199 傾国の悪女クリスティナ
「ベルグシュタット卿!」
「あれは……、まさか」
クリスティナからの指示を受け、ラトビア嬢とルフィス嬢、それから神殿騎士を連れてきた。
手元に残った俺の部下達を含めての混成部隊。
ルフィス嬢の親衛隊でもあるらしく、大会で3位に残った例の神殿騎士アレン・ディクートも同行。
彼らは一時的に俺の部下として指揮を統一させてくれている。
領地に第3騎士団の本隊を正式に戻して見せたのは、敵の油断を誘う為でもあった。
クリスティナを守る戦力が充実していると、連中は動かない。
今回の件もそうだ。
クリスティナは、あえて単独行動を選んだ。
彼女の判断、選択には振り回されてばかりだ。
……まぁ、そこが彼女の魅力でもあるのだが。
「エルト。あれは、まさか……クリスティナの薔薇かい?」
「レヴァン」
ラトビア嬢を連れてくるに当たり、王宮にも使者を出した。
その為、レヴァンの耳にも事が伝わり、レヴァンも騎士を引き連れて駆けつけてくれている。
王太子の側近を含めた、レヴァンが率いる小隊だ。
レヴァンの護衛であり、ラトビア嬢の護衛でもある為、それなりの数が動いている。
彼らとも合流した事で想定した敵戦力の制圧には申し分ない戦力が整った。
馬術は習っていないラトビア嬢、ルフィス嬢はそれぞれ、別の馬車に乗っている。
それからクリスティナの幼馴染で担当医、王家の影であるバートン家のカイル。
クリスティナの親友である辺境伯令嬢、フィオナ・エーヴェル。
バートン家に抱えられていたという魔族、クリスティナが『ナナシ』と呼んでいた男も来ている。
ヨナという魔族の少年だけはベルグの邸宅に残してきた。
馬に乗れないクリスティナの雇った元野盗の私兵達は、その邸宅の守りについている。
「……禍々しい、黒の、薔薇」
前方。
リュミエールを騒がせてきた邪教徒達の拠点と報告されていたマリウス領の一角。
大きめに建てられた教会と、その周辺の家屋。
そのすべてが薔薇に覆われていた。
真紅の薔薇でも、黄金の薔薇でも、水晶の薔薇でもない。
黒い薔薇。それも大型の薔薇がいくつか咲き誇り、家屋は薔薇の蔓で貫かれている。
一見して穏やかな雰囲気ではない。
彼女が暴れたにしては違和感のある光景。
また、異変はそれだけではなかった。
空が曇っているだけでなく、まるで薔薇の咲いた教会を中心に渦巻いているようにも感じる。
……あれは『大地の傷』だ。
魔物が溢れる異界への扉。
それも今まで見た事のない規模の。
「カイル。あそこまでの規模、アルフィナでは見た事があるか?」
「……いいえ。ベルグシュタット卿。あんなものは、我々も見た事がありません」
「そうか。俺達もだ」
「……尋常ではありませんね。あそこの下にクリスティナ様と、それに……ユリアン兄様もいらっしゃる……」
兼ねてより懸念されていた邪教徒達の崇拝する神。
かつてマリルクィーナ修道院で戦ったあの異形に近しい存在が呼び出される。
それも手の届かない空から……。
「ラトビア嬢。空にある大地の傷も浄化できるか?」
「……真下に行けば何とか。ですが、ルーディナ様とクリスティナ様の協力が必要です」
「3人揃うと、やっぱり力が強まるのかい、ルーナ」
「はい。レヴァン様。お2人と一緒だと強くなれます」
ラトビア嬢の『聖守護』の天与は知っている。
おそらくクリスティナの薔薇よりも大地の傷の浄化には適しているだろう。
「では、あの下に2人を無事に送り届け、それに……クリスティナと合流しなければならないな」
黒の薔薇に侵食された家屋群。
それらは不吉な予感を感じさせた。
距離を保ちつつ、先行する部隊を進ませる。
俺は先頭だ。レヴァンも出来れば後方に控えて欲しいが最前線の情報を速やかに共有しなければならない。
──ボトリ。
「……!」
空から黒い何かが落ちてきた。
『ギッ、ギギィ……』
何だ、こいつは?
