第二十三話 後始末
目が覚めると、なぜかクリナが馬乗りになっていた。
「やあ、ティナあ。おっはよう☆」
「……何やっているんですか?」
「反応が冷たいよねえ。ちなみにこれが例の聖女様とやらだったらあ?」
「せっせせっ聖女様がこんなっ、こんな体勢で迫ってくるって、そんなの幸せすぎて卒倒待ったなしですよ!!」
「うっわあ、デレデレだねえ」
適当に呟きながら、飛ぶようにティナの上から移動するクリナ。
今更ながらに壁際にリーゼが立っていることに気づく。それはもう鬼の形相とはかくあるものとでも言わんばかりであったが、クリナがこうやって『確認』するのは前からのことであり、リーゼの反応も似たり寄ったりなので特に気にすることはなかった。
きちんと嫉妬してくれるかどうか『確認』しないと好意が実感できない、といった感じなのだろう。
「私、どれくらい寝ていました?」
「一週間だよお。感謝してよねえ。里に伝わる秘薬やら精霊の加護やら使いまくってどうにか死なずに済んだんだからさあ。普通あんなに怪我したら即死だからね即死い!!」
「ふんっ。つまりはそういうことだ! 精霊に愛されし姫様がその加護を貴様に伝播させるために肉体的接触が必要だったのであって、姫様が望んで馬乗りになっていたわけではないと知れ!!」
精霊の加護とやらには回復促進効果もあるのだろう。その辺りの詳しいことはステータスにも載っていなかったが、もしかしたらレベルの関係で開示される情報に限りがあるのかもしれない。そもそもステータスには全ての情報が載っているわけでもないのは経験からわかっていることでもある。
ちなみにキャンキャン吠えているリーゼはクリナに『まあ触れずとも一定の距離まで近づくだけで一時的に加護を分け与えることはできるんだけどお』と言われ、ついに涙目になっていた。
そんなリーゼの姿にクリナは密かに身悶えているのだから、中々に倒錯しているものだ。
「…………、」
ティナはゆっくりと身体を起こす。全身に痛みは走るが、動けないほどではない。左手を目の前に持っていく。握ったり開いたりして、今度は右側に視線を向ける。
肩から先が消失していた。
風穴さえも塞ぐほどに自然治癒力を増幅できるティナであれば腕を生やすことも可能だろうが、ここまで持ち直すために相応の力を使ったのだ。腕を生やすまでにはまだ時間がかかるだろう。
「クリナ」
「はいはーい」
涙目のリーゼを尻目にぞくぞく背筋を震えさせていたクリナはあえてティナと向き合う。そうやって涙目なリーゼを無視することも『確認』の一環……なのだろうか? もうここまでくれば単なる性癖なのかもしれない。
「聖女様は?」
「…………、」
嫌な沈黙であった。
アンジェは邪神に操られていたとはいえ、瘴気を振り撒き高位の令息令嬢を魔物に変えた。ここで問題なのは邪神に操られていたというのをどうやって証明するか、なのだ。
件の邪神は純白の光に呑まれて消えた。
呪縛だの憑依だのという状態異常は邪神によるものであるが、そもそもステータスを見ることもできない有象無象では操られていたかどうかなんて判断することはできないだろう。
アンジェ=トゥーリアは『被害者』ではあるが、何も知らない者たちから見れば瘴気を操る大罪人と判断されても不思議はない。
一週間。
それだけあれば怒りに沸騰した民衆やその流れを利用して聖女やトゥーリア公爵令嬢という『価値』を貶めて利益を貪りたい勢力によって悪意ある何かをされているかもしれない。
アンジェ=トゥーリアは強いかもしれないが、いかに悪意をぶつけてくる相手であっても無闇に力を振るって排除するようなことはない。もしもそんな風に対抗するような人間であれば、もっとずっと早くに自身を取り巻く悲惨な環境を暴力で蹴散らしていたはずだ。
優しいからこそ、傷ついてしまう。
異形だなんだと喚く連中など守る価値もないと割り切ってしまえばいいのにそれができないからこそアンジェは邪神につけ込まれたのだから。
