01 赤毛の猿姫
私の身に不思議な事が初めて起きたのは10歳の頃だった。
その日は貴族のパーティーがあって子供達も何人か参加していたわ。もちろん私も含めてね。
「おい、赤毛の猿姫」
「……は?」
後者の『猿姫』はともかく前者の『赤毛』の方は見渡す限り、その場には私しか居なかった。
だから私はその言葉に反応したの。
私には『クリスティナ』っていう立派な名前があるんだけど?
もっと正確に言えばクリスティナ・マリウス・リュミエットね。
マリウスは侯爵家の名前で、リュミエットは王国の貴族姓よ。
貴族には王家も含めてリュミエット姓が多いらしいのよね。
私の家があるこの国の名前からして『リュミエール王国』だもの。
そして私が振り返ると、そこにはニヤついた顔の男の子が立っていたわ。
同じ年齢ぐらいの子供かな? 少し年上くらいかも。
ニヤつく男の子の後ろにも取り巻きのような子が3人。
気弱そうな女の子。
少しぽっちゃりした男の子。
それから背は高めだけど細めの男の子ね。
「お前、女の癖に剣術を習い始めたんだって?」
「……そうだけど?」
前々から興味のあった剣術。
散々にお父様に駄々をこねて習う事が出来たわ。
でも本当に習い始めたばかりなの。
だからまだ、せいぜい素振りぐらいしかしていないのよ。
「お前は女なんだからさ。どうせ成長しても弱っちいクセに剣なんて習ってバカじゃないの?」
「……はぁ?」
この男の子も貴族の出の筈なのに言葉遣いがなってないわね! なんて頭の隅に思う。
「なんだよ。やるかぁ? へへ!」
ニヤニヤして私を馬鹿にしている男の子3人。
まだオロオロしているピンク髪の女の子。
なぁに? 私、絡まれてるのかしら? とっても迷惑なのだけど?
「ほらほら!」
挑発するように男の子は私に乱暴に触れようとする。
私は堂々と真っ直ぐに立って腕を組んでその少年を睨み付けたわ。
「なっ……なんだよ! ビビれよな! 生意気だぞっ!」
まったく意味が分からないわね。
ビビれよ、って知らないわよ。私にビビって欲しいならそっちが努力するべきでしょう。
「生意気!」
語彙力のない男の子は同じ言葉を2度繰り返しながらボコッと私の頭を叩いた。グーで。痛いわ。
「へへっ! 泣けよ!」
1発叩いて調子に乗る男の子。
先に叩いたのは彼よね。目撃者はこの場に沢山いるわ。
私、知ってる。
殴っていいのは殴られる覚悟があるヤツだけなんだって。だって習ったもん。
よく意味は分からなかったけど、つまり殴られたら殴り返してOKって意味だわ!
「──フン!」
「ぐべぁ!?」
だから右拳のまっすぐなパンチで彼をぶん殴ってやったわ。
クリーンヒットというヤツね! 殴った拳が痛いから、これが痛み分けというものなのね! 凄い、私ったら新しい事を学んだわ!
「い、痛ぇ! なにすんだ、この猿姫!」
「先に殴ったのは貴方じゃないの。それに猿姫ってまだ言うの?」
黙るまで殴ってもいいんだっけ? とりあえず先に殴ったのはアチラで、彼はまだ戦意を失ってないんだから……じゃあ、もう1発ぐらいはいいわよね!
「もう1発よ!」
「ひぃっ!?」
ふふふ! 私はニコヤカな笑顔のまま少年に殴り掛かった。
──その時だわ。
私の身体が光り輝き始めたのは。
「えっ?」
光だけじゃない。なんだか不思議なくらいに力が湧いて来てしまって私の狙いは少年から逸れてしまったの。
「きゃっ、何、これ」
速過ぎるぐらいの足の速さにバランスを崩す私。
そして男の子を全力で殴り付けようとした拳は、彼の顔面ではなく、その横にあった太めの木を殴り付けてしまっていた。
──ドゴォッ!
