15 お兄様はマゾなんですか?
……俺の名はエルト・ベルグシュタット。
王都に程近いベルグシュタット伯爵家に生まれた長男だ。
ベルグシュタットは第3騎士団を率いる長の家系で、代々の男子は騎士となるのが通例だ。
当然、俺もまた幼い頃から騎士の道を歩んでいた。
自分で言うのも何だが俺は才能にも恵まれた方で、本当に幼い頃の大人を相手にした時はともかく、成長してからは1対1の決闘で負けた事などなかった。
レヴァンを相手にした時もそうだし、もう1人の友人を相手にした時もそうだ。
俺には絶対の自信というものがあったのだ。
だが。
「ひとつ言っておくわね!」
目の前に堂々と立つ赤毛の女は俺を見下ろしながら吠えるように言う。
「1人の人間としては私は到底、貴方には敵わないわ。貴方が磨いてきた騎士としての腕前は、ただの令嬢に劣るようなモノでは決してありません」
「…………」
俺を心配し、抱え起こす妹のラーライラがキッと強くその女を睨む。
悔しいのだろう。俺が負けて。
だが俺は……。
「私は所詮、【天与】という授かった力を振るっただけよ。とても公平な決闘とは言えなかったでしょう。……だから今の私に負けたからって気落ちしない事ね!」
負けた。負けたのだ、俺は。
たしかに女が言うように公平な決闘とは言い難い。
騎士同士の決着の付け方ともまた違っただろう。
だが命のやり取りを前提とした戦いであったのだ。
彼女の戦い方を否定する理由は俺には無い。
これから大量の魔物の討伐という王命を果たさねばならん宿命を背負う女だ。
尚のこと騎士道などとは無縁の立ち振る舞いとなるだろう。
魔物は相手の命を奪う事を躊躇ってなどくれない。
剣を折っただけで赦してくれなどしない。
武器を奪われた後は無惨に殺されるのみだろう。
だからクリスティナが俺を下した戦い方は、正しい。
彼女はそうするべきだったからだ。
「……大丈夫? 手加減はしなかったけど」
「貴方ね! あんな野蛮な戦い方、騎士の風上にも置けないわ!」
「私、騎士じゃないもの!」
「なんですって!」
「……やめろ、ラーライラ。我が妹、ライリーよ」
「お兄様! ですが!」
俺は、フラフラと身体を起こして立ち上がる。
「あら! 立てるなんて立派ね!」
「ふっ……。お前が殴ったのは、ひたすら顔だけだ。足腰はまだ立つ……」
だがフラついている。
「お兄様のご尊顔を!」
ラーライラがまだ文句を言いながら俺の肩を支えた。
「クリスティナよ。お前の力は確かなものだった。改めて負けを認めよう。……だが慢心はするな。【天与】に頼った荒削りな戦い方だけでは常勝は望めない。そして相手が魔物であれば……敗北は死を意味する」
それは……『嫌』だな。
「分かってるわ!」
「……魔物が相手であるのだ。尚のこと騎士道精神など要らん。罠だろうが魔術だろうが何でも使え。そして生き残れ」
「お兄様?」
うむ。初め見た時から美しい女とは思っていた。
だがそれは俺に言い寄ってくる令嬢達とさして大差のないものだとも思っていた。
だが今はどうだ。
貴族令嬢共が花壇に植えられ、温く育てられた花々ならば。
この女は野に咲き誇る一輪の薔薇のようだ。
「お前は俺を初めて負かした女だ。俺の、初めての女だ」
「……お兄様?」
なんだろうか。これは。初めての感情だ。
「武功と認めても良いだろう。……まぁ、残念ながら、それで『傾国』と謳われなくなるとは思わんが」
「そうね! やっぱり危険だわ、って扱われるのが良いところよ!」
うむ。しかし、俺個人に勝てる程度で傾国など為せるのか?
