第二十二話 決着
邪神の『計画』はここからでも十分巻き返すことができただろう。
アンジェ=トゥーリアという聖女もティナという真なる聖女と持ち上げられた少女もまだ生きている。やりようによっては感情の落差による負の感情の抽出へと持ち直すことはできたはずだ。
だけど、だ。
ここまで虚仮にされてはもう駄目だった。少なくともティナは殺す。今すぐ、絶対に、何がなんでも殺さないと気が済まなかった。
悪感情を最大限誘発する『計画』なんて知ったことじゃない。そんなものは後回しでいい。何ならもう百年でも二百年でも使って新たな『計画』を立ち上げたって構わない。
神と人間とでは寿命も価値観も違う。外的要因、神を上回る強烈な力を受けたならばともかく、何もなければ基本的に無限の時を生きるのが神なのだ。
今回は、もういい。
それよりも散々虚仮にされた恨みを晴らさないことには次になんて進めない。
だから、触手を音速超過で振り下ろすことに一切の迷いもなかった。その一撃でティナも、彼女を抱えるアンジェ=トゥーリアも殺してしまい、最大限に負の感情を誘発することができなくなってしまうとしても構わなかった。
レベル100以上の魔法に匹敵する一撃。ティナの拳でも打ち破れないカンストのその先に位置する暴虐が矮小な人間を粉砕する──その寸前の出来事だった。
「炎よ!!」
アンジェの叱声と共に魔法陣が展開、猛烈な勢いで紅蓮の炎を放射して触手の振り下ろしへと相対したのだ。
レベル99、カンストに至った魔法である。この世界の生命であれば何もできずに燃やし尽くされていただろうが、邪神の肉体はカンストなんて上限は軽々と突破している。放たれた炎を吹き散らしてアンジェ=トゥーリアごと憎らしいティナを押し潰──
「水よ、風よ! 土よ!!」
パッぱぱっ!! と新たに展開された魔法陣より放たれた魔法が後に続く。炎を蹴散らした後の触手へと襲いかかる。
もちろんレベル99の魔法がカンストのその先に至っている触手の一撃を受け止め切れるわけがないのだが、アンジェの魔法も相応の威力は秘めている。
単体であればまだしも、複数の魔法を受けては触手へと衝撃が伝わ──
「雷よ、毒性よ、共振よ、拡散よ、砲撃よ、爆轟よ、射撃よ、圧搾よ、斬撃よ! 刺突よ!! 破砕よッッッ!!!!」
一撃ならば、押し潰せた。
二発や三発ならばまだ対抗できた。
だが、十も二十も連射されたならばどうだ。そう、ティナがレベル100の身体強化魔法を駆使してもレベル99の魔法を連射するアンジェ=トゥーリアだった何かに押し負けたように、物量は時に力の差を覆す。
しかも、アンジェはただ闇雲に魔法を連射しているのではない。身体強化魔法で動体視力を底上げし、最初の炎の魔法をわざと突破させ、耐久力を予測、脆い所を見抜き、弱点となる箇所を効率的に突破する方法を即座に算出した上で魔法をぶつけているのだ。
土の鞭にも似た魔法を受け流したギルドマスターが『まあ、瘴気蠢き、魔物が跋扈する戦場を生き抜き、相応の経験を積んでいる聖女相手じゃこう簡単にはいかなかっただろうがな』と口にした理由はここにある。
幼き頃から世界中の人間が恐怖する瘴気に立ち向かい、多くの魔物を退治して、99ものレベル99の魔法を獲得するまで自己を高めてきた令嬢、それがアンジェ=トゥーリアなのだ。
身につけたのは魔法の力だけにあらず。
その類い稀なる技術こそがアンジェの『力』なのだ。
弾ける。
鱗を吹き飛ばし、肉を抉り、民家の一つや二つ軽々と押し潰せるほどに極太の触手が半ばより弾けるように千切れてあらぬ方向に飛んでいったのだ。
「ぐ、お……ッ!?」
「邪神、と呼ばれていましたか」
静かに。
それでいて底冷えする圧を迸らせて、ティナを抱きかかえたアンジェは言う。
「これより先、貴方の好きにはさせませんので、覚悟しておくように」
「あん、じぇ……トゥーリアああああああ!! おまっ、お前っ、人間風情が何様のつもりだあ!? その血肉は予のために消費されていれば良かったんだ!! お前はっ、人々から効率的に悪感情を抽出するためだけに魂を捧げていれば良かったんだよ!! それを、こんなっ、殺す! 殺してやるからなあ!!」
