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52/210

52 傾国の悪女が生まれた日①

「うぅぅ……、これは何?」


 右手が痛い。私が右手を見下ろすと、そこには棘だらけの薔薇の蔓が巻き付いていた。


 ポタポタと流れる私の血……。

 小さい手。幼い子供のような。


「痛い、痛いよ……」


 痛みで嘆く私を他所に周囲の大人達はざわざわと騒ぐばかりで、私を助けには来てくれなかった。


「まさか……【天与】?」

「マリウス家のお嬢様が」


 見上げなければいけない背の高い人々。

 そして私の目の前には……子供の頃の(・・・・・)ルーナ様。


「王家に伝えなければ!」

「……痛いの、誰か……」


 この薔薇を取って。助けて。


 そう思うけれど、私はしばらくその薔薇を巻き付けたままだった。

 時間が経ってから、ようやく薔薇を取り除いて貰える。


 でも蔓が丈夫で、なかなか切り取れなくて、棘がどんどん私の右手を傷付けたの。



「…………婚約?」


 右手に包帯をぐるぐると巻かれて、布でぶら下げていた私にそんな話が舞い込んできた。


 レヴァン王子殿下との婚約の成立。

 その頃からミリシャが殊更に私を冷たく見るようになった。


「……別に私が望んだワケじゃないのに」


 王子との婚約を羨ましがっているようだけれど。

 私は、そんな事よりミリシャと仲良くできる方が良かったわ。


 それから私の王妃教育は始まった。

 厳しい指導、詰め込まれる教育。

 私にとって、望まない辛くて苦しい日々だった。


 とっても退屈だしね! 外でお友達を作って遊びたかったもの。


 それでもやって来れたのは『声だけリンディス』が居てくれたから。



「ねぇ、リンディスは王城に来ないの?」

「……流石に王城には行けませんねぇ」

「なんで?」

「あちらにも魔族が居ますので。私は隠れていられません」

「リンディスはどうして、いっつも隠れているの?」

「…………まぁ、色々あるんですよ」

「色々じゃ分からないわね!」


 リンディスはよく話し相手になってくれたの。

 だから寂しくなかったわ。


「リンディスってどんな顔をしているの?」

「顔ですか?」

「うん! やっぱり、おじさん?」

「……なんでおじさんなんですか……」


 だって貴族の女の子の近くに居る執事って、だいたいおじさんだもの!

 だから『声だけリンディス』もそうだったら楽しいわ!


 レヴァン王子に頼んだらリンディスも連れていけないかなぁ。

 そうしたら、きっと王城でも寂しくないもの。



「……クリスティナ」

「殿下」

「今日は君に花を贈るよ」

「花?」


 レヴァン殿下は、私にって花束を贈ってくれたわ。


「婚約者だからね。本当は宝石の飾りでも贈ろうかと思ったのだけれど」

「宝石……」


 私は、リカルドお兄様やミリシャの喜んでいる顔を思い浮かべた。

 そして2人に注がれる両親の愛情ある目も。


 婚約者だから殿下は私と家族になる予定だ。

 だから、胸の底に少しの期待が膨らんだ。


 レヴァン殿下が家族の証として宝石を贈ってくれたなら、とても嬉しいと。



「でも『宝石の貴族』の君には宝石なんて見飽きたものだろう? だから今日は花を用意させて貰ったんだよ」

「…………そう」


 宝石で、良かったのに。


 ……ううん。普通は宝石の方が高価なんだし。

 そんな事をねだるのは、はしたないっていうものよね!

 ふふふ。それぐらいは学んだのよ、私。



「ありがとうございます、レヴァン殿下」

「……もしかして不満かい?」

「そんなことありませんわ。とても嬉しい。だって、この花には殿下の、私への思いやりが込められているのですから」


 私は、この時どんな顔をしていたのかしら。

 少し悲しくて期待外れ……だとは思ったけれど。


 殿下には私が凄く不満そうに見えたのかも。


「……そうかい」


 レヴァン殿下は、この時の私の表情を快くは思わなかったみたい。

 それに、この場に居合わせた貴族達、令嬢達も。



「マリウス侯の娘ですから。宝石に目が無いのでしょう」

「だからといって宝石を贈られなかった程度で、殿下のお気持ちまで無下にするなんて」

「高価な品しか喜ばない王妃なんて……王国の未来に影を落とすのでは?」

「民の血税を使い込むような女になるのでは……」


 また始まったなー、なんて思ったわ。

 どこに行っても、私の悪評を聞こえよがしに囁く声ばかりだし。

 こういうのって気にしても仕方ないのよね!