「えっ」
凄まじい衝撃音と共に殴り付けた木の幹が粉砕される。
バキバキ、メリメリ、……っとそのまま倒れていく大木。
私も周囲もその光景を唖然と見守るしかなかったわ。
やがて、ドォオオオンッ! という大きな音を立てて木は完全に倒れたの。
幸い他の誰にも怪我はなかったから良かったわね。
「ひっ……ぁ、ひぇえええ!?」
「うわぁああ!?」
「ま、ママぁあ……! こ、殺されるぅ!」
その光景を見て一目散に逃げていく男の子達3人。
ヘナヘナとその場に座り込んでしまうオロオロしていた女の子。
「……? ……えっと。……フン!」
よく事態を飲み込めていなかった私は男の子達を追い払ったという戦果だけを重視して腕を組んで胸を張って、その場で堂々と立って勝ち誇ったわ。
どんなものよ! 私もびっくりしたけどね!
「な、何だい、今のは」
「小さな女の子が……これを?」
「あの光は、まさか」
事態に追いつき始めた周りの大人達がざわざわと騒ぎだす。
よく分からないけど私がやってやったのよね! フフン!
「貴方。怪我はなくて?」
「えっ」
座り込んだままの女の子に私は手を差し伸べた。
ビクッと震えて私を見上げる女の子は、私よりも薄い髪の色で……ピンク色の可愛い髪と瞳をした女の子だったわ。
「あ、ありが、とう?」
「どういたしまして」
チカチカと目眩がする。さっきの光のようなものとはまた別の何か変な感じ。
頭の中? に何かおかしな光景が浮かんだの。
それは目の前の女の子が……今より大きくなったような姿で。
より可愛らしい大人の女性になったその子が何かキラキラした男性に言い寄られている姿。
何? この光景は一体何なのかしら? 私は何を見ているの?
「て、【天与】だ。間違いない。子供があれ程の力を……。今すぐ王家へお知らせしないと!」
私が授かった不思議な力が、こうして私の取り巻く状況を変えた、初めての出来事だったわ。
◇◆◇
「お嬢様。聞きましたか?」
「何を?」
素手で木を倒してしまった、あの力。
アレは、この国では【天与】と呼ばれている力なのだそうよ。
この世界には稀に不思議な力を宿す者が現れて、その力の種類は様々なものがあるのだとか。
その内の1人が私なんだって。
【天与】を得た人の事を【天子】と呼ぶ人も居るらしいわ。
翼を生やした天使様じゃないわよ。天の子でテンシね。
「お嬢様には、また新しく家庭教師が付けられるそうですよ」
「家庭教師? もういるわよ?」
この【天与】を授かってからというもの、元から厳しかった家での教育がさらに厳しくなったわ。
私はもっと外で自由に遊びたいんだけど。
「【天与】を授かったお嬢様は、次期王妃候補としてレヴァン王子と婚約関係を結ぶ事になります」
「え……」
レヴァン王子? 婚約? 何それ。
「私、婚約とかそういうの要らないんだけど」
「それを決めるのはお嬢様ではありませんから」
は? どういうことよ。分かるように説明して欲しいわね!
……それからはとにかく忙しい日々だったわ。
付けられた家庭教師は何人も居たから、勉強ばかりで遊ぶ時間なんて全くないし。
勉強は楽しい時もあれば苦手な時もあって、とても困ったわ。
私はもっと剣術を習っていたかったんだけど、それも取り上げられてしまったの。
元からあんまり私の我が儘を聞いてくれないお父様やお母様だったけど、ようやく聞いてくれた事だったのに……。
流石にこればかりは私もショックだったわ。
「……せめて【天与】を使いこなしてみせないか」
まだ幼い私は、あまりにも自由な時間が無さ過ぎて、剣術をまた習いたいとせがんだの。
そうしたらブルームお父様に呆れたようにそう言われたわ。
知らないわよ。あの不思議な力が使えたのだって、あれっきりだったし。
どうすれば良いかなんて分からないもの。
「【天与】なんて、その場に居た者達の見間違いで、単にクリスティナがまた暴れただけじゃないのか?」
「お兄様」
リカルドお兄様が私を見下したようにそう言ってのけた。
リカルドお兄様の後ろには私から隠れるように妹のミリシャが居るわ。
……正直、私って家族との仲は良くないのよね。
お父様もお母様も私の我が儘は滅多に聞いてくれないのに、妹のミリシャの我が儘はよく聞いて甘いし!