「聖女様はあ」
だから。
だから。
だから。
「死んじゃったあ」
…………。
…………。
…………。
「は?」
ーーー☆ーーー
豪華絢爛とはこれこの通り、と言わんばかりに煌びやかな装飾が施された私室でのことだ。第一王子は憎悪に狂いそうになっていた。
ティナに殴り飛ばされたこともそうだが、あの後アンジェ=トゥーリアが放ったとされる瘴気に蝕まれ、魔物に変えられたというのだ。
詳細についてまではわかっていない。何せ令息令嬢が魔物と変えられて暴れていたのだ。その『中心』に近づくことができる力の持ち主は早々存在しない。それこそ最高峰ランクの冒険者であるティナならまだしも、単なる騎士などでは魔物の対応すら荷が重かったくらいだ。
とはいえ、だ。
五十メートルクラスの触手の化け物が消し飛んでしばらく経過してから第一王子を含む令息令嬢たちは『中心』から広がり、一瞬とはいえ王都を呑み込んだ純白の光と共に魔物から人間に戻った。理屈なんて不明だが、そんなことより重要なことがある。
これまで婚約者としてそばにおいてやっていたアンジェの謀反の罪は必ずや死という形で償わせる。
そして、ティナ。
第一王子が寵愛してやった彼女はあろうことか第一王子へと拳を叩きつけてきたのだ。真なる聖女、瘴気を浄化する価値はともかく、それ以外についてはもう考慮しない。浄化魔法を出力するだけの肉塊として使い潰す、そのために必要な人格破壊の『方法』ならいくらでも保有している。
愛情は裏返って憎悪となる。
そもそも女なんていくらでも手に入れられるのだ。ティナだけに固執する理由は特にない。
第一王子がアンジェを処分し、ティナを確保するために配下を呼び出そうとした、その時だった。
「お兄様。ようやく擁護不可能なほどの失態をしてくれたですわね」
ドッゴォン!!!! と。
柔らかな声音とはかけ離れた、扉を粉砕しての登場だった。
ゆるふわな金髪に碧眼。
世間一般での『お姫様』という記号をどこまでも突き詰めた外見の少女が踏み込んでくる。
第一王子という地位に臆することなく、だ。
そんなことができるとすれば、それは同じ王族くらいのものだ。
彼女のことを人々はこう呼ぶ。
プリンセス・シリティア、と。
「失態、だと?」
「ここで首を傾げやがるからてめーはダメ人間なんだよ」
「なっ!?」
「おっと、ごめんあそばせ。少々本音が出てしまいましたわね」
可愛らしく舌を出して『てへっ』と笑うプリンセス。いっそ盛りに盛った愛らしい仕草ではあるが、それこそ彼女の武器である。過剰なほどに盛った、わかりやすい仮面をなぞっただけでプリンセスの本質を見抜いた気になっていれば足元を掬われる。
油断を誘って隙をつくり、一気に畳みかける。もちろんプリンセスの武器はそれだけではないにしても、普段から武装しておいて損はないことを彼女は知っている。
……本当は今の第一王子相手に武装は必要ないのだが、これは癖のようなものでもあった。というか、本気で武装するつもりなら悪態をつくような隙は見せない。
「お兄様。貴方、学園主催のパーティーにおいてアンジェ=トゥーリアとの婚約破棄を宣言してそうですわね? 瘴気を浄化可能な聖女の価値がどれだけのものかわからないわけがないでしょうに」
「ふんっ、くだらんな! 俺は第一王子にして次期国王だぞっ。いかに聖女であったとしてもあのような化け物女、俺の婚約者にふさわしいわけがない!!」
「まあ先の騒動で死んでしまったという報告があがっている人間についてはこれ以上言及しないですわよ」
「死んだ……? アンジェ=トゥーリアが???」
「ええ」
しばらく第一王子は呆然としていた。
やがて、くつくつと肩を震わせたかと思えば、爆発するように笑い声を響かせた。
「はっは、はははははは!! そうか、ははっ、あの化け物女は死んだかあ!! 醜い化け物のくせに俺の婚約者として扱われていたのが心底気に食わなかったが、やあっと死んでくれたのかっ」
