05 初めての宿泊
「ええっと」
そろそろ日が沈むわね。
そして、この先に街があるわ。
王都からやってきた者達がちょうど日暮れ前に宿を取れるようにと出来上がった宿場町ね。
「そこで宿を取ればいいわね!」
路銀は最低限を用意されていた。
侯爵令嬢だった私にとっては大金とは言い難い額ではある。
……まぁ、ドレスを何着も欲しがる女じゃないからね、私は。
だからこれだけあれば旅費が枯渇するような贅沢は……たぶんしないわ!
つくづく今の私がどういう立場か分かり辛いわね。
王子との婚約破棄は一方的だけど、その理由である予言を彼らが本当に真に受けていたなら国外追放だった筈。
でも彼らはそこまではしなかった。
或いは世間の評判を気にして出来なかったか。
聖女の予言を限りなく信じてはいるけれど、それでも最後の一線で踏み止まっている感じね。
だからこその国王陛下の王命と願いなのよね。
だけど私が王子と聖女を殴ったものだから、不敬罪で王都からは追放。
予言の影響で実家にも帰れない。
そして今は荒れたアルフィナ領へ向かっている。
従者も付けずに1人でね!
これが数日前まで王妃候補だった女の姿かしら?
「…………」
私は馬上から辺りを見回した。
マリウス家で私の従者であったリンディスのように、姿を眩まして活動できる『魔術』使いは存在する。
だから今の私にだって姿の見えない監視が付いていてもおかしくない。
ここはまだ王都から離れてもいないし。
「寄り道せずにまっすぐアルフィナ領に向かうべきなのよね。予算も限られてるし」
でなければ、よ。
予言の聖女が私を『傾国の悪女』となる運命だと決めつけたように、私のあらゆる行動に対して因縁を付けて悪く言われるかもしれないわ。
そういう私に対する悪評の流布とかは王妃候補だった期間でも散々あったしね。
特に学園での根も葉もない悪評にはうんざりしていたのよ。
レヴァン王子の婚約者になりたい令嬢が多かったからね。
何でもかんでも悪いことは私のせいと囁かれたものだわ。
……あれらの令嬢の身勝手な噂も、聖女アマネよりはマシに思えるのが不思議ね!
アルフィナ領へ向かうついでにフィオナに会いにエーヴェル領へ行きたかったけど、今度は王命無視の罪を問われそうだからやめておきましょう。
「とはいえ問題は」
聖女アマネの予言内容だわ。
アルフィナ領では大量の魔物が沸く厄災が起きるという。
現時点でも魔物は発生しているのだとか。
なんでも私が【天与】を授かったというか、あの婚約破棄の日の覚醒? を見て、そんな予言をしたらしい。
加えて。
私に王都から従者を付けていくとその人達は全滅? してしまうらしいわ。
「従者も付けさせないのは嫌がらせなのかしら」
聖女に嫌われることをした覚えはないけど、彼女の予言は悉く私に厳しい。
実は聖女に嫌われているか、或いは先日殴られた腹いせの為に私に従者の一人も付けさせたくなかったか。
それとも『本当にそういう予言なのか』……よね。
それが本当の予言だとすると、私がアルフィナ領へ辿り着くまでの道のりでは従者が全滅するような『何か』が起きるかもしれないって事よ。
「流石に王都のすぐ近くでそんな事起きないと思うけど」
一体何が起こるのかしら?
アルフィナ領の近辺で発生しているらしい魔物の群れの襲撃?
それが1番妥当な線よね。
でも他の何かだったら?
暗殺とか……。王妃候補でなくなった私を狙う必要があるかはさておき。
でも『傾国の悪女』となるのが聖女の予言よ。
後の憂いを断つ目的で誰かが私の暗殺を指示したりとか……。
「んー」
中々に油断できそうにないわね。
……これからもずっとそんな夜が続くのかしら?
