エピローグ① ~ルーディナ~
──マリウス領と王都を襲った【邪神事件】から2週間が経ちました。
私は、ルーディナ。
ルーディナ・ルフィス・シュレイジア・リュミエット。
公爵家に籍は置くものの、今は神殿に身を寄せる女。
……ルフィス公爵家は今、その進退を問われています。
邪神事件の黒幕がユリアン兄様であったと噂されているからです。
まぁ、噂ではなく事実なのだけれど。
ただ、救いはあります。
それは……本物のユリアン兄様が戻ってきた事。
傲慢な態度や口調は鳴りを潜め、紳士な、本物の貴公子としてのユリアン兄様。
事件の後遺症で身体のリハビリが必要で、それに精神的なケアもまだまだ欠かせないけれど。
それでも。
その魂に巣食っていた病巣は取り払われた。
前のダンスパーティーで大勢の貴族達の前に悪霊が姿を現し、何よりレミーナ王女まで身体の自由を奪われていた、と周知されていたのが大きかったのね。
伯爵令嬢が同様の目に遭い、クリスティナ様に救われたという話も後押しした。
何より、王都の民のすべてが目撃するような規模の邪悪な、不思議な敵性存在を認識していたのが大きい。
『悪魔に身体を乗っ取られていた』なんて通用しそうにない言い訳が、通せる事態だった。
それでもお咎めなしとするには被害の規模が大きい。
何より、私達でさえ全容を掴めていたと言うには少し、ね。
分かるのは三女神を忌避した者達の暗躍だったという事。
今は証拠集めに王家が動いているわ。
問題は、ユリアン兄様には留まらないから。
私と兄様の母親。王妹であったミレイア・ルフィス・リュミエット。
公爵家に嫁ぎ、私を生んでから亡くなった青髪の公爵夫人。
……王女でもあったお母様の死は、邪教の手によるものなのか。
そして母が亡くなってから病に伏せるようになったお父様。
言葉は交わせるものの、医者の見立てでは、もう長くないという。
邪教とは関係なく、元より母の死が堪えていた人だった。
……お別れの言葉は、もう済ませているわ。
ユリアン兄様の件をあえて伝える事もしていない。
ルフィス公爵の引継ぎが求められているけれど……ユリアン兄様は、悪い意味で時の人。
公爵家自体が邪教に巣食われ、ボロボロになっている。
……まったく、本当にどうなるのかしら。
「お兄様。ルーディナと神殿騎士アレンが参りました。よろしいですか?」
「……ああ。入ってくれ」
ユリアン兄様は療養も込みで王家監視の付いた治療院に入っている。
今のところ、経過は良好。
ここのところ治療院の警護が厳重なのは……。
「……まぁ。レミーナ王女。本日もいらしていたのですね」
「ええ。ルーディナ公女」
王女様がいらっしゃるからよ。
ユリアン兄様もまだ公爵令息ですから、警備が厳重なのは良いのだけれどね。
考えてみれば、レミーナ様だってユリアン兄様と同じ症状だったのだから、ここでその治療が行われるのなら不自然ではないのだけれどね。
ダンスパーティーの時は、ベルグシュタット卿への当てつけや、クリスティナ様への思惑などがあってパートナーになった2人だけれど。
レミーナ様は今はもうお兄様にその気がある、という事で良いのかしら?
「お加減はいかがですか、ユリアン兄様」
「……うん。大分、良くなってきたよ。今はね。知識……の擦り合わせをしているところかな」
ユリアン兄様が、悪魔に身体を乗っ取られていた期間は長い。
けれど兄様の意識が、まったく途切れていたのとは違うそう。
聞けば憑依されたと言う伯爵令嬢も意識はあったと言うから、そういうものなのかもしれないわ。
それは、より苦痛だったでしょうと思う。
不幸中の幸い、と言ってよいのか。
ユリアン兄様の精神は、年相応に成熟してはいるわ。
「そう。精が出るわね」
「うん。ルーディナには苦労をさせたからね。この先、僕やルフィス家がどうなるかは……王家や貴族院次第だと思うけれど。努力するべきことは怠らないよ」
「……ユリアン兄様」
本当に。二週間前のお兄様とは別人。
うん。別人なのだけれどね?
