、すっごい事言われてるわよ、ルーナ様ったら!)


 モヤモヤ、ドロドロ。

 黒くて汚くて、血の臭いがして、おぞましくて。

 私の身体は汚泥に沈む。



(ていうか)


(リンディスは生きてるし!)


(私、何を見せられてるのかしら!)


(しかもルーナ様の追いかけがいるわ??)


(きっと変態ね! アマネが言ってた『すとーかー』ってヤツだわ! ルーナ様を付け狙う子爵の息子が犯人ね、きっと!)


(ていうか)



「──フンッ!」


 私はモヤモヤの世界に光る拳を叩き付けたわ!


「話が長いのよ!」


 ガッシャアン! と音を立てて『黒い世界』を粉砕する。


 たとえ、これが私に待ってる運命だとしたって。


「──そんな運命、ぶち壊してあげるわよ!」



 私は、長い予言の夢から抜け出したわ!

 フフン! 帰ったらリンディスに褒めて貰わなくちゃね!


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― 新着の感想 ―
[一言] やっぱり直接血がつながって無かったのですね。 しかし予言?も力で破るとはw
[一言] クリスティナすごい貴族としてたんやなあ(残念だけど
[良い点] 数話前まで過去1で爆笑したのに今話は涙とまらないよお〜 左側の世界見えないとてもいいワードですね 見たくないものは無くせば良いに沿って作者様の才能でしかないですね!
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