159 要らないのは悪役令嬢じゃない
「ぐっ……!」
「──フンッ!」
会場に居る人々に纏わりつく黒い霧を殴り払っていく。
パーティー会場を襲う黒い霧。
地震によって会場全体が揺れた後、割れた地面から湧き出したのは蠢き、人に纏わりつくモノだったわ。
「何なの、何なのよ、これは!」
「うわぁあ、た、助けてぇ!」
浄化薔薇を出すも、相手は霧。効いているのかどうか分からず、一瞬打ち払われるだけ。
「皆さん、こちらに! 私の『聖守護』の内側へ入ってください! 皆さんなら通り抜けられます!」
ルーナ様。前は私が殴らないと通れない結界だったけど、誰が通り抜けられるかとかを決められるようになったの? 彼女も王国を巡る旅で成長しているのね!
「クリスティナ様! 天与が中々広がりません……! 抑えつけられています!」
「ええ! そのようね! さっきから纏わりついてて鬱陶しいわ!」
『ふらぐ』と同じように空気が纏わりつく感じ。
それが私の力を抑えつけてくるけれど……同じ場所にルーナ様が居て、その天与を抑える必要があるからか、締め付けはいつもより弱い。
やっぱり私達を同時に縛る事が出来ないんだわ。
「ルーナ様! 悪いけどそこで頑張ってて! それだけで私の側に回ってくる力が弱まってるみたいだから!」
「は、はい!」
「エルト! 逃げ遅れた人を結界に投げ飛ばして!」
結界の外で踏み止まって、逃げ遅れた人の救助に回っているエルト。
剣も持っていないし、そもそも物理的に抗えない……のだと思うけど。
「ハッ!」
「ぎゃああ!?」
あ、そうよね。黒い霧に触れられなくても、人間の方には触れるんだから……黒い霧を払うのではなく、人間そのものをその場から力ずくで引き離す事は出来る。
もちろん、すぐ様、まとわりつくんだけど、一瞬だけは逃れる事が出来る。
「薔薇よ!」
浄化薔薇を咲かせ、一瞬怯ませて、黒い霧を払う。
逃げ惑う全員の動きの邪魔にならないように黄金の薔薇を咲かせる。
一瞬、彼等は自由になれるのだけれど……、すぐに力の押し合いになって……薔薇が枯らされてしまう。
何よ、面倒くさいわね!
「……クリスティナ!」
エルトが拳を突き上げる。何がして欲しいかを察した私は、その腕に浄化薔薇を巻き付けた。
「ハッ!」
黄金の薔薇を巻き付けた手で黒い霧を殴るエルト。
「キリがなさそうな相手だな」
「そうねぇ……エルト。ごめんなさい、ドレス、破いちゃうわよ?」
「構わない。キミが動き易い方が良いだろう」
エルトに用意して貰ったドレス。元々、動き易くはデザインされているけど、こうも本格的に戦闘になると裾が邪魔だわ。
私は天与で強化した腕力でビリッとドレスの裾を引き裂く。
彼は両腕に浄化薔薇を巻き付け、その拳で黒い霧を打ち払った。
「あら?」
エルトの手に咲かせた薔薇、枯れないわね?
ああ……、私の感情、特に愛情が浄化薔薇のパワーの源だから彼に纏わせてる分は枯れにくいんだわ。
「……クリスティナ!」
「なに?」
ルーナ様の結界の中からレヴァンが声を飛ばしてくる。
こっちは忙しいんだけど!
「僕達の手にも君の薔薇を咲かせてくれ! それなら、」
エルトと同じ事をしようとしているのね。
王太子なのだから真っ先に守られるべきではあるけど……同時に真っ先に皆の為に立ち上がるべきでもある。
レヴァンと同じようにエルトの手を見てやる気になった令息達も、決意の目を向けてきていた。
「ごめんなさい! たぶん、無理! あの浄化の薔薇の力は私の愛で咲く薔薇だから! エルト以外に咲かせてもすぐに枯れるわ! 本当にごめん! 大人しくしてて! そこに居る貴方達にそんな愛情持ってないわ、私! 邪魔!」
「えっ」
とにかくルーナ様が守って、私達が攻撃に回るしかないわね!
別に告白されたワケじゃないけど、改めてレヴァンをフった形になってしまったのは申し訳ないけど、やむなしよ!
「うぅ……」
なんかレヴァンが嘆いて膝を突いてるけど、気にしてられないわ!
