205 生贄の聖女
「頑張って追いかけてね、クイン」
『キュルアッ!』
白銀のドラゴン・クインの背に乗ってエルトと共に空を飛び、邪神……邪竜? の後を追う。
ボロボロに追い詰めたと思ったのに意外と速くて厄介ね!
「空を飛びながら戦うのは工夫しなくちゃいけないわね」
「……薔薇を咲かせるのは難しいか?」
「うん。飛びながらだと咲かせる位置がズレるみたい」
あんまり意識してない事だけれど、その場の座標を目掛けて天与の力が伝達して薔薇が咲く……イメージね。
空中だと狙った相手に咲かせようにも、座標がズレてしまって上手くいかない。
いずれ竜帝と戦う時にも気を付けなきゃいけないわ。
「弓を習おうかしら……」
「その時は俺が教えよう」
「エルト、弓も使えるの?」
「ああ」
流石は王国一の騎士ね!
剣の方が勿論、得意なのでしょうけれど。
戦場では何が要るか分からないものね。
「……ユリアン公子は無事か。それに彼本人は……」
「身体を乗っ取られていたみたいだし。私達の知るユリアン公子とは性格も全く違うかもね。評判はかなり落ちたけれど……。もしも本人が真っ当な性格なら、救われるべきだわ。
ルーディナ様も喜ばれるでしょうし」
「そうだな。王家もそうだが、ルフィス兄妹もキミの親戚だ。上手く付き合える相手なら喜ばしい」
あんまり親戚感はないのよねー。
それを言えばレヴァンやレミーナ様とも親戚なんだけど。
本物のユリアン公子が目覚めても今回の事件で表舞台からは一度下がるでしょう。
継承問題はそれで解決。
そうしたら私も正式に王位継承権を放棄できるわね。
「……中々、追いつけないわね」
意外に敵のスピードが速い。
クインが私達を気にして速度を出せていないのかしら。
「ヤツは王都に向かっているのか。……狙いは何だ?」
「聖女。つまり……アマネね」
「キミではなく?」
「私達は『巫女』よ。女神の巫女。私の事は狙っていたみたいだけど……。きっと手を出せなかったんだわ。だからアレは次善の策に走った。……敗走を始めたのね。それでも王都ではアレの対処が出来ないかもしれない。
被害は見過ごせないものになるわ」
アレは転生者の魂の集合体。
神になろうとした魂と、邪神の肉体のなれの果て。
それらが竜の形を辛うじて取っているけれど、もちろん竜には程遠いナニカ。
あんなものに乗っ取られる程、私達、女神の巫女3人の力は弱くない。
私、ルーナ様、ルーディナ様を乗っ取りたくてもアイツは乗っ取れなかった。
だから、その代わりを求めてアイツはアマネを狙う。
『予言の聖女』としてリュミエールで評価されているからこそ……そこには、何か価値があるのでしょう。
アマネが居なければ、私はともかくルーナ様の評価はもっと上だったかもしれないもの。
私達の何かしらの価値の一部をアマネは奪う役割だった。
「……彼女も救うのか? クリスティナ」
「え? まぁ、そうね」
「……ふ。そうか」
問われた私は、首を傾げたわ。
気に入らない相手ではあるけれど、その役割から彼女から生じた悪意はすべて私に集約されてきた。
私が赦すなら、彼女は別に何でもない存在なのよ。
ならいいわ。
邪神の依り代にされるのも邪魔して。あとは元の世界に送り還してあげればいい。
──アマネ・キミツカには帰りを待つ両親が居る。
その両親は善良な者達だ。
ただ、娘を愛しているだけに過ぎない親。
そんな者達から娘を奪ってやりたいとは私は思わない。
「ま、アマネがやられる前に潰してやれれば、それで済む話なんだけど」
けど。追いつけそうにない。
アマネがどこに居るのか分からないけれど、彼女を襲うタイミングがあるならそこが追いつき、トドメを刺すチャンスでしょう。
風を切り、空を飛ぶクイン。
振り落とされないように『棘なし薔薇』の蔓で私とエルトの身体を縛り付けたわ。
「速いわね!」
「死に物狂いなのだろうが……、ヤツには聖女の場所が分かっているのか?」
「……大元は同じ世界の出身者でしょうし。邪神の力もあるから……分かるのかもしれないわね」
神とその巫女の関係に近いでしょうし。
私達が知らない間に何かしらの目印やらが付けられているのかも。
そもそも今、アマネは自由に動けているのかしら?
