184 邪神の名前
宝石の貴族と言われていたマリウス家。
長く過ごした家ではあるけれど、物心がたしかに着く頃には、私は王宮で教育を受けていた。
貴族令嬢としての教育のほとんどは王宮で受けていた事を考えると、侯爵家では私を育てる気はなかったんじゃないかと思う。
最低限の食事や護衛は、すべてリンディスが居るからこそ成立していた。
思うようにいかない事もあったし、不満な事は多々あったけど、環境が私を腐らせなかったと思う。
もう気持ちはないけれど、別にレヴァンの対応も悪くなかったんじゃないかしら?
「尋問の結果が上がってきた?」
「ああ。一緒に報告を聞きたい。いいか?」
「もちろん」
フィオナを襲撃したのを捉えた連中を王家主導で尋問した結果。
彼等はどこから来たのか?
簡単には口を割らないのよね。教育が行き届いていると言えるわ。
ベルグだけで留めておくものじゃなし。
王宮にフィオナとカイルを連れて行き、ルーナ様とレヴァンと一緒に情報共有する。
「まず、アルフィナ子爵が以前より捕まえてきた連中が吐いた情報を改めてまとめさせて貰った」
「はい」
特対に当てられた仕事だけど、レヴァンも本腰を入れてきたわね。
「彼等は三女神とは違う教義を持ち、一定以上の人数が活動に参加している。
今回の王都周辺の事件とは別に誘拐事件も前から起こしていた。
……修道院の運営に入り込み、裏で人を利用していた事も確認できている。
どうやって、かは分からないままだ。
魔術的な儀式に近いものと見るしかないが、関係している魔族の姿は確認できた事はない。
……これは、そもそもの話なのだが」
と、そこで一旦、レヴァンは言葉を切る。
「王国に抱えられている魔族は数が少ない。不当に扱われている者も多いのが現状とはいえ、昔よりは改善されている……筈」
「そう」
「魔族は見目が整っている者も多い。その為、王国人、とりわけ貴族では囲う者が以前より多かった。それは従者としてではなく……、」
「恋人として?」
私は首を傾げて尋ねた。
ふわふわと頭の中に夢の事が浮かぶ。
それにリュクセン令嬢もリンディスの見た目に惑わされていたわよね。
「ああ。なので……銀髪が即ち魔術を使える者である、とは今や言えない時代になってきている」
「……王国の血と魔族の血が混ざってきているのだな。髪色に反映されない程、血が薄いと思われる子でも魔術を使えるのか」
「そうだね。ただ、親より才能は受け継がれるものの、やはり薄まるのも事実なのだと思う。今でも目立って魔術使いの王国人を見る事はない。……裏で迫害されているのでない限りね」
どうかしらね。隠すかしら?
「見た目王国人の魔術師なら天与を授かったと思われそうだけどね? 私達みたいに見るからに三女神由来の天与ばかりじゃなかった筈でしょう?」
天与と魔術って別に大差ないと思うわ。
これを言ったら怒られるけど。
「……まぁね。事実として本当に目立たないぐらい『弱い』のだと思う。僕が言いたいのは銀髪の人間じゃなくても魔術の素養がある者は今や人知れず多く居るという事なんだ」
うんうんと頷いて続きを促す。
「おそらくだが、そういう者を集めて集団を形成し、個人の技能ではなく儀式という形で何事かを成そうとしている。一人一人の力は大した事が出来なくても、儀式的に行えば強く作用する……のだと」
「その結果が、あの邪神の呼び出し?」
「ああ。彼等の中でも立場が大きく異なるらしい。手にしている情報も違うようだね。ただ末端の者は『真に崇拝すべき者は三女神ではなく別の神』という考えで行動している」
「……修道院前で襲ってきた連中はその類か」
「ヘルゼン子爵のとこに居た集団もそう?」
私とエルトの疑問にコクリと頷くレヴァン。
「『どう実現していたか』は魔術と彼等なりの儀式が絡む事だから僕達には再現が出来ない。だが『何をしていたか』は追えている。彼等は、三女神とは別の神を信仰している。
アルフィナ子爵が『邪神』と呼んでいるものだ。
彼等は邪神の降臨だけでなく、三女神の堕落も望んでいる。
……おそらく『異世界と繋げる儀式』までは彼等は確立しているのだと思う。
悪霊事件や、王国各地で相次いだ『大地の傷』による魔獣災害は、彼等の技術の……副産物じゃないだろうか」
副産物ねぇ。邪神の降臨が主目的だけど、その過程で『転生者』を招く事や、魔獣を溢れさせる技術が出来上がった?