「……それに、その後、彼女は一度も薔薇を咲かせていないらしい」

「本当に【天与】を授かったの?」

「もし偽りならば……恐ろしい事だ。三女神を、神殿を冒涜する行為だぞ!」


 痛いところを突いてくるわよね。

 ……そう。私は幼い頃の一度きりしか『薔薇』を咲かせられなかったの。


 たぶん、すごく痛かったから、心の底で嫌がっているのよね!

 もっと穏やかで優しい【天与】にして欲しかったわ。

 だって花でも色々とあるじゃないの。


 そうして、花と言えば。


「え、新しく【天与】に目覚めた人が居る?」

「……そうらしいですね」

「その子は女の子なの?」

「はい」

「じゃあ……えっと。私ってどうなるの? リンディス」

「それは、何とも……。ですが」

「うん」


 声だけリンディスは言い淀むような雰囲気を出してから続けたわ。


「……そもそも王家との政略結婚の話は、前からあったそうです。マリウス家は裕福な家ですので。なので、まぁ【天与】を持っていようがいまいが、どの道、この話は消えたりはしなかったかと」

「そうなんだ。あれ? でも」


 そうすると。


「私に【天与】がなかったら。ミリシャがレヴァン殿下の婚約者になっていてもおかしくなかったの?」

「…………それは、そうなりますね」

「そう、なんだ」


 じゃあミリシャが私を恨んでいるのは、そういう理由なのね。

 だって妹は前からレヴァン殿下をお慕いしていた。

 その上、家柄も裕福なマリウス侯爵家の令嬢で。


 ……私さえ居なければミリシャが殿下の婚約者になっても何の問題もなかったのよ。



「……三女神様は、どうして私に【天与】を授けたのかしら。あれから一度だって薔薇は咲いてくれないし」


 そんなものなければミリシャは私と仲良くしてくれたのかしら。



 もう1人の【天与】を持った方はルーナ様と言うそうよ。

 ラトビア男爵のご令嬢で、とても可憐な方だと聞いたわ。


 それに今度、学園にも入学してくるらしいの。


「ふふふ」


 なんだか嬉しい。私を人々から遠ざけた【天与】だけれど、同じ【天与】持ちなら仲良くできるかもしれないもの!


 私は、ルーナ様に会うのが待ち遠しかったわ。

 何をお話しようかな。ふふふ。



「ルーナ様は、本当に可愛らしい方ですよね」

「ええ。殿下から贈られた花飾りもとてもよくお似合いで……。花飾りに喜ばれる姿も天使のようでしたわ」

「……本当。宝石にしか目が無い強欲な誰かとは大違い」

「ねぇ! くすくす」


 ……いつからか私は宝石や高価な贈り物しか喜ばない女扱いされていたわ。


 別にそんな事ないし。

 何だったら贈り物なら何だって嬉しいのに。


 そもそもプレゼントなんてレヴァン殿下のお花ぐらいしかロクに貰った事が無い。

 家族からだって贈り物はなかった。


 でも、だからって必要な品が買って貰えないワケじゃないから贅沢は言えないんだけど。


 それに陛下からマリウス家に婚約締結の祝いとして何かが贈られた事があるとも聞いたわ。

 政略結婚だから、やっぱり家に贈られる品の方が大事なのよね。


 なのに私が不満なんて漏らしたら、きっと家族に迷惑が掛かるでしょう。



 ルーナ様とお会いした時、とても可愛らしい方だと分かったわ。


「はじめまして、ルーナ様」

「は、はじめまして、クリスティナ様」


 ふふふ! お友達になれるかしら!


「えっと」

「あ、あぅ、はい」


 でも何から話そうかな。ルーナ様って何が好きなんだろう。

 うぅ。ここに来て人付き合いが少ない事が災いしているわね!