◇◆◇
馬を停められる宿を見つけ、私は宿に入っていく。
「ふふ」
何気にこういうのって初めてじゃないかしら。
平民が使う宿を取るの。しかも1人でよ。
ああ、リンディスやフィオナに話したいわ!
木で出来た作りの宿。
入り口からすぐの空間は広めに作られていて、いくつかのテーブルが置いてあるわ。
お金を払えば朝食や夕食が食べれる形式みたいね。
「えっ……」
私が入ると、それらのテーブルに座っていた数名の客や宿側の人が注目してきた。
うん。あそこのカウンターの人に頼めば良さそうね。
「今日の宿を取りたいの。部屋は空いているかしら?」
ふふ。完璧でしょう?
私、1人でやれるわよ、リンディス、フィオナ!
「あ、は、はい! えっと……お一人様です、か?」
「ええ! 1人よ!」
なんて楽しいのかしら。
こういう体験が出来るのは初めてよ。
しかも、王妃なんていう堅苦しい立場にならなくて済む。
……ちょっと聖女に感謝したい気分になってきたわね!
「で、ではお代はリュミエル大銅貨5枚です」
「分かったわ!」
流石の私もお店で物を買うぐらいの経験はあるから、宿泊手続きだって簡単ね。
上機嫌の私は宿代を恙無く支払い、初めての宿を取ったわ。
「きゃー! ふふ!」
平民が泊まる宿ってこんな風なのね!
悪くないじゃない。
ううん、とっても良いわ!
私はベッドに飛び込んで自由を謳歌する。
馬でとはいえ1日移動に費やしていたからね。
ここでしっかり休んでおきましょう。
「そうだわ。お風呂」
中々に立派な宿らしいから個室にお風呂が付いているのよ。
流石は宿場町よね。
私は、かつての王妃教育も何のその。
はしたなく服をその場に脱ぎ散らかして、お風呂に入ったわ。
裸になり、そしてシャワーを浴びる。
「ふぅー……」
解放感と心地よい疲れ。
身体の汚れが温かいお湯に流されていく。
そうだわ。これからはあんまり美貌だとかそういうのに気を配らなくても良いかも。
野山を馬で駆けて、鉄の剣を振るっても問題ないのよ。
……まぁまだマリウス家から除籍されたワケじゃないし、今だって【貴族の証明】を持たされてる身の上なんだけど。
「ふふ!」
それでも王妃候補だった時には感じた事のない程の自由を満喫できているわ。
程なくして私は宿のベッドで眠りについたの。
でも、その夜のこと。
……私は夢を見たわ。
「ん……」
いえ、それは夢じゃないわね。
かつて見たのと同じような『予言』の【天与】……。
そこは見慣れない街並みの光景。
誰か、いえ、これはルーナ様?
ルーナ様がそこで話をしているの。
そして、その姿を物陰から見ている男。
しばらく男はルーナ様を付け回していた。
それから……宿で休んでいたルーナ様の部屋へと押し入っていったわ。
(危ないっ……!)
そう思った時に、その光景は霧散してしまった。
「あっ!」
飛び起きる私。
臨場感のある夢のせいで警戒心を全開にするけど、あの光景の場所はここではないわね。
「まさかルーナ様の身に危険が?」
彼女も各地へ派遣されると聞いた。
私じゃないんだから、そんなにすぐに王都を移動しているとは思えないけど。
あ。それに私の『予言』ってかなり未来の光景の場面の可能性もあるのよね。
いや、でもルーナ様はあの日見たご年齢のままに見えたわ?
「……どうしよう」
ルーナ様に伝えなきゃ。
なのに今の私は王都に戻れない。
まだ私の処分が知れ渡ってなさそうだから戻れそう?
ううん。そこまで甘くはないわよね。
王都の騎士は優秀だと聞いている。
「……手紙。手紙を書かなきゃいけないわ」
レヴァン王子宛てで良いかしら?
