173 ルーディナとの対談
大神殿にエルトとセシリアを連れて歩く。
白を基調とした壁や天井、木製の長椅子。大神殿と言うだけあって大きいのよね。
「こちらへ」
神官が私達を招く。警戒する必要は……なさそうね。
ピリついた感じがしないもの。内部に邪教が入り込んでいるとかもなさそう……。
「ようこそ、クリスティナ様。ベルグシュタット卿も」
ルーディナ様は彼女用に用意されているらしい部屋へと私達を招いてくれたわ。
「ごきげんよう、ルーディナ様。良い部屋ね」
「ふふ。ありがとう。気に入っているの。あまり贅沢はできないけれどね」
お茶ではなく白湯を出して貰える。
「神殿騎士様とは、あれからどうかしら」
「まだ数日しか経っていないわ。陛下がお認めになったのだから私の正式な婚約者になるわね」
「……神殿では受理したのね。私達みたいに」
「ふふ。ええ」
さて。探り合いって得意じゃないのよね。
「ルーディナ様。私、貴方のお兄さん……そしてルフィス公爵家が邪教と何らかの関わりがあるんじゃないかと疑ってるの。どうかしら? 公爵家の事、教えてくださらない?」
「……ストレートねぇ」
「まだるっこしいの嫌いなの」
「ふふ。本当、格好よくて素敵な人ね」
ルーディナ様がコロコロと笑う。あら、人懐っこい感じね。
「邪教……という名前を名乗る集団は私は知らないわ」
「むぅ」
そう簡単には教えないって事かしら。
「だって、そうでしょう? 自分達を邪悪な宗教だなんて思う人達って、そうは居ないと思うわ」
「うん?」
私は首を傾げたわ。
「……公爵家に出入りしている団体はたしかに居るの」
「えっ」
「最近に始まった事ではないわ。随分と長い間、出入りしているわね」
「ええ……?」
あっさり? そんなにあっさり教えてくれるの?
今までの苦労は何!?
「でも、公爵家に特異な団体が出入りしている事を教えられても、クリスティナ様が対峙してきた現象と関わりがあるかは証明できないわ」
「む……」
「異界から魔物を招く『大地の傷』。見た事もない強力な魔獣、異形の怪物の出現。それに異なる世界からこちら側へとやってくる魂達。……それらを誰がどのように行ったかは証明できないわ。特に私では無理ね」
つまり、色々と知っているけど、正しい情報かは分からない?
「ルーナ様が悪霊の気配を探れるでしょう? でも私達にはそれも分からない。クリスティナ様は祓う力をお持ちだけれど。私には公爵家に出入りしている者達が、貴方が怪しむ者達かは分からないわ。普通の商人だったりしたら……ねぇ? 申し訳ないもの」
「むー……」
それはそうだけど!
「……失礼。ルフィス公女。聞いても良いだろうか」
「どうぞ、ベルグシュタット卿」
「公爵家は長らく社交界にも顔を出さなかったと聞く。……ご家族は健勝か?」
……公爵家が乗っ取られてるって線もあるのよね。
「……私の母親。ディートリヒ国王陛下の妹でもある私の母、公爵夫人ミレイア・ルフィス・リュミエットが随分前に命を落とした事は話しましたわね」
「ええ、聞いたわね」
「……母を亡くした父親は、その時から気力を失くしてしまわれたの。だから表舞台に出る事はなくなったわ。事情が事情だけに王家も公爵に無理をして表舞台に出させる事はしなかったみたい」
妻を亡くせば……まぁ、分かるわね。
「私は母親であるミレイアに容姿や雰囲気が似ているらしいわ。ディートリヒ王もそうおっしゃっていたの」
「うん」
「……そんな私だからでしょうね。父は私を見たくなかったみたい。亡くなった母を思い出してしまい、辛くなるそうよ」
「……ああ」
「それに幼い頃は私も身体が弱かったの。だから表を歩く事も少なくてね……。よりいっそう父とは関わる機会がなかったわ」
ルーディナ様は、少しだけ寂しそうな顔をして話を続けたわ。
「家族は健勝か、という話だけれど。父は今、病に伏せっているそうよ。ですから今の公爵家は兄ユリアンが取り仕切っている事になるわね。爵位の継承こそまだだけれど……。実質、兄が公爵のようなものよ」
青いのが公爵家の実質トップねー……。それは、ちょっと。
「ルーディナ様は公爵家での立場は……」
「……元々が病弱だからね。社交界にも一家揃って顔を出さなかったものだから、政略結婚もなし。景色や空気の良い別邸で育てられて、療養生活……といったところかしら。高位貴族の教育はそこそこね。幸い覚えは良かったから、少ない教育時間でも外に出て問題は起こさないと思うわ。
……友人関係は皆無。身分だけは高い深窓の令嬢……と自称しても良いかしら? ふふ」
今度は悪戯っ子のように笑うルーディナ様。
「ベルグシュタット卿も知っての通り、ルフィス公爵家は第1騎士団の長の家系でもある。あまり活動してこなかった兄も外に出て、その力を示したから……その内に第1騎士団の長に就く可能性はあるわね」
「……公爵と兼任か? 多忙になるな」
「小伯爵であるベルグシュタット卿も似たようなものですわ。ふふ」
うーん。公爵家に探り……入れられるかしら?