ユリアンはミリシャと手を組んでマリウス領の祭壇に居た。
そしてアマネはユリアンの元に身を寄せていたのだから……。
「私とエルトにとっては始まりでも何でもないけど。もしかしたら王宮の泉に……居るのかも」
「あそこか」
予言の聖女が異世界からレヴァンの前に降り立った地、王宮の泉。
かすかに異世界の気配を感じたあの場所。
あそこからなら魂だけでなく肉体ごと迷い込んでしまったアマネをあちらへ送り還せるかもしれないと思っていた、あの場所。
「……聖女はキミの言葉で、家族への恋しさを自覚していた。誘き寄せるには都合のいい場所でもあるな」
「そうね」
あれから、まともにアマネとは会っていないけれど。
『帰りたい』と故郷に焦がれていてもおかしくないでしょうね。
速度の違いから邪竜の姿が遠くに見える。
クインは別に傷ついているワケじゃあないみたいだけど。
ここまで速さに違いが出るの?
スタートから離されていたからその差を埋められないだけかしら。
やがて……邪竜は王都へ到達する。
そこで速度に差が出たのが何故なのか嫌でも分かったわ。
「まさか、こっちでも……!?」
王都の空に……瘴気が淀んでいる。
そして黒い太陽のようなエネルギー体が渦巻いているわ。
異界の穴は開いていない。
ただ、淀み、渦巻き、溜まっている。
けれど、その力は邪神のそれと同じだと感じるわね。
「……マリウス領と同時に王都を襲っていたのか? ユリアン公子も、マリウス嬢も、異教徒達も、すべてヤツらにとっては囮に過ぎなかったと?」
眼下を見下ろせば、魔物の姿がチラホラと見える。
最も堅固に守られていた筈の王都。
レヴァンが連れてきた騎士団はすべてじゃないから王都を守る騎士団は動いているみたいだけれど……。
誰が、この事態を?
時限式で邪神が召喚されるように?
それとも連動して?
ユリアン公子に巣食っていたアイツが事前に準備を?
この薄い膜に包まれて解けないような嫌な感じ。
「……ずっと私に纏わりついていたのは、これを気取らせない為?」
直感を妨害するような、それでいて致命傷には至らない。そんな嫌がらせを受けてきた。
私がこの事態に勘づくのを邪魔したかったの?
私の直感と予言の天与を警戒しての布石……!
「クリスティナ。これは……」
「……ルーナ様とルーディナ様を連れてきていれば王都全体に天与を届かせたかもしれないけど。この範囲は流石に厳しいわ」
出力が足りない。
今の私が出来ること、すべきことがあるなら大元である邪神にトドメを刺し、これ以上の事態を悪化させない事ぐらい。
「くっ!」
火の手が上がっているわ。そこかしこに堕天使の姿がある。
なんて事。
とんでもない被害が起きている。
あちらの戦場でも冗談じゃあない敵が居たとはいえ……。
私達が揃っていたからこそ何の絶望もなかった。
だけど、こっちは……。
「……私の目の届く範囲は!」
せっかくルーナ様に治して貰った左眼があるのだもの。
私は手を下に翳す。
視界に入った堕天使に向けて浄化の薔薇槍を叩き込んでいくわ。
『キュルァアアアッ!!』
私の存在を知らせるようにクインが鳴き声を上げる。
ジグザグに王都を飛び、私は視界に入る堕天使達を片っ端から天与の薔薇槍で貫いていった。
「クリスティナ。無理をするな。キミの力は……、」
「人を見殺しにする為に授かったワケじゃないわ。エルト、最後まで付き合ってね」
「……ああ」
回復し、充実し切った筈の体力がどんどん削れていくのを感じる。
それでも王都の民の窮地を見過ごす事は出来ない。
騎士達に最後は任せるにしても私が手を貸すのと貸さないのでは、明白に結果が違ってくるでしょう。
黄金の薔薇で瘴気を晴らしながら、白銀の竜が王都の空を飛ぶ。
一際、暗雲が立ち込めていたのは、やっぱり王宮の泉がある場所だった。
「…………あれは」
「……聖女、か?」
王都の民が空を見上げれば、すぐに目に付くだろう。
それ程に大きな。大きな、女の姿。
白い、塩で出来たような身体で出来た真っ白な巨人よ。
身体付きは女のそれであり、その顔は……予言の聖女、アマネ・キミツカそのものだった。
「アレじゃ、民からは魔王扱いじゃないの」
「……既に取り込まれた、という事か。元々ああする予定だったというなら随分な話だな」
「ていうか、私が取り込まれてたら、私があのポジションだったの?」
「それは……たしかに……悪役だったろうな」
まったく冗談じゃないわね!
