109 その時はその時
邪神の腹から救出された女性達は、10人も居た。
……残念だけど、助からなかった子も居たわ。
あの得体の知れない奇妙な形の邪神に飲み込まれていたとして……他にも犠牲者がどれだけ居るか分からない。
「お嬢。ベルグシュタット卿」
「リン。どうしたの?」
「院長を捕まえたので、彼女の部屋を調べておきました。彼女自身もクロのようですね」
「クロ?」
「邪教を手引きしていた者だということです」
「……だろうな。流石にあのような場所をトップの人間に知られずに運用できるとは思えん」
「なんてことかしら」
もっと早くの行動していれば犠牲者は減らせたかしら?
いえ。流石にそれは無理があるわよね。
夢の世界でだって明確な犠牲者を掴めてたワケじゃないし。
何よりアマネの予言と私の夢の世界は、限りなく現実に近いだけであって、現実とは違うもの。
イリス神の啓示とも言えるかもしれないけれど『傾国の悪女』になると決めつけられた私は、予言の捉え方に慎重にならなければいけない。
「はぁ……」
「クリスティナ」
「ん」
エルトがソファに座る私の頭を、髪の毛を梳くように撫でてくれる。
「お前のお陰で救われた命がある。何より、これからの被害だって止められただろう。それにこうなった責任はお前にはない」
「分かっているわ」
でも、もうちょっと上手く予言して貰えないかしらね!
頼り過ぎるなとか、そういう事かしら……。
「……邪教の存在と、証拠は今回の件で確実なものとなりましたね。問題はベルグシュタット卿が率いる部隊に、修道院の監査なんていう行為の正式な権限がない事ですが……」
現に邪神に襲われたじゃないの。
「天与という超常の力と共に多くの戦場を駆けてきた俺の判断だ。正式な調査でなかった事を突いてくる奴が居たら……まぁ、そこから調べ直すのもいい。今回の件は手柄や名誉を求めた行為でもなければ身内が襲われ、侮辱された事件でもない。誰にどう動かれようと構うまい」
大きな問題は解決したけれど。
でも、ここで放り出すつもりかしら?
「後の責任は取れないの? ここを誰かに丸投げしたら同じ事が起こるんじゃない?」
「……修道院に入っている女性をどうするかの問題ではあるからな。一時的に匿うのも良いが……」
「自らここに入られた方ばかりではありませんからね……。特にこの修道院は厳しいからこそ、という面もありますし。それに長くここで暮らした者に今更出ていけと言うワケにも。……邪神は退治したところですしね」
うーん。
「でもね。あの邪神。動く為のエネルギーは……生贄にされた女の子達だったんじゃないかしら? ミリアリアの声で悲鳴を上げていたし。……ここにあの子達を置いておいたら、また同じ事が起こるかも」
生贄という動力源があったままだと、再び邪神が目覚めてしまうかも。
「……彼らの儀式について知る必要がありますね。ですが、それも」
「しばらくは俺が、この件を預かるとしよう。必要な証拠は、こちらですべて確認した上で、引継ぎの人間を要請する。神殿にも介入して貰った方が良いだろうな」
「お願い出来る?」
「もちろんだ」
こういう時、やっぱり後ろ盾があるのとないのとじゃ大違いね。
この場合は後ろ盾というよりも動いて貰える部下かしら?
「クリスティナ」
「うん?」「お前が懸念していた件もこれで解決へと向かうだろう。陛下へ報せる手土産も出来た」
「そうね」
「だから俺達は今後の予定を決めていこう」
「ん!」
そうね。どうしようかしらね!
