幕間 ティナという少女 その一
「ぐうおおおお!! こっぱずかしいこと言ってしまったですよおーっ!!」
それはダンス云々の話をアンジェとしたその日の夜のことだ。ティナは王立魔法学園の寮の自室に戻り、ベッドに飛び乗ってそう叫んでいた。
枕に顔を埋めて足をバタバタ。
恥ずかしさを誤魔化そうとしてもアンジェの手というか触手を握った感触が消えない。いいや、今もなお強くなっている気さえしていた。
結局、ダンスの練習はできなかった。あの後アンジェには予定があるということで解散となったのだ。
「もお! 何やっているんですか私はあ!!」
『あの時』からだ。
全ては『あの時』から始まった。
──幼き頃のティナは己の力に酔っていた。
平民でありながら魔法を使えるということで生まれ育った村でも称賛されてきたから勘違いしてしまった。
自分は強いのだと、なんだってできるのだと。
だから『あの時』、村の近くで瘴気が観測され、魔物が溢れた際にも自分なら魔物の脅威から村のみんなを守れると勘違いしてしまった。ゆえに村のみんなが止めるのも構わず飛び出してしまったのだ。
『あの時』のティナは魔法が使えるといっても初歩的なものが精々であり、魔法が使えない者たちから見れば称賛されるものでしかなかった。その程度の力で遥か昔から死の象徴とされており、耳が長かったり毛深かったりするだけで無関係な亜種族を忌避して殺したくなるくらいの恐怖を生み出す源泉に太刀打ちできるわけがなかったのだ。
もしも。
力量を数値で表すような力でもあればやり合う前に力の差に気づけたのだろうが、そんな便利な力は存在しない。少なくとも人間の魔法体系では。
ゆえに致命的に敗北するまで無謀な挑戦なのだと理解することはできなかったのだ。
『が、ばぶべぶっ!? な、んで……私は強くて、みんなを守れるだけの力があるはずで、それなのに、こんな、なんで!?』
爪の一振りで魔法を散らされ、突進一つで血を吐いて地面に転がって立ち上がることもできなくなっても、なお、『あの時』のティナは現実を受け入れられなかった。
あるいは幼いながらの逃避だったのか。
勝てなければどうなるか。魔物を倒せなかったがために自分や村のみんながどうなるかを考えたくなかったのだろう。
百以上にも及ぶ魔物の群れ。
遥か昔より死を撒き散らしてきた恐怖が迫る。
瞬間、色鮮やかな魔法が乱舞した。
ティナが手も足も出なかった魔物の群れがいとも簡単に薙ぎ払われたのだ。
全然違った。
比べることすらおこがましいほどにその『力』は強大であった。
ティナが扱うそれなど児戯にすら見えるほどに。
『大丈夫ですか?』
気がつけば、ティナのそばに近い年齢だろう女の子が立っていた。
金髪碧眼という貴族の象徴を刻む女の子だった。純白のドレスを纏うその姿からは神々しささえ感じられた。
彼女は先程あれだけの恐怖を瞬殺した暴虐の持ち主とは思えない、清らかな笑みをティナに向けていたのだ。
『は、はいで──』
そこで、ぶわっ!! と闇が炸裂した。
そう、魔物の代わりとでも言うように禍々しい漆黒の粒子の塊が津波のように迫ってきたのだ。
すなわち、瘴気。
草木を蝕み、生物を犯し、この世全ての存在を魔物に変える遥か昔から続く脅威である。
『……ッッッ!?』
直視して、ティナの背筋に異様な震えが走った。村のみんなを救うと飛び出しておいて瘴気を前にしただけで隠しようもない震えに、どうしようもない恐怖に囚われていたのだ。
天敵。
誰に教えられるでもなく、一目でそう理解せしめるだけの『力』がそこにあった。
だから。
なのに。
『探す手間が省けて良かったでございますよ』
一振りであった。
神々しき女の子の振るった腕の軌跡に沿って迸った純白の閃光が瘴気を呑み込み、かき消してしまった。
瞬く間に、呆気なく。
そう思えるほどの力の差を見せつけるように。
おそらく『あの時』からだ。
魔物だろうが瘴気だろうが軽々と粉砕するだけの『力』の持ち主だった……からではない。それだけの『力』があって、それでも彼女は怪我をして動けないティナを背負って村まで送り届けてくれた。
後にわかったことだが、彼女は聖女にして公爵令嬢なのだ。それなのに高貴なる身分ながらドレスや肌がティナの血で汚れるのも気にすることはなかった。
『こんなことなら治癒魔法の使い手を連れてくるべきでしたね。今すぐ派遣しますので、もう少々お待ちくださいな』
『え? いや、そのっ、うちには治癒魔法を受けるだけのお金なんてねーで、ごぶがぶっ!?』
『落ち着いてくださいな。傷口が広がってしまいますよ?』
治癒魔法は生まれに左右される希少な魔法である。ゆえに治癒魔法それ自体が一種の高額商品とされており、治癒魔法を受けるためには並の貴族であれば躊躇うくらいの料金が必要となる。その代わりに治癒魔法の効力は凄まじく、薬草では到底治せない怪我や病でも瞬時に癒すことができるのだが。
『それと、お金のことなら気にする必要はありません。治癒魔法の料金はわたくしが払いますから』