もう、アマネに関してはこうなったら哀れかもしれないわ。
これで予言の聖女は致命的に王国の敵として印象付けられた事でしょう。
顔まで知れ渡っているワケではないとはいえね。
王都に現れた白い巨人。
開かれた口の中には……邪神の残骸が渦巻いていた。
舌が伸ばされるように黒い触手が、巨大なアマネの口から無数に伸びてくる。
巨人は王宮の泉から『生えて』いた。
白い部分から黒い部分に変色し、まるで大地に根付こうとする植物のように。
遠目ではハッキリとしないけれど、それは脈動する肉そのものよ。
けっして美しいだけではない、おぞましさがそこにはある。
巨大で強大な人の形をしながらも、異形を抱えた者。
或いは、やっぱり、こいつは『神』としか言えないかもしれない。
何の力もない民の目で見れば畏怖の対象となりえた。
邪神ロビクトゥス=アマネ。
「──ここで因縁に決着をつけてあげるわ、アマネ。
悪女の私と、聖女のアンタ。
リュミエールの未来を示すのはどちらか、ってね!」
力を込める。
エルトに抱えられ、その手を握る。
絞り出すように私のすべてを懸け、そして彼への愛を足す。
「──浄化の薔薇よ!」
大地に根付かせないように黄金の薔薇が邪神の根元に咲き誇る。
全身を貫き、縛り付けるように薔薇が巨人の身体に咲いていく。
「…………ッ!」
足りない。
先の戦いで消耗した体力と、王都中に咲かせた薔薇のせいで、私から絞り出す力が足りていない。
……このままではアマネを縛るので精一杯。
私が動きを止めて、エルトに斬って貰えばいい?
それでも、それでは……トドメには足りない。
私の直感が未来の事実を伝えてくる。
一手足りない。
このままでは押し負ける。
そして、そのまま王都の民ごと押し流され、皆が殺される……と。
「……天与が、女神の力だって言うんなら……!」
肉体に反動が来る。
体力を削り切り、それでも天与の放出をやめない私は、生命力そのものを捧げる事で天与を持続させる。
ビキビキと身体を内側から崩壊するような痛みが走る。
血管という血管が熱を帯びて浮き上がっていくような身体の異変。
「女神! アンタ達が! 私に力を貸しなさいッ!!」
ルーナ様とルーディナ様が傍に居た時に感じた、確かな気配。
その存在をこの決戦に無理矢理に引っ張り出す。
異界の穴とは違う、世界の裏側。
あくまでリュミエールのある世界の薄皮一枚向こうに居る、大いなる存在。
傲慢に。
私は女神そのものと交渉ですらなく。
鍵の締まった扉を無理矢理にこじ開け、引っ張り出す。
「────ッ!!」
そして邪神と私の間にある空間から光の奔流が起こり、私の意識だけを呑み込んで連れて行った。




