202 たとえ世界の半分が見えなくなっても
「ん……、」
一度、意識が朦朧とした後、また目を覚ましたわ。
「クリスティナ!」
「ああ、エルト……」
相変わらず私は彼の腕に抱かれているけれど。
両手の感覚が、ほぼない。
左眼は失ったまま戻らなかった。
「……エルト。貴方、泣いてたの?」
見れば彼の目の下には涙の跡が。
号泣したとかじゃなく、私を抱き締めながら静かに涙が溢れた感じ。
「……キミを失うかと思った。そう思うと、な」
「貴方、泣いたりするのねぇ」
私、強い彼しか知らなかったから。
意外と脆い部分もあるのかしら?
ふふ。エルトの知らない一面を見つけてしまったわね。
「クリスティナ」
「……うん」
「無茶を……したな」
「そうねぇ」
しかも戦いで傷を負ったんじゃない。
これは自傷だわ。それで今までで一番ひどい怪我を負うのって皮肉よね。
でも、あそこで捕まったままだったら……たぶん、良くなかったと思うのよね。
私を取り込んだ邪神が現れてた……とか。
こっち側で戦う人間が単純に減ってしまうし。
「俺は、キミと共に戦場を駆けたいと願った。……だが、キミを失う事までは願っていない」
「……戦場に出るのに?」
戦いに近ければ命を落とす危険が増えるのが騎士というものよ。
そして、それはエルトもなのだけどね。
「ああ。クリスティナ。キミは戦場に出る。そして勝つだろう。生き残るんだ」
「……王国一の騎士様にしては、覚悟が足りないんじゃない? ねぇ、金の獅子さま。
誰だって戦場では死の危険と隣り合わせでしょう?」
「……キミが生きて俺の腕の中に居るからさ。
共に戦場に駆けるキミも。
俺よりも強く、気高いキミも想像できる。
でもキミが俺より先に死ぬのは、耐え難い。そう思ったんだ。
……クリスティナ。…………クリスティナ。
戦場でキミが命を落としたのなら……その日が、金の獅子の最後の戦いの日だろう。
俺は、それより後は、きっともう剣を振るえない……」
「エルト……」
私が見てきた予言の夢の世界で。
アマネは知ってる筈の『エルトのエンディング』を私は知らないままだったわ。
見たくなかったなら見なかったのかもしれない。
ただ、きっと似たような物語の終わりは知っている。
夢の中の彼は、ルーナ様と恋人になったりせずにどこかへ消えてしまうのよね。
……それはエルトらしい終わり方なのかもしれない。
もちろん、夢の中の彼も私の事を好きだという前提だけれど。
「クリスティナ。キミが居ない世界はイヤだ」
「……ふふ。貴方の弱さを初めて知ったわ、エルト。誇らしい私の騎士、エルト。
大丈夫よ。私は……死なないもの」
「そうか」
私は身体の力を抜いてエルトに身を預けたわ。
まだ戦いは続いている。
どころか始まったばかりだとも感じているけれど。
……もう少しこのまま居させて貰いましょう。
流石に血を流し過ぎたわよね。
「ふぅ……」
見えなくなった左眼。
潰れた瞳の代わりに薔薇が咲いている筈だわ。
夢の中の彼女、悪役令嬢クリスティナは世界の半分が見えなくなったと嘆いた。
彼女の最愛だったリンディスを失い、世界に何の希望も見出せなくて。
私はそうはならなかった。
似て異なる彼女。
ひとしきり暴れられたかしら?