私の方が姉だからと言って叱るけど、あんまり納得は出来ていないわ。
だって、それだったらお兄様も色々と我慢するべきなのに、お父様達ったらお兄様にも甘いんだもの。
まぁ、両親が私に厳しいのは、その納得のいかなさの分を家で暴れたりしてきたからなんだけど!
……もちろん、それが理由よね?
「木を殴り倒す【天与】ねぇ。猿姫様にはお似合いかもしれないけど。だからって、それが王子殿下の婚約者として相応しいと言えるのかしら?」
母に連れられ、社交の場に顔を出すと決まってそんな陰口が私の耳に入ってきた。
だから婚約者なんて知らないし。
そういうのは好きな相手と結ばれたら良いのに。だって結婚ってそういうものじゃない?
「……フン!」
私は腕を組んで陰口を聞こえよがしに叩いていた連中を睨み付けてやったわ。
その後でやっぱりお父様達に叱られたけどね!
なんでも私が睨んだだけで恐喝だとか何だとか。
知った事じゃないわね!
「お嬢。今日もお疲れ様です」
「……リン。来ていたの」
部屋に1人で居た時に声だけが聞こえた。この声の主の名前はリンディス。
リンは愛称よ。
私を護衛する従者なのだけど、まともに姿を見せた事がないの。
彼は姿を晦ます『魔術』を使える一族だと聞いたわ。
そんな事が出来るのって本当にごく一部の人間だけなんですって。
だったらリンディスも私と同じように【天与】を授かった【天子】なのかしら?
「まったく嫌になるわ。毎日が勉強の日々! ねぇ、こんな事は私に必要なのかしら?」
「……まぁ。勉学はどのような将来に進むにしろ役に立つと思いますよ、お嬢」
「えー……」
リンディスなら私の言うこと肯定してくれると思ったのに。
私は剣を習ってる時の方が楽しいのに。
「勉強などしたくとも出来ない民も居ますし。それを考えればお嬢はまだ恵まれてる方かもしれません」
「それは……分かるけど」
「勿論、苦労は人それぞれですけどね」
なんだか堅苦しいのよね。家を出る時は常に社交の場に限られているし。
同年代の女の子は、みーんなお淑やかで一緒に居たら私までおかしくなりそう。
男の子に至っては、あの大木をへし折った噂が広まってるせいで近付いてすら来ないわ。
……何だか寂しいし、つまらない事が多いわね。
だからリンディスが話し相手になってくれるのは、とっても助かるわ。
そして、そんな日々を過ごしていたある日。
とうとう私はレヴァン王子に会う事になったの。
お父様に連れられて王城へ赴き、王子殿下の前に立つ私。
……この日を迎える為に叩き込まれてきた礼節や立ち振る舞い、それに勉強、勉強……。
私は侯爵家の娘として『外に出しても恥ずかしくない』と言われるまでのモノを身に付けてやったの。
リンディスにも沢山褒められたわ!
お父様もお母様もお兄様も、家庭教師すら私を褒めてくれないから『声だけリンディス』に無理矢理に褒めさせたの。フフン!
「君が【天子】のクリスティナか」
そう言われると天使様みたいに聞こえて恥ずかしいわね。
「はい。王子殿下。マリウス侯爵家の長女、クリスティナ・マリウス・リュミエットでございます。こうしてレヴァン王子にお目にかかれたこと、とても嬉しく思います」
私はスカートを少し摘み、優雅な礼をして見せた。
どう? これが私の『外行き』の姿よ。
ここまで仕上げるのに苦労したんだから。
……本当の本当に苦労したんだからね!
「……美しい髪の色だね」
「えっ」
レヴァン王子は私に近付くと、さらりと私の髪を梳いた。
見る者を虜にするような仕草、ってヤツね。
「情熱的な君に相応しい髪と瞳の色だと思うよ」
「ありがとうございます、殿下」
髪の色を褒められるのは久しぶりね。
何せ私の陰口ったら『赤毛の猿姫』なものだから。
ふーん。私を褒めてくれるのね。
じゃあ、レヴァン王子って良い人じゃないの!