ううん。いっそ聖女宛てに送る?
……どちらも届くか分からない。
知り合い程度の貴族令嬢宛てにとか。
……この状況に落ちた私が?
手紙の内容すら読まずに『どうせ私の家に泣きついて来たのでしょうけど関係無いわ。燃やしてしまいなさい! 手紙が届いた事すら問題だわ!』……なんて事になる予感しかしない。
悲しいかな。
私の本来の『猿姫』な性質とは真逆の『王妃』思考が、その光景をありありと思い浮かばせた。
「うぅ……」
なんて歯痒いの? これが立場を追いやられるという事なのね。
ちょっと束の間の自由に胸をときめかせ過ぎていたわ!
「とにかく今見た光景を忘れないようにして書き留めて……手紙を出来るだけ早く、確実にルーナ様に届くように考えておく、しかないわよね」
私は跳ね起きて手紙を書く準備を……流石に用意された旅装一式にはそんなの無いわね!
……自分の荷物なんて家や学園寮の部屋に置きっ放しなのよね。
あれ、燃やされちゃうのかしら。
そこまで未練のある品はほとんど無かったと思うけど。
お気に入りの服ぐらいはやっぱりあったから悲しいわ。
「まずは紙を買ってこなきゃだわ」
私は宿を出る際に宿の人に聞いて店を確認する。
それから午前の間だけ馬を繋いでおくのを認めて貰ったわ。
朝早くから郵便屋を訪れて羊皮紙を入手。
宿場町の中央の噴水のある公園に置かれたベンチに座って、必要な内容をしたためておくわ。
「わぁ」
「綺麗な人ねぇ」
問題はどうやってルーナ様の危険を報せるか。
この手紙をどうやれば、王子から婚約破棄され、王都を追放された私がまともに届けられるか。
うーん。うーん……。
「お嬢さん」
「うん?」
私が手紙を持って悩んでいると声を掛けられたので顔をあげた。
「お、おお……」
「? 何かしら」
「あっ、その。何かお困りのようでしたから声を掛けました」
「うん?」
気付くと何故か私は注目されていたみたい。
フフン! 私が綺麗だからって注目しても仕方ないわよ!
……それとも私、目に付くような変な行動してたかしら?
「いいえ。何でもありませんよ」
とりあえず必殺の『外行き』、もとい『婚約破棄された王妃のなり損ないスマイル』で男をはぐらかしておくわ!
「そ、そうですか。ですが……お美しいお嬢さん。時間がおありでしたら、良ければお茶でも如何でしょう? ご容姿を見るに何処かの名のある貴族の令嬢様なのでは?」
ん。
これはアレかしら。
噂に聞くナンパという男女交際の入り口のひとつかしら?
平民の街に出た女性の元にお忍びでやってきた王子様が声を掛ける事で始まるロマンス……ってヤツよね。
そういうのフィオナに読まされた本で知ってるわ!
「貴族令嬢ですか」
それってまだ王都に近いこの場所でバレて良い事ないんじゃない?
たしかに私は【貴族の証明】であるペンダントを渡され、今も首に掛けて服の下の胸元に隠している。
だけど『赤毛の長髪の貴族令嬢』ってそんなに居ないと思うのよね!
少なくとも貴族達の通う学園ではあまり見た事ないわ。
私と丸被りするのを避けて、赤い髪の女の子も短めに整えていたりしたらしいの。
反面、私は……けっこう髪の毛を伸ばす事自体は好きだったから腰ぐらいまで流れる赤髪を持ってるわ。
…………これは私が『クリスティナ・マリウス・リュミエット』だってバレるのも時間の問題ね!
