1話 前史
記録によれば、西の彼方にある広大な森で魔物が大量に発生し、近隣の村々から多くの人々が討伐に向かった。
魔物は森から外には出ないが、森にあるさまざまな資源は多くの人々の生活の糧であり、本来森の奥にいる魔物が人里に近い森の中にまで現れるようになると、人々の生活を脅かした。
数年後、まだまだ魔物が頻繁に現れる中で、今度は悪魔が現れるようになった。
最初に現れた悪魔は言葉を話す魔物でしかなく、特殊な技能を持った魔法使いたちの手で葬ることができた。
しかし、徐々に力の強いものが現れるようになり、人間にも多くの犠牲が出て、しまいには、人々は森から撤退し、森は完全に魔の手に落ちた。
人々は近くの村に防衛戦線を張ったが、不思議なことに悪魔も魔物も、森の外へは出てこなかった。
ただただ、森は魔力に耐性のない動物が入ると死にいたるほど大量の魔力を集め、霧のように可視化された魔力は森の中へ光を通さなくなった。
その結果、森の木々は枯れ生き物は死に、魔力耐性のある魔樹が生い茂り、魔力によって変異した特殊な生物が跋扈する魔境へと変貌した。
さらに世界中の大気に分散していた魔素とも呼ばれる魔力は全て森に吸い寄せられてしまったため、その結果、魔法使いは魔法を使えなくなった。
魔力には、その魔力に指示を与えることができる所有権や権威のようなものがあり、森の魔力は何者かの支配下にあるらしく、ある程度高位の魔法使いが森に入っても、マッチに火をつけるくらいのわずかな魔法しか使えなかった。
人々は困った。
森から得られる資源が減ったことで周辺の村だけでなく、森に隣接していた国々で深刻な不況、飢餓が発生した。
森の向こうにある三田国へと続く最短の道が通れなくなり、森を迂回して山を越えなくてはいけなくなり、交易品も値上がりした。
魔力が使えなくなった魔法使いたちは職を失い、魔術は急速に廃れていった。
その状況を打破するべく、複数の王国が協力して森の解放のために何度か連合大隊を派遣したが、魔物を退治するどころか、早々に魔樹に阻まれて進軍できず、全て失敗に終わった。
元々、魔法に依存した戦闘や戦術ばかりが発展していたため、大気中の魔力を使えなくなると、それまでは簡単に討伐できていた魔獣にすら苦戦し、多くの犠牲が出た。
そこで人々は魔石という魔力を蓄えている鉱物から魔剣を作り出した。回数制限はあるが、決められた魔法攻撃を発動できる武器だ。
当時の技術では、「吹き飛ばす」という作用しかできなかったが、魔樹を切り開いて進軍する道を作ることには成功した。
しかし、森は深く、やがて、魔剣の魔力は尽き、魔石も無くなった。
皆、悲嘆に暮れた。
広大な魔の森はそこにあり、魔力も魔石もなくなった。
今までと同じような魔法に頼った生き方はできなくなった。
魔の森への一連の遠征が終わって数年した頃、タキというドワーフの王子がある提案をした。
「地下から森の向こうに抜けられるのではないか」
その頃には、物作りが得意なドワーフたちは魔力に頼らない掘削機械を製造し始めていたのだ。
ドワーフは疲弊している人間の国には協力を求めず、エルフの王国を誘って、森の地下へ長大なトンネルを掘削し始めた。
ドワーフたちは掘削道具を改良し、エルフたちは動物たちを使って石を運び出していった。
徐々に掘削スピードは加速し、およそ半年で森の中央付近の地下まで掘り進むことができた。
しかし、そこで巨大な硬い岩にぶつかった。
ドワーフも知らない鉱石でできた岩で、アダマンタイトのドリルでも傷をつけることができなかった。
彼らが仕方なく、その巨大な岩を迂回しようと掘り進めたとき、さらに運の悪いことに、森の悪魔たちがドワーフとエルフがトンネルを掘っていることに気づいてしまった。
悪魔は地上からトンネルに向けて強力な魔法を放った。
地表は吹き飛び、トンネルの上に大きな穴が開いた。
その穴から高濃度の魔力がトンネルに流れ込み、トンネル内で作業していたドワーフやエルフのほとんどが息絶えた。
それ以降、魔の森を越えようとする者はいなくなった。
そして、このトンネルの事故から200年経った現在、魔界の森の周辺の都市は大いに栄えていた。
元々、それほど大勢いたわけではないドワーフやエルフはトンネル計画の失敗で大幅に数を減らしていたが、一方で人間種と獣人などの亜人種はドワーフやエルフよりも子どもを産むサイクルが早いこともあり、人口を着実に増やし、繁栄した。
その急激な人口増加を支えたのは、魔の森の力による産業の発展だった。
そして、トムは、そんな魔界近くの都市で御者として働いていた。