「あれ……」
「どうしたの?」
でもこの人。どこかで見た事があるわよ。おかしいわね。
私と彼は今日が初対面の筈よ? どこで見たのかしら。
ここ数年は本当に勉強ばかりで外に出れた事なんて稀だし。
社交の場にいらっしゃったのかしら?
でも王子殿下が来たのだったら、もっと騒ぎになってそうよね。
少なくとも私は王子殿下が来たなんて聞いた事はない。
見覚えがあると言っても何か違う気がするわね。
なんていうかレヴァン王子は私の記憶よりも幼いの。ん? んん?
「あっ!」
「うん?」
「思い出しました。私、貴方を見た記憶があります、殿下」
「え? でも今日が僕達の初めてだよね?」
「はい。殿下とこうして会うのは初めてです。ですが、あの日。私が【天与】を授かった日に貴方の姿が見えたのです。それは1人の女性の手を取る、もっと成長した貴方の姿でした」
「えっ、そうなのかい? まさか、それこそが君の【天与】? 話に聞いていたのとは随分と違う……」
私達を見守っていた周囲の人々が、またざわつき始めたわ。
「『怪力』の【天与】ではなく『予言』の【天与】?」
「お、おお?」
そんなに大した事を話したつもりじゃないんだけど。
ていうか予言とは違うんじゃないかしら。
だって、あの時見えた光景ではレヴァン王子は私じゃない別の女の手を取っていたもの。
「す、素晴らしいよ。クリスティナ。君は本当に【天与】を授かっていたんだね」
そこを疑っていたの? まぁ使えたのは一度きりだったものね!
「それに成長した僕か。どうかな? 僕は健康に育っていたかい?」
「ええ。王子殿下。とても見目麗しく成長なさっておいででした。見た目からして……もう少し年上でしたね。今より3歳ほどは成長していらっしゃったのではないかと」
そこで『おお』という歓声が上がった。
その日までレヴァン王子が健康で居られるという予言……みたいに取られたのかしら?
「そうか。3年後か。その時には君もきっと綺麗に育っているんだろうね。
その赤い髪も瞳も、顔立ちも。きっと君は美人に育つよ」
「まぁ、殿下。とても嬉しいです」
中々に見る目があるじゃないの、レヴァン王子。
そうよ。猿姫なんて言われていても私、けっこう綺麗なんだから! フフン!
美辞麗句を並べ立てられて私は満更でもない気分だったわ。
とにかく私とレヴァン王子の婚約関係はこんな風に滞りなく進んだの。
「リン。婚約っていうのも中々悪くないかもね!
私、リン以外に褒められたのなんて久しぶりよ! ……初めてかもしれないわ!」
「……お嬢。褒められて、その気になるとか単純ですね」
「何よ!」
いいじゃないの。
やっぱり褒められるのって大事だと思うわ。
なんだか気持ちがほっこりしたもの。
「いえいえ。自分はお嬢が幸せな結婚が出来そうなら、それだけで満足ですよ」
「……年寄りくさい事を言うわね!」
「お嬢。口調が素に戻ってますよ?」
「…………ええ。気にしないで、リンディス。とても嬉しい事があっただけなのよ、私の従者」
「そう。その調子です」
「むー……」
「ほらまた」
リンディスって一体何歳なのかしら?
私の事を小さい頃から見守ってきたリンディスは、そのせいか少し馴れ馴れしい。
悪い気はしないけどね。
他の侍女や家庭教師なんて、私に対して余所余所しいったら、腫れ物を触るようったら。
中には露骨に嫌ってる者までいる始末よ。
下手したら私に殴り殺されると思ってるのよね。
そんなこと、いくら私でも滅多にはしないと思うわ!
お父様やお母様に至っては常に私がお淑やかにしているか、人に迷惑を掛けないかの心配ばっかりだし。
私自身の心配をしてくれないのよね。
2人にとっては可愛い妹のミリシャが居るから問題ないのかしら?
私も甘やかしてくれて良いのに。
私はどうせ王子殿下に嫁ぐし、仲良くしても仕方ないと思われてるとか?