私は彼に手を引かれて立ち上がって……。
エルトの部下達の到着を待って、事件の終息に力を貸したわ。
リムレッド院長だけど、とにかく自害させないように慎重に拘束しておいた。
「せっかくナナシまで動員したのに、潜入捜査できなかったわね!」
「……お嬢が交渉もそこそこに武力で解決しようとしたから……」
「怪しかったんだもの! リンだって院長が嘘を吐いたって言ってたじゃない!」
「そうなんですけどね」
「それに少しでも遅れていたらミリアリアは助からなかったわ!」
「はい。それも間違いありません」
「じゃあ褒めなさい!」
「…………」
「リン?」
「褒める役目は、もう私ではないでしょう? お嬢」
「……それは」
一息ついた後、窓の外を眺める。
そこには金色の髪と翡翠の瞳をした黒衣の騎士が居て、部下達と話していたわ。
「それとこれとは別よ!」
「……うーん。別にしてはいけない気がしますが」
「リンはリンだもの!」
プーン! と私は頬を膨らませたわ。
「気を許す男性もベルグシュタット卿だけにした方が良いですよー」
「えー……」
「お嬢だって、選ばれないのであればバートン卿の気持ちを束縛し続けたりはしたくないでしょう?」
「……まぁね」
カイルは私への恩とか、そういう気持ちが強いでしょう。
私が違う道を選んだなら……背中を押したりしてあげないとだわ。
「リン」
「はい、お嬢」
「ミリアリアは目を覚ましたかしら?」
「……気になるのですか?」
「んー。彼女が意地悪な人間かどうかは確かめたいわね!」
「それ、そんなに重要です?」
だって気になるし!
「でも、まぁ無事なら無事でいいかしらね!」
「はい。そうでしょう。それにお嬢」
「なぁに?」
「……邪教とのこういった遭遇は、これからもある予感がしてなりません」
「それはそうね!」
女神を認めず、天与持ちを目の仇にしている邪教徒達。
どうにかしないといけない問題よね!
それから数日、修道院で過ごしたの。騎士様達は、わざわざ修道院の外で野営しているわ。
そういえば、ここは女の為の修道院だものね!
あの夢の中ではロクに過ごせなかったけど、こういう暮らしかぁ。
ありえたかもしれない未来よね。
厳しい修道院だって必要な施設かもしれないけれど……だからって邪教の生贄になるのは間違ってるわ。
邪神に飲まれて目覚めていない子達を医者に見せて。
そろそろ私個人が出来る事もなくなったわね、っていう所で修道院を後にする事にしたの。
「ミリアリア! 起きたのね!」
「っ!? え、は、はい……?」
私は元気になったミリアリアに飛びついたわ!
「もー、元気になったんなら教えなさいよね! 心配してあげたんだから!」
「え、あの、はい? ありがとう……ございます……?」
ちなみにリンディスは調査をしばらくした後は騎士団と一緒に修道院の外で待機中よ!
「ふふふ!」
「あ、あのぅ」
「なぁに?」
「ど、どちら様……ですか?」
「ん?」
私は首を傾げたわ。
「私、クリスティナ! クリスティナ・マリ……んー! クリスティナ・イリス・アルフィナ・リュミエット! ただのクリスティナでもいいわよ!」
「え、はぁ。クリスティナ様……ですか」
まぁ、様付けだわ!
あのミリアリアが! 殊勝な態度ね!
「ど、どこかでお会いした事があるのでしょうか……? リュミエットという事は貴族の方、ですよね?」
「そうね! あんたとは夢の世界で会ったの! だからこれが初対面よ!」
「は?」
「フフン!」
私は得意な顔を浮かべて胸を張ったわ!
「あ、危ない人……?」
「誰が危ない人よ!」
「ひぃ!?」
むー。あんまり意地悪な感じしないわね!
「これからは新人いびりとかしちゃダメだからね、ミリアリア!」
「し、新人いびりですか?」
「そうよ! 着いたばっかでお腹を空かせているのに、さらに懲罰室送りにしたりね!」
「え、ええ……? そんな事しませんけど……」
「しないの?」
「は、はい」
「んー」
「うぅ……?」
なんかイメージ違うわね。
私がじーっとミリアリアの瞳を見つめるけど、どちらかと言うと気弱そうよ。
「あのぅ、クリスティナ様」
「うん?」
私がミリアリアとやり取りをしていると、別のシスターに話し掛けられたわ。
「ミリアリアは真面目なシスターですよ? 優しい子ですし」
「そうなの?」
「はい」
また予言の世界と現実とで人物像が食い違っているわね!