「……こんなものに好き放題利用されていたとは自分が情けないです。だからこそ、ええ、これ以上こんなものに利用されて傷つく人が出ないよう決着をつけなければいけませんよね」
だから。
「ティナさん、邪神を倒すために力を貸してくれませんか?」
当たり前のように。
自分だけで抱えることなく。
アンジェ=トゥーリアはティナへと力を貸してくれるよう求めた。
何かといえば拳を握りしめて、自分だけで突っ走って、もうこれ以上はないというところまで追い詰められて初めて周囲に頼ったティナと違って、だ。
99にも及ぶレベル99の魔法。
その力に驕ることなく、己の分を冷静に見極めて、頼るべき場面ではきちんと周囲に頼る。
呪縛という悪意さえなければ。
ティナが憧れ、好きになったアンジェはかくも『強い』。
「もちろんですよ!!」
気がつけば赤く光る糸のようなものを絡みつかせた拳を突き出して、ティナはいっそ清々しいほどの返事を放っていた。アンジェから頼られて嬉しくないわけがない。
そして、そんな彼女たちの姿は邪神の怒りを逆撫でした。
「だからよお……人間ごときが力を合わせたところで神に勝てるわけないだろうがよお!!」
ギュアッッッ!!!! と。
禍々しい漆黒が集う。
理屈でいえば砲撃魔法と同じだ。魔力を凝縮、破壊力を秘めた閃光と化して放つ、それだけの単純な魔法だ。
ただし、それが神の領域となれば話は変わってくる。単なる触手でさえもレベル100の身体強化魔法を凌駕する威力を発揮する神の魔法である。
必殺。
そうとしか表現できない膨大な力の塊が両手を突き出すように束ねられた無数の触手の先に凝縮されていく。
「これで終わりだ。死ねよ人間がああああああああああああああああああああああ!!!!」
破滅が。
解放される。
ーーー☆ーーー
フィリは複数のエルフを伴って王都を疾走していた。
建物と建物の間を通り抜け、二階に設置された看板を足場に跳躍し、屋根に着地して──勢いよく大質量が襲いかかる。
魔物。
それも十メートルクラスの巨人が拳を振り下ろしてきたのだ。
「チッ!!」
経験値を消費して獲得した転移魔法は条件が満たせずこの状況では使えない。ゆえに自力で獲得した砲撃魔法でもって極大の拳を迎え撃つ。
ゴッバァ!! と大質量の拳と眩い光を撒き散らす破壊力を秘めた魔力波とが真っ向からぶつかり合う。
そこで複数のエルフが巨人に各々の魔法をぶつけるが、一般的なエルフの魔法ではかすり傷を負わせるのが精一杯だった。
フィリやリーゼのような『あの時代』を生き抜いた猛者ならともかく、ほとんどのエルフはランクAに届く魔物相手では足止めが限界なのだ。
ジリ貧。
このまま戦闘が続けば犠牲者が出るのは避けられない。
加えて、
(ティナという例外はあれど、基本的にぼくたちエルフは人間から忌避される存在にゃあ。あまり人間の目に留まっては面倒な事態にもなりかねないよね)
それでも、とエルフの姫君は繋げた。
困っている者に手を差し伸べる、そんな当たり前を十代の少女が貫くと言っているのだ。百年以上生きた大先輩が臆していられるものか。
「はぁっ!!」
再度の閃光。
拳を弾かれ、体勢を崩した巨人へと砲撃魔法が突き刺さる。脇腹を抉られ、膝をつく巨人の頭へとフィリは肉薄し、顔面目掛けて砲撃魔法を放つ。
流石に『被害者』の頭を吹き飛ばすわけにはいかないので手加減してはいたが、それでも十メートルもの巨体が何度も地面を跳ねるほどに吹き飛ばされていた。
そこでフィリはびくりっと肩を震わせる。
新たな魔物が迫ってきた、なんて話ではない。
迫るこの気配はもっとずっと多く、それでいて魔物にしては『弱い』力の持ち主たちであった。
ーーー☆ーーー
例えば、ある牧場でのこと。
牧場経営を担う男は眉を顰めていた。壊れた柵の修理に来ていた業者は『それに比べて今の聖女は情けないこと他ならないよな。聖女とは思えない化け物は瘴気を浄化できなかったって話だろ?』なんてことを言っていたが、
「情けなくなんかないだろ」
「なんだって?」