ううん。それだと変かしらね。
それからレヴァン王子とは何度かお会いして交友を深めていったの。
でもやっぱりいくら勉強していても【天与】の兆候はなかったわ。
何か発動の条件があったりするのかしら。
成長して学も付いてきた私は、いくら何でも事態を多少は理解できる情緒が育ってきたから【天与】について調べ始めたわ。
そうは言っても私には日々の勉強や作法の躾があるからリンディスが調べるんだけど。
「こうやって拳を握り締めたら使えるんじゃないかしら」
「お嬢、あのですね……。いえまぁ、確かに戦闘に使える【天与】な気はしますけどね。うーん。でも『予言』の兆候もあったとか。何か自分達はお嬢の【天与】について根本的な勘違いをしているのでは……。王妃候補……このままで良いのでしょうか」
良くはないわよ。たぶんね。いくら私でもそれぐらいは分かってきたわ。
「こんな事ならミリシャに【天与】が授けられたら良かったのにね!」
「……お嬢。それは他の誰にも聞かれてはいけませんよ」
「……分かってるわ!」
私の妹。
ミリシャ・マリウス・リュミエット。
甘えん坊で両親にはよく可愛がられている。
私に厳しいリカルドお兄様だってミリシャには甘々だ。
そんなミリシャに【天与】が授けられていれば……って言葉をなぜ聞かれてはいけないのか。
それはミリシャがレヴァン王子の事を好きだからだ。
お父様やお母様に泣きついているのを見た事がある。
『どうして私じゃダメなの!?』と。
王子殿下との婚約は私が【天与】を授かる前から話があったらしい。
私の家であるマリウス侯爵家の家族構成は5人。
当主のブルームお父様。
その妻であるヒルディナお母様。
長男のリカルドお兄様。
長女の私ことクリスティナ。
そして妹のミリシャよ。
マリウス家は順当に行けばリカルドお兄様が継ぐ事になる。
そして妹の私達2人は政略結婚をする予定だったの。
だからレヴァン王子とは娘のどちらかと婚約を、という話が王家とマリウス家との間で話されていた。
この時点では、私とミリシャのどっちが王子の相手でも良かったのよ。
だけど、その選定の矢先に私が【天与】を授かった為に王子殿下の婚約相手は私に決まったわ。
それでも何度も話し合いが行われていたらしいわね。
今思えば幼い私に剣術のお許しをしてくださったのは、政略結婚の目がほぼなかったからなのかも。
つまり本来はミリシャがレヴァン王子の婚約者になる予定だったのよ。
何せ私は、教育が厳しくなる前から『赤毛の猿姫』呼ばわりされるぐらいお転婆だったしね。
「ミリシャは、まだレヴァン殿下の事をお慕いしているの?」
「そのようです。どうも、その」
「何?」
「ミリシャ様は、殿下にも日頃からアピールをしているご様子で」
ミリシャがレヴァン殿下にアピール? 私は首を傾げたわ。
それで婚約の相手が変わるのかしら。
元々、私達の婚約は家同士が決めた事なのだし、説得するならお父様や国王様じゃない?
「ふぅん」
「お嬢?」
あれ。でもね。私が見た未来? に居たのはミリシャじゃなかったわね。
そして私でもないわ。ピンク髪のあの子よ。
なんて事かしら。レヴァン殿下はおモテになるのね。
私の髪を褒めてくれる良い人なのだけど、そういうのはどうかと思うわ!
「あのピンク色の髪と瞳をした女の子は、どこの誰なのかしら?」
「はい?」
今更、私はあの子の事が気になった。
あの場に居たのだから貴族の誰かだとは思うのだけど。
もしも私の【天与】が本当に予言の力だというなら、あの子の事は知っておいた方がいいんじゃない?
「……でも、それより前に私は自分の【天与】を引き出さないといけないわね」
でなければ、それこそミリシャは納得なんて出来ないでしょう。
そうなるとあの子ってうるさいのよね。
「でも出来ないのよね!」
両拳を握りしめてシュッシュッ! と交互に打ってみるけど何にも光らないわ。
あの時の男の子を思い浮かべながら殴るつもりでやってもダメ。
「まったく。何が足りないのかしら! 王妃作法で振る舞ってみてもダメなら、やっぱりこうして殴る蹴るを学んだ方が良いんじゃない!?」
「……【天与】ってそんなにバイオレンスな授かりモノでしたかねぇ。
いや、そういうのもあるとは思うんですがね」
声だけのリンディスが呆れていると分かるように口を挟んだわ。
更にそれから月日が経ってからの話。ある噂が広まったの。
15歳で王立貴族学園に入学して、私が2年生に上がった頃だった。
「えっ。聖女様?」
「はい。何でも王宮の泉に突如として天から舞い降りたのだとか」
「へぇ!」
天から? 何それ。凄いわね! 私も見てみたかったわ!