もちろん、この証言を信じるならだけど……。
どちらかと言えば夢の世界を疑うべきかしら?
「なぜ、ミリアリアをお疑いになるのでしょう?」
「疑ってはいないわ。本当に、私の天与が見せた世界ではそうだっただけ」
「……天与?」
キョトンとしたミリアリアが浮かべる表情は嘘とは思えなかったわ。
「そっ。私、天与を授かったクリスティナよ」
手元に薔薇を咲かせてみせる。
「っ! 本当の! それに薔薇だなんて! い、イリス神様の巫女の!? ご、ご無礼を致しました……!」
「かしこまらなくてもいいけれど」
まぁ、本当に殊勝に見えるわ!
「夢の世界で貴方の性格がもっと歪んでいるように感じたから確かめてみたかっただけよ」
「そ、それも天与……でしょうか?」
「ええ!」
「ミリアリア。今回、貴方達を助けてくださったのが、こちらのクリスティナ様と騎士様なのよ」
「そ、そうなのですか!?」
「ええ」
「……それは……! なんと感謝すればいいのか……! クリスティナ様! 感謝いたします!」
「いいわよ!」
ミリアリアが私の手を両手で握って、キラキラと目を光らせている。
「あ! ということでしたら」
「うん?」
何かしら?
「そ、その。夢、というのは……もしや私が、その。闇に囚われている間の夢の事でしょうか?」
「闇に囚われて?」
「は、はい。その……。なんといいますか。苦痛を感じるような、それでいて甘く優しいような夢の中で眠っていたのです。その夢の中で私は、良くないこと、悪い事に手を染めやすくなっていたような……。魔が差す、という感覚でしょうか? そういった心に徐々に侵されていく感覚を覚えていました」
「……そうなの」
それは初耳だわ。
「アレが現実? ではなくて本当に良かったと思います」
「それはそうね!」
邪神って人に悪いことをさせようとしているのかしら?
「ミリアリア。貴方が邪な闇から、その心を救われたんだとしたら……私がここに来た意味があったと思えるわ」
「は、はい! クリスティナ様。本当にありがとうございます!」
「ふふ! 良かった。元気でね。まだまだ苦しい事があるかもしれないけれど」
「はい!」
凄い素直だわ!
全然イメージ違うじゃないの!
とにかく現実のミリアリアに会えた事で私はマリルクィーナ修道院の事件に本当に決着を着ける事が出来たと思う。
「じゃあね!」
「はい、クリスティナ様!」
最後に手を振ると、にこやかに彼女は笑い返してくれたわ!
……そして。
私達は、王都帰還計画を煮詰める事にしたわ!
アルフィナでせっかく耕した畑があるから、どうするか悩みどころなのよね!
陛下の許しを頂いたワケではなく、それに私にはクインが居るから、しばらくはアルフィナに居ても問題ないだろうし。
私としてはアマネの予言との決着がついたら、アルフィナに帰ってきて、本格的に領地の復興を目指したいのよね!
「……それで、今後の計画はどうなるのでしょう? お嬢、ベルグシュタット卿」
「そうねー」
「視察隊と共に俺達の騎士団はラトビア嬢を連れて王都へ凱旋する事になるだろう」
「はい」
「その際にクリスティナも一緒に、という形が良いか悪いか、だな」
「疑問には思われるかもしれませんが……出来れば一緒に凱旋して紛れ込むのが良い気もしますね。お嬢1人だけだと後ろ指をさされるか、予算も割かれない可能性もありますし」
「うむ。ただ」
「はい」
「……ドラゴンを手懐けているからな、クリスティナは。凱旋に合わせて予めクリスティナも一緒に帰還すると噂を流しておいて……凱旋式の途中で颯爽と空からドラゴンで合流する、とインパクトが強くて『オマケ』のようには扱われなくなるだろう。ドラゴンを手懐けた事もまたクリスティナの功績そのものだ」
まぁ! それは楽しそうね!
