5話 その馬は魔獣。そしてトムは。
ダークエルフの多くは世界各地に散らばって生活していたが、全てのダークエルフを統括する"王国"と呼ばれる隠れ里があった。
その姫であり次期王位継承者でもあるリーシャは、幼少の頃から文武人格全てにおいて歴代の王を凌ぐと言われてきた。
民の意見をよく聞き、積極的に公にはかり、多くの改革を行う実行力もあった。
全てのダークエルフの期待を背負い、そしてそれに応えるだけの器があったリーシャだったが、90歳を過ぎた頃に、彼女でもどうしようもない災害に見舞われた。
ダークエルフの言葉で、ギスベタンメーラと呼ばれる病が流行し始めたのだ。
その病になると、体が膨張し、関節に痛みが出て歩けなくなり、寝たきりになる。そして、体の端から腐っていくのだ。
この原因不明の病の対処にリーシャは駆け回ったが、有効な治療法は見つからず、伝染病なのか何かもわからないまま、王国の内外を問わず、ダークエルフたちでその病が原因で命を落とすものがどんどん増えていった。
この国の、種族の緊急事態に際して、リーシャたちはあらゆる文献を読み漁り、そして200年前のヒト種が遺したとある記録に辿り着いたのだった。
それによると、ヒト種のある国には、あらゆる病を治す「カンデラの魔石」と呼ばれる治癒魔法を秘めた石が伝わっているとらしい。
そして、その魔石は、魔の森を切り開くために森に進軍した時に持ち出されたが、森の深部に到達した時に失われてしまったと記録されていた。
カンデラの魔石の存在とその効果は、連合として加わった複数の国の戦士たちも目撃して記録に残しており、それらが史実である可能性が高いこともわかった。
リーシャはそのカンデラの魔石に種族の存亡をかけることにした。
彼女が知る限りの強者たちを集め、侍従たちの反対を押し切って、自らも共に魔の森に魔石を採りにいくことに決めたのだった。
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「憎き魔の森め!」
ダークエルフの老兵たちは猛々しく槍を振り翳し、馬に鞭打ちチャリオットを森に向かって爆進させていた。
彼らは、自国の姫を守るという大義名分があったが、同時に、彼らの子や孫を魔の森のトンネル事故で亡くしたやるせない怒りと恨みを抱えていた。
「ここで死ぬも一興。最期に一矢報いてやろうぞ」
「姫様、見ていてくだされ!」
「そいやぁ!!」
老兵たちは口々に叫んで魔樹が聳える森に突っ込んでいく。
その少し後を、小走りで先ほどよりは速く走りはじめた謎の馬のような愛らしい生物が牽く幌馬車がついて行く。
リーシャは老兵たちに止まるように声をかけたが、彼らは全く聞かない。
「ここじゃ! 昔はここに街道の入り口があった」
まだ森が魔の森になる前の時代を知っている老兵がチャリオットを止めて言った。
その場所には小さな道標の石が左右に置かれていたが、白い竹のような魔樹の巨木が隙間なく立ちはだかり、その向こうに街道があるのかどうかは見えない。
そして、その一歩先からは魔力が霧のように目で見えるほど空気中に漂っていた。
魔樹、魔獣、悪魔しか生存を許されない森が手で触れられるほどの目の前にり、老兵たちも一瞬たじろいだ。
「ひかぬ! ひかぬぞ!」
「我らの恨み! ここではらす」
「王国に光あれ!」
老兵たちは口々にそう叫ぶと、チャリオットから降りて各自が手に持った武具を”起動”した。
それは現在では貴重になった魔石が組み込まれた武器。
魔力を奪われ魔法が使えなくなった世界でも、魔石には人の意志で限定された魔法を起動する力があった。
魔石の多くは、過去の魔の森への進軍で多くは失われたが、そのカケラの寄せ集めであれば、老兵たちでもなんとか手に入れることができた。
槍は風を集め、刀は炎を帯び、長い斧は冷気を呼び寄せた。
『そいやっ』
老兵たちが目の前の魔樹に全力で切り付けた。
眩い閃光が魔樹の幹に走り、遅れて斬撃と魔法が炸裂する音が響いた。
何の魔法が作動したのかわからない程の巨大な爆発だった。
反動で何人かの老兵は後ろに転んで尻餅をついていた。
風が吹き抜き抜けると、そこには、根本を大きく抉られた白い魔樹が立っていた。
魔樹は「ギギギギ」と大きな音で軋みながらゆっくりと横に倒れ、隣の魔樹にもたれた。
その向こうにはまだ別の魔樹の幹が見えていたが、隙間から石畳の道がぼんやりと見えていた。
「おおおおおおおおおおっ」