「聖女様はまだ十五歳の女の子なんだぞ。しかも幼い頃からずっと瘴気の浄化に尽力してきたんだ! そりゃあのツインテールの女の子が凄いことは認めるが、だからといって聖女様が情けないなんて話になるものか!! 大の大人が震え上がるような魔物にだって立ち向かい、一人でも多くの人間を救ってきた聖女様を悪く言うために俺たちの家族にも等しい牛たちを助けてくれたツインテールの女の子を利用するなんて許さないからな!!」
「うっ。わ、悪かったよ。そうだな。確かにあんたの言う通りだ。助けられてばっかの俺たちに聖女様を悪く言う資格はないわな」
例えば、大規模な火事の復旧が続くある街でのこと。
『それに比べて聖女は情けないですね。聖女を名乗りながらあの少女に助けられるがままだなんて恥ずかしくないんですかね?』などと口にした部下を前にして治安維持部隊の隊長は小さく息を吐く。
「俺たちの仕事ってのは割に合わないと思わないか?」
「急に何を……?」
「だって、そうだろ。迷子の相手から酔っ払いの介護、時には凶悪な魔道具や魔法を扱う犯罪者とやり合う必要だってある。それなのに、そうやって命がけで犯人を挙げたところで周囲は『当たり前』だと言わんばかりではないか。凶悪犯だろうがなんだろうが捕まえるのが当たり前、事件は即座に解決するのが当然。それでいて、何かミスがあると烈火の如く責め立てる。治安維持部隊なのだからそれくらい果たすのが当然だろうがってな」
「ま、まあ、たまにふざけんなって思うこともありますし、ぶっちゃけて言うと辞めたいと思ったことも一度や二度じゃないんですよね」
「じゃあ、なんで辞めなかった?」
「そりゃあ困っている人を助けたいから今の仕事を選んだんですっ。例え辛くても、それでもやりたいことだからこそ続けられたんですよ!!」
「聖女様はどうだろうな」
「え……?」
「生まれながらに浄化魔法を会得する才能があったから、それだけで俺たち治安を維持するために尽力すべき奴らが手も足も出ない魔物どもの前に放り出されて、ほんの少しミスすれば自身が魔物に変えられるかもしれない中で瘴気の浄化をしなくちゃならなくて……それでも、自分で選んだわけでもないのに浄化魔法が使えるからと聖女という役目を半ば強制的に押し付けられた彼女は辞めたくても辞められないんじゃないか?」
「……っ」
「単なる街の治安を維持するだけでも大変なんだぞ。国を、世界を、瘴気の恐怖から救うなんて役目にどれだけの重圧があることか。それでいて成功するのが当たり前、ほんの少し手こずれば寄ってたかって責め立てる? おいおい、それはあんまりだろ。もちろん世の中には失敗が許されないこともあるんだろうが、『当たり前』だの『当然』だの無責任に押しつけられるもんがどれだけ重いかわかっている俺たちくらいはそういうつまんない真似はやめないか?」
「そう、ですね。……ああくそ、俺は何をやって、すみません、隊長!! かんっぜんに自分が間違っていました!!」
例えば、王都の冒険者ギルドでのこと。
どこからともなく現れた魔物の群れはギルドから遠く離れたところで暴れているというのにしっかりと見て取れるほどだった。
ギルドから飛び出した多くの冒険者は吐き捨てるように好き勝手言葉を並べ立てる。
「ふざけんなよ、なんで王都の内部に魔物が現れてんだよ警備の連中は何やってたんだ、あァ!?」
「っつーか聖女がさっさと瘴気を浄化してりゃあ魔物が生み出されることもないんじゃねえか!? 魔物が蔓延ってんのは聖女の職務怠慢の結果だろうがよお!!」
「ティナだ、我らが最高峰ランクの冒険者はどうした!? クソ役立たずの聖女に変わってパパッと魔物を一掃してくれよな!!」
もう、我慢の限界だった。
「いい加減にして! アンタたち、いつまでそうやって喚いているわけ? 聖女様を悪し様に罵り、自分たちと同じ冒険者であるティナさんを持ち上げて、それで? 目の前で魔物が暴れているのよ!? 冒険者である私たちがやるべきことはつまんないこと喚くんじゃなくてこの手で、力で! 理不尽に巻き込まれている人々を救うことじゃないの!?」
「お、おいおい、嬢ちゃん。冒険者ってのはだな、依頼を受けて──」
「ビビってるだけのくせに」
びくっ、と。
言葉を遮られた中年の冒険者は肩を震わせて、それ以上何も言えなかった。