代償は重かったけれど、少しでも彼女の気が紛れたのなら、なんだかそれで良い気もしたわ。
私だけが、それを、彼女の人生を『物語』ではなく、実感として知っている。
なんだかんだで彼女には救われたワケだし。
たとえ、どんな思惑で生み出されたのだとしても。
「ねぇ、エルト」
「……ああ」
私は愛しい人の瞳を見つめた。
「世界の半分が見えないわ」
「……クリスティナ」
「でもね」
私は微笑んだ。
「それでも私の世界には綺麗なモノが沢山あるわ。
汚くないと感じるモノがまだまだ沢山見える。
その一番が……貴方よ、エルト」
たとえ、世界の半分が見えなくなっても。
愛しい者も、綺麗なモノも沢山、見える。
私が絶望する事はないわ。
まだまだ気になる人達が沢山居るし。
アルフィナ領の復興だってしたいわ。
領民が居ないから放棄して王都に来れたけど、あそこは元から魔物が沢山出るらしいし。
女の身で子爵位を貰ったし。
天与を封じる邪教を倒したら……アマネをあっちの世界に送り返してあげないとだし。
エルトは、既に結婚式の準備もしてくれている。
伯爵家への嫁入りでは、解決するべき問題がまだまだあるわよね。
幸い、ベルグにはまだラーライラが居てくれるから引き継ぎとか、2つの領地とかどうするかを考える余地がある。
伯爵夫妻とは悪くない関係を築けているから、彼らの納得する形を探りたい。
エルトもラーライラも、どちらもベルグシュタットを継ぐに相応しく育てられたみたいだから。
西方の国に現れたというドラゴンを従えた竜帝アルジャーノンの対処も私達がしなくちゃ。
侍女達や、私兵としている男共の立場とか暮らしをキチンとしたモノにしてあげなきゃだし。
ヨナの教育も考えて……。
魔族のハーフだからね、ヨナ。
成長とか、その辺の違いも把握しておかないと。
まだまだ。
まだまだ。
本当に色々と沢山の問題を抱えて、解決に向けて生きていかなくちゃ。
絶望している暇なんて私にはないわよねぇ?
フフン。
「エルト」
「……ああ」
それでも終わりの時間が迫っている感覚がする。
空を見上げれば、異界へ繋がる大きな穴が開いていた。
そこから伸びてくるのは黒い触手?
ミリシャがあれからどうしたのか。
私の中の『彼女』を暴走させ、表面に出しながらも認識したのは、あの子の行動。
「……ミリシャにも救いがあるわ」
「うん?」
「あの子、たぶん捕まった子達を逃していたの。
市井で攫われた女性達よ。
それに、リンディスやセシリアももしかしたら……」
元々、救いたいと考えていた誘拐された女性達。
最後の最後でミリシャは侯爵令嬢としての矜持を見せた。
「アレが降りてくるのは気になるけど。まず、リンディス達と合流しましょう」
「……いいのか?」
「ん」
私がすぐさま邪神の元へ向かいたがると思っているのね。
でも、うん。
「あの闇の下には、ルーナ様とルーディナ様が居るわ。
女神の巫女同士って、なんだか凄く信頼し合っちゃうみたいなのよね。
まだ彼女達に任せて大丈夫よ」
私は直感に従って行動を決める。
サポートはエルトや他の皆に任せるわ。
「……分かった」
「うん」
「では、彼らをまず探そう。マリウス嬢が貴族の矜持を見せたのなら、それも拾ってやらねばならない。
キミもそれを望んでいるのだろう」
「まぁね。アレでも私の妹だもの」
髪の色も瞳の色も、性格まで何もかも違うけど。
それでもミリシャに私は、私を慕う心を見たわ。
あの子はアレで私をいつまでも『お姉様』と慕いたかったのよ。
本当、違う形で生まれつけば素直に育ったのかしらね、あの子は。
「……少し」
「うん?」
「エルトに『マリウス嬢』って呼ばれる時代があっても良かったかな、って思ったわ。
お互い、レヴァン殿下を通して繋がりは出来た筈なのにねぇ」
王妃教育を受けている間も、王太子の親友である筈のエルトと関わる事のなかった私。
レミーナ王女の影響があったのだけど。
もっと早くに出会えていれば良かったわ。
「……俺は今のキミとの出逢いを気に入っているけどな」
「まぁ! ふふ。決闘から始まった私達の物語?」
「ああ。そして決闘で結ばれた俺達の物語だ」
「ふふふ、そうね。それは私もお気に入りよ」
出逢って決闘して、再会して決闘して結ばれたの。
リュミエール王国でもそうはない馴れ初めになるわね! フフン!
「……ああ、降りてきちゃった。エルト」
「ああ。急ごう」
世界の滅びを示すように邪神が空から降りてくる。
触手の先には贄となった者達が居るのでしょう。
「ミリシャ……」
そして彼らの神、その頭脳として育てられたユリアン公子も。
──邪神ロビクトゥス・ユリアン。
異教徒達の女神を穢す夢が、すぐ傍に結実していた。




