第五話 楽しく、幸せで、そして
それはティナがダンスを教えてほしいと頼み込んできた次の日のことだった。いつもの校舎裏でアンジェはそわそわしていた。
「落ち着きなさい、アンジェ=トゥーリア。わたくしは瘴気の脅威より人々の安寧を守る聖女にして民衆の模範となるべき公爵家の令嬢です。いついかなる時でも冷静沈着であることが求められているのです!!」
両手(の触手)が激しくうねうね。その忙しない動きが全てだった。
表情こそ公爵令嬢にして未来の王妃だからと受けてきた教育を遺憾なく発揮することで取り繕えているが、それだけでは心の動きまでは誤魔化しきれていなかった。
……第一王子の婚約者、すなわち未来の王妃としての立場は危うくなっているにしても培ったものがなくなるわけではない。
『だから、ご自身のことを醜い異形だなんて言わねーでくださいよ。触手がなんですか、不吉な漆黒がなんだって言うんですか! 鱗があろうがそんなの関係ねーです!! 聖女様はお美しいです!! 大好きなんですよ!! それは一目見た「あの時」からちょっと姿が変わろうと絶対に変わらねーですから!!!!』
顔が、熱い。
表情を取り繕ったって熱は消えてなくならない。
『ティナ、さんっ、何を……!!』
『聖女様は! お美しいです!! そんな聖女様が私は大好きなんですよ!!!!』
『っ』
『その証拠に、ほら! こうして触れ合うだけで顔が赤くなっているですしね!!』
聖女だからアンジェは人々から尊敬の目を向けられてきた。
異形だからアンジェは人々から嫌悪の目を向けられている。
そういうものだからと受け入れてはいても、心のどこかでは引っかかるものがあったのだろう。
だから、突き刺さった。
異形の象徴たる触手の手を取って、美しいと、大好きだと言ってくれたから。
真っ直ぐに、アンジェという一人の少女のことを見てくれたから。
『私はお美しく、大好きな聖女様にこそダンスを教えて欲しいです。よろしいですか?』
『は、はい……』
今もなお気の迷いだと、どうせいつかは嫌悪と憎悪の目を向けてくるはずだと、そういうものだと予防線を張り、傷つかないようにしていたけど、それでも。
「おかしな人です。本当に」
心のどこかで、アンジェはティナのことを──
ーーー☆ーーー
「あ、あはは。聖女様、その、今日はいい天気ですねっ」
ぎこちなかった。
校舎裏に顔を出したティナはいつもの熱量はどこへやら、あらぬ方向に視線をやって明らかに空っぽな言葉を垂れ流していた。
「ティナさん」
「あ、はいっなんですか聖女様!?」
いつか、どこかでこの夢は醒める。
異形とは受け入れられないものなのだ。だって醜く、不快で、恐ろしいから。そういうものだと定められている以上、この優しい夢はいずれ必ず醒める……はずだ。
だけど、それでも、と。
今だけはこの優しい夢に浸っていたかった。
「ダンスの練習、しましょうか」
触手と化した手を伸ばす。
婚約者も実の家族も忌避する異形をアンジェのほうから差し出す日がくるとは考えたこともなかったが、不思議と流れるように身体は動いていた。
大丈夫。
『今の』ティナなら、まだ。
「うっうええ!? あのっその、まさか聖女様から切り出してくれるとは……。本当に、いいんですか?」
おそるおそると、であった。
どうにもティナらしくないが、彼女にも怯えがないわけではない。
やけにぎこちなく、彼女らしくもなかったのは昨日流れた話を切り出すタイミングをはかっていたからか。
そう、勢いで押し切れた昨日と違って、冷静になった今日は断れてしまうかもと怯えていたようだ。
……いつかこの心地よい関係が壊れてしまうのではと怯えているアンジェのように。
以下のことを表情や声音から読み取ったアンジェはティナも『同じ』なのだと安心感を抱いていた。ゆえに、アンジェから道を示すようにこう告げたのだ。
「昨日わたくしは『はい』と言ったはずですよ」
「ッ!? は、ははっ。そうでしたね。それじゃあ、その、よろしくです!!」
ティナのどこかごつごつした手がアンジェの触手を握る。その感触にアンジェは自分でも気づかないうちに小さな笑みを浮かべていた。
そうして始まったダンスは──
「うわっ、ごめんなさい聖女様! 足踏んで、ああっ、またやってしまったですっ」
「大丈夫ですよ、ティナさん。ええ、ティナさんがポンコツなことは分かっていましたから。むしろ未だに転んでいないことを褒めたいくらいですよ。ですので、さあ、ティナさん! こちらは根気よく付き合う覚悟はできていますから張り切って頑張りましょう!!」