「聖女様は役に立たない、ティナは凄い。で、アンタたちは? 誰かを馬鹿にして、自分じゃない奴の功績をさも自分のものみたいに自慢したってアンタたちの『本質』は何にも変わらないのよ!! この臆病者が!!!!」
四人組パーティーのリーダー格の女。
彼女はその手に持つ槍を握り直し、今もなお暴れ回る魔物の群れを見据える。
勝ち目なんてないかもしれない。
依頼という形ではない以上、これは冒険者の範疇を超えているのだろう。
だけど、彼女には冒険者として積み上げた力がある。それが魔物に通用するものではなくとも、魔物に襲われている誰かを逃す時間を稼ぐことくらいはできるかもしれない。
「私は、戦うわよ」
ぶるりっ、と全身に震えが走る。
怖いに決まっていた。本当は今すぐにでも逃げ出したいに決まっているではないか。
だけど、彼女は強くなると誓ったのだ。
ここで逃げてはいつまでもティナのような強さが手に入るとは思えない。
「私は誰かの影に隠れて、怯えて! 逃げるために冒険者になったわけじゃない!!」
そこで、女の横に並び立つ影が三つ。
「まぁーったく、サクったらついに魔物の群れにまで喧嘩売りはじめたよ。これは一緒に死ぬのもそう遠くない未来なのかも。ああ、でもそれはそれで……はっふう」
「サクなら魔物の群れにだって突っ込むだろうからと医療施設抜け出す私たちも私たちだけどさ。……いや、流石に一緒に死ぬ気があるのはイルくらいじゃない? 私は生きるために足掻くからね???」
「ここまできても見捨てる選択をしない私たちにサクは感謝するべきじゃないかなー? ……もうお目々ハートマークで背筋ブルブル震えさせているイルには何言っても無駄だって。一人だけ感情の方向性がぶっ飛んでやがるからね!!」
「イル、ミツリ、アイカ!? なんでここに!?」
問いに、リーダー格の女と肩を並べた三人のパーティーメンバーはこう即答した。
「「「サクと共に戦うために、それ以外の理由って必要?」」」
「……ばか」
そこで終わらない。
今度は勢いよく見覚えのある荷馬車が突っ込んできたのだ。
見覚えがあるのは当然だった。
それはリーダー格の女たちが護衛依頼を引き受けたというのに、炎の魔法使いを要する荒くれ者たちから守り抜けなかった若い女商人のものだったからだ。
「ひゃっふうーっ!! いつでもあなたの需要を満たすミーティア商会だぜふっふう!! さあさ、武器や防具なんでもござれっ。必要なものは今のうちに補給しておかないと後で後悔しちゃうぞ☆」
「商人さんまで!? 何しに来たんですか!?」
「そんなの商売しに決まってるじゃーん。魔物の群れ? 武器や防具をたらふく売っぱらう最高の商機でしかないぜ!!」
そうこうしている間にも震動や轟音が炸裂し、建物が崩れる様が遠く離れたここからでも確認できた。これ以上時間を無駄にするわけにはいかないだろう。
「イルもミツリもアイカも……はぁ。こりゃ逃げてって言っても無駄よね」
「サクが逃げるというなら構わないけど?」
「冗談。それじゃあ、商人さんっ。ここもいつまでも安全とは限らないから、早めに逃げ──」
そこで。
がしっ! と女商人が並べた剣の柄を握る男が一人。
その冒険者は顔中を脂汗塗れにしていた。見るからに恐怖に震えていて、しかし、
「商人。こいつ、寄越せよ」
「まいどありー☆ 料金は、うん。帰ってきてから払ってよ」
「ハッ、お人好しめ。俺が死んで料金回収できなかったってなっても知らねえぞ」
剣を引き抜き、彼はリーダー格の女を真っ直ぐに見つめて、全身に走る悪感情を振り払い、こう叫んだのだ。
「舐めんじゃねえぞ、クソが!! テメェらだけに良い格好させるかっ。俺は、くそがっ、テメェよりも年齢も冒険者としても先輩だぞ敬えよ!! くそ、くそくそ!! あんなもん怖いに決まってんだろ、だけど、ああくそ!! そうだよな、舐められたままでいられねえよな!! 魔物だろうが何だろうがぶっ飛ばせばいいんだろうがクソッタレがあ!!」
その叫びに周囲が呼応する。
あるいは罵倒を口にしながら、あるいは魔物討伐による報酬をギルドに請求してやると叫び、あるいは女だけに良い格好させてたまるかとヤケクソ気味に。
