112 奪われた人生
王都では凱旋式の準備が進められている。
長くリュミエール王国を襲っていた魔物災害を鎮めた『救国の乙女』ことルーナ・ラトビア・リュミエットとベルグシュタット第三騎士団が戻ってくるからだ。
人々は英雄の帰還に沸き立ち、祭に似た活気に満ち溢れている。
だが、今回はそれだけではない。
もう一つ、人々の噂に上る人物も英雄達と一緒に帰還する話が広まっている。
その人物の名前はクリスティナ・マリウス・リュミエット。
かつて王太子レヴァンの婚約者でありながら不敬罪によって王都を追放され、王命によって流刑同然の罰を受けた女。
王都から離れた後、『予言の聖女』によってもたらされた悪名も、他の様々な噂にも事欠かなかった。
彼女の評価は、様々な要因によって二分されている。
光、薔薇、蝶の象徴的な天与を授かった3人の女性の姿は、三女神そのもの。
その事から彼女達3人は女神の巫女として神殿や、敬虔な信徒達に支持されていた。
しかし、いくつもの災害から人々を救った予言の聖女アマネが彼女を悪女とした事で、良く思わない者も多く居る。
王太子の婚約者であった時から、一部の令嬢達からの評判も良くはなく、また婚約破棄があった事実も彼女にとっては悪い評価につながっていた。
だが、ここに来て新しい情報が王都の噂話に拍車を掛けた。
彼女、クリスティナと伯爵家の令息の婚約話が聞こえてきたからだ。
ベルグシュタット家の長男エルトは、かねてよりクリスティナに対する好意を隠しておらず、悲恋の主人公として噂話が広まっていた。
それに加えて……2人は王都へ来る途中、いくつも神殿に訪れては婚約の誓いをわざわざ繰り返しているという。
「……どれだけラブラブなアピールするのよ」
と『私』は独りごちた。
悪役令嬢クリスティナが2番人気の攻略対象エルトと婚約? ありえないでしょ。
それがありえるとしたら……きっと彼女も私と同じ。
「転生者かぁ……。やっぱ私以外にも居るのね」
転生者だけならまだしも転移者まで居る始末だ。
何よ、予言の聖女って。どう考えても乙女ゲー『リュミ恋』の知識持ってる現代人でしょ。
その転移者もあろうことか、ルフィス公爵家に入り浸っているという。
どう考えたって、それは隠しキャラであるユリアン狙いでしょ?
最悪だわ、本当。
くっそぅ。もっと早くに私も転生してたらなぁ。
ほとんどの好感度アップの『共通ルート』が終わった後にこの世界にやって来た私には、ゲーム知識を活かせる場所が極端に少なかった。
ここからの展開って誰のルートかによって変わるし。
それも、ヒロインのパートナーが決まってからのイベントだから、現時点で割って入る方法が皆無じゃない。
「悪役令嬢転生モノとか、もしかしてヒロインのルーナの性格は腐ってるんじゃない?」
その可能性は高い。だいたいパターンだし。
つまりルーナも転生者ってパターンだ。
でも原作のルーナの謙虚で可愛らしい性格を現代人が真似たって、ドン引きされるぶりっ子女になるのは目に見えている。
天然でやってるから許されるのよ、ああいうのは。
未だにレヴァン王子と良い仲が聞こえてこないのは、実は性格が悪いからだったりして。
あるよねー。そういうの。
でも時期的にルーナが各地を回るイベント中だし……。
いいなぁ。エルトの格好いいシーンとか沢山あったんだろう。
私もリアルで見たかった!
「ごほっ、ごほっ……!」
「ああ、■■■■■! またベッドから抜け出して……!」
自由気ままに乙女ゲーの知識を活かして、良い男をゲットしている転移者・転生者達。
……それに比べて私は最悪だった。
「ごほっ、ごほっ……」
私が転生したこの身体は伯爵家の令嬢。
身分はいいわ。伯爵ってまぁまぁよね。
乙女ゲーとしてはモブ女だけどさ。
でも、この子ったら病弱設定なのよ。そこが最悪だった。
身体が弱くて、どこにも行けやしない。
幸い、両親には愛されてるみたいで、虐待とかされている家じゃないからマシだったけど。
「ああ、どうしてこんな……。ほんの数か月前までは、あんなに元気だったのに……!」
この身体の母親がそう嘆いている。
そう。どうも私が転生する前まで、この身体の持ち主は健康だったらしいのだ。
(私の記憶が目覚めてから体調不良になるってどういう了見よ!?)
この世界に病気になる為に来たワケじゃないでしょ。
病弱なモブ令嬢とかリュミ恋で見た事ないし!