「今日はね。お兄様。改めて報告しに来たの」
「……報告?」
お兄様が首を傾げた。
ベッドの端には当たり前のようにレミーナ様がいらっしゃるけど……まぁいいわ。
彼女の思惑は後で聞くとしましょう。
「私、アレンと正式に婚約を結びましたの」
と、私は後ろに立つアレンとお揃いのデザインをした婚約指輪を掲げてみせた。
「……ああ。そうなのか。うん。おめでとう」
少しだけ驚いた顔をしたユリアン兄様は、優しく微笑んで私達の仲を祝福してくれた。
たった、それだけの事なのに。
なんだか目尻が熱くなった。
本当に、優しかったユリアン兄様が帰ってきてくれたのだと、そう感じる事ができたのよ。
「必要な書類を揃えられた、のかな? 神殿の協力も」
「はい。陛下や神殿関係者達も協力してくださいました。ルフィス公爵家の進退に関わらず、私達の仲は引き裂かれる事はありません」
「……うん。ルーディナは、リュミエールを救ってくれた『聖女』の一人だからね」
「ふふ。そうね」
──聖女。
その呼び名は、私達3人の元に返ってきた。
王都に暮らす大勢の民の前に、女神が舞い降りたから。
まぁ、王都に現れた女神に、ほとんど私とルーナ様は関与していませんけれど。
そうして対峙したのは予言の聖女と呼ばれていたアマネ・キミツカの姿をしていた……。
どうしたって悪い噂は巡ります。
一連の不幸の元凶は本当は……、と。
貴族達の前でクリスティナ様が予言と災害の因果を指摘した事もありますし。
何より、アマネさんの予言によって最も貶められたクリスティナ様が、誰の目から見ても明らかに女神に愛され、そして王都の民を救ってみせたのですから。
貴族社会というのは、こういった時の切り替えは早いもので。
今回の件は民も認める事でもあります。
どちらが悪女で、どちらが聖女であったのか。
……まぁ、アマネさんの味方をする人は居なくなりましたね。
本当に変わり身の早い人々だこと。
アマネさんに罰を求める声もあります。
ですが、その件は止められていますね。
他の誰でもない、私以外の2人の聖女に。
異教徒達の罪は問えますが、乗っ取り、転移……それらの被害者とも言える者達に罪を問うとレミーナ様まで手が及んでしまう。
……要は王家にまで波及する問題という事ですね。
下手な事をすれば、明日は我が身とも言えます。
身体の自由を奪われた者にまで罪を問うのか。
いずれは自分達にも起こるかもしれない事なのに。
アマネさんの件を解決したのは、やはりクリスティナ様です。
彼女は邪神の討伐と共に、アマネさんが帰る道を開きました。
……そう。
予言の聖女、アマネ・キミツカはもうリュミエールには居なくなりました。
彼女の故郷に帰ったのです。
本当に帰れたのか、一年近く故郷から離れていた彼女はどう過ごすのか。
……気にはなりますが、それはもう私達の知る物語ではない、という事ですね。
女神の巫女、改めて女神の聖女。
どちらの名でも呼ばれます。
女神シュレイジアに祈りを捧げる光翼蝶の聖女、ルーディナ。
それが今の私……。
「とにかくおめでとう。ルーディナ。家族として過ごす時間が、この先どれだけあるか分からないが……。アレンと共に幸せになってくれる事を祈っているよ」
「ユリアンお兄様……。ありがとう」
兄様と手を重ね、言葉を重ねる私。
「アレン。君とは、ちゃんと……向き合えていなかったけれど。どうかルーディナのこと、よろしく頼むよ」
「……はい! ルフィス小公爵様」
「ふふ」
神殿騎士のアレン・ディクート。
あの大会で3位に入って私と付き合い始めた人。
悪くはない。
今の私は、とても満たされているわ。
彼は神殿に務める聖女としての私を支えてくれるでしょう。
「……ねぇ。良いかしら?」
「はい?」
家族のやり取りをしていると、その場に居たレミーナ様が言葉を掛けてきました。
本当にこの方は何故ここにいらっしゃるのかしら……。
「ルーディナ様はシュレイジアの聖女様として民にも貴族にも認められているのよね?」
「……ええ、まぁ。そうですわね」
「では、ルーディナ様に婚約者が決まった今。貴方がルフィス公爵家を継げば、何の問題もなくルフィス家を存続できると思うわ」
「……それは」
家督を継ぐのにリュミエール王国では、女であっても問題ありません。
とはいえ、爵位だけでなく領地まで継ぐのであれば、キチンと学がある人間が就くべきものです。
今回のルフィス家は問題を起こした側でもありますので、領地の一部は国に返還する事が決定。
ボロボロの内情ですから、管理する土地が多いと領地運営も上手くいきませんし。
規模を縮小し、何とか管理しやすい規模に抑える予定です。