「ごめんなさい。急ぐ旅ですので」
「あっ」
誘いを断られてがっかりする男性。
……そう言えば私、王子殿下にフラれたからつまり『フリー』というヤツなのよね。
通常ならマリウス家が次の私の婚約者を見繕うんでしょうけど。
今の私は完全に実家にとっては不名誉極まりない存在に堕ちた筈。
だからそういうのは絶望的なので、それこそ普通は修道院行きだ。
とはいえ私にはそれも許されていない。
「……自分で相手を見つける自由ぐらいはありそうね」
「え?」
まぁ、この目の前の男性は好みじゃないけど。
王妃候補だった女が平民と恋。
貴族令嬢達にあらゆる意味で弄ばれる噂になりそうね!
◇◆◇
手紙を送る手段をあれこれと考えつつ、正体がバレて変な騒ぎになる前に宿場町を出る事にした。
今日は渡された旅装のローブのフードを被っておきましょう。
今回は昨日のような大木の障害物はなかった。
……なかったんだけど。
「ええ……?」
流石の私も面食らう事が起きていたわ。
あのね、聞いて?
街道の真ん中を……大岩が塞いでしまっているの!
これはこれで見応えのある光景ね!
「なんでこんな事になってるの?」
大木と違い、こうなる理由が分からず、また立ち往生している人々に馬上から声を掛けた。
「んぁ? ああ……。それがな。この岩は加工用の岩なんだよ」
「加工用?」
「ああ……。石細工職人が、そろそろ正式な婚約発表を迎えるっていうレヴァン殿下とクリスティナ様を讃えた石像を作るってんで運ばせてる最中だったのさ」
うわぁ……。これも私のせいにされる案件じゃないかしら?
もしかして、こういう事の積み重ねで『クリスティナは傾国の悪女だ』なんて噂が広まっていく未来なの?
流石に理不尽が過ぎるわよ!
「だが見事に……運ぶ石がデカ過ぎて荷車を押し潰し、ペシャンコに。そんでこの有様ってワケさ」
「そうなのね……」
何なのかしら? こう、作為的なものを感じるわよ。
私の道中に、私が砕けそうな障害物が、運命的に沢山ある……みたいな?
うん。これを私は『聖女の呪い』と名付けておくわ!
「仕方ないわね! 皆どいて! 砕けた岩が飛んで来るわよ!」
周囲が頭に疑問符を浮かべる中、私は馬から飛び降りて【天与】の光を身体に宿したわ。
「──フン!」
ドッゴォオオッ!!
「「「えええええっ……!???」」」
そして粉々に砕ける大岩。驚かれるのはもう慣れたモノよ!
「とりあえずクリスティナの石像はもう作らなくて良くなったから、これで問題無いわよ!」
「あ、あんた一体……?」
力の使い方にも慣れて来たわね!
これなら魔物相手にも十分に戦えるんじゃないかしら!
ちょっとワクワクしてきたわ。
大岩を殴り付けた拳は痛くない。
【天与】を使ってる間の私は、とても頑丈にもなるみたいね!
それから私は障害物を乗り越えて馬を走らせていったわ。
街道を駆け抜けて次の街へと辿り着いたの。
「あれ?」
……そこにあった街並は、私が夢の予言で見たそのままの光景だった。
ルーナ様はここで暴漢に宿を襲われる……のよね。
そう、この辺りに彼女が立って。
それから怪しい男の居る場所は……。
「そこよ!」
位置関係を吟味しながら立ち位置を変え、男がルーナ様を監視していた場所である背後に向かって、勢い良く振り返った。
「……!?」
あれ。居たわよ。
今、目が合った男が予言で見たルーナ様の監視者だわ。
「……!」
私と目が合うと一目散に逃げていく男。
んー。とりあえずここは……。
「待ちなさいッ! ぶっ飛ばしてあげるんだから!」
男を追い掛ける事にしたわ!
予言のような真似はさせちゃダメだからね!
……国王やレヴァン王子が私にした事も、こういうつもりだったのかしら?
『まだやってない事』の糾弾は控えめにしておかなくちゃね!
良ければブクマ・評価お願いします。




