第二十話 邪神
時は少し巻き戻る。
『私はどうしても聖女様を諦められねーです。だから! お願いだから!! 聖女様をお救いするためにみんなの力を貸してください!!!!』という叫びにみんなは呼応した。
そうして百人近いエルフやエルザ=グリード、ギルドマスターといった面々がティナという共通項でもって集い、共闘するに至ったとはいえ、彼女たちは詳しい事情を知っているわけではない。ゆえに邪神側に悟られないようエルザ=グリードの念話魔法で言葉を介さず意思疎通をはかりながら情報を交換していった。
『つまりティナの「模倣」だの「レベルアップ」だのを重ねた浄化魔法を叩き込めば聖女を元に戻すことができるってわけか。まあ問題点がないわけじゃねえみたいだが』
ティナからもたらされた情報を総括してギルドマスターがそう意思を伝達する。
アンジェを蝕む呪縛・心(レベル100)、呪縛・体(レベル100)、呪縛・浄(レベル100)、憑依・魔(レベル分類不可)、すなわち心や体を支配し、浄化魔法の出力を制限し、邪神が憑依している一連の状態異常は全てレベル100以上の浄化魔法でもって打ち破ることができる。
そのためにティナは模倣魔法による浄化魔法(レベル99)と上限突破魔法(レベル6)を掛け合わせて浄化魔法(レベル105)を構築した。
だが、問題点が二つ。
一つはティナが魔力不足のために浄化魔法(レベル105)を使えないというもの。
『魔力不足に関しては魔力譲渡魔法で補えますわ。聖女様という規格外を除き、人間が内包する魔力量はほとんど差がありませんので、私の魔力をティナちゃんに与えるだけで十分でしょうしね。ただし、赤い光の糸でティナちゃんと接続する必要があるので、できればその光を邪神とやらに視認されないようにしたいですわね。魔力不足で切り札が使えない、と思い込ませておけば油断を誘えるかもしれませんし』
『それなら我の幻惑魔法の幻覚で赤い光は消しておくとしよう』
サラリとエルザ=グリードが一つ目の問題点を解決すれば、
『浄化魔法を当てるための方法ならあ、うちのフィリの転移魔法を使えばいいと思うよお』
模倣魔法と上限突破魔法の合わせ技を使う場合、身体強化魔法などといった他の魔法を同時使用はできない。ゆえにティナ自身の身体能力で音速超過での挙動さえも可能な邪神側へと一秒ものチャージ時間が必要となる浄化魔法を直撃させなければならないが、普通にやっても成功する見込みはないだろう。
だからこその転移魔法。
この魔法の制限のうちの一つ、移動先となる座標に何らかの物体がある場合は移動先を修正、可能な限り誤差が出ない場所へと移動するという点を利用して、邪神側と座標が重なるように魔法を発動すればどうなるか。座標が重ならない限界ギリギリ、それこそ触れ合う寸前の座標に修正、転移される。
ならば転移までに浄化魔法を構築しておいて、転移直後に魔法を放てば? 触れ合う限界ギリギリ、ゼロ距離より即座に魔法が放たれることになれば、音速超過での挙動を行う隙すら与えずに浄化魔法を直撃させられるはずだ。
そのためにも発動までの五秒間の間に僅かでも転移対象が動けば魔法発動は中断される、また転移対象は術者が視認する必要がある、という転移魔法発動の条件を満たす必要がある。もちろん邪神側に作戦がバレれば力づくで阻止されるだろうから、隠蔽のための工夫が必要になるが。
『今、魔物が王都で暴れているよね。そいつらをやっつけるために、という名目でぼくが戦線を離脱。後で合流して転移魔法を発動すれば良くない?』
一つは魔物によって王都の住人の負の感情が促進、アンジェに憑依している邪神の力が増すことを阻止するために。
もう一つはそもそも生半可な力の持ち主では此度の戦闘にはついていけないからほとんどのエルフを魔物殲滅に割り振った。そんな風に邪神側に思わせておいて、その実、一番の狙いは百人近いエルフに混ざってフィリを戦線から離脱させ、然るべきタイミングでティナと合流。転移魔法発動までの『五秒』を稼げば、邪神の悪意からアンジェ=トゥーリアを救う道も見えてくる。
──だから、ティナはわざと真っ向からアンジェ=トゥーリアだった何かに挑んだ。結局真っ向勝負しかできないと思わせておいて、粉塵に覆い隠されたその瞬間に音速超過の挙動でもってフィリと合流したのだ。
その際の粉塵の不自然な揺らぎやエルザ=グリードからティナまで伸びる魔力供給のための赤い光はリーゼの幻惑魔法で隠し、そこからの『五秒』を稼ぎ、そして──
ーーー☆ーーー
バラバラ、とアンジェ=トゥーリアを蝕んでいた異形の象徴が身体から剥がれ落ちる。翼やツノ、尻尾がひび割れ、崩れ、細かな漆黒の粒子となって後ろに流れていく。
青い肌の下から、眩い肌色が覗く。
漆黒の髪が黄金のように光り輝く金髪に、禍々しい黒き瞳が宝石のような碧眼の輝きに拭われる。
『あの時』から成長していて。
それでいて、さらに美しくなったアンジェ=トゥーリア本来の姿が浮かび上がる。
「聖女様っ!!」
ふらつき、倒れそうになるアンジェを支えようとしたティナであったが、聖女を蝕む悪意を取り除けたことに安堵したからか、魔法による身体の強化すら忘れていた。ズタボロの身体でアンジェを支えられるわけもなく、巻き込まれるように二人揃って地面に倒れる。