……私が女公爵となる。
それはたしかに選択肢の一つでした。
ユリアンお兄様の評価は落ちましたが、女神の聖女である私の評価は上がりましたし。
「ルーディナ様は、領主としての勉強はされていないのかしら?」
「……公爵令嬢なりの学はありますわ」
「それでしたら」
「けれど、私はユリアンお兄様こそルフィス家の当主に相応しいと考えていますの」
「…………そう」
あんな事がなければユリアンお兄様は素晴らしい公爵になったに違いありません。
その意味では、異教徒達を誰よりも憎んでいるのは……私なのかもしれませんね。
お兄様の輝かしい未来を穢された。
本当に。
本当に赦し難い事です。
「たとえ、公爵位を剥奪され、降爵処分になったとしても。ルフィスの家はユリアン兄様に継いでほしく思います」
「……そ。ルーディナ公女は、公爵位に興味はないのね」
「ええ。それはもう。なにせ、私……聖女ですので」
公爵令嬢にして聖女。
もっと早くにこの立場に立っていれば、レヴァン殿下の婚約者に据えられてもおかしくありませんでしたね。
そういう点では、今のこの流れは悪くないとも言えます。
……王妃など、器ではありませんものね。
「聖女ねぇ」
王国を賑わせる3人の聖女。
女神の存在をより強く感じたリュミエールの民にとって、この人気は揺るぎないものですね。
「神殿に籍を置きつつ、ルフィス家を影ながら支えて生きていくつもりですわ。それが最も多方面にも良いでしょうし」
「そうかしらね? 貴方にも王族の血が流れているのだけど」
「……王妹の血ですが、正式に臣籍降下していますわ。レヴァン殿下の立場も決まりましたし。
彼女が傍にいるならば安泰でしょう。
王家の血を引き、継承権があったと言っても……これ以上、レヴァン殿下に土をつける貴族が居るのもどうかと思いますわ」
「まぁ……そうね」
レヴァン殿下には、たしかに悪評がつきました。
明確に予言の聖女アマネが『悪役』になった今、彼女に誑かされていたという噂はついて回るでしょう。
だけど。
『救国の乙女』であるルーナ様の婚約者になり、祝福される関係になりました。
そうなれば……。
殿下の恋路は美談になっていくのですよね。
これは、レヴァン殿下の人気というよりは、ルーナ様の人気でしょう。
それにクリスティナ様とルーナ様の仲が良い事も、クリスティナ様が一切、レヴァン殿下の事を引き摺ってない事も大きい。
ユリアンお兄様の、継承権について名が上がる事がなくなった今。
貴族院の会議で名前が上げられるのは、レヴァン殿下とクリスティナ様のみ。
……通常であれば決まったようなものなのですけどね。
流石に王都で暴れたクリスティナ様の姿は、誰もが目にしています。
もはや王の資質や学といった問題ではなく、女神の祝福があるかどうかですかね。
誰よりも明らかに女神の現し身としての存在感を持つ彼女。
……未だに王妃に彼女を据えるべきだという声まで上がる程です。
まぁ、王妃教育は受けていますからね……。
今の正式な婚約者がルーナ様でなく、ただの貴族令嬢であったなら、本当に……はい。
押し切られてもおかしくなかったでしょう。
クリスティナ様が押し切られる様は想像できませんけどね。
それにベルグシュタット家も黙っていないでしょうから。
「レミーナ様は、どうされたいのです?」
「……私?」
「ええ。リュミエールは今、色々とせわしないでしょう? ルフィス公爵家だけでなく、マリウス家も」
ルフィス公爵家の処分は今のところは保留。
ユリアンお兄様は王位継承権を正式に放棄する意思を伝えていますし、領地の一部を国に返還する事は決まっているけれど、爵位が保留となるか、はたまた降爵処分となるかは、まだ……というところ。
お兄様と共に私も継承権は正式に放棄している。
レヴァン殿下とルーナ様の邪魔をする気は毛頭ない。
ルーナ様は優秀だものね。心配はないわ。
……同じく王妃候補の一人であったミリシャ嬢のマリウス家は既に降爵処分を受けていて、今はマリウス伯爵家です。
反面、ラトビア家は領地も大きくなり、同じく伯爵家に陞爵。
ミリシャ嬢が王妃や、側妃になる目はなくなったわね。
それでもマリウス家が裕福な家である事には変わりない。
令嬢はさておき、侯爵あらため伯爵令息となったリカルド様。
彼は今、やはり婚約者が居ないワケだから……嫁ぐにはまだまだ十分に魅力がある方となりますね。
名門貴族で適齢の殿方というのは、そう多く残っているワケではない。
なので、神殿関係で決め打ちをしていた私と違って、今後の身分も考えているレミーナ様にとっては。
いい加減、早く決めないと、ね?