それでも彼らが立ち向かうことを選んだのはリーダー格の女の姿があったからだろう。見るからに恐怖に震えていながら、それでも立ち向かう道を選んだその姿を馬鹿馬鹿しいと切り捨てられるような人間は冒険者なんてやっていない。
誰だって強大な存在に立ち向かうのは怖い。命のやり取りを経験している冒険者こそそれは顕著であり、魔物や瘴気なんてものは最たる恐怖の象徴である。
だけど。
それだけが彼らの全てではない。
きっかけこそなんであれ、冒険者という危険な職を選んだ。正規の方法ではどうにもならない理不尽に苦しむ誰かからの依頼を受けて、達成して、幾人かの笑顔を取り戻してきた。逆に失敗すればどうなるかも散々経験してきたのだ。
だったら、仕方ない。
怖くても、それでも他ならぬ一人の冒険者が理不尽に立ち向かい、誰かを救うことを選んだのならば、これ以上恐怖に屈してグダグダ言い訳しているわけにはいかないではないか。
その先、失敗すればどうなるかを知っているのならば、いつまでも恐怖に足をすくませていられるものか。
冒険者たちが、動く。
例えその力が魔物よりも『弱い』としても、そう、相手が自分よりも強いからと屈するような聞き分けの良さがなかったからこそ彼らは暴力を追求し、救いへと変えてきたのだ。
ーーー☆ーーー
世界の『どこか』で純白の小さな女の子はこう呟いた。『これは致命的かもしれんのう』、と。
なぜなら、
「邪神は最愛の魂や醜悪な血脈を使って人々の悪感情を最大限に抽出しようとしていた。そのために呪縛でもって最愛の魂を絡め取り、真なる聖女だと持ち上げられていた醜悪な血脈の敗北を広く喧伝する予定だったじゃろう。だが、その『計画』は未だ果たされてはおらん。感情の落差でもって最高値の悪感情を誘発しようとしていたのならば、必然的に今現在は『上がる前』じゃ。そう、今ならばまだ世界中の生命はそこまで強烈な悪感情を宿してはいないのじゃよ」
神は現世に生きている生命の特定の感情の総量を力と変える。中でも邪神は悪感情を糧としていたはずだ。
『計画』が達せられていればその力はもしかしたら女神にだって届いていたかもしれない。
だが、今ならば。
聖女が呪縛に堕ちたことが多くの人間に知られる前に解放して、未だティナが敗北したわけではない現状であれば負の感情の総量は想定していたよりも少ないはずだ。
魔物や瘴気といった脅威から恐怖という悪感情は生まれるだろうが、恐怖とは乗り越えることだってできるものだ。
まだ世界には聖女や真なる聖女という希望があるならば、現世の生命は諦めることなく前に進むことができる。
──アンジェを取り巻く環境は劣悪で、悪意に満ちていたかもしれないが、それだけが全てではない。
誰だって一度は悪感情に囚われるかもしれない。だが、そこで必ずしも終わるわけではない。それでもと繋げて、最後には悪感情を振り払う強さだって持っているはずだ。
「現世の生命を見下し、半端な悪感情を糧とした程度で勝てると考えたこと。それこそ致命的と言わずに何と言う」
だから。
だから。
だから。
ーーー☆ーーー
禍々しき漆黒が解放された。
レベル100以上。悪感情を糧としてどこまでも成長を続ける神の一撃である。先の触手よりも遥かに強大な力を秘めてはいるだろうが──
ゴッッッバッッッ!!!! と。
次から次に展開される魔法陣より放たれた魔法と禍々しい漆黒とが激突する異音が炸裂した。
触手のように弱点を突くも何もあったものではなかった。拮抗なんて程遠く、ジリジリと押されてはいたが、即座に押し流されるわけでもない。
99ものレベル99の魔法。その物量は必殺の一撃と押し合うだけの領域には至っていたのだ。
「……これでも足りないというのならば」
そこで。
次から次に展開される魔法陣が重なり、まるで互いに喰らい合うように絡み合っていった。
99もの魔法、その先。
100番目の魔法へと生まれ変わる。
「光よ!!」
カッッッ!!!! と迸るは浄化魔法と同じく純白を冠とする閃光。破壊力のみに特化した新たな魔法にして、その性質は他の魔法の比にならないくらい突き抜けていた。
この世界の生命が扱う魔法にはレベル99という上限がある。それでいて、個々の魔法には『差』がある。炎や水といった属性を操るものから転移や破砕といった特異な現象を出力するものまで様々である。