「随分と楽しそうですが、これを聞いてもそうやって笑っていられますかね?」
淡々と。
プリンセスは告げる。
「真なる聖女と目されていたティナは第一王子から婚約を迫られたことに嫌気がさして国外に逃亡したことになっているんですわよ。馬鹿にもわかるよう言うならば、お兄様のせいで浄化魔法の使い手が我が国より失われたということですわね」
「な、ん」
一週間前の騒動において客観的事実だけを並べると、こうなる。
アンジェ=トゥーリアから迸った瘴気によって多くの令息令嬢が魔物に変えられた後、謎の触手の化け物が現れたかと思えば、純白の光によって消し飛び、魔物に変えられたはずの令息令嬢が人間に戻った。一部エルフが観測されたなんて話もあるが、実にそれだけなのだ。
なぜなら騒動の『中心』に踏み込めるような実力者はおらず、王都で暴れる魔物を相手するのが精一杯だったからだ。
ゆえに『中心』で何があったかは不明。
それでいて確定していることは『中心』は学園主催のパーティー会場であり、そこには魔物に変えられた令息令嬢の他に第一王子をぶん殴ったティナがいたということだ。
最近は真なる聖女とも呼ばれているが、そもそも彼女は最高峰ランクの冒険者である。魔物が跳梁跋扈する『中心』に彼女が立っていて、『中心』から離れたところからも確認できる五十メートルクラスの触手の化け物が何かしらの力で吹き飛んだとなれば──それを成したのはティナと考えるのが普通だろう。
浄化魔法という観点だけでなく、単純な戦力としても突き抜けていることが万人に分かりやすい形で示された。その上で第一王子の失態によってティナという最強のカードが失われた。
プリンセスはすでに同ランクであるギルドマスターにも確認をとっている。ティナを捕らえることはできるかと。そこで俺が出向いたって瞬殺されて終わりだという返事を受けているのだ。
最高峰ランクなら他にも二人いる。ティナだけが突き抜けて強いわけではない。第一王子はそんな風に考えていたが、そんなわけがないと実感を伴う結果として提示されているのだ。
結論として浄化魔法だけでなく単純な戦力としても突き抜けたティナを力づくで連れ戻すのは不可能。己の意思で王国から飛び出したということになっている彼女が帰ってくるとはないだろう。いいや、最悪の場合、王都という王国の中心にして最大戦力が揃っているはずの場をあそこまで踏み荒らした魔物の群れ以上に強大な触手の化け物を容易く吹き飛ばしたティナという力を手にした他国がそれを王国に向けてくるかもしれない。
第一王子がそこらのメイドを押し倒すくらい見逃してきた。グリード家の娘やグリード家そのものを潰すくらいならまだ許容範囲だった。だが、ティナという戦力を失うばかりか敵に回しかねないほどの失態は完全に許容できる範囲を超えていた。
これが単なる仮定の話であればまだしも、王都にあれだけの災厄が降り注ぎ、王国の上層部がそれを実感したとなれば話は別だ。魔物の群れという恐怖をその身で実感した彼らは何とか汚名を返上し、ティナという『力』の庇護下に、いいや最悪敵に回さないためにできるだけ不安要素を排除することに躍起になっていた。
つまり。
だから。
「というわけで、これ以上は擁護不可能としてお兄様は魔物に変化した後遺症で死んだ、という形で処分されることになりましたのですわよ」
ボッッッ!!!! と。
笑顔のまま、プリンセスの右腕が第一王子の胸を貫いた。
「が、ぶ……!? な、んで……シリ、ティア……ごぶべぶ!?」
「あら、そんなに驚くことで? 気に食わないものは処分する、お兄様が散々してきたことですわよ?」
「……ッッッ!?」
「しっかし、恨みというものは恐ろしい、そうは思いませんか、お兄様?」
「……ぁ……?」
「この結末はてめーの所業が巡った結果だっつってんだよ」
笑い、笑い、笑い。