そんな事が出来るなら悪巧みを考えちゃうかしらね。
「私が戦った2体の邪神は彼等にとっての完成形じゃないのかしら?」
「口ぶりからすると『高位の存在』として扱われているが、それでも『最高神』ではないのだろうね。聞き取り出来る者が多いから証言が多く助かった。これもアルフィナ子爵とエルトに感謝だね」
「世辞はいい。それで?」
「うん。彼等にとっての邪神の完成形は、やはり『人型』のようだ。とてつもなく美しい男神。人の姿であれば文武両道、美しさ、すべてを兼ね備えた者……というものだ。そして、その男神は、三女神よりも上に立つ存在として信仰されている」
「三女神の上っていうと?」
「……要するに、かの神らの伴侶や父、兄、とにかく女神に関わりつつも上位の存在とする……ような形が望まれていた様子だ」
「…………」
「…………」
私とルーナ様が微妙に渋い顔をしてその話を聞く。
なんか気持ち悪いわね!
「それって、もしかしてですけど」
ルーナ様が私に視線を向ける。その完成形とやらに心当たりがあるとすれば。
「連中の完成形、信仰対象、それ、ユリアン公子だったりするの?」
「……繋がりは判明してないから何とも言えないな。今の時点だと言い掛りだし。……でも2人はそう思うのかい?」
レヴァンはルーナ様と私を窺う。
私たちは視線を交わして頷き合った。
「感覚の話で申し訳ないのですが……。公子様とお会いした時、言い知れない嫌悪感を覚えたのは確かです」
「私もアレはないなと思ってるわ。それに天与を消された覚えもあるし。婚約者が居るって公言された令嬢に近寄ってくるとか普通じゃないでしょ?」
「うっ……」
「それはそうだと思います」
「る、ルーナ……?」
やってる事と条件で言えばレヴァンも疑わしくはあるのよねぇ。
流石にないと思うけど。
「俺もヘルゼン領で記録は読んだ。彼等の目的は、すべてを兼ね備えた男に神を降ろし、そして三女神を従えたと言える状況を生み出す事か?」
「……うん。そういう事になるんだろうね。それに『あちら側』から呼ぶ者は『1人』とかじゃなかったんだと思う」
「それは?」
「レミーナが巻き込まれた悪霊事件の時。あれは複数の人間の寄り集まった者だっただろう?」
「まぁ、そうね」
こう、似たような子達の集合体って感じだったわ!
「あれを更に押し進めた結果が、彼等の完成形なんじゃないかな。複数の意識を集め、固めて、削ぎ落して……優秀な才能だけを持った完璧な人間を創造する。
ただ優秀なだけじゃない。魔術……天与を超えるような力も有しているのが前提だ。
そんな完成された、神のような人間を作り出し、そして三女神を下すのが目的。
その為に、彼らはおそらく『女性の生贄』を求めているのだと思う」
「……なんで女の生贄?」
人間の命を捧げたいなら男女関係なさそうだけど?
「目的が女神の打倒だからだろう。王子の僕が言うのも何だけれど……、彼らは言わば究極の男尊女卑社会の完成を教義にしてしまったような者達だ」
「うーん……?」
リュミエール王国の主神は三女神。
つまり最上位の存在は最初から『女』なのよね。
他国の文化とは大いに異なる点がここにある。
だから女王や、女の爵位持ちは元から許される国でもある。
……アマネが外から見た時言ってたっけ?
『女主人公が舞台の国だもんねー、そういう設定かー』とか何とか。
とはいえ、魔術や天与が絡まない場合、出産の都合から当主が男になる家門が多くなる。
肩書きはともかくとして実務的な問題ね。
出産もする上で当主の仕事もこなすのはハード過ぎるという話よ。
その辺りは、その世代、その家門の事情によって変わってくるわね。
辺境伯令嬢であるフィオナが、平民のカイルを婚約者に出来ないかと考えるのもそういう背景があるわ。
爵位はフィオナが当然に継ぐから、婿入りする夫は信用できて野心のない者が前提。
前提条件が満たされた上で優秀そうなら尚良しって事ね。
邪教は、そもそもこの状況を覆して王国を乗っ取りたい、教義を塗り替えたいらしいわ。
魔族の血縁者も集まっているか、集められている可能性もあり。
「彼等が信仰する神の名前は『ロビクトゥス』と呼ばれているそうだ。邪神ロビクトゥス、だね」
「そういう風に名乗られると、ちょっと格好いいかもとか思っちゃうわね」
「……クリスティナ様? 本当にいけませんよ?」
まぁ。ルーナ様が珍しく厳しいお顔をされているわ?
