3話 呪いと出立
本によると、稀に『呪いを受けている』と呼ばれる状態の人がいるらしい。
その本人は気づいていないが、世の理から外れてしまった彼らは、古代エルフの言葉では「精霊の加護がない」状態で、現実に生じる問題としては、魔法が使えないと言うことだった。
呪いの発生する原因やなぜ魔法が使えないのかは全くの不明だが、唯一わかっているのはエルフだけが呪いを受けている人を見分けることができることだけだった。
しかし、エルフの数が減った現在、呪いを受けていることを指摘される人は極端に減り、また、この世全ての魔力が魔の森に集中した世界では、個人が自分の力で魔法を使うことはほぼ皆無になっていたので、呪いを受けていようが受けていまいがどうでもよかった。
トムも呪いというものについて聞いたことはあったが、自分がエルフたちから「呪いを受けている」と宣告されても、なんとも思わなかった。
「は、はぁ。呪い、ですか。僕が。で、それが何か関係があるのですか?」
トムは契約書を受け取りながら尋ねた。
「あぁ。すぐに死なれちゃ困るからな」
短髪の男は真剣な顔でそう言った。
「はい?」
トムはそう言いながら契約書にさっと目を通した。
"行き先:魔の森(深部)"
"カンテラの魔石の探求のため"
「は?」
その一文を見た瞬間、トムは固まった。
魔物が跋扈し、もはや誰も近づけなくなった魔の森。
しかも、ご丁寧に(深部)とまで書いてあった。
このご時世に、魔の森に分け入ろうとするのは愚の骨頂、頭がおかしいとしか言いようがなかった。
トムは隣の親方を見上げた。
親方は、「ん?どうした? 何か言いたいことでもあるのか? ないだろう? 」とでも言うようなふざけた笑みを浮かべていた。
「はは、ご冗談を...」トムはそう言いかけたが、客人たちの真剣な表情を見てため息をついた。「はぁ。本気、なんですね? なぜ僕なんです?」
ダークエルフが答えた。
「呪いを受けた人間は精霊の加護がない。そして、精霊の加護がないものを魔樹や魔物は襲わない。あまり、襲わない」
(あまり、っていい加減な)
トムは内心で悪態をついたが口には出さなかった。
「僕のことはどこで?」
「先月、ジェネビア王国の近くまで配達に来ただろう? その時に、たまたまお前を見たエルフが、お前のじゅ....お前が呪われていることに気づいてな。それが私の耳に入った」
ダークエルフは長い耳を指差して言った。
ダークエルフの多くはさまざまな国に分散して暮らしているが、どうやっているのか、種族内では非常に迅速な情報伝達が行われていた。
もしかすると、彼らの耳が何か関係しているのかもしれないとトムは思った。
「そ、そうでしたか」
トムは残念そうな表情を浮かべた。
そこに短髪の男が言った。
「それに、聞いたところによると、君は魔の森のすぐ近くに住んでいたそうじゃないか。そのせいで呪いを受けたのかもしれないけれど、魔の森について君だからこそ知ってることもあるんじゃないかい?」
「あーあー、そんなことまで知っているのですか」
トムは、親方が得意げな顔をしたのを横目に見て、このおっさんがしゃべったのだなと察した。
親方は600万ザラスの前金を手に入れるために、トムを払い出すことに決めたのだ。
「はぁ、一応、お聞きしますが、森の中に入るのに馬車で行く必要がありますか? 私のような足手まといは森の外に置いといて、歩いて入られた方が良いのではないですか?」
「旧街道はまだ生きている。なぜか魔樹は街道の上では育たず、魔物や悪魔ですら街道を破壊しない。俺たちはできるだけの装備が必要で、それを運ぶための荷馬車が必要だ。お前、わかっていて聞いたんだろ?」
短髪の男が言った。
エルフたちやドワーフの男もむすっとした顔でトムを見つめていた。
トムはため息をついた。
「やはり、ある程度、お調べになってきているのですね。わかりました。お供させていただきます。しかし、契約をする前にいくつかお願いがあるのですが」
それから、トムは客人たちに、乗車中はトムの指示に従うことと、もしも客人たちが死亡しても一切の賠償を負わないことを文面で確約させた。
また、親方には、無事に帰還した場合は現行の契約通りにトムに契約料を払うことを約束させた。大金に目が眩んで親方が契約を変たり、帰ってきた時に親方に金を使い込まれていたなどという事態を避けるためだった。もっとも、親方は契約を踏み倒そうと思えば、住み込みの家賃を上げるなどいくらでも踏み倒すことができる立場ではあったのだが。
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出発は5日後だった。
客人である冒険者たちはその間に高級馬車を乗り回して食糧などを調達し、都市中を賑やかしていた。
そのため、いざ約束の時間になると、デキャンタリ・オミュンの前には冒険者たちの出立を見ようと大勢の人たちが集まっていた。
「こっぱずかしいのぅ」