「うう、笑顔なのに言っていることは辛辣ですよお……。いやまあ今のへにゃちょこ具合じゃ何も言えねーんですけど。だからこそ! ササッとダンスができるようになれば聖女様からの評価も爆上がりのはずです!! 聖女様っ、私の華麗なる成長を見ていてくださいね!?」
「ふふっ。ええ、わかりましたわ」
──楽しかった。そう、本当に楽しかったのだ。
ーーー☆ーーー
大地に動植物、とにかくこの世の全てを魔物と変える瘴気を祓い、人々の安寧を守る自分を称える声が聞こえる。
公爵令嬢として社交界の中心に立ち、その振る舞いから多くの貴族が自分を羨望する声が聞こえる。
第一王子との婚約が決まったことで次期王妃として迎え入れられた自分に第一王子が放った『聖女としての功績、そして何よりその美貌は未来の王たる俺に相応しいな』という声が聞こえる。
その『道』に思うところはなかったと言えば嘘になる。聖女として人々を守るという重圧、公爵令嬢にして未来の王妃として相応しく振る舞わなければならないという責任。
どうして自分ばかり、などと思ったことは一度や二度ではなく、それでも投げ出すような真似はしたくなかった。
努力すれば報われる。
その歩みの先に誰かの笑顔があるのならば、それが『アンジェ=トゥーリア公爵令嬢』として生まれた責務ならばと、心の奥底で燻る何かを見ないようにして進んできた。
その結果、アンジェは観測史上最大の瘴気の浄化と引き換えに異形と化した。
それだけで、全ては一変した。
瘴気を祓い、魔物を駆除して、そうして助けた人々が『聖女に相応しくない醜い姿をしている』と吐き捨てた声が聞こえる。
夜会で貴族がこそこそと『公爵家の令嬢ともあろう者があのような気味の悪い姿を晒すとは』『嫌ですわ、穢らわしい。煌びやかな夜会の場に相応しくはありませんわね』と囁く声が聞こえる。
婚約者である第一王子が陰で『いくら聖女としての功績があろうともあんな化け物女を妃と迎えるなど吐き気がする! あんなのが未来の王妃に相応しいわけがない!!』と叫ぶ声が聞こえる。
努力すれば報われる。
本当に?
『可哀想なアンジェ。人生の全てを聖女として人々を救い、公爵令嬢として民衆の模範となるために費やして、その結果が化け物扱いとはな』
『……ッ!』
声が聞こえる。
『なあ、一つ聞いていいか。毎日毎日血反吐を吐くように努力を重ねて、同年代の女が当たり前のように手にしている全てをかなぐり捨ててでも積み上げたものには何の意味があったんだ?』
『黙りなさい!!』
声が聞こえる。
『お前がどれだけ努力しようとも、瘴気や魔物から人々をどれだけ救おうとも、だあれも感謝しない。それどころか誰もがお前を化け物だと忌避するだけなのによ』
『だま、りな……』
声が聞こえる。
『そう、誰もがお前を化け物だと忌避する。例えどれだけお前を好きだと叫ぶどこぞの女だろうがいつかどこかで必ずな。そういうものだろう?』
『……ぅ……』
声が聞こえる。
『可哀想なアンジェ。どれだけ努力しようとも、どれだけ多くの命を救おうとも、だあれもお前を受け入れやしない。そうだとわかっていて、なお、拙い希望に縋るだなんてな』
『……もう、やめて……ください』
真なる闇の中、声だけが響いていた。
負の感情が強く這い寄ってくる。
──どれだけ一日が楽しくとも、その終わりの夢の中で塗り潰される。
なぜならここにはティナが存在しないのだから。
ーーー☆ーーー
【名前】
アンジェ=トゥーリア
【性別】
女
【種族】
人間
【年齢】
十五歳
【称号】
女神より祝福されし聖女
【所有魔法】
浄化魔法(レベル99)
炎属性魔法(レベル99)
水属性魔法(レベル99)
土属性魔法(レベル99)
風属性魔法(レベル99)
雷属性魔法(レベル99)
身体強化魔法(レベル99)
転移魔法(レベル99)
収納魔法(レベル99)
重力魔法(レベル99)
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※全所有魔法を表示するには能力知覚魔法(レベル11)以上を使用してください。
※詳細を表示するには能力知覚魔法(レベル20)以上を使用してください。
※レベルは99が上限です。
【状態】
呪縛・心(レベル46)
呪縛・体(レベル100)
呪縛・浄(レベル46)
憑依・魔(レベル分類不可)
※詳細を表示するには能力知覚魔法(レベル20)以上を使用してください。
エラー発生。上限を超える情報が表示されています。再度能力知覚魔法を使用することを推奨します。