異形の人型? いや、背中に鳥の翼と、蝙蝠のような翼が片方ずつ生えている。
まるで天使と悪魔の混血児のようだ。
肌は青黒く生気を感じさせない。
大きさは成人した男の平均以上の身長がある。
──ボトリ、ボトリ、ボトリ。
「エルト!」
「──総員、戦闘態勢維持!」
左右不揃いな翼を広げて、ギィギィと奇声を発してくる魔物達。
『ギィィィ!!』
「ハッ!!」
『ギッ、』
錆びず、折れない特性を持った黒の刀身の魔剣を振るう。
愛馬である黒の馬で一瞬で詰め寄り、現れた魔物の首を切り落とした。
「むぅ!」
手応えがある。見た目はそうでもないのに非常に硬い肉の質だ。
並の騎士なら倒すのに手間取るかもしれない。
「こう見えて硬いぞ! 油断するな、お前達!」
飛び散った血は赤色ではなく青い血をしていた。まさしく異形の存在だ。
空から次々に落ちてくる堕ちた天使もどきの魔物達。
俺達を向こうへ近付けさせない為、なのか?
「──あら。レヴァンじゃない。何をしに来たのかしら」
と。
教会が近付いてきた所で、愛しい声が降り注いだ。
安心すると同時に違和感。
「クリスティナ……?」
「ああ、泥棒猫まで連れて来たの? まったく。最低の浮気男ね、レヴァン」
見上げる。彼女は……教会の屋根の上に現れた。
「く、クリスティナ様!? その目は!」
ラトビア嬢が驚愕した。
いや、驚いたのは彼女だけじゃない。
……クリスティナの左眼は潰れ、そこから赤い薔薇が生えている。
左眼のあった場所からは血が流れ落ちていた。
それだけじゃない。
彼女の両腕も身体にも、棘の付いた薔薇が巻き付き、血を流させている。
「貴方如きに名前呼びを赦した覚えはなくてよ。
……ラトビア男爵家のルーナ、だったかしら?
婚約者の居る男性に擦り寄る女に、それに気を赦して不貞を働く殿下。
なんてお似合いのお2人なのかしらね?」
「え?」
「クリスティナ?」
「…………」
違う。
彼女はクリスティナじゃない……。
「浮気者の2人が揃って何をしに来たの? 婚約破棄された私を嘲笑いに? 落ちぶれた侯爵令嬢を見下しにきたのかしら?
修道院の代わりにこんな薄汚れた教会に押し込んで……」
「何を、おっしゃっているのですか、クリスティナ様……?」
屋根の上のクリスティナは首を傾げる。
その動きに合わせて、潰れた左眼からポタリと血が零れ落ちた。
「王妃になれと言われて務めてきた私を、切り捨てたのは貴方達でしょう? ねぇ、レヴァン? 真に愛する相手だったかしら?
いいえ、この私を側妃に据えるつもりで……?」
「クリスティナ、君は一体何を……」
「何を? 何をですって! あはは! 私はね。レヴァン。貴方と家族になるならってそう思っていたわ。
マリウス家に私の居場所はなかった。
私に家族は居なかった!
……だからいずれ結婚する貴方と家族になれるならとそう思っていたわ。
ふふ。ふふ……でも、貴方は私を裏切った。
ありもしない罪を問い、学園の連中の仕組んだ冤罪を突きつけ、私を責め立てた!
……ああ、でもね? レヴァン。
本当はもうどうでもいいのよ。
私には、私にも、家族は居た。
ずっと傍に居てくれたの。貴方に捨てられ、社交界にも居られなくなった私を、それでも傍に居てくれるって。
……それもいいと思ったのよ?
貴方がその男爵令嬢を選んだように。
私だって他の誰かを選んでもいいって。
一緒にマリウス家から逃げて、生きていく。
そういう人生も良いかもって……そう思った。
そう思った矢先だった。
……彼、殺されてたわ。
お父様に。殺されてたの。彼の顔を見たのは、死んでからだった。
……そして彼を殺したお父様は、お母様も、私の親じゃないんですって。
ねぇ、どうして? 何故?
何故、私ばかりが、何もかも奪われるの?
奪われなきゃいけないの?」
彼女の声が狂気に満ちていく。
本当のクリスティナを知る者達が、その様子に、その言葉に固まってしまった。
「クリス! 貴方、何を言ってるの!?」
エーヴェル嬢が声を上げる。
そんな彼女の姿を見下ろしながらクリスティナは吐き捨てるように言った。
「……誰、あなた?」
「え? フィオナよ、クリス」
「貴方なんて知らないわ」
「────」
確定だ。彼女は今、彼女自身の精神を有していない。
洗脳? 邪教徒の都合のいいように?