ニコヤカに怒りを表現するタイプかしら?
怒らせた時は私よりも怖そうな気配がするわね!
「はぁい」
「クリスティナ」
「えへへ」
エルトが呆れたようにしている。
でも、そういうのって格好いいじゃない?
「邪教の教義自体はおおよそ掴んでこれているのね。いい事だわ。他の拠点の情報はあるのかしら?」
「把握している者が少ないのか、それとも拠点そのものが多くないのかは分からないけれど。大きく人が集まってる場所はそうない様子だ。……大きな拠点は、これ以上1つあるかないか、だと思う」
「そう」
となると、それはマリウス家か、ルフィス公爵家か、そのどちらか?
「マリウス領の調査はリンディス達が進めてくれているけれど。やっぱりルフィス公爵家の調査も必要だと思うのよね……」
とっとと片付けて西へ向かいたいわ。
「ルフィス公女とは良い関係を築けているそうだね。彼女を頼ってはダメなのかい?」
「ルーディナ様の家でのお立場は良くないそうよ。ほとんど公子が切り盛りしているのだとか。たぶん、神殿で暮らすのはルーディナ様にとって良い事だと思うから……あまり誘えないわね」
「となると」
うん。
「…………アマネを訪ねようか」
と、レヴァンが切り出した。
私は眉間に皺を寄せる。えー……?
「そもそも何故、公爵家はアマネ様を囲い込んでいるのでしょうか?」
「利益があるか、聖女を妻にすればと考えたかもしれないが……」
「でもレミーナ王女にダンスパートナーを申し込んだのでしょう? やっている事が滅茶苦茶よね」
「……そうだね。まぁ、レミーナもあれは当てつけに近い行動だと思うんだけど」
当てつけ。私、というよりエルトにかしら?
「…………」
知らんぷりしているわねー、エルト。
「レミーナ様は、その後どうなのかしら?」
「体調は快復に向かっているよ。命に別状はないようだ。ああなる前より少し大人しくなったかな? でも性格があの時に変わったとか、そういうのじゃないと思ってくれていい。元から気が強い子だった。アルフィナ子爵には今も思う所があるだろうが……。
そういう気持ちを無理矢理に膨れ上がらせた状態でもあったと思う。
……興奮剤を飲まされていたようなものというのが王家の見解だ。
健康上の後遺症はない。気持ちが前へ向けば、いずれ表にまた立つだろう。
それまでに邪教の問題を兄として解決しておきたいね。
……ここが正念場だと思うんだ」
「それは同感ね。彼らは今、弱くなっていると思うわ」
「……それは根拠があるかい?」
「ええ。エルトとレヴァン、カイルが私の傍に居るけれど、私は以前より圧迫感を感じていないの。連中の邪魔がより薄くなったのだと思うわ」
弱まったタイミングはいつかしら?
たぶん決闘大会の時ね。
ルーナ様達との仲が深くなったからか。
エルトが青いのに勝ったからか。
きっと両方な気がするわ。
「……私、アマネ様にお手紙を書いてみます。どの道、いずれお話する必要がありましたから。今、何をされているのか気になりますし」
ルーナ様がアマネに手紙を書く。
情報共有してさらに数日が経ったわね。
リンディス達からの便りはまだ来ない。そろそろ不安になってきたわよ。
アマネからの返信が先か、リンディス達の調査報告が先か。
やっぱりルーディナ様にも話を通した方がいいかしら?
私達が知っている事を共有した方がいいかもしれないわね。
王宮でその考えをルーナ様に話し、2人でルーディナ様を訪ねる事になった。
もちろんエルトや護衛付きでの移動だけどね。
「……なんか騒がしくない?」
「そうですね?」
ルーナ様と連れ立って大神殿へ向かっていると、なんだか人がざわめいている気がする。
「何かあったのかしら……?」
「何かも何もクリスティナ達が原因じゃあないのか?」
「え?」
なんで私達?