老兵たちたちが歓喜の声を上げた。
「やったぞ! 道が見えた!」
老兵たちは手を取り合って喜びを分かち合った。
その時、「スパパパッパパ」と何かが連続して衝突する音が彼らの頭上と背後で響いた。
「ん? なんの音じゃ?」
見上げると、黒い影が彼らに迫ってきていた。
それは、魔樹の枝葉だった。
彼らが倒した魔樹もその周りの魔樹も、はるか上空へ触手のように枝を伸ばし、それを手のように曲げて遠巻きに老兵たち全員を飲み込もうとしていたのだった。
魔樹の葉は先が尖っており、葉の下には獲物をさして体液を啜るための口のようなものがついていた。
「ヒィッ!!」
老兵たちは叫び、後退ったが、魔樹の枝はすでに上から背後に回りこんでおり、壁になっていた。
彼らは知らぬ間に、魔樹の枝葉と魔の森の間に閉じ込められていたのだった。
馬はパニックになり右往左往しているが、逃げ場はない。
魔具は一度魔法を使うと次に魔法を使えるようになるまでラグがあり、目の前に迫る魔樹は普通の武器が通用するようには見えず、彼らは尻餅をついて固まった。
もう終わりだ、と思い、老兵たちはガタガタと震えながら、身を寄せ合った。
しかし、魔樹はなかなか近いてこない。
壁のようになっている枝葉は沈黙しているし、上空の枝も一向に降りてこない。
ただただ、「スパパパパっ」という葉を切るような音が響いていた。
そして老兵たちは目を凝らして気づいた。
頭上から迫り来る魔樹の枝葉を、何が黒いものが高速でぶつかって払い除けているのだ。
老兵たちを背後から襲おうと伸びていたと思われる枝葉の壁は、切断されており、魔樹とは繋がっていなかった。
誰かが老兵たちを魔樹から守っている。
「大丈夫ですか?」
そんな呑気な声が聞こえたかと思うと、老兵たちの目の前にあった枝葉の壁は木っ端微塵に弾け飛んだ。
そして、光を背に、一台の幌馬車が現れた。
間抜けな顔の生物が牽くオンボロ馬車が。
「ひ、姫様っ!」
老兵たちは立ち上がると馬車に駆け寄った。
「さすが姫様です」
「わしらを助けに来てくださったのですな」
すがりよる老兵たちにリーシャは目を向けず、マスクでくぐもった声で応えた。
「違う。私は何もしていない。あれを見ろ」
「あれ?とは?」
リーシャや彼女が集めた冒険者たち皆が目を丸くして前方を見ていた。
老兵も彼らの視線を追う。
そこには御者の少年、トムがいた。
まず老兵はトムが魔力を吸着するアダマンタイト合金のマスクをつけていないことに驚いた。
魔の森の外であるとはいえ、意識に障害が出るほど魔力の濃度は濃い場所であるにもかかわらず、彼は平然と息をしていた。
それだけではない。
手綱を握っていない方の手。
トムの右手が、手首から先が、消えていのだ。
「手、手がっ、消えて」
老兵は叫びそうになった。
よく目を凝らすと、手首は消えているのではなく、超高速で動いているのが見えた。
ぐにゃぐにゃとあらゆる方向に高速で回転するする右手首。
方向を変える一瞬だけ辛うじてその存在が見える。
その手に持つのは長い長い鞭。
彼は鞭を使って、四方八方から襲いかかってくる魔樹の枝葉を叩き、弾き、ちぎり、爆ぜ、微塵にしている。
老兵たちを守ったのはそのどこにでもいるような温厚そうな少年だった。
しかし、彼がしていることは、とても人間の、ただのヒト種のなせる技ではない。
それを、老兵と冒険者たちは呆気に取られて見ていることしかできない。
「おじいさんたち、みんな無事ですね。馬さんたちもこっちに来てください。おじいさんたちは危ないから馬車の後に隠れて」
トムがそう言うと、不思議なことに、やや狂乱状態だった馬たちがスッと落ち着いて、言葉を介しているかのようにゆっくりとチャリオットを牽いて幌馬車の後ろに回った。
これは、馬がトムの言葉を理解したのではなく、トムの言葉を理解できる謎の生物であるシマジオーとムラリンが馬に「命じた」ためだった。
「じゃあ、道を作りますので、皆さんはそこから動かないでくださいね」
そう言って、トムは片手で鞭を振り回したまま御者台から降りると、シマジオーとムラリンを馬車と繋いでいた軛から外した。
シマジオーとムラリンはつぶらな瞳で一度背後を振り返って冒険者たちを一瞥すると、魔の森へゆっくりと歩み始めた。その後ろをトムが枝を払いながらついていく。
「みなさん、何度も言いますが、何があっても動いちゃダメですよ。巻き込まれると危ないので」
トムが念押しして振り返った。
皆は黙って頷いた。
