189 マリウス家へ
馬に乗ってマリウス領へ向かう。
先触れは出したわ。ベルグシュタットの護衛も付ける。
エルトとクインは連れて行かないけれど……待機。
……私はマリウス領についてそこまで詳しくない。
領地を歩く機会はそうはなかったから。
あの一家が外へ出掛けるのに付いて行った記憶もない。
今思えば当たり前の話。私は彼等の家族ではなかったから。
リンディスが居たからそんな事は気にする事はない。
「……夢の中では殺しまくったわねぇ」
近付くと感慨深く思うのは、あのリアルな夢の世界の光景。
リンディスが居なければ私の中のタガは現実でもとっくの昔に外れた事だろう。
現実では人を殺した事はないけれど魔獣は沢山殺してきた。
心は動くかしら? エルトと共に戦うという事は場合によってはそういう事をする。
控えているのは西方の竜帝との戦い。
だから邪教やそれにまつわる事なんて、私はとっとと終わらせたいの。
マリウス家の王都の邸宅ではなく、領地へ。
侯爵夫妻は、今は王都から離れているという。
ミリシャの失踪から王家への対応に遺憾を示してそのまま引き籠るように。
侯爵夫妻も何を考えているのか分からない。
「私は本当にこの家について何も知らなかったのね」
領地へは先行してリンディス達が向かっている。
連絡はつかないまま、合流できるかは微妙なところね。
今回のマリウス家へ向かうに当たって、ルフィス公爵家に手紙も送ったの。
『マリウス家へ向かうのだけれど、侯爵令嬢と一緒にお茶は如何でしょう? 両家に縁を結びたく思っていますの』
……ってね!
エルトを同伴するかどうかなんて書いてないから向こうは別に期待なんてしないでしょう。
公子の本音が理解できないところはある。
私やルーナ様にとっては不快感がある男。
……でもルーディナ様にとっては人が変わったような人。
私は胡散臭い者達を一つの場所に集めて誘き出す事にした。
だって狙いは私でしょう?
「クリスティナ!」
「……あら」
たしかに先触れは出したけれど。
まさかの屋敷に辿り着く前に迎えが来たわ?
そして、それはまさかのリカルド。
「小侯爵様。まさかお迎えに来られましたの? これはこれは歓迎いたみいりますわ」
「……! その態度は何なんだ。お前の家は、帰るべき場所はここだ」
「それは普通に違いますけれど……、その余分なやり取りを続けます? ベルグシュタットの妻となる女、アルフィナ女子爵である私に対する無礼な言葉は控えていただきますようお願いしますわ。無位無官の侯爵令息リカルド様」
フフン! 私は既に爵位持ち。
リカルドは、ただの侯爵令息。
令息・令嬢は厳密には爵位を持っていないので一応、私の方が上。
もちろん普通は家門そのものに敬意を払うけれどね。
だって令嬢・令息が家に帰って爵位持ち貴族に告げ口したらアレだもの。
「……そういう態度を取っていいと思っているのか?」
「もちろんですわ。王弟アーサーとマリウス侯爵家のセレスティアの娘、イリス神の巫女、アルフィナ女子爵クリスティナ。ただの侯爵令息に怯む必要など何もありません」
一人騎士団の私よ。
天与を無効化されない限りは何人にも怯える必要はない。
「……お前……」
「私を思い通りにしようなどお止めなさい、リカルド。貴方が私を手に入れる事などありはしない。……ねぇ? 余分なやり取りでしょう?」
「…………では何をしに来た。帰って来る気もないと言うのなら」
では、って何かしらね。
なんでこんな家に帰って来るなんて思うのよ。
「国王直属組織、特殊災害対策室の室長クリスティナとしてミリシャ・マリウス・リュミエット侯爵令嬢の素行を調査しに来たのですわ、リカルド小侯爵。……今、私は『悪魔憑き』と他人を断じる権限があります。多くの貴族令嬢・令息が目撃した現象。もちろん醜聞として残りはするでしょうが……元より悪事を働いている者ならば更生の機会だと思いませんか?
だって私が『この子は悪魔憑きだったの』と公言すれば、厳罰は免れ、社交界に復帰する事も出来るのだもの」
「何だと……」
「ふふ。このような場ですべてを暴露させますの? いけませんわ。侯爵令嬢様の今後を考えて差し上げないと」
「お前は……ミリシャに復讐するつもりか? 王家の威光を盾にして」
「復讐ですか……。それが、まさかかつての私の生活の事についてをおっしゃっているのでしたら、それは見当違いというもの。あの子には現在進行形で重い疑いが掛かってますのよ」
「……!?」
この反応。知らないのかしら?