しかも夢見まで悪い。
この身体で目覚めてから眠る度に悪夢にうなされるのよ。
聞いた事のない女の声でさ。
『返して』『私を返して』って。うるさいったらありゃしない。
「ごほっ、ごほっ……」
最悪の身体。せめて元気な時に目覚めていたら……私だってリアルなエルトと幸せな結婚とか出来たかもしれないのに。
病魔に苦しむだけに最悪な日々だったけど……。
ある日、転機が訪れた。
「お嬢様のお身体の異変について、解決策がございます」
娘の体調不良を何とかしようと両親はあちこちを奔走していた。
でも、どの医者に見せても原因不明で……。まるで呪われているようだとまで言われて匙を投げられた。
「お嬢様とだけ、お話しする機会を設けて貰えますか?」
神殿の関係者のような服装をしたその男は、両親から私と2人きりになる許可をもぎ取った。
部屋の前に護衛を待機させた状態でも構わないと、そこに悪意はないみたいだった。
それに、私はこう言われたのだ。
「お嬢様にしか思い当たらず、両親には言えない事情があるのではないですか?」
まるで不貞や、それに伴う病気とでも言いたげな言い分に両親は怒ったが、私は止めた。
……私が転生者である事を知っている、そう言っているようにも聞こえたからだ。
そして事実、男は私が転生者である事を知っていた。
「なんで分かったの……?」
「そういうものを見る目を持つ者も居るのです。魂の色とでも言いましょうか」
「魂の色……」
なんか日本人の魂の色は違うのかな?
「そ、それで?」
「貴方の体調不良は……その魂が身体に合っていないせいです」
「は?」
つまり何? この身体の体調不良は『私』が原因だってワケ?
……そりゃ、たしかに私が目覚める前は元気だったって聞いたけどさ!
まるで私がすべて悪いみたいじゃない! ますます最悪だわ!
「おそらく、貴方は……転生する身体を間違ってしまったのでしょう」
「……間違った?」
「はい」
「え、どういう意味?」
「……貴方の魂は、おそらく『天与を授かるべき魂』です。そういう色をしていますから」
「天与って」
ルーナ達、ヒロインと悪役令嬢が使う特別な力!
「はい。既にお三方がいらっしゃいますが……、心当たりはないでしょうか? 『自分こそが彼女になるべきだ』という記憶や、直観、予感……予言のような確信が」
「…………!」
それって乙女ゲーの事!?
「ある……! あるわ……!」
「やはり……。その記憶こそ、天与を授かる者の証です。それが……貴方は間違った身体に入ってしまったのです。その為、貴方の魂を受け入れ切れなかった、その身体が体調を崩している。天与とは人間を超えた力ですから」
「そ、そうなんだ……!」
じゃあ、つまり何? 私、本当はヒロインであるルーナとか!
悪役令嬢クリスティナとか! 或いは、隠しヒロインのルーディナに転生する筈だったって事!?
「え、じゃあ、私って『誰』なの?」
「……それは貴方が決める事です」
「へ?」
私が決める?
「貴方は確信しているのでしょう? 自分が誰になるべきなのか。その為の知識もある。そうですよね?」
「うん! ある、知識、あるわ!」
「ふふ……。では、きっと貴方は知っている筈です。そして貴方がこの世界で生きていくには……『自分の身体』を取り戻す必要があります」
「私の身体を……?」
「はい」
どういう意味だろう。
「魂と肉体は、当然ですが当人のものでなくてはなりません。つまり……貴方は自身の身体になるべきだった者の身体を奪い返さなければ、この世界では生き残れないのです」
「ええ……!?」
何そのハードモード! 最初っから私のなるべき身体を渡しなさいよ!
「ど、どうやって奪い返すの? 私の身体……!」
「……こちらを」
「え」
その男がすっと差し出したのは……何? 短剣?
「その短剣は『魂を傷つける刃』です」
「た、魂を?」
「はい。その短剣で……貴方の身体を不当に奪った者を刺す事。そうする事で、偽りの魂を追い出し、貴方が得るべきだった身体へと戻る事が出来ます」
「え」
な、何? つまりヒロイン達の誰かを刺せって事!?
「貴方の身体になるべきだった器の中に別人の魂が宿っています。その偽りの魂を追い出さなければ、貴方は身体に戻れません。ですので……これは貴方自身の手で行う必要があります」
「マ、マジで……?」
しかも自分でやんなくちゃいけないの!?