「……大神殿は三女神を信仰し、祈りを捧げる場所だ。敬虔な者も多く居るだろう。ルフィス公女が大神殿に居るのは周知だが……、こうして2人が連れ立って大神殿に居る彼女を訪れるのは、見る者からすれば歴史的……なのだと思う」
「パーティー会場や大会で同席したりしてたんだけどねぇ……」
「それと改めて、この場所を訪れるのとはまた違うさ」
そんなものかしらね。
私としては、もっと気軽にお二人に会いたいわよ。
大神殿で今度は前のような私室じゃなく、祈りの間に通される。
ルーディナ様と神殿騎士が傍に居るわね。
「ルーナ様、クリスティナ様。ごきげんよう」
今は周りに人が沢山居るわね。傍に居るのはエルトとルーナ様付きの王宮騎士だけ。
「子爵家で大捕り物をされたと聞きました。勇敢に振る舞われたとか」
「ああ……、それは、そのぅ。勇み足と言いますか。レヴァン様にも叱られてしまいました」
「ふふ。殿下と仲が良くてよいと思いますわ。まだ一報に過ぎませんが、ラトビア家は大きくなる予定であるとか」
「それは……協議中だと思います」
「そうですか? ですがディグル家の取り潰しは確定なのでしょう。……元より評判は良くない家門でしたからね。ルーナ様の旅の恩恵で賑わっていたラトビア領ですが……。今回の件で王家が隣領を接収。ディグルの名を消した上で、ラトビアに子爵位と男爵位を持たせて隣領を与え、伯爵に陞爵。……というのが各方面、一番良い形と思います」
「そこまで広がっていますか……?」
「ふふふ。まぁ、普通の流れだと思いますよ。王妃のご実家となるのですもの。家格の問題はこれで解決される事でしょう。後見人を得る必要もほぼ無くなります。領地が増えた上で子爵領の元の悪政を正して健全化すれば民も喜び、安泰でしょう。通常であればディグル家との婚約でようやく叶うような事態ですから。……被害に遭われた方には申し訳ありませんけれど、これも女神のお導きといったところですわね」
まぁ、ルーナ様は問題ないわよね。
「そう言えばラトビア家はご兄弟はいらっしゃるの?」
「あ、その。それは居ないんです……」
「まぁ?」
じゃあ、本当ならルーナ様は婿を探す必要があった?
「元々、ベレザックって何をどうしたかったのかしら? 婿入りできないじゃない?」
ディグル家も兄弟は居ない筈だけれど?
「結果として今と同じ事……。ラトビア領との統合で領地を潤したかったのだと思います。領地だけの事を考えて私を望んだ様子ではありませんでしたけれど」
まぁ、主目的はルーナ様本人だったんでしょうしね。
ついでにディグル領も大きくできて良いだろうとか思ってた?
残念ねー、それは全部ルーナ様がやっちゃったわよ! ふふふ。
「でも、そうするとラトビア家の跡継ぎが居ないんじゃ?」
レヴァンとの間に2人子供が生まれたら、どちらか……という事も考えるけど、流石にそれは……ね。
子供が王族になっちゃうから。
養子を取るのかしら? 未来の王妃の実家の伯爵家当主。
……まぁ、なんて人が寄ってきそうな響き。大変だわ。
「問題は色々と残っていますが、その辺りは……その。今後も話し合いを続けていく予定です」
「そうね。すぐに決められる事じゃないもの。今は忙しいでしょうし」
祈りの場で喋り続けるのも良くないという事で場所を移動するけれど、今回は中庭に案内されたわね?
「ふふ。ベルグシュタット卿。席はご用意しないけれど、それでも良いかしら?」
「……クリスティナの近くに立っていいなら、それは構わないが」
「もちろん。それは良いのよ。中庭の席では、会話は聞こえないでしょうけれど、人からは見られるの。それでもいい?」
これは私達への確認ね。
「どっちでもいいわよ」
「はい。私も構いません」
「ありがとう。ふふふ」
これもやっぱり女神の巫女3人が仲良くしているっていうアピールになるのかしらね?
「ルーディナ様。単刀直入に聞くのだけれど。『ロビクトゥス』という言葉に聞き覚えはない?」
「…………」
白い丸テーブルを囲んで3人で座り、それぞれの護衛が傍に立つ。
その中で私が切り出した質問にルーディナ様は表情を変えない。
「…………その名前がどうかしたのですか?」
名前。ルーディナ様は、この言葉が名前だと認識しているのね?