「それはそれでラトビア嬢やベルグシュタット卿、騎士団の名誉をお嬢が搔っ攫うような形になってしまいません?」
「そんな事はないさ。各地での活動を民は目にしてきたしな。そういった民の支持を築き難い場所にいたクリスティナの方が大事だろう」
「そう言って貰えるのは、私としても有難いです」
「それから、はっきり言っておくが……政治的に標的になりやすいのは間違いなくクリスティナだ。彼女がそこに居る時点で、攻撃しやすい……と思われるだろうからな」
「後ろ盾がありませんからね……」
マリウス家はむしろ敵だものね!
「そこで王都に帰還する前に……俺達は各地の神殿を巡って、婚約を神殿に認めて貰いながら移動しようと考えている」
「……お二人の婚約を先に認めさせておくのですね」
「ああ。十中八九、余計な事をしてくる輩が居るだろうからな。邪教関連の者から、それに」
「ん?」
エルトが私を見つめてくるわ。
「レヴァンとの婚約がなくなった美しい女性が独り身だと知れば、アピールする男は数多く居るだろう?」
「まぁ、どこかの金の獅子様みたいに?」
「そうだ」
「ふふふ!」
私は右手を伸ばして隣に座るエルトと手を繋いだわ!
「……外堀から埋めていくの、慣れてませんかね。ベルグシュタット卿」
「慣れてはいないさ。今日までやれる事を考え、すべてやってきただけだ」
「まぁ、アルフィナ以外で動く、というのは他の者には出来ませんでしたが……こう、お嬢に直接にアピールなさろうとは思わなかったのですか?」
「しただろう」
「したじゃない」
「はい?」
「宝石とドレス、配下の騎士と他にも贈った筈だが」
「あー、はい。それはそうなんですが……もっとこう直接的な? お嬢自身へのアピールとか、手紙とか。そういうアプローチはなさらずに、お嬢の名誉の為の行動が多かったようにも」
「ふむ……」
そういえばそうねー。
助かった事は助かったし、宝石を贈られたのは嬉しかったわ。
でも私への直接的なアピールが多かったかと言えばそうでもないのよね。
「私がアルフィナを出る時に助かる事は沢山してくれていたみたいだけど。エルトはそれで良かったの?」
だって、私が彼に惹かれた理由は……やっぱり夢の天与が一番大きい理由だわ。
現実の彼の努力とは少し違うと思うもの。
「……俺を認めて貰う努力よりも、クリスティナにとってどうするのが一番かを重要視していた。それにアルフィナの環境で贈り物を贈られ続けるのは……何か、余計な負い目を与えての交際になりそうだった。……俺はクリスティナが自身の力でアルフィナの危機を乗り越えられると信じていたし……。だからこそ、もっとも彼女が負い目を持たず、俺との交際を考えてくれる形が望ましかった」
「ふぅん……」
私は自分の深紅の髪の毛をもって少し弄り始めたわ。
なんだか、こういうの照れるわね!
「……他の男性に奪われる不安は?」
「その時はその時だな」
「そうね。その時はその時だわ」
仮にエルトに他に婚約者がいたら……まぁ、その時はその時だったわよね!
「……お2人のその言い分の果てに、平然と他人から略奪するという選択肢があった気がしてならないんですよねー……。迷惑な2人が収まるべきところに収まって本当に良かったような」
「だから、その時はその時よ!」
「うむ。その時はその時だ」
フフン! 私達は一緒に胸を張ったわ!