右腕なんて吹き飛んでいて、それ以外にも無事な箇所などどこにもない有様のティナは、それでもかろうじて原型を留めている左腕をしっかりとアンジェの身体に回す。抱きしめる。
「良かった、です……。は、はははっ! やっと、やっとお! 聖女様をクソッタレな悪意から解放できました!! はっはっ、ははははははははははははははははははははははは!!!!」
飾ることなき、ありのままの本音だった。
真っ直ぐで、純粋で、ブレることなく、どれだけズタボロになろうともこの結末さえ掴めたならばそれでいいと、満足なのだと、幸せなのだと歓喜のままにぎゅうっと力強くアンジェを抱きしめる。
涙で顔をぐちゃぐちゃにして、それなのに口からは笑い声が止まらなくて、頭の中なんて感情の激流にごちゃ混ぜになっていて。
だから。
だから。
だから。
「この馬鹿っ!! 何を終わった空気出してやがる!? アレが見えてねえのか!?」
ギルドマスターの叫びに、ティナはむうと唸り声をあげる。
責めるような目をギルドマスターに向けて、一言。
「空気読むですよ」
「俺か? 俺が悪いってのか!?」
「はぁ。まあ放置するわけにもいかねーですし、何より私としても見逃すつもりはねーですし、仕方ねーから動いてやるですよ」
呟き、未だ意識がはっきりしていないのか瞳を閉じたままのアンジェをゆっくりと地面に横にするティナ。
立ち上がり、そして真っ向から見据えるは剥がれ落ちるようにアンジェの後ろへと流れた異形の残滓。正確にはぎゅるり!! と渦巻き、轟き、肥大化を続ける漆黒の塊であった。
ぎぢゅべぢゅぶぢゅう!!!!! と。
粘着質な音が連続する。その度に漆黒の塊から赤黒い液体が噴き出し、勢いよく巨大な触手が飛び出す。
一本一本が民家を押し潰せるくらい極太の、黒く光る鱗を纏う不気味な触手であった。それが次から次へと、際限なく、中央の塊より吐き出される。
漆黒の塊が、弾ける。
そうして晒されたのは全長五十メートルは超える触手の塊であった。
そこで。
触手が集まり、団子状になった中心部からずるり!! と何かが生える。
それは男の形をしていた。
それは漆黒で全身を構築していた。
それはまさしく悪意の塊であった。
──浄化魔法によって祓われたのは呪縛だけにあらず。憑依。そう、アンジェの身体に取り憑いていた者さえも祓ったのならば、当然外界へと『それ』が顔を出すに決まっていた。
「人間ごときが予に勝ったつもりか? 予は邪神エルゴサーガだぞ!? この世界における上限、レベル99の壁に囚われることなき天の上の存在だ!! この世界の生命など悪感情を抽出し、予の力を増幅するための肉塊に過ぎないんだ!! それが、こんなっ、図に乗るのも大概にしろよお!!」
「肉塊みたいな奴が何をほざいているんですか?」
「……ッッッ!!!!」
ぶぢり!! と頂点に君臨する人のような形をした何かが唇を噛み千切る。まさしく憎悪、悪感情を噴き出して。
「もういい。貴様は人間どもから効率的に悪感情を誘発するために徹底的に利用するつもりだったが、もういい!! ここで殺してやる!!」
「それはこっちの台詞ですよ、肉塊」
無事な箇所なんてどこにもない。
今すぐにでも倒れたって不思議はない。
それでもティナはかろうじてくっついているような有様のズタボロの左拳を握りしめる。
一歩、前に。
その背にアンジェ=トゥーリアを庇い、これまで裏で暗躍してきた邪神を見据えて。
言い放つ。
「聖女様を散々苦しめてきたテメェだけは、絶対に! ぶち殺してやるですよ!!」
もうこれ以上の裏や真の敵なんてものは存在しない。
正真正銘の最終決戦。
レベル99のその先に君臨する邪悪なりし神さえ打倒すれば、アンジェ=トゥーリアをつけ狙う脅威は一掃される。
だったら、頑張れる。
アンジェのためならば、ティナはいつだって、何度だって、その拳を握りしめることができるのだから。
ーーー☆ーーー
【名前】
エルゴサーガ
【性別】
???
【種族】
???
【年齢】
???
【称号】
憎悪や悪、すなわち負の感情を司りし神
【所有魔法】
瘴気魔法(レベル100以上)
触れたものへと呪縛を刻む魔法。体や心、魔法といった項目を自在に染め上げ、支配する。
憑依魔法(レベル分類不可)
対象の『中』へと肉体も魂も収納する。対象を支配することはできないが、憑依状態であっても自身の魔法を扱うことはできる。
砲撃魔法(レベル100以上)
魔力を破壊力を秘めた閃光と変えて放射する。放射時に球体や螺旋などある程度形を変えたり、直線だけでなく曲射などの操作も可能。
【状態】
信仰形成・魔(レベル分類不可)
神族における存在証明、すなわち信仰とは神を形作る最も大きな要素となる。生きている人間が現在宿す感情、その中でも負の感情の総量によって身体能力や魔力量、魔法レベルといったあらゆる能力が増減する。
「これは致命的かもしれんのう」
世界の『どこか』で、無理してでも邪神のステータスを読み取った純白の小さな女の子はそう呟いていた。
 