その時、シマジオーとムラリンは魔樹の森についた。
先ほど、老兵たちが抉り倒した魔樹は、脅威的な再生能力で、元通りの巨木になっている。
老兵たちはそれを見て肩を落とした。
しかし、魔樹の様子がおかしかった。
魔樹は、シマジオーとムラリンを避けるように、愛らしい彼らに怯えているようにグニっと幹をくねらせていた。
2頭の生物は寄り添うようにして、魔の森に頭を入れた。
そして、彼らは空気を吸い込む。
森がざわめく。
風が起き、魔力が集められ、その謎の生物に吸い込まれていった。
「な、なんじゃあれは・・・」
老兵は変化していくその2頭を見て目を見開いた。
シマジオーとムラリンは魔力を吸いながらどんどん大きくなっていく、そして互いの肩が、足がぶつかるが、その接着した部分が接合され融合していく。
2頭が膨らみ、融合し、巨大な1頭になっていく。
まるで、もともと1頭であったかのように。
「おいおいこれは、アレなんじゃないか」
短髪の男は冷や汗をかきながら呟く。
その生物は真っ白で、筋肉質な巨体だった。
馬のような体。
水牛のような角。
血のように赤い瞳。
周囲の空間を歪めて漂う、赤い魔力。
それは魔獣。そして、ただの魔獣ではない。
魔獣は世界の魔力がなくなってから数を減らしたものの、魔の森以外の地域でも見られる。
しかし、これほど魔力の大きい個体は、魔の森ができる前の世界を知る老兵ですら見たこともない。
リーシャも魔獣に関する文献の記録ですら見たことはなかった。
誰もが気づいていた。
それが魔獣を超える存在であると。
幌馬車の後にいる馬たちも恐ろしさのあまりmその場に震えながらへたり込んでいた。
馬車の中で、短髪の男が情けない声でつぶやいた。
「悪魔.....」
そう、それは魔獣を超える魔の存在。
広い定義では悪魔は人語を解する魔獣のことを言ったが、目の前のそれは狭義の悪魔。
魔界の上位存在だった。
『うるせぇ』
その悪魔は首を少し後ろに向けて言葉を発した。
低くしゃがれた声だが、どこか優しさを感じさせる声。
悪魔の囁き。
悪魔のくせに体は天使の羽のように白く輝いていた。
「しゃべった! 本当に、悪魔...なのか」
リーシャは目を見開いてそう言い、その横でミリアは怯えた顔でその生物を見つめていた。
ドワーフのエスポは「悪魔を見ると目が潰れる」と言って手で目を塞いでいた。
『ちっ』
その馬の悪魔は舌打ちをしたが、トムがその足をポンポンと叩いてなだめた。
「まぁまぁ、いいじゃない、どう呼ばれようと。」
『ふんっ、さっさと終わらせて、元の姿に戻るぞ』
「はいよ」
トムはそう言うと、鞭で打つのを止めて、御者のコートを脱いで腰に巻き、彼も森の魔力の中に顔を突っ込んだ。
マスクをしていないと普通の人間なら高濃度の魔力で魔力神経回路が焼き切れて気を失い、最終的には死に至るような場所で、彼は深呼吸をして魔力を吸い込んでいた。
ドクンっ、と森が驚いたように揺れる。
魔樹が根本から苦しむように振動し、共鳴し、ビリビリガリガリガタガタと騒々しい音が鳴り響く。
森の全体に緊張が走る。
森にる全ての生物が、トムの存在に気づいたかのようだった。
トムの体にも変化が起きていた。
髪が真っ黒になり、少しカールしながら背後に伸びる。
同時に、背は伸び、骨格も変化する。
急激に吸収される魔力によって空間が歪み、複雑な精霊渦によって発光したオレンジ色の魔力が体の周りを漂っている。
周辺の空間を赤とオレンジに染め、体から立ち上る魔力。
馬の悪魔よりも強力で高密度な魔の塊。
「うっぷ」
魔力の吸収を終えて、トムは森から顔を離して、口の周りを拭きながら振り返った。
彼は、いや、彼女は20歳前後の女性になっていた。
目つきは鋭く、瞳は野生の狼のようにギラギラと光っている。
「はぁっ?」
呆然と見ていた冒険者たちは、遅れてなんとか叫んだ。
「どうなっておる」
ドワーフと老兵たちが言う。
「いや、誰だよ」
リーリャが呟く。
「あれは、もしや」
ミリアが勘付く。
「・・・・・・・」
メガネの青年は黙ってメガネを光らせる。
「あく...」
短髪の男が言いかけたが、トムは遮った。
「悪魔じゃないですから」
そう言って頭をかく。
その声までも女性だった。
呑気で柔和な表情は消えて、無表情だが、その声に攻撃性は感じられなかった。
「さて、やろうか」
そう言って女性に変貌したトムは、軽く自分の身長ほど飛び上がって馬の悪魔の背中に乗った。