「はっ。ふふ、どうでもいいの。もうどうでもいいのよ? だって私の目にはもう見えないわ。
世界の半分が見えなくなった。
綺麗だったモノは何もかも見えないの。
今の私の目に映るのは汚いものばかり。
リンと一緒に私は死んだのよ。だから……ここに居るのは、ただの死体。
ふふ。そうよ。貴方達の都合のいいように、いくらでも罪を着せられる悪役。
ねぇ、レヴァン。自慢の騎士団なんか連れてきて……そうまでして私を追い詰めたい?
私を殺したかったの?
私が貴方に愛を向けるのさえ、そんなに疎ましかった?」
「……違う。何を、何を言っているんだ。君の心は、もう」
「……ああ、本当に。何もかも、どうでもいい。
この世界は汚いところだらけ。
輝いていた何かは、どこにもない。
ううん。私の手にだけは……残らないのね。
ああ。ああ……。
あは、あはは。あははははははは!!」
天に向かって慟哭する狂気の彼女。
「──リュミエールのすべてが、私から何もかも奪うのなら! 私だって貴方達からすべてを奪ってあげる! ……滅びてしまえばいい。
みんな、みんな、殺してあげる。
マリウス家のように!
ねぇ、レヴァン? 私、薔薇を咲かせたわ。
あれだけ咲かせようと思って、幼い頃のただ一度きりしか咲かせられなかった、薔薇。
どうかご覧になってちょうだい?
これが私が授かった天与。
リュミエール王国を滅ぼす、破滅の毒薔薇よ──!」
「ラトビア嬢! 全員を囲め!」
「は、はい! 『聖守護』!」
爆発するように溢れ出す黒の薔薇。
津波の如く空間を埋め尽くしていく激流を、光の結界が押し留めた。
ガギギキキッ!! と、硬質な音が鳴る。
クリスティナが生やした薔薇の蔓は槍のように研ぎ澄まされ、また棘は削ぎ落とされないままで、よりいっそうに禍々しい。
「なっ……」
教会が崩れていく。
彼女一人で複数の家屋など容易に薙ぎ倒せた。
集まった騎士達からも驚愕の声が上がる。
「え、エルト隊長。彼女は一体……!? 隊長に反応もしませんよ!?」
「今の彼女は、俺達の知るクリスティナではない。
……切り札を切ったんだろう。
アレは予言の聖女が予言した、王国を滅ぼす毒薔薇。
数多の魔物を呼び寄せ、人々を恐怖させる、傾国の悪女となる運命を辿った場合のクリスティナだ」
「つ、つまり……」
「……つまり俺たちの敵になったクリスティナだな」
「ひぇ……」
「うわ」
「それって隊長が一人、敵に回るようなものでは……?」
部下の騎士達から微妙な反応が返ってくる。
「あはは、あははは! どうしたの? 殺されたいのかしら? 大人しく死を待つだけなんて……情けない男達!」
……あまりウジウジと悩んだりしない印象のクリスティナだが。
溜め込ませると、或いはああいう事になるのだろうか?
「クリスティナ」
俺は黒馬を降りて誰よりも前に立って剣を構えた。
薔薇に捕まれ、地上に降り立つ赤い長髪。
美しき野薔薇。
王国の誰もが彼女の容姿を美しいと評価するだろう。
だが生憎と俺が惚れたのは……彼女の野性みがある奔放さだ。
その心が彼女のモノでなければ、その魅力が翳ってしまう。
「少し早いが……早目の夫婦喧嘩といこう」
迷いはない。
彼女と向き合うのだから。
きっとこの先、意見を違わせた時は、こんな風に喧嘩する事だってあるだろう。
「──取り戻すぞ、キミを」
俺は騎士として最愛の者に剣を向けた。
クリスティナとエルト、結婚するなら某海賊の映画ワールドエンドみたいなのがお似合いじゃないかなって思いました。(金ロー見た)
戦場、船場の結婚式。
うーん……。
スピンオフ短編とかで結婚式かな……?
ちなみにバルボッサが好き。
仲人バルボッサ役は誰がいいかな。
読んでくださり、ありがとうございました。
もう少し、完結までお付き合いください。