黒い霧はパーティー会場の外に逃げようとした人達よりも中心に居る私達の方を優先して狙ってくる。
「意思があるわね、こいつら!」
「そのようだ。以前、フェイン嬢に取り憑いていたものとは違うのか?」
「どうかしら……。あの時は、クシェルナ様から出てきたから」
アカネはもっと確実な『個人の意思』を持っていたけれど。
こいつらは……どうかしら、個人というよりも、この現象全体という風に見える。
でも、戦う中で状況に変化が起こり始めた。
私が打ち払う事とルーナ様が力を籠める事で『聖守護』の結界が広がり、その中にどんどん人を放り込んでいく。
流石に黒い霧は『聖守護』の内側には入り込めないらしいわ。
周りの人が減り、ルーナ様が守る結界の中には入れない。
そうなると、どこに攻撃が集中するかって、外で戦う私達。
未だ逃げ遅れた人にも……。
「レミーナ! 何をしているんだ!?」
レヴァンが声を上げる。
レミーナ王女も早い段階からルーナ様の結界の中に押し込んでいた。
王族の2人だもの、優先して守る必要があるのは私もエルトも弁えている。
なのに、その内の片方、レミーナ様が結界から出てきてしまった。
ルーナ様の結界には人を閉じ込めておく性質がない。
守る事が主眼だからでしょう。それが仇になった。
「……ッ!」
「クリスティナ!」
エルトの立ち位置が私から離れたタイミング、とりわけ多くの黒い霧達が私にたかってきた時。
それを見計らったようにレミーナ様は……私に突進してきた。
その手には短剣が握られている。アレは。
「……っ!」
私は天与で身体を覆いつつ、その腕を抑えに掛かる。身体にはその切っ先は至らない。
でも刃を素手で掴む形になった。
「あは、あはははは! やった! やったわ! これで私が……、」
「私が、何かしらね?」
「えっ」
私は左手で短剣の刃を掴んだまま。
「──フンッ!」
「へきょっ!」
バキィ! と、王女の顔面をぶん殴ったわ!
掴んでいた関係でその場で倒れるレミーナ様。
「ふざけてんじゃないわよ! 痛いわねッ!」
「なっ……ん、私は、私は王族なのよ!? よくも殴ったわね!」
「剣で刺しに来といて何言ってるの? あと私も王族だって言ってるでしょうが!」
本当に王女様がこんなバカなのかしら!?
「くっ……!」
切りつけられた左手が痛む。血が出ているし、普通に痛いのもあるけど、それ以上に……明らかに周りの黒い霧の勢いが増した。
あの短剣、やっぱり邪教が用意した魔道具か何かなのね?
まさか本当に効果があるなんて。
「クリスティナ!」
「大丈夫よ……毒じゃないから、多分」
一応、身体の中に解毒薔薇の花びらを咲かせ、中和を試みる。
「は! いい気味だわ! あんたなんてそのまま死んじゃえばいいのよ!」
「…………」
私は眉間に皺を寄せ、どんどん集まってくる黒い霧の中に佇む。
まるで嵐のようだわ。エルトも流石にこの状況を両腕に咲いた浄化薔薇頼りでは覆し辛そう。
問題なのは私の安全というよりも……レミーナ様の豹変よ。
嫉妬でこうなって王族の仮面が、こんな場面で剥がれてしまう浅はかさ。
彼女の人生をよく知りもしないで何だけど……吐き出させる必要がある。
「……薔薇よッ!」
「なっ!」
容赦なくレミーナ様の四肢を絡め取った。
私は黒い霧をすべて無視して、レミーナ様に、
「──フンッ!」
光を主体にして拳を叩き込む。
「ぐっ……! は、……なん!」
「はぁあああああッ!」
クシェルナ様と同じ状態じゃなかったら大問題ね! でも今はやるしかないのよ!
物的証拠も出てきたし、短剣で私を刺そうとした事も目撃されている。
むしろ私が殴ったお陰で正気に戻りましたって事にすれば彼女も後の立ち回りがしやすいでしょう!
だから、彼女は今、邪悪なる者によって狂わされた王女って立ち位置と示してあげる!
「その身体から……出ていきなさい、邪悪な者達ッ!」
声に出して『悪魔祓い』である事を強調!
これなら相手が王族でもぶん殴って平気よ! フフン!
「──フンッ!」
「げほっ!」
それでも本気で悪霊がとり憑いているつもり、その身体からソレを追い出す祈りを込めながら、ぶん殴ったわ!
「がはっ、げっ、がっ、はぁああっ!」
「あ」
けど、それは建前に終わらなかった。
本当に出てきたのだ。レミーナ様の身体の中から。私が殴った拍子にその口の中から黒い煙が。
「み、見て! レミーナ王女の身体から……!」
「あ、アレは……、噂の悪魔、なのか!?」
あらまぁ。ホントに憑かれてたの?
それは私もビックリよ!
「そうと分かったら! その身体から! 出ていきなさいッ!」
ますます光を叩き込んで、レミーナ様の中に居られないようにしてあげるわよ!
さっきからの戦闘と、斬りつけられた左手のせい、そして光の拳自体が消耗しやすいっていうのもあってしんどいけど……!