「そういうワケだから私、本当のところ公爵家の運営その他のことについて詳しくはないの。たしかに公爵家に妙な団体が出入りしている事は……知っているわ。だけれど、彼らがクリスティナ様の言う『邪教』とやらなのか、それは分からない。
ただ、天与を目覚めさせた私は……こうして神殿に保護される形で過ごしている。
その上で言うのだけれど……」
うん?
「──私、病弱ではなかったかもしれないわね」
「え」
どういうこと?
「……クリスティナ様。母は幼い時に亡くなりました」
「え、ええ」
「母ミレイアは王の妹です。兄と私が王位継承権を有するように、その立場は高いものでした」
「まぁ、そうね」
「……貴方の父、アーサー・ラム・リュミエットもまた高い立場に居た者です。母親であるセレスティア様も侯爵家の出と身分の高い者。アンネマリー王妃もまた侯爵家の出身ですが……。王弟殿下とマリウス侯爵令嬢が結ばれたとあっては、きっと王位争いは激化したでしょうね」
……まぁ、そうかしら。
「アーサー殿下もセレスティア様もまた王位争いを厭うたのでしょう。ですので人知れずに愛を育み、クリスティナ様を生んだ。きっとディートリヒ陛下の王権が盤石となり、アンネマリー王妃がレヴァン殿下をお生みになられた事で……しばらくした後に事実を明かすかを陛下に打ち明けるつもりだったのでしょうね」
「…………」
「……王弟と王妹が、そう変わらない時期に死んだ事をおかしいとは思いませんか?」
「………………殺されたってこと?」
暗殺者が居る国なんだし。王族……。そういう事もあるわよね……?
「公式で騒がれなかった事からして『他殺』であったとしても、証拠などが残っていなかったのでしょう。ディートリヒ王も調査を命じた筈。或いは、場合によっては国王陛下こそが犯人では……とも疑える者達が死んだワケですが……」
陛下がお父様を? それは……。
「ないんじゃない? 陛下が私の出自を知った後の態度は……なんていうか懐かしさや慈しみ、っていう雰囲気だったし」
「……ええ。私もそう思います。陛下は私の事も、クリスティナ様の事も家族のように思っていただいている様子です。ですので陛下主導の暗殺とは思い難い」
うんうん。
「……思うに、クリスティナ様。私と貴方は……殺せなかっただけなのではないでしょうか?」
「は……?」
「私達は、自分が思うよりもずっと前から天与を授かっていた。もしかしたら生まれた時から既に。……アーサー王弟殿下も、母ミレイアも、証拠の残らぬやり口で殺された。けれど近くに居た私達は殺されるに至らなかった。……そういう運命に守られていた、とでも言えば良いでしょうか」
「…………」
王族だったお父様やルーディナ様のお母様を狙った殺人。
私達も本当は殺されるところだったけど……天与か、女神の加護によって生かされた?
「ルーディナ様はお父様達が殺されたのは邪教の仕業って考えてるの? 根拠は……?」
「……私の体調。公爵家を出て、こうして神殿で過ごすようになってから良くなっているの」
「え?」
どういう?
「クリスティナ様。……天与を消される感覚を覚える事はある?」
「…………あるわ」
「……そう。私の光翼蝶も消される時があるの。あ、もちろんクリスティナ様が叩き潰すのとは別でね? ふふ」
「……お嬢様、何してらっしゃるんですか?」
ここぞとばかりにセシリアが突っ込んでくるわね!
だって、なんかイヤなんだもの!
「……光翼蝶が潰されたと分かるのか?」
「まぁ、そのくらいはね。ふふ。クリスティナ様の薔薇ほどじゃあないのだけれど」
「……ルーディナ様の蝶も色々とやろうと思えばやれると思うわよ?」
私の薔薇と同じぐらい。こう……蝶々がいきなり爆発したりとか?
ふふふ。そしたら最強ね! 魔獣に近くに舞わせて触れた途端にドッカン! よ。
「……何かズレた思考をされている時のお顔をされています、お嬢様」
セシリアは細かいわね!
「……公爵家では私の力が……奪われていた気がしてならないの。だから私は幼い頃から病弱だった。けれど……強引に命を奪うような真似は難しかったんじゃないかしら……?」
けっこう衝撃的な事を言ってるわよ!
でも、なんとなく分かる気がするわ?
天与が奪われる感覚は私にも覚えがあるし。
それに、ルーディナ様が守られたという感覚とは逆に『どうにもならない運命』みたいなのを感じる事はある。
例の『ふらぐ』っていう現象ね。
それとは真逆に私達の身を守る現象が起きていたとしても……。
「……ルーナ様に会って。そしてクリスティナ様が近くに来て。なんとなく頭が冴えるような、目が覚めるような感覚を覚える事があるわ。……私は今まで何をしていたのだろう、とか。そして」
「そして?」
「……ユリアンお兄様は、昔はあんな人ではなかったわ、とか」
青いのが?