「そして、その方には何やら予言の力があるらしいのです」
「……予言?」
私も『予言』の【天子】扱いされてるのよね。
『怪力』の【天子】よりは大分イメージが良くなったと思うわ。
「……お嬢。何があっても自分はお嬢の味方ですからね」
「うん? 分かってるわよ、リン!」
「ですから、その口調をですね、お嬢」
リンディスは小さな頃から私の話し相手にもなってくれたしね!
あとは普通に姿ぐらい見せたら良いと思うわ。
彼の声からして男性って事ぐらいしか分からないもの。
それからも何度も『予言の聖女』様の噂は耳にした。
リンディスから聞いてきた話だったり、お会いしたレヴァン王子からの話だったり。
ある領地で起きた嵐の予言を的確に当てた事が大きくて、その影響でかなりの被害が抑えられたそうよ。
とても凄いわね! 私の【天与】もそれぐらい出来るのかしら?
予言の聖女様は、黒い髪で黒い瞳をした綺麗な女の人らしいわ。
年齢は、ちょうど私と同じくらいなんだって。
学園では、まだ会ってないわね。
同じ世代なら聖女様も学園に顔を見せたりしないのかしら?
ぜひ、お近付きになりたいわ。
私の学園生活の始まりは、マリウス家での生活とあんまり変わらなかった。
女子は近寄ってくるけど、みんな上辺だけ。
私が次期王妃候補だからって媚びを売ってくる。
成長した私は、それに表向き付き合うぐらいの教養は身に付けていたけど。
「ふふ。ごきげんよう」
……なんてね。でも猫を被るのは、学園での木剣を使った授業でおしまいだったわ。
「そ、そこまでです!」
「……フン!」
この日のためにじゃないけど、勉強の合間にお部屋で身体を鍛えてきた甲斐があったわ。
やれ、プロポーションの維持だとか、王子殿下に見合う美貌についてだとかで、運動の機会だけはあったのよね!
「ぐっ……、さ、猿姫」
「は?」
「ひっ!」
木剣の授業で生意気だった男子生徒を打ちのめしてやったの。
オマケに何か呟いたから睨み付けといたわ。
なんでもお家によっては自衛の為に女だって武を習うって言うじゃない。
私だって本当はもっと習いたかったけど、学園でならこうして思う存分に剣を振れるのね!
私、学園に入れて良かった!
「あっ」
「……あっ、あはは。さすがクリスティナ様ですわ。とってもお強いですわね!」
「え、ええ!」
と、まぁ。こうして。
割と学園生活の最初期頃にやらかした私は結局、女の子グループからも遠ざかる事になったのよね。
もっと流麗で綺麗に勝てば良かったんだろうけど、ちょっと力が入り過ぎたみたい。
「まぁ、家で過ごすよりも自由よね!」
マリウス家での私の立場はミリシャが大きくなる程に悪くなっていったの。
……流石に私も気付いたんだけど、私って、お父様やお母様には愛されていないみたい。
それからリカルドお兄様にも。
特別に何かしてしまった覚えはなかったんだけど、今までの積み重ねかしら?
