6話 旧街道への入り口
トムは髪を靡かせて馬の悪魔の背に跨った。
「私は上」
『じゃあ俺は下をやる』
トムと悪魔そう言うと、トムは鞭に、悪魔は額の前に魔力を集中させた始めた。
トムの鞭は魔力を通して長い刀のようにまっすぐ天に向かって伸び、その先端付近の空中に魔力を凝縮した光の球を作った。
馬の悪魔も頭上のツノとツノの間の空間に同じ球を作っている。
球は赤やオレンジに輝く魔力を纏いながら輝きを増していく。
「なんという」
馬車の中から様子を見ていた短髪の男は神の奇跡を目撃したかのように感嘆の声を上げた。
精霊渦を見ることができるダークエルフのリーシャでなくても、その球の威力、内包しているエネルギーが尋常ではないほど強大であることがわかる。
本来目にはほとんど見えないはずの魔力をはっきりと可視化できるくらい高濃度に圧縮して糸のように伸ばし、さらにそれに魔力を循環させながら毛糸玉のように丸めて膨らませていた。
2つの光輝く球は、エネルギーを解放しようとしながらもそれを別の魔力で抑えつけられ苦しむように震えながら大きくなっていく。
森の魔樹は逃げようとするかのように、幹をのけぞらせていた。
「これくらいでいいかな。準備はいい?」
トムが聞いた。
『とっくに』
「じゃあ、一緒に」
トムは硬くなっている鞭を背後に振りかぶり、馬の悪魔は両前足を持ち上げた。
「せーのっ」
馬の悪魔は前足を力強く踏み下ろし、トムはそれに合わせて鞭を振り下ろした。
カンッ!
2つの球が放たれた瞬間は、硬いものが何かにぶつかるような音が響いた。
それは、それぞれの球を抑え付けていた魔力を解放する音だった。
そして、衝撃波とともに森に爆音が響く。
馬の悪魔が下方で放った球によって重なり合って生えている魔樹が幹ごと吹き飛ばされ、トムが上方で放った球によって絡み合っている枝葉の部分が吹き飛んでいく。
二つの球が魔樹の森の入り口をこじ開ける。
その衝撃波は彼らの左右の後方にも及び、十数メートル後方の村の石垣のいくつかを破壊した。
彼らの真後ろにある幌馬車には衝撃波は直接来なかったものの、強風が襲う。
「ぐあぁ」
「くっ! なんて威力だ」
「こんな無茶苦茶な・・・」
幌の中にいる冒険者たちは砂の混ざった突風に襲われて腕で顔を庇いながら馬車の床に張り付いた。
馬は馬車の後でなんとか風に耐えていたが、ダークエルフの老兵たちの何人かは吹き飛ばされ、着地した地面に剣や槍を立てしがみついていた。
「うーん、なかなか良くできたな」
トムはそういうと馬の悪魔から飛び降りた。
そして、風も止んだ。
『じゃあな』
馬の悪魔はそう言うと、空気が抜けたように急激に萎んで小さくなり、元の2頭の愛らしい馬のような生物に戻った。
トムもみるみるうちに髪は短く、背は低くなり、元のどこにでもいるような少年の姿に戻っていた。
そして、砂煙が消え、森が姿を現す。
「なっ」
顔を上げた冒険者たちはその光景に息を呑んだ。
壁のように聳え立っていた何十本もの魔樹の茂みに穴が空き、その背後にあった森の奥へと続く旧街道が姿を表した。
穴は上空にもあき、街道の上に伸びてきていた枝葉も吹き飛んでいた。
「無茶苦茶な...」
冒険者たちは呆然としていた。
ダークエルフの老兵たちは青ざめて顎をガタガタと震わせていた。
・・・・・・・・・・・・・
「さて、お待たせしました。先に進みますよ」
トムは飄々とした様子で馬車の元へ帰ってくると、シマジオーとムラリンを馬車に繋ぎ始めた。
シマジオーとムラリンも、何を考えているのかわからない小さな丸い瞳で大人しく従っていた。
「おい、どういうことだっ」
リーシャはトムの襟首を両手で掴んで持ち上げた。
「ちょっと、やめなって」
「いかんいかん」
「だめだって」
ミリアとエスポ、短髪の男がリーシャを止めて、トムから引き離そうとするが、リーシャはトムを離さない。