「……公爵家とは私、あまり深く関わっていないの。おかしいでしょうけれど。でもね、クリスティナ様。おかしいな、と思う事はあるの」
「おかしい?」
「……アマネ・キミツカとユリアンお兄様は、とても話が合うのよ」
「は?」
ここでアマネ?
「私の知らない言葉で会話している事もあるわ。『モブ』だとか、そういう言葉は彼女とお兄様の会話から学んだの。……そうして思う事があるわ。
あの人は……本当に、優しかったあのユリアンお兄様なのかしら? って。
……母を亡くして泣いていた私を慰めていたお兄様なのかしら……って」
……それって。
「……転生者?」
それも、一番性質の悪い。クシェルナ様の陥った状態の更に先。
かつてヨナがそういう目に遭う筈だった終着点。
……別人の魂による完全なる身体の乗っ取り。
或いは、本人の魂でさえも取り込まれているかもしれないわ。
「でも、アレは健康だわ。クシェルナ様のように病弱からは程遠いし……。レミーナ様みたいに情緒不安定でもない」
「悪魔憑きが、本当はどういう症状かは分からないわ。私も、貴方もでしょう? フェイン令嬢は特別に相性が悪かっただけかもしれない。レミーナ様は今、療養中のご様子だけれど……。フェイン令嬢とレミーナ様では、やっぱり状態は違うのでしょう?
だとしたら……『完成形』というものがあるのかもしれないわね。
体調など崩れない。相性が良くて……ただ別人に会う……ような」
……どうなのかしら?
そういう事ってありえる?
転生者……悪魔憑き、あの悪霊は間違いなく世界の異分子よ。
リュミエール王国に居るべきではない者の魂。
「もっとも恐ろしいことは」
「…………」
「……取返しがつく、事なのかしらね……? クリスティナ様がお兄様を殴りつけたとして。優しかったお兄様の思い出はもう何年も前。あの人は……もうずっと長い間、あの人だわ」
身体が乗っ取られて数年。
クシェルナ様は数か月がいいところであの状態だった。
もしも、乗っ取りだとしたら……既に手遅れの可能性の方が……。
「クリスティナ様。貴方は彼等を邪教と呼び、邪神という魔獣と戦ってきたそうね」
「……ええ」
「だからこそ貴方は勘違いしているように思うの」
「うん?」
勘違い?
「……彼らは崇高な存在ではないと思うわ。人類の滅亡とか、そういう事を企んでいるのでもない。もっと低俗だと思うの」
「低俗……?」
「そう、低俗。例えばだけれど……。
王位継承権を持つ者が軒並み居なくなり、自分達の支持する者だけが残れば自動的に王国は我らのものだ……とか」
ええ?
「人間を人間と思っていない、などではなく。例えば平民を見下す貴族程度の感覚。自分達の計画の為に人を利用しはするけれど、王国に住む人々を根絶やしにする気はない。
運命、王権、貴族……。そういったものを管理下に置き、王国を侵略はしたいけれど……。
だからって邪神に大暴れさせて、人も街もすべて破壊し尽くしたいとか、そういう事は望んでいない。
……そういう低俗な者達こそが貴方の、私達の敵だと思っているの。
きっとクリスティナ様は敵を大きく見過ぎているんじゃないかって」
「…………なる、ほど?」
敵は思ったよりも小物ってこと?
空から災厄のような邪神が降り立ってきて、三女神の天与を授かった私達が神話のように戦うとか、そういう事は起きない。
もっと小さくて、陰湿な事件にこそ注意を向けた方がいい……?
「……噂をすれば、だわ」
「え?」
「クリスティナ様、ベルグシュタット卿。行きましょうか。何か事件が起きているみたい」
「は?」
なんで? 私達しか部屋には居ない。
なんで事件が起きたかなんてルーディナ様に分かるの?
「ふふ。内緒よ、内緒」
ヒラヒラと光翼蝶を近くに舞わせながらルーディナ様は私に悪戯っ子のように微笑んで見せたわ。
そして彼女の言う通り、大神殿に少し慌てた報告が入る。
起きていたのは……誘拐事件。
市井の女性、神官、そして貴族令嬢が失踪したらしいこと。
「あ、く、クリスティナ様……」
「うん。ごきげんよう。大神殿にもそういう報告って入るのね」
「は、はい。女神官も居なくなったとのことで……その」
「うん? 私に何かある?」
「じ、実は……貴族令嬢で……その。攫われたと噂が立っているのは……マリウス侯爵令嬢様も、との話を聞きました」
「ええ……?」
マリウス侯爵令嬢。とだけ言われた言葉に反応しなくもない。
ちょっとだけ『私はここに居るわよ』と言いたくなる気持ちもある。
まぁ、問題はそこじゃなくて。
「……って、ミリシャが誘拐された!?」
あの子、本当に何やってるのかしらね!