「──フンッ!」
ダメ押しの一発を彼女の腹に叩き込むと完全に飲み込まれていたそれが吐き出された。
「ルーナ様、パスッ!」
「え、あ、わぁあ! レヴァン様!」
「れ、レミーナ!」
悪いものを吐き出させて気を失ったレミーナ王女の身体を結界の中にぶん投げた。
……レミーナ様の中にあったのは一際強い何かだったんでしょう。
ますます黒い嵐のようなものが巻き起こり、私はその中心に居る。
……黒い霧の攻撃対象が完全に私1人に集中し始めた。
「ぐっ……クリスティナっ……!」
視界の向こうで流石にエルトの両手に咲かせた浄化薔薇が枯れるのが見える。
物理的な手段が効かないこいつらにアレじゃあエルトも手が出せないわ。
「エルト……」
新たに咲かせようとしたけれど、何かが私と彼との間の空間を断ち切る。
こいつら、本当に邪魔ね。
闇にも似た黒が私を包み込んでくる。世界との繋がりを断ち切ろうとしてくる。
「はぁ……はぁ……」
毒じゃないと言ったけど、私の中の何かがゴッソリと削られた感覚がある。
レミーナ様に使ったのもその原因だ。
邪教も色々と用意してきたのね、ってそれが分かった。
その内に声が聞こえてくる。
『悪役令嬢のくせに』
『まだ退場してないの?』
『早く処刑されればいいのに』
『いつまで王国にしがみついているのよ』
『あんたが居るから私がヒロインになり切れないの』
『要らないのよ、あんたはもう』
『国から出ていきなさいよ、悪役令嬢』
『早く、早く、早く、死んで』
……何この声。1人の声じゃない。
でも、なんだろう。アカネほどはっきりした存在じゃないわ。
どちらかと言えばアカネの出来損ない。
「…………」
個人の、異世界の魂。それ未満の何か。……生き霊?
『せっかく乙女ゲームの世界に転生できるのに!』
『悪役令嬢のくせに邪魔するんじゃないわよ!』
『あんたはもう要らないの!』
『悪役は悪役らしく、さっさと死ぬなり何なりしなさいよ!』
その罵詈雑言は私に向けた悪意で統一されているものの、どこか人間らしさがない。
無作為に『そういう悪意だけを抜き取った者達』の言葉だった。
異世界の人間そのものではなく、異世界の人間が、このリュミエール王国に抱いた悪心のみが抜き出され、固められた概念。
「……はぁ」
きっと彼女達はアマネと同じ『物語』を見ていた異世界人達。
その中でも『悪役の滑稽な退場を望む悪意』の塊。
「……あんたらねぇ。仮にここが、このリュミエール王国が『物語』の中の世界だとしたって。
ヒロインがルーナ様で、レヴァン達がヒーローで、そして私が『悪役』だったとしても」
私は拳に光を籠めた。
「要らないのは悪役令嬢じゃない。──要らないのは転生者でしょうがッ!」
私は黒い霧の……転生者の意識の集合体光の拳を叩き込んだ。
『ぎゃっ!』
『痛い、痛い!』
『悪役令嬢のくせに!』
まだ言うの!? 性懲りもないわね!
「ここはリュミエール王国! あんた達が好きにしていい国じゃあない! 貴族も平民もこの国で生きていいわ。だけど、あんた達は要らない! あんた達に譲り渡す王国の人間など居はしないッ! 王国の人間の身体に寄生し、奪おうとする寄生虫……それが転生者よ!」
殴って、殴って、殴って、殴り続けてやるわ!
「この国の生きた人の親に愛されていいのは、この国の人間だけ! それはあんた達じゃない! 令嬢達が生まれた家から何かを得ていいのは、その令嬢であって、あんた達じゃあない!
王国に住む民の何者もあんた達、ゲンダイの国から来た連中に渡すものはない!
あんた達が救いを求めてきたって言うんなら少しは考えてあげても良かった。
でも、あんた達は我が物顔で、この王国を滅茶苦茶にするばかりだわッ!
転生者は王国にとって侵略者に過ぎないッ!
そんなあんた達に……私の行く末を語られる筋合いも、決めつけられる筋合いも、望まれる筋合いもないッ!
──失せなさいッ! そして、自分の国に、世界に還れッ!」
たとえアチラの世界で死んでいたとしても。その責任を負うのはリュミエール王国ではない。
ゲンダイの中で生きていけばいい。ゲンダイに救いを求めるべきだわ。
「はぁああああッ!」
『嫌だ、やめて!』
『痛い、痛い!』
『私が、私が』
悲鳴が聞こえる。たしかな人間として成立しない悲鳴。
やはり生き霊か何かか。本来の彼女達の身体は向こうの世界で衰弱しているかもしれない。
「──貴方達の居るべき世界で幸せを探しなさい。自分自身の身体でね」
レミーナ様から出てきた一際大きな塊に向かって下から拳を突き上げた。
「フンッ!!」
いつか見たように大地の傷によく似た光の亀裂が起こり、黒い霧……魂達は、その向こうへと吸い込まれるようにして消えていった。
黒い霧はようやくパーティー会場から打ち払われたわ! すっごく疲れた!
断末魔のような悲鳴が聞こえたけれど……安らかに眠ってよね!