「……そうね。ちょうどいいわよね。貴方が居るのなら。公爵家に対する意識も聞けたし」
「はい?」
私は首を傾げました。
「ユリアン公子」
「はい。レミーナ王女」
金色の髪と、金色の瞳を持つ美しい王女殿下がベッドに横たわるユリアンお兄様にまっすぐに向き直った。
「──わたくしと、結婚してくださるかしら?」
「へ」
「…………」
うわぁ……。
やりましたよ、この王女。
いえ、治療院にお見舞いに来て同じ部屋に居た時点で察してましたけどね。
お兄様の反応は……はい。まったく思い至らなかったような、初心な反応……。
んん……。お兄様。女性に対する免疫が……なくなっている?
この顔と能力で、それはちょっと困りますね……。
「レミーナ様は過去の恋は、吹っ切ったのかしら? それとも、」
「あら。過去の恋ですって? 一体、いつの話かしら? 私も、アレに憑依されていたからね。引き摺る過去など、本当は何もないのよ?」
「……えー」
本当かしら。強がりかしら。
そういう事にしたいのかしら?
クリスティナ様と問題さえ起こさないなら別に良いのだけれど。
「……ね? 良い話だと思うの。私ならユリアン公子が抱えた問題に、誰よりも寄り添えると思うわ」
「それは……、まぁ、そうかもしれないですね」
うーん……。
レミーナ王女を婚約者に据え、結婚したら?
ルフィス公爵家は降爵を免れるかもしれませんね。
王女の存在だけでも公爵位を賜ってもおかしくないのだから。
今は亡きクリスティナ様のお父様。王弟殿下のアーサー様だって正式な手順を踏めば公爵になれた筈です。
治療院で出会い、同じ事件の、同じ症状に苦しんだ公爵令息と王女殿下。
……美談になりそうですね。
悪くない話です。はい。陰では何か言われるでしょうけれど。
ユリアンお兄様の相手として相応しいか、で言えば……とりあえず身分は相応しいですわね。
「る、ルーディナ。えっと、ええと。この場合は、どうしたらいいと思う……!?」
「ユリアンお兄様……」
あわあわと慌てるお兄様。
……その表情。言葉。振る舞い。
すべてが素朴な人間で……。
才能や容姿、身分を鼻にかける事のない謙虚さ。
本当に。
本当に、幼い頃のユリアンお兄様が帰ってきたのだと、私には感じられました。
様々な束縛のあった私の人生。
だけど……ようやく、ここで一区切り。
はい。とても嬉しい人生の転換点。
「ふふ。お兄様。あとはお兄様のお心にお任せ致しますわ」
「えっ、ええ!? こ、こういうのは……ど、どうすればいいんだか」
「ふふ……。そうやって悩んで、人は成長していくのですよ、お兄様」
「ルーディナぁ……!」
私は微笑んだままアレンと共に部屋を後にする事にしました。
ああ、とっても清々しい気分。
ふふふ。これからどうしましょうか?
王都中に飛ばした光翼蝶で人々の私生活を覗き見……もとい、人々の生活を見守り、慈しむ趣味がありますので、そちらにでも。
「あら」
私の視線は、離れた場所を舞う光翼蝶のものを拾います。
今日は珍しくクリスティナ様の傍に飛んでいた光翼蝶が潰されていませんね?
機嫌でも良いのかしら?
『…………』
本当に珍しく、彼女は光翼蝶を手に乗せた。
そして、まじまじと視線を向けている。
『……ルーディナ様』
「……っ!?」
ビクリと、私は足を止めました。
え? あれ?
『……私、例の事件で光翼蝶の天与も使ったから。この子の効果がどんなものなのか、だいたい分かるのよ』
あら。あらあら?
これは独り言じゃなくて、もしかして、もしかする?
『ルーディナ様。貴方が知らない筈、ないわよね? 非常時なら良いけど。日常的に私の周りに光翼蝶を飛ばしてくるのは、ちょっとどうかと思うわよ?』
「…………」
バレた。バレました。クリスティナ様に。
額に冷や汗が浮かびます。
『……じゃあ。そういう事だから、ね! フン!』
「あ」
と。そして、結局潰されてしまう光翼蝶。
こちらも女神の象徴なのですけれど、ねぇ……。
「ルーディナ様?」
「ううん。何でもないのよ、アレン」
ちょっと弱みを握られてしまいましたねぇ。
はい。これも私からの好意という事で……ふふ。
きっと、クリスティナ様なら赦してくださるわ。
だって私、あの方のこと、大好きですもの。