ミリシャの単独行動っぽいのよね。
最悪、リカルドに罪がないならマリウス領としては残るかしら……。
没落は免れそうね。
「リカルド小侯爵。貴方が何も悪事に関わっていないというのなら、そこで耐えなさい。私に対する……セレスティアお母様に対する執着心など捨て去るといい。私の男性に対する愛は、もう唯一人にしか向けられないわ。
1人の男としてのどうしようもない感情に基づく愚かな言動……程度であれば、一線を越えぬ限りは咎めはしない」
「…………」
眉間に皺を寄せて私を……見つめるリカルド。
はぁ。お母様の面影を私に見る男ねぇ。
まぁ、リンディスもそうだと言えばそうかしら。
「踏み止まって欲しいわ。次代の侯爵様。ミリシャはかなり危険な事をしている。証言は取れてしまっているし。証拠も出てくるかもしれない。
ディグル家とリンドン家の処罰は聞いている?
両家の令息は廃嫡。ディグル子爵家は取り潰し。リンドン家は男爵へ降爵。
その二家の令息の企みにミリシャが関わっているみたい。
はっきり言うわね。私がマリウス家に来たのは、侯爵家への恩情だわ」
次代の王妃、ルーナ様への暗殺疑惑だもの。
「…………、そうか」
「ええ」
一歩下がって見ればリカルドはまだ冷静なのかもしれないわね。
「リカルド。貴方は私が妹ではないと知っていたのでしょう?」
「……ああ」
「やっぱり私の事を恨んでいたの? ただ男として惚れてたなんて言わないわよね? それにしては貴方は幼稚だったもの。それこそ私が欲しいだけならば、あの家の中で私に優しくすれば良かったわ。そうすれば貴方に心を開く未来も……まぁ、あったでしょうし」
でも彼はそうしなかった。
私に差し伸べる手はなく。
そこには敵意があった。
「…………、……」
「貴方は私ではなく、セレスティアお母様が好きだったのね」
「………………それは」
リンディスの見立ては正しかったのでしょう。
面影を残す私に好意があるようにも見えたけれど、それはズレているのだと思う。
或いは彼にさえ自分の気持ちが分かっていないか。
「私はクリスティナ。セレスティアではない、クリスティナよ。……リカルド。前を向きなさい。きっとお母様は後ろを向いてばかりの貴方を望まないわ。気持ちに区切りを付けたのなら、むしろお母様の話を聞きたいわ。貴方は優しいお母様の姿を知っているのでしょう? リンディスと一緒にお茶でも飲みながら話す機会があると嬉しいわ」
「…………、……そうか」
「マリウス侯爵の元へ案内していただける? 小侯爵」
「…………分かった」
うん。やっぱりまだ見込みはあるわね。
私達の一団はリカルドの後を付いていき、進んだ。
マリウス領。
懐かしさは本当に感じない。
思い浮かぶ光景は多くの命を手に掛けた光景。
最初の運命に戻ってきた妙な感覚。
エルトも傍に居ない。レヴァンも、カイルも、フィオナもいない。
リンディスとセシリアは連絡が取れないまま、この地に居る。
「…………」
虎の穴。ここは『敵地』だわ。そして私を巻き込もうとするシナリオの極地。
予感があったのは確かよ。リンディスもセシリアも無事の筈なのに……どこか、筋道は決まっているような。
だからこそ今、ここで来たのは間違いじゃない。
「ミリシャは元気?」
「……家には居ないよ」
「そう。貴方が何も知らない事を領民の為に祈っているわ」
「…………」
やがて私達はマリウス領の屋敷へ辿り着いた。
「……父上は応接室で待っている」
「そう」
「……従者達はここで遠慮願おう」
その言葉に私に付いてきたベルグシュタットの者達が眉間に皺を寄せたわ。
「それが望み? いいわよ。貴方達は固まって過ごしてちょうだい。侯爵家が間違った態度を取らない限りは大人しくしてくれていいわ」
「し、しかし……」
「いいのよ。むしろ離れていてくれた方が、私は遠慮なく振る舞えるもの。……ただ一つ。毒薔薇を掻い潜れるのは金の獅子だけ。それだけは覚えておきなさい。無用な犠牲にならないようにね」
ベルグの護衛、従者達を置いてマリウスの屋敷へと私は入っていったわ。