プリンセス・シリティアは第一王子の胸から腕を引き抜く。血を噴き出し、実の兄が死に至るまでその目でじっと眺めていた。
恨みは恐ろしい。
そう実感した後ならば、なおさら第一王子が確実に死んだことを確認しないと安心できないものだ。
ーーー☆ーーー
『真実』なんてこの際無視した。
嘘でも何でもいい。それで第一王子の魔の手から彼女たちを救えるのならば。
「案外うまくいくものだな」
王都、その一角。
酒場も兼任しているからか、喧騒に包まれた冒険者ギルドでは酒瓶片手にギルドマスターが対面の女へとこう告げた。
「まあ第一王子を蹴落とすために王女様主体の『勢力』の一員となっていたおめえのお陰でもあるがな」
「…………、」
エルザ=グリード。
第一王子によって娘を『事故死』に見せかけて殺され、自身も没落することとなった『疑惑』。その果てに彼女は第一王子より王位継承の簒奪を目論む王女との繋がりを得ていたのだ。
第一王子は王族という力に守られているが、王女もまた王族の一員。力の大小こそあれど、『疑惑』が真実であるかどうかくらいは調べることができる。
『疑惑』が真実であったからこそ──そう、最愛の娘は第一王子の悪意によって殺されたと知ったからこそ──今もエルザは王女主体の『勢力』に属している。王女という力でもって第一王子を貫くために、だ。
ゆえに、あの騒動による『真実』は全て覆い隠し、都合のいいように王女へと報告した。状況証拠だけでなく、エルザはともかくギルドマスターならば『中心』に踏み込むことができるだけの力はあるだろうと判断されたからこそその証言は受け入れられた。正確には受け入れられるよう王女が手を回したのだが。
王女は(第一王子に付け狙われることは目に見えているティナのためならと名前を貸してくれたギルドマスターを伴った)エルザの証言が『真実』ではないことくらいは気づいていただろうが、第一王子を潰すために利用できると考えたがために何も言わずに受け入れたのだろう。
「おめえはその手で復讐を成し遂げるつもりだと思っていたがな。そのためにティナという魔法の才能ある手駒を弟子という形で保有し、王女の『勢力』に所属し、力を蓄えてきた。いずれ娘を奪った第一王子に牙を突き立てるために、だ」
「そこまで調べていたのですね」
「ギルドの仲間のことは知っておくに越したことはねえからな。冒険者なんてクソみてえな職を選ぶのは大抵が後がねえ奴ばかりだ。いつどこで無謀にも死地に突っ込んでいくか分かったもんじゃねえ馬鹿揃いだからな。いよいよとなったら力づくでも止めるために身辺調査くらいはしておくさ」
「ですけど、一つだけ見誤っていますわ」
「あん?」
小さく。
苦笑のような笑みを浮かべて、エルザ=グリードはこう言ったのだ。
「ティナちゃんを私の復讐に巻き込むつもりはありませんでした。弟子入りを認めたのは根負けしたからで、それからも一緒にいたのは可愛くて仕方なかったからです。……不思議なものですよね。第一王子さえ殺せればそれでいいと、そのためなら何だってやると誓ったはずなのに、復讐だけの存在にはなれなかったんですわ。だからこそ、この命を捨ててでもこの手で復讐することに拘らなかったんです。とはいえ、ティナちゃんにさえも手を出してきたクソ野郎を野放しにするわけがありませんので王女様を利用して処理させてもらいましたが」
「……、そうか」
ガシガシと頭を掻き、ギルドマスターはエルザへと酒瓶を突きつける。
「だったら、なんだ。第一王子はくたばり、もう復讐に囚われる必要がねえってなれば、ここから先は好きに生きられるってことなんだ。せっかく生き残ったんだし、これからは人生楽しんでいこうぜ!」
「……、ええ」
頷き、ギルドマスターから酒瓶を受け取ったエルザはそれを口につけ、大きく煽っていく。
度数が高い酒だったからかカッと喉が炎を飲み込んだように熱くなったからだろう。その両の瞳からは涙が止まらなかった。