ドワーフは髭をかきながらそう言ったが、まんざらでもない顔をしていた。
「すっかり人気者になってしまったな」
「やれやれ」といった態度で、黄金の鎧を身につけた短髪の男がやってきた。どこでもらったのか花束を胸に抱えていた。
「調子に乗るな。人間のいうことなど無視しろ」
そう言いながら長髪のダークエルフの女性が人間たちを睨みながら現れた。その後ろを短髪のエルフの女性が周りに笑顔を撒き散らしながら歩いてきた。
「僕は、こういうの苦手だな。プレッシャーがかかる」
群衆の中からメガネの青年が現れた。黒いローブを着ているが、全く他の民衆たちとほとんど区別がつかず、彼が冒険者パーティの一員だとは気づいていない人たちも多かった。
そしてこの人だかりに便乗して、親方はデキャンタリ・オミュンを宣伝してまわっていた。
実は、市中に冒険者たちの存在や彼らの出発日が広まったのは、裏で親方が情報を流していたからだった。
トムはそんな喧騒を横目に、淡々と出立の準備を進めていた。
いつもと変わらず、御者のコートを着て魔界探索に必要な馬を2頭選び、馬車につないで通りに出た。
トムが馬車に乗って通りに現れると、群衆から笑い声が起きた。
「はははっ! なんだあれ! 」
「えー、何あれ、かわいい」
「あんなので魔界に行くのか」
冒険者たちも群衆が道を開けて現れたその馬車を、特にその馬を見て愕然とした。
「なんじゃそりゃ」
丸くて小さな愛らしい目、丸みを帯びた鼻先、薄い栗色の体、白いたてがみ、そして、小柄な、普通の馬の3分の1ほどの小柄な体。
それは、馬、というよりは限りなく愛らしいポニーのような謎の生物だった。
短髪の男が駆け寄った。
「おい、冗談だろ? この馬はないだろ」
「いいえ、この子たちで行きます。左の子はシマジオー、右の子はムラリン」
シマジオーとムラリンは人の言葉を理解しているのか、短髪の男に交互に頭を下げた。
「いやいや、こんなのに乗ってたら、街を出るまでに日が暮れるぜ」
「いいえ、そんなことはありません。確かに一般的な馬よりは遅いですが、重い荷物を引いても人が歩く速度よりは少し早いですから」
トムは笑顔でそう答えていたが、その頃ダークエルフは親方に詰め寄っていた。
「おい、なんだあれは? あれで本当に魔の森に連れて行くつもりか?」
「は、はい、もちろんでございます。ああ見えても、あの2頭はトムが連れてきた馬でございます。鈍馬ではございますが、気性は穏やかできれい好き、特にトムには従順で、歌に合わせて踊るなどの芸当もできるのですよ。あ、荷車につきまして、うちは荷物運送を主にしておりますので、木の屋根ではなく幌のものしかございませんので、それにつきましては....」
「そんなことはどうでも良い。本気であの生物に引かせて行けと言うのか!」
「は、はい」
親方はダークエルフに胸ぐらを掴まれても怯まずに肯定した。
親方からしてみれば、普段御者たちが使っている馬を残して、トムだけしか扱わない馬が厩舎からいなくなるのは最も得となる選択であった。
ダークエルフはその魂胆を見透かしていて、さらに怒りが込み上げて親方を軽々と片手で持ち上げようとした。
「待って、リーシャ、あの子たち、アレよ」
「何!?」
ダークエルフのリーシャは親方から手を離して振り返った。
親方の巨体が石畳で弾んだ。
リーシャはポニーをじっと見つめる。
「本当だ...こいつらも、「見えない」...呪われている」
エルフたちにジロジロと見つめられていたが、2頭の馬のような生き物は、どこを見つめているのかわからない瞳で間の抜けた様子で立っていた。
「わしも、こやつらの瞳には力を感じるのぅ。大きさにも親近感が湧くわ」
背が低いドワーフは、通常の馬に乗るのは苦労するが、この位であれば楽に背にまたがることができるだろう。
ローブを着ている青年だけは眉間に皺を寄せて、黙って、2頭を見つめていた。
「どうした?」
短髪の男が尋ねると青年は黙って首を横に振って、少し間を開けて答えた。
「僕も、これで良いと思います。彼らには、深淵なる、その、なんていうか、可能性があります。幸運、を授けてくれるでしょう」
「占いか? 魔法でわかるのか? それともこの生物を知っているのか?」
「いいえ、あ、いえ、あ、はい。いや...」
「どっちなんだよ」
「彼らのことは知りませんが、私の意見は、『彼らと行くのが良い』、ということです。今言えることはそれだけです。すみません」
青年は渋い顔をして口を濁した。
「ほう、そうかい。何か思うところがあるんだな? うーん、ま、俺は心配だが、皆がそう言うなら大丈夫なんだろう。よしじゃあこれで行こう。それでいいな?」
他のパーティメンバーたちは頷いた。
「頼むぞ、ポニーちゃんたち」
短髪の男がそう言うと、ポニーたちは返事をするように鼻から息を強く噴き出した。
その後、冒険者たちは荷物を積み込むと、可愛らしい生物に牽かれる馬車に乗って、市民たちに笑われながらゆっくりゆっくりと都市を出て行ったのだった。