『そんな、どうしてそこまで……?』
『わたくしがそうしたいから、それ以上の理由はございませんよ』
そうして彼女は去っていった。
『あの時』からなのだ。
聖女にして公爵令嬢であるアンジェ=トゥーリアのその背中に惹かれたのは。
いつか彼女に並べるだけの女になりたいと、そのためにティナは驕りを捨てて努力を重ねて、ついには魔法学園の中でも最高峰たる王立魔法学園へ入学するに至った。
もちろん聖女と再会したいという願望がなかったと言えば嘘になるが。
ーーー☆ーーー
現在。
王都から遠く離れた夕焼けに染まった深き森を二十メートルを越す四足歩行の巨躯が走り抜ける。バキバキと木々を踏み潰し、薙ぎ払いながら、質量だけでも凄まじい破壊力を発揮する魔物が『彼女』へと迫る。
その魔物の頭の先には巨躯に相応しい二本のツノ、それも刃のごとく鋭く変異したものが伸びていた。魔法によって強化されたその一撃は小さな村であれば跡形もなく吹き飛ばす領域にまで達している。
だから。
しかし。
「どっこいしょーっです!!」
拳が飛ぶ。身体強化魔法で膂力が増した『彼女』──ティナの拳がランクBに分類される魔物バッファローエッジを迎え撃つ。
まさに赤子と巨人。どちらが粉砕されるかは目に見えていたというのに、だ。
ゴッバァンッッッ!!!!! と。
ティナの小さな拳が巨大なツノを砕き、魔物の頭を粉砕する。あまりの衝撃に二十メートルを越す巨躯が破裂するように弾け飛んだ。
肉が砕け、鮮血が飛び、薄い赤のポニーテールの動きやすい格好をしたティナの全身を汚していく。
四足歩行の二十メートルに及ぶ獣、それも頭に刃にも似た巨大なツノを生やし、魔法でその大質量を支える筋肉を強化した魔物であることなどお構いなしであった。
ランクBともなれば上には後二つしかランクの存在せず(それでも瘴気近くの怪物とは比べ物にならない弱敵ではあるのだが)、ランクBやランクAの冒険者であっても単騎ではなくパーティーでの攻略を基本としている魔物である。
そう、間違っても単騎でどうにかできるわけがないのだが、『あの時』からティナの基準は一つだけ。これでも全然足りないくらいである。
「順調に経験値もたまってきたですね」
現在三人しかいない最高峰ランク冒険者の一人たる天才少女かくあるべしであった。
「まあ、経験値が要求量までたまらないことには始まらねーとはいえ、こんな道を選べる私は紛うことなき外道なんですけど」
呟き、這い寄る悪感情を払うように首を横に振るティナ。
無理矢理にでもテンションを上げんと声を張り上げる。
「それでも、やるべきことは変わらねーです! 聖女様の隣に立てる女になるという『あの時』からの誓い、そして今の私には聖女様を救うという新たな目的もあるんです!! 気合いいれるですよ、私!!」
えいえいおーです!! と返り血で真っ赤な顔も構わず拳を振り上げる。あと少しで目標まで届く。その時こそ他力本願とはいえ必要な『力』が手に入るのだから。
ーーー☆ーーー
冒険者としていかに優れていようとも、今のティナは学生でもある。そもそも王立魔法学園に入学したのは高度な魔法を身につけるため『でも』あるのだから。
……最近はアンジェ=トゥーリア公爵令嬢と話すことにも夢中だが、脇道に逸れて道を見誤ってはいない。
「魔法とは理論に則った反復練習が重要となる」
ゆえに座学はあまり好みではないのだが、ただでさえ平民は目立っているのだ。授業態度くらい『いい子ちゃん』でいないと周囲の反発を招きかねない。
最近は瘴気は観測されていないので経験値稼ぎになるような魔物はそうそう発見されないのだから、空き時間で『いい子ちゃん』として振る舞っても問題はない。
「まかり間違っても強い者と勝負したりと実践を積み重ねても魔法の腕が上がることはないことを覚えておくように!!」
それが強くなるための最適解、理論的な考えなのだろう。
だが、
「人間の常識ならそうなんでしょうけどね」
あくまで誰にも聞こえないよう、ティナは口の中だけで呟いていた。
ーーー☆ーーー
【名前】
ティナ(九歳当時)
【性別】
女
【種族】
人間
【年齢】
九歳
【称号】
未取得
【所有魔法】
風属性魔法(レベル2)
身体強化魔法(レベル9)
※詳細を表示するには能力知覚魔法(レベル20)以上を使用してください。
【状態】
呪縛・心(レベル1)
※詳細を表示するには能力知覚魔法(レベル20)以上を使用してください。
ーーー☆ーーー
【名前】
ポチ(バッファローエッジ)
【性別】
雄
【種族】
水牛
【年齢】
十歳
【称号】
未取得
【所有魔法】
砲撃魔法(レベル42)
身体強化魔法(レベル44)
※詳細を表示するには能力知覚魔法(レベル20)以上を使用してください。
【状態】
呪縛・心(レベル100)
呪縛・体(レベル100)
※詳細を表示するには能力知覚魔法(レベル20)以上を使用してください。
エラー発生。上限を超える情報が表示されています。再度能力知覚魔法を使用することを推奨します。