「……正直、王妃候補だった事すら怪しい程に国を傾けるような策略家には見えないのだが」
「だから傾国なんて企ててないわよ!」
「分かっている。……今一度、聖女に詳しく話を聞くべきだろうな。そもそも武功を立てれば立てる程に危険視されるようなものではないか?」
大量の魔物を相手に単身で勝ち誇るとならば、尚のこと。
「…………それもそうな気がするわね!」
「……分からんな。聖女が何かを企んでいるのか。今のままでは、お前に救いが無いように思える。……確かに民を守り、国を守ることには繋がるだろうが」
もし、彼女が……武勲によって貴族に取り立てられたベルグシュタットのような家の者であれば。
その戦いは正当な評価を下されるだろう。
「クリスティナよ、俺は」
「ちょっと。お待ちくださる、お兄様?」
「む?」
ラーライラから何か殺気を感じるが。
「何? おかしくありませんか? お兄様はこの野蛮な女に何を言おうとされてます?」
「どうした、ラーライラ」
何を怒っているのだ。
「お兄様はマゾなんですか?」
「……何を言っている」
全く意味が分からないが。
「そちらの。リンディス様? ちょっとお兄様は頭に血が昇って、何かおかしな事を考えてるみたいなので。ここでクリスティナ様を下がらせて貰えるかしら」
「御意」
「おい?」
いつの間にラーライラは向こうの従者と視線で通じ合う仲になったのだ。
「何よ、リン」
「お嬢。決闘は終わりました。もう用はありません。ささ、行きましょう。あちらは姫騎士様が面倒を見て下さいますから」
「まぁいいわよ」
む。話はまだ途中なのだが。
「待て、クリスティナ」
「お兄様? お身体に障りますので」
何故、今日に限ってラーライラは強引なのだ。
俺はまだクリスティナと話がしたいのだが。
「ラーライラ」
「はい! お兄様!」
「お前の剣を譲って貰えるか?」
「え? 私の……ああ、お兄様のは折られてしまいましたからね。良いですよ」
ラーライラが剣帯ごと、その剣を渡してくれる。
「うむ。クリスティナ。お前の剣を折った詫びだ。これより戦地に赴くお前には必要だろう」
「なっ……!」
俺はラーライラの剣をクリスティナに放り投げた。
「……貰っていいの?」
「ああ。先に戦うのはお前だからな」
だが。俺もまたアルフィナに駆けつけるとしよう。
……自然と俺はそう思っていた。
「ちょっと! お兄様!?」
「……ラーライラの剣は魔法銀で出来ている特注品だ」
「魔法銀?」
首を傾げるクリスティナ。
俺が説明しようとするが、従者が詳しかったらしい。
「……特定の魔術を込めた銀の剣ですね。王都のお抱えの魔術使いが作られたのでしょう」
「そうだ。銀には魔を祓う効果があると言われる。その剣は特に頑丈に出来ているし、魔物を斬るには有効だろう。お前にはピッタリの剣の筈だ」
「ピッタリなのは私ですよ!」
ラーライラがいつになく騒いでいるがまぁそれはいい。
「ふぅん。ありがとう! 大事に使うわね!」
「ああ」
もうここで終わりか。
「クリスティナよ。戦うお前は強く美しかった。……聖女の予言はさておき。お前が王妃になどならず、戦場を駆けるというなら……俺には、その方がお前に似合っているとさえ思えた」
「そうね! 私もそう思うわ!」
ふ。まぁ、王妃の器ではあるまい。
今のリュミエールでは特にな。
戦乱渦巻く世であったなら別だろうが。
「お前の隣に立つのはレヴァンのような王子よりも、俺のような戦場に立つ騎士こそが相応しいだろうな」
「なっ!! お兄様!?」
「……なんと。ベルグシュタット卿?」
なんだ? 妹と従者が驚愕しているのだが。
「フフン! 良い褒め言葉ね! 貴方、良い人じゃないの!」
良い人か。
「エルトだ。クリスティナ。ベルグシュタット卿ではなく、俺の事はエルトと呼ぶがいい」
「エルトね! じゃあ、銀の剣は有り難く戴くわ!」
「ああ」
「お兄様! そのような野蛮な女に!」
それからラーライラが小言を言う間に、さっさとクリスティナは去っていった。
「……改めて言いますが。お兄様はマゾなんですか?」
「だから何を言っているのだ、ラーライラ」
クリスティナ。また会えるのを楽しみにしていよう。