その性質の部分をどこまでも拡大させたのが100番目の魔法だ。レベル1でもレベル10だの20だのの他の魔法を打ち破るほどに突き抜けた破壊の性質、いいやそれはもう『消滅』の領域へと踏み込んでいた。
消滅魔法(レベル99)。
99もの魔法を掛け合わせて生まれた、アンジェ=トゥーリアの集大成である。
「な、ん……っ!?」
拮抗する。
邪神の必殺、カンストに縛られないレベル100以上の力に人間の魔法が並び立ったのだ。
もしも、呪縛に囚われて操られていた時のアンジェがこんな魔法を使えたのならば、先の戦闘で邪神が持ち出していたはずだ。そうなっていれば、その時点でティナたちは呆気なく消し飛んでいただろう。
だが現実はそうはなっていない。
であれば、呪縛に囚われていた時は消滅魔法なんて使えなかったということだ。
手持ちの力では邪神には届かないとわかったから新たな力を求め、こうして形にしてみせるポテンシャルの高さ。人間の身にて99ものレベル99の魔法を獲得できた理由はこの凄まじい成長速度にこそあるのだ。
だけど、それでも、拮抗であった。
ここでクリナやギルドマスターが何かしらの魔法を放ったところであまり意味はないだろう。すでに勝負の領域は神の座す位置にまで跳ね上がっている。ティナでさえも軽々と蹴散らされている以上、生半可な力では助力にすらならない。
であれば、
「勝てると思ったか?」
邪神は言う。
その表情に嘲りを滲ませて。
「こうして拮抗している以上、ここから先は消耗戦だ。どちらが先に魔力切れとなるかなど試すまでもない! アンジェ=トゥーリア、お前は人間から見れば無尽蔵にさえ思える魔力の持ち主だが、それでも神には及ばないのだからなあ!!」
神と人間では『容量』が違う。
いかにアンジェ=トゥーリアが普通の人間とは比べ物にならない魔力を持っていようとも、いずれは尽きる。そうなれば終わりだ。ティナさえも軽々と蹴散らされた以上、邪神と対等にぶつかり合える力の持ち主はアンジェ=トゥーリアを置いて他にはいないのだから。
拮抗であれば、消耗戦の末にアンジェは敗北する。それは邪神の言う通り試すまでもない当然の末路というものだ。
だから。
そこで。
赤く光る糸のようなものがアンジェの左手、正確には薬指に巻きついた。
その先。力強く握られた左の拳、すなわちティナの薬指にもその糸は絡みついていた。
その名は魔力譲渡魔法。
糸と糸で結びついた両者の魔力を共有する魔法である。
先程まではティナとエルザが繋がっていたのだが、度重なる魔法の行使でエルザの魔力もほとんど尽きたがために新たな魔力源としてアンジェを選んだのだ。
アンジェには人間から見れば無尽蔵の魔力がある。拮抗からの消耗戦に持ち込まれたとはいえ、まだ魔力には余裕があった。
そう。
魔法一発分くらいは余裕で補えるくらいには。
「聖女様は言いました、力を貸してと! それなのに私が黙って見ているとでも思ったですかあ!!」
つまり。
つまり!
つまり!!
「上限突破魔法!! 聖女様の魔法を増幅してください!!!!」
上限突破魔法は、対象となる魔法を上限突破魔法のレベル分だけ増幅する。
そう、消滅魔法(レベル99)を上限突破魔法(レベル6)分だけ増幅し、消滅魔法(レベル105)へと昇華するのだ。
99ものレベル99の魔法を掛け合わせた消滅魔法はレベル1でもレベル10だのレベル20だのの他の魔法を真っ向から打ち破るだけの破壊に特化した性質を宿す。そんなアンジェ=トゥーリアの集大成とも呼べる消滅魔法をカンストのその先まで増幅すればどうなるか。
貫く。
禍々しい漆黒を純白に光り輝く一撃が貫いたのだ。
拮抗からの消耗戦に持っていくまでもなく。
真っ向から、真っ直ぐに、神の領域を突破する。
「ッッッ!? ま、って、くれ。予は、神だぞ!! それが、こんなっ、なんだ? 神が人間に敗れるとでもいうのか!? あり得ない、そんな結末あり得るものかァァァああああああああああああああああああああああ!!!!」
断末魔を、純白が消し飛ばす。
触手の怪物を清浄なる光がカケラも残さず吹き飛ばしたのだ。