「……ルーナ様のご実家はラトビア男爵家だったわね」

「は、はい!」

「そう。急にご実家から離されて大変だったでしょう?」

「そ、そんな事はありません。クリスティナ様」


 え、っと。マリウス家しか知らないからラトビア家がどういう家庭なのか想像できないのよね。


「……【天与】を授かった者として、これから貴方も大変だと思うわ」

「は、はい」

「貴方は男爵令嬢だから、きっと私よりも大変ね。でも、めげないでね」

「クリスティナ様……あ、ありがとうございます!」


 ふふ。なにせ王妃教育が厳しいとは言っても私でもこなせた事なのよ。

 だから、きっと頑張れば誰にでも何とかなるわ!


 ……ルーナ様も、当然だけれど私と同じ王妃候補として名が上がるようになっていた。


【天与】持ちは、特別な力を持つが故に、重宝されるし、警戒もされる。

 人々からも目を惹くでしょう。


 だからこそ王家にその血を取り込み、出来るならば王家から【天与】持ちを輩出する。

 それがリュミエール王国の伝統なのよね。



「……ねぇ、聞いたかしら」

「ええ。侯爵家の家門を鼻にかけてルーナ様を貶めたそうよ」

「まぁ、なんて卑しい女なのでしょう」


 誰が誰を貶めたのよ……。

 噂好きの女の子は、本当に何でも噂にしてしまうわね!


 もう何を言っても悪い風に言われてしまうじゃないの。


「フン!」


 相手になんてしてられないわね!


 そんな風に過ごす折、事件が起きたの。


「ルーナ様がお怪我を……!?」


 学園でも人気を集め、私と並んでレヴァン王子の婚約者候補として名を広めていたルーナ様。


 そんな彼女が事件に巻き込まれたという。

 ……事故ではなく事件よ。


 ルーナ様の顔に燃える水が掛けられたというの。

 そのような明らかな悪意の出来事を受けて、私にも話が届いた。


 私はすぐさま現場に駆け付けたわ。


「ルーナ様……!」


 ルーナ様は確かに顔に火傷を負っていた。

 同じように駆け付けた者達の手で介抱されていて。


「わ、私じゃありません!」

「……ふざけるな!」


 そこには兵士に抑え込まれている貴族の令嬢が居た。

 どこの家の令嬢かは記憶に無い。


 あんまり人と話す機会もないし。


「……わ、私は指示に従っただけです!」

「指示だと?」


 そこで、その子はあろうことか私に目を向けたわ。


「く、クリスティナ様の指示で……仕方なく! 脅されていたんです!」


 ……はぁ?


 一体、何の話なのよ。私、知らないわよ。


 その場の全員の視線が私に向けられる。

 ……私、呼ばれて来ただけなんだけど!


 そう言えば私を呼んでくれた子はどこにいったのかしら。


「……何の話? 私、貴方の顔にも覚えがないんだけど」


 本当に、まったく。


「う、嘘です! だって! だってそうでしょう!? 私がルーナ様を傷付ける理由なんてありません! 家だって、子爵家で……彼女に嫉妬しても無意味です! この場の他に誰がルーナ様を傷付ける理由がある者が居るんですか!?」


 いや、知らないわよ。

 やったの、あんたじゃないの。

 なら理由があるのもあんただけでしょうよ。


「……何を言うかと思えば。貴方、自分が何を言っているか分かっているの?」

「ひっ……」


 私が口を開くと酷く怯えたように震える子。


「ルーナ様を傷付けたのが貴方なら、貴方以外に理由を持つ者なんて居ないわよ」

「そ、それが貴方の指示だと!」

「まだ言うの? 私にだってルーナ様を傷付ける理由なんてありはしないわ」


 まったく……。とにかくルーナ様の命に別状はないみたい。

 それだけは良かったけれど。


「貴方達、ルーナ様を上級の治療院にすぐお運びして。騒いでいる時間が勿体ないわ」

「は、はい。しかし」

「……聞こえなかった?」

「は、はい! すぐに」


 ていうか何をチンタラやっているのよ。

 私が指示しなくたって、すぐに治療院にお運びするべきなのに。

 ルーナ様の顔に傷が残ったらどうする気なの?