どこまでハードモードなのよ。
「勿論、支援はさせていただきますが……簡単な事じゃないのは分かりますね?」
「あ、当たり前じゃない!」
「ですが、貴方が生き残るにはこれしか手段はありません。貴方自身が、その身体は自分のモノではないと自覚しているのでしょう?」
「それは……」
まぁ、そうね。
この身体、顔は可愛いけど、とにかく不健康だし。
ずっと女の声が頭の中で聞こえて耳鳴りもする。
それに思うように身体が動かない時があるわ。
私のしたい事が出来ない。
せっかく貴族令嬢の美人に生まれ変わったんだから、贅沢をしたり、美形な男を弄んだりしたかったのに。
最悪だったのは男漁りをしようとした時にこみ上げるモノがあって吐き出してしまった事。
どこのゲロインなのよ、って……体調の悪い身体の主を恨んだわ。
そのせいで近付く男が減ったんだもの。
「貴方の人生を、貴方の手で取り戻してください。今の貴方がそんなに辛い思いをしているのは……すべて、その者のせいなのですから。……今までお辛かったでしょう?」
「────」
辛かった。苦しかったわ。私はもっと良い思いをするべきなのに。
転生してまで苦労をさせられたのは……。
「そいつのせい……?」
「貴方の本来の身体を奪った者のせいです」
私は、自分の顔を掴んだ。今だって頭が痛い。耳鳴りだってする。
そのすべてが。
「お聞かせ下さいますか? 貴方様は、本当は何者なのか。何者になるべきなのか。何者に……なりたいのか」
「私は……」
3択ってこと?
ヒロインであるルーナの事は一番よく知っている。
でもヒロインに現代人が転生するのってリスクがあり過ぎる。
天然のぶりっ子女に演技でならなきゃいけないって、かなりキツいし。
しかもこの世界のルーナって各キャラクターの攻略失敗してるんじゃない?
転移者や転生者に邪魔されたせいなのか、或いは彼女の中に入った転生者が下手を打ったのか。
ユリアンは転移者であるアマネって女を囲ってる。
エルトはクリスティナと婚約関係。
レヴァンはルーナとこれといった仲になったなんて話はない。
カイルなんてどこに居るのかも分からない。
……どう見たって攻略失敗。下手すればバッドエンド行き確定の女が今のルーナだ。
そんなヒロインに誰がなりたがる?
このゲーム、普通にヒロインもデッドエンドありなのよ。
そしてルーディナは隠しヒロインだから不明な点が多い。
病弱という設定らしく、彼女が登場する理由は作中では確かなものはない。
『体調が良くなったから』という理由だけで表舞台に出てくるけど、作中におけるその理論は不明。
ゲーム的には条件を満たしたから登場した、という事になる。
つまり大体の確率で病弱のまま家で寝込んでいるって事よ。
何が悲しくて病弱な身体から病弱な身体に転生しなくちゃいけないのか。
そりゃあ公爵家っていう、王家の次に身分のある公女様だけどさ。
……設定が病弱なだけで私が転生したら健康になる……可能性もある。
でも、だ。
ルーナもルーディナもここまでゲーム攻略が進んだ時点で選ぶ意味がない。
それよりも、だ。
「──クリスティナ。私、クリスティナになるわ!」
悪役令嬢は今やヒロインよりも上の立場だ。
美貌に優れるだけでなく、男爵令嬢のルーナより侯爵令嬢のクリスティナの方が身分も上。
悪事を働くから落ちぶれるのが定番だけど、知識のある現代人が入れば、そんなのは覆せる。
現にクリスティナに転生したであろう『偽物』は悪役令嬢を上手くやってのけているじゃない。
エルトをルーナから奪って、これみよがしに婚約しましたって触れ回っているのがその証拠よ。
本当の身体に戻ったら、王妃教育で培った知識や立ち振る舞いだって手に入るかもしれない。
逆知識チートってやつよね。
人格は『現代人の私』のままで、それまでクリスティナが努力して得た知識や技術を全部、手に入れられるの。
手際よく立ち回ってるとしたら、今もレヴァンルートだって残ってるかもしれないわ。
よくあるわよね。悪役令嬢にフラれる立場になって後悔する王子とかさ!
そこから元鞘に収まるパターンなんてほぼ皆無だけど……私は、それを選んでもいい。
婚約破棄されて傷ついた気持ちなんてまるでないしね!
それに……エルトを攻略してるんなら、そのままでもいいわ。
私、エルトが一番好きだったし、悪くない。
「ほう。彼女にですか」
「ええ! 私が本物のクリスティナよ!」
「ふふ。では少しでも協力しましょう。手を」
「ん?」
男が私の手を取る。すると光が瞬いて……。
「あ?」
耳鳴りが止んだ……? ずっと『返して』とがなり立てていたうるさい女の声が。
「……少しは楽になったでしょうか?」
「なった! なったわ! 凄いじゃない! 出来るなら、もっと早くにやってよ!」
「これは一時的な処置です。早く身体を取り戻さないと……また貴方は苦しみ、果ては命を落とす事になります」
「何よ、そうなんだ」
じゃあ、とっととやらないといけないのね。
またあの耳鳴りに悩まされるのはゴメンだわ。
私が不健康な身体に入れられたのも全部、偽物のせい。
だから……私は。
私の得るべきだった身体を、奪われた人生を取り返してやるわ!