でも王妃教育で厳しくされてきたから、長いこと大人しくしていたんだけどな。
リカルドお兄様とミリシャへの接し方に対して、両親は何処か私に他人行儀だし、必要以上に私にだけは厳しいのよね。
……変な目で見てしまえば憎まれてすらいるように感じるの。
流石に気のせいだと思いたいわ。だって家族だもの。
そんな家の事情で、学校の事情だったからレヴァン王子と話す時は私なりに彼に心を開いていたわ。
彼と作る事になる家庭では、もっと子供が皆にちゃんと愛される関係を作っていきたいと思った。
私が、そうして心を開ける相手は『声だけリンディス』とレヴァン王子、そして唯一の女友達よ。
「んー。クリスは、あんまり王妃には似合わないと思うな」
「フィオナもやっぱりそう思う?」
「本当のクリスを知ったらね。ふふ」
私でも学園で友人と呼べる人は出来たの。
ちなみに『クリス』っていうのは私の事ね。
クリスティナだから愛称でクリスよ。
そして友人の名前はフィオナ・エーヴェル。
青い髪の毛と青い瞳が特徴の、辺境伯のエーヴェル家の御令嬢よ。
エーヴェル家が統治している西の国境付近では、南西にある王国との紛争がよく起こるの。
それで娘のフィオナだけはこうして内地に避難させつつ、学園で勉強させているらしいわ。
でも、そんなフィオナも国境での紛争が落ち着いた事で領地へ帰る予定。
そうすると私は学園では一人ぼっちになる時間が増える。とても寂しいわ。
「でもクリスなら立派な王妃様にだってなれるわ。私、応援してるからね」
「ありがとう、フィオナ」
学園で出来た数少ない友人と別れる。
これが私が大人になるまでのお話よ。
そして……17歳になった、ある日。
私はレヴァン王子に王宮へと招かれたわ。
今日は兼ねてより聞いていた求婚の日なの。
私達は婚約関係だったけど、改めて求婚され、そして結婚する事になるわ。
今日はプロポーズ兼、私と彼の関係のお披露目会みたいなものね。
「ごきげんよう、レヴァン殿下。本日は、お招きいただきありがとうございます」
『外行き』の言葉使いに磨き上げた礼節。
内心では息が詰まりそうなそれを私はこの先も一生し続ける事になる。
……王妃になってもリンディスは私の愚痴を聞きに部屋に来てくれるかしら?
辺境伯の娘であるフィオナには会えるかしら?
せめて、そのどちらも叶うと良いのだけど。
他の色々な事や自由は諦めなければいけない運命みたいだから。
「うん……。クリスティナ」
「殿下?」
ここは王宮の中、王子殿下に与えられた広間だ。
今日は、2人きりの逢瀬ではなく、幾人もの従者や貴族がその場に居合わせていた。
だから私も『外行き』の顔をしている。
求婚の場ではあるものの、証人となる者達も居た方が良いからこの形になっているの。
「ん?」
「あっ……」
レヴァン殿下の背後には2人の女性が控えていて、顔を上げた私は、そちらに目を奪われたわ。
1人はピンク色の髪と瞳をした女の子。
……あの時の子だ。そして私が『予言』で見た子。
そして、もう1人は……黒い髪に黒い瞳をした不思議な魅力をした女の子よ。
2人とも私と同じぐらいの年齢ね。
どちらとも気になるんだけど、ひとまず私は興味深い方に気を向けたわ。
「殿下。そちらの女性。もしや噂に聞く『予言の聖女』様では?」
「あ、ああ。知っているよね、うん。そうだ。クリスティナ。彼女が『予言の聖女』アマネ・キミツカだ」
アマネ・キミツカ。
ふぅん。そんな名前なのね。
なんだかとっても不思議な響きよ。
「ご、ご紹介に与りました。はじめましてクリスティナ様。私が君柄アマネです」
「はい。あら? キミツカがお名前ですか?」
「あ、ああ。いえ。アマネ・君柄です。アマネが名前ですね」
私は首を傾げる。なんだか彼女は不思議な雰囲気ね。
流石は、予言の聖女なのかしら。
「……アマネ。それで、どうなんだい? 本当に彼女なのかい?」
ん? 何の話かしら。
「……残念ながら。全ての特徴が一致してます。名前も、髪の色や瞳の色も、です。当然かもですけど」
「……そうか。ルーナの【天与】を言い当てたのだから、やはりクリスティナの事だって間違うはずがないんだな……」
んん?? だから、どういうこと?
「あの。殿下。一体、何の話でしょうか?」
話がまったく見えないわ。
それにルーナの【天与】って言った?
ルーナって、もしかして後ろの女の子の事かしら。
「どこから話そうか。クリスティナ。僕は……その。
僕は、君との婚約関係を破棄しなければならない……かもしれない」
レヴァン殿下が自らそう私に向かって言い切ったわ。
「…………はい?」
どうも穏やかな話じゃないわね!
読んでいただきありがとうございます。
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