 私と違って皆に慕われているルーナ様。

 その顔に傷なんて残ったら皆が悲しむわ。


「嘘です! 私はクリスティナ様に命じられただけです!」

「……まだ言ってる。はぁ……。いいわよ。別に。私にはやましい事なんて何も無い。証拠でも何でも調べて貰ってちょうだい」


 本当に面倒くさいわね!

 なんで皆、私にばっかり変な言い掛かりを付けるのかしら!


 当然だけれど、私の所から証拠なんて何一つ見つからなかったわ。

 そもそも証拠も何も実行犯が居るんじゃないの。


 ……でも、この事件は思いの外、私の立場を悪くしたわ。

 まったく証拠も無い上に、本当に無関係なのにルーナ様を陥れたのが私という事にされたの。


 この頃になると、どうしてもイライラが募ったわね。

 なんでこんな事になるのかしら! もう……ルーナ様とだってお話できなくなったし!



 そして。



「──クリスティナ・マリウス・リュミエット。君との婚約破棄をさせて貰う」


 とても冷たい表情をしたレヴァン殿下が、私に向かってそう断言(・・)したわ。


「……何を」

「ルーナの顔に、酷い火傷が残るところだった」

「…………」


 あ、ルーナ様。久しぶりに見た気がする。

 だって、あの事件から私は彼女に近付く事も許されなかったから。


 ルーナ様の顔はしっかりと治っていたわ。

 可愛らしいルーナ様。燃える水を掛けられたと聞いたけど、その髪の毛もちゃんと治っている。


 良かった。本当に良かったんだけど。

 婚約破棄?


「彼女の火傷は君のせいだそうだな」

「……違いますわ?」


 それはちゃんと調べて貰った筈だけど。

 何の証拠もないっていう事で決着が付いた筈。


「……君が何を思って、そんな事を企てたのか。おおよそ察する事はできる」

「殿下? 私は何もしていませんわ」


 でも、私の言葉を遮るように殿下はキッと私を睨みつけた。


「……もういい。証拠が無いからと言うのだろう、君は」

「え、ええ」

「だが、夥しい程の証言だけは集まっている。学園の者達のほとんどが、君の仕業だろうと噂している」

「噂は証拠になりませんよ……?」


 そうよね?


「ハッ! そうだな」


 そして、レヴァン殿下は見た事もないような表情で私を見た。

 本当に『私』が見た事もない、そんな顔。


 殿下ってこんな顔するのねー……。なんて。



「だが、クリスティナ。マリウス家との問題なら……もう解決した(・・・・・・)よ」

「うん?」


 マリウス家との問題って?


「ミリシャ、おいで」

「はい、レヴァン殿下」

「……ミリシャ?」


 どうして、ミリシャがここに。

 彼女は満面の笑顔だったわ。


 そして私を見る目には……何か言い知れないものが。


「王家は【天与】持ちの女性を娶れと言われている。……そして同様に、マリウス侯との繋がりも重要視している」

「……はい」


 だから、そのどちらの条件も満たした私を婚約者に据えたのよね。


「普通ならば君以上の相手は居ない。……だが。そんな立場であるのに、嫉妬に狂い、心清らかな女性の顔に火を向けるなど……到底赦される事ではない」

「いや、だから」


 それ、私じゃないってば。


「……君を信じられるかどうかなんだ、クリスティナ」

「信じる?」

「そうだ。僕は君を……信じられない」

「…………どうして」


 私、何かしたかしら。思い当たる節は……ないこともないわね!


「だから、問題の多い君との婚約を破棄し、僕は……新たな王妃候補として、ルーナ・ラトビア・リュミエットと、ミリシャ・マリウス・リュミエットを迎える」

「………………」


 ええと。

 そうなると【天与】持ちを迎えられて、マリウス家との繋がりは切れなくて。


「……君には問題が多過ぎたんだよ、クリスティナ。ルーナと会って分かった。僕は君とは……愛を育めない」

「────」


 そう。


 婚約破棄をされた事はショックだったけれど。

 愛を育めないと言われて……ストンと納得してしまった。


 誰かに愛される事自体……よく分からない事だったから。



前後編、前編。後編に続きます。


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[良い点] 難易度激高のクソゲーだからって結構胸痛いですね
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