「あの力はなんだ? 悪魔ではないと言ったが、ヒト種でもないな? お前は一体何者なんだっ」
「僕は、僕ですよ。すみません、後でちゃんと説明しますから。今は早く森に入りましょう。手前に生えていた魔樹はバンビーロは再生が早いんです。今行かないと、馬車が通れなくなってしまうので。話は、街道に乗ってからゆっくりしましょう」
「お前は何者だと聞いているのだっ」
リーシャは襟を持つ手に力を込めた。
「だから、僕は」
トムが言いかけた時、リーシャの肩に手を置いてミリアがトムに言った。
「私たちは、あなたを信じていいの?」
心配そうにミリアはトムを見つめる。
ダークエルフの老兵たちもやってきて、馬車の横からトムに槍や刀を突きつけて言った。
「そうじゃ、姫様を魔の森へ連れ去って食べるつもりではないのか!」
「いえ、僕はそんな。お客さまに害をなそうなどとは全く思っていません」
トムはリーシャに持ち上げられた状態だったが、少し困った表情をしつつも平然と頭をかきながらこたえる。
「でも、信じていただけないのであれば、ここで街に引き返すということもできますよ。成功報酬をいただけないのが残念ですが、そもそも危険な魔の森にお連れするのは、僕は反対だったので、帰ることにしていただいた方がありがたいです。そうです、やっぱり帰りましょう」
トムはそう言って目を輝かせてリーシャを見つめた。
リーシャはその目をじっと見つめる。
「・・・だめだ」
リーシャが間を置いて言った。
その言葉を聞いて「姫様ぁ」「なりませぬ」と老兵たちは嘆息しつつ叫ぶが、リーシャはトムの目をじっと見つめたまま続けた。
「この機を逃せば、この者を連れていかなければ、2度と魔の森には入れないだろう。それに、お前たちにも見えていないだろうが、私にもこの者の運命が見えない。全く、何も見えないのだ。...だが、"悪意"の相も見えないのだ。たとえ、先ほどのあの姿になっていた時であっても、邪悪な存在であるようには、私は見えなかった。それに、今、何と無く気づいたのだが、私の運命はこいつを通してあの森の穴に続いているようだ。それはぼんやりと見えるのだ」
「ふぬぬっ」
老兵たちは押し黙った。
リーシャの鑑定眼はダークエルフ、エルフ族の中でも一二を争うほど強力で磨き上げられており、その者の特性だけでなく運命すらある程度見通すことができた。
老兵たちはそれを知っていたので、それ以上反論できなかった。
「では、我々も連れて行ってくだされ」
「ついてきてもお守りできませんよ。鞭の長さが足りませんから。すぐに死んでしまわれるでしょう」
「ならば、馬車に乗せてくれ」
「申し訳ありませんが、だめです。重量オーバーです」
「そんなはずがなかろう。この馬車ならば、あと1人や2人くらい載せれるじゃろ」
「それがですね、あちらのお客様が非常に重いようで。」
トムは荷台の奥に座っているメガネの青年を指差して言った。
青年はメガネをくいっと上げただけで黙っている。
「アレか」老兵はため息をついた。「確かにアレは重いの」「仕方ない」
老兵たちはそのメガネの青年の正体を知っているようで、意外にも素直に諦めた。
リーシャが言う。
「お前たちは国に帰って通常の任務につけ。それが嫌なら森の魔力の及ばぬところで我らの帰還を待て。良いな」
「ご無事でお帰りになられることを祈ります」
「ご武運を」
老兵たちは頭を下げて地面に片膝をついた。
「心配するな、私にはミリア、エスポ、キミ、キョウ、そしてこの御者のトムがついている。必ずや、カンテラの魔石を手に入れて帰ってこよう」
リーシャの言葉に老兵たちは「はっ」と頭を下げた。
トムはリーシャを見上げて笑顔を見せて言った。
「さぁ、では、降ろしてくださいますか。仕方ありません、これから魔の森の中にお連れしますよ」