幕間 ティナという少女 その八
王立魔法学園、その校舎裏。
それが初対面ではなく『再会』なのだとアンジェは思ってもいなかっただろう。
ティナを助けたことなど、アンジェにとっては数ある『当たり前』の一つだったのだから。
『ひゃあああああーっ!? せっせせっ聖女様じゃねーですかあああああ!! あの、あのあのっ、大好きです!!!!』
『はい!?』
ゆえにティナに対する印象は突然大好きだなんだ言ってきた変な少女、という認識でしかなかったはずだ。そのインパクトのせいで見逃していたのかもしれない。
ティナが大好きだなんだ叫ぶ前。
ティナがアンジェを見たその瞬間の反応を。
『……ッッッ!?』
少女の眉が跳ねる。
そのような反応にももう慣れていた。何せ人間とは思えない異形へと成り果てたのだ。瘴気を祓い、もって国内の安全を維持することは『当然』であり、こうして瘴気に犯され、異形と成り果てたのはアンジェの過失である。
ゆえに忌避されるのは『当然』だ。
貴族、そして聖女としての義務をきちんと果たしていれば起こり得なかったことなのだから、全ては己の能力不足に他ならない……と考えていたはずなのだと。
ティナの眉は跳ねた。少なくともそこには悪感情が乗っていたからこそそのような反応にももう慣れていたと感じたのだということに。
……その後の真っ直ぐすぎる好意の衝撃が強すぎて、嘘ではないということがわかってしまったがゆえに受け止め方がわからなかったから『一番初めにティナが何を忌避していたのか』を深く考えることはなかったのだ。
では、あの出会いは。
ティナにとっての『再会』の一番初めには何があったのか。
答えは簡単だ。
ティナは能力知覚魔法(レベル23)によってアンジェのステータスを見ていた。それも【状態】の項目に刻まれたものを見たがために抑えきれないほどの悪感情が噴出したのだ。
ーーー☆ーーー
【状態】
呪縛・心(レベル40)
呪法による状態異常。嫌悪や憎悪といった負の感情の増幅を軸に心に干渉する。レベル100になると対象の心そのものを支配する。呪縛・心と同じかそれ以上のレベルの浄化魔法で解呪可能。
呪縛・体(レベル100)
呪法による状態異常。対象の身体的特徴を変異させる。レベル100になると身体の隅々まで術者の望むがままに作り替えることが可能。呪縛・体と同じかそれ以上のレベルの浄化魔法で解呪可能。
呪縛・浄(レベル40)
呪法による状態異常。魔法の源泉である魂を侵食し、女神の光である浄化魔法を邪神の闇である瘴気魔法で塗り潰す。呪縛・浄のレベル分だけ浄化魔法の出力も低下する。浄化魔法のレベルと同じかそれ以上の呪縛・浄が刻まれた時点で浄化魔法を出力することはできなくなる(※出力できなくなるだけであり、浄化魔法自体が消えてなくなるわけではない)。呪縛・浄と同じかそれ以上のレベルの浄化魔法で解呪可能。
憑依・魔(レベル分類不可)
呪法による状態異常。術者を対象の肉体へと乗り移らせる。憑依・魔自体はあくまで乗り移りのみであり、この状態異常だけでは乗り移り対象を操ることはできない。レベル100以上の浄化魔法で解呪可能。
エラー発生。上限を超える情報が表示されています。再度能力知覚魔法を使用することを推奨します。
ーーー☆ーーー
呪縛・体はすでにレベル100。魔物のようにアンジェの肉体は術者たる何者か、すなわち『奴』によって完全に作り替えられている。
呪縛・心はレベル40。未だ半分以下であるのならばまだ猶予はあるのか。
ただし、呪縛・浄というものは予想外だった。浄化魔法の弱体化、正確には出力制限とでも言うべきか。何より邪神の闇である瘴気魔法と明記されているのが重要だった。
つまり、この状態異常の原因は魔法である。そう、原因不明の瘴気がもたらす呪縛、魔物化は邪神と呼称される『奴』がばら撒いた悪意によるものなのだ。
おそらく『奴』はアンジェに乗り移っている。憑依・魔。ここは下手に穿って考えずとも、素直に邪神によるものだと捉えればいいだろう。いいや、そうでなくとも明確に悪意ある者が乗り移っているのだということだけ分かればいい。
『奴』の狙いなんて知らない。
わかったのは『奴』が着々と状況を進めているということだ。
体はもうレベル100に至り、邪神の手の内に。
心や浄化魔法もまた半分程度が『奴』の手中となっている。
憑依、なんていうものもある以上、このまま現状維持という展開にはならないだろう。必ずや『奴』は何かしらの動きを見せる。
その動きによって浄化魔法の使い手を潰すつもりなのか、憑依という言葉の通り身体や力を奪うつもりなのか、もっと別の狙いがあるのかは知らないが、どう転んでもアンジェが無事に済むことはない。
だから、だ。
この時、ティナの行動指針は確定した。
アンジェを、憧れの大好きをお救いする。そのためならば何でもやると。
ーーー☆ーーー
アンジェはティナが想像していたよりも規格外であった。レベル23の能力知覚魔法によると99もの魔法を所有しているというのだ。
流石に治癒魔法のような血筋に左右されるもの、その存在すら能力強化魔法でも使わないことには確認できないくらいには特異すぎる上限突破魔法や模倣魔法、精霊の試練由来の能力知覚魔法や能力強化魔法までは所有していなかったが、それにしても規格外であることに変わりはない。
……練度を上げるなら数を絞ったほうがいいし、そもそも相性の問題もあるのでそうそう多くの魔法を覚えられるわけもないのだが、その辺は聖女というよりはアンジェが規格外なのだろう。そもそもティナでさえも所有魔法の最大レベルは94だというのに、99もの魔法全てがレベル99とはどうなっているのか。
ティナの憧れは遥か遠くに。
だからといって彼女が困っている時に力になれないとは限らない。
(運が良かったです。呪縛・浄。こいつが浄化魔法そのもののレベルを下げる、なんて話だったらもう打つ手はなくなっていたですよ)
『再会』の後、大好きだなんだと伝えてすぐにティナはあの場を走り去っていた。未だに心臓がバクバクうるさいのはアンジェの顔をまともに見たからだ。シリアス顔で色々考えてはいるが、魂の根幹は『再会』の喜びに荒れ狂っているのだから。
それはそれとして、アンジェのためにと思考を回す。
(呪縛・浄は出力制限。つまり聖女様の浄化魔法そのものはレベル99のままであれば、まだどうとでもできるですよ。……逆に言えば、もっと早く動いていればとっくにどうとでもできたということでもあるんですけど)
魔物を元に戻すというのはまた別として、異形と化したアンジェを救うだけならできるだけ早く行動して状態を確認するべきだった。それが変に躊躇したせいで一年も放置した上に手札が足りないことに今更ながらに気づくこととなった事実に軽く自分を殺したくなった。
ともあれ、だ。
今はともあれと切り替えて先に進むべきだ。自己嫌悪でアンジェを救うために使うべき時間をこれ以上無駄にはできない。
結果論ではあるが、アンジェの体はレベル100の呪縛に囚われている。これはアンジェのレベル99の浄化魔法でも解呪は不可能だし、そもそも呪縛・浄(レベル40)という出力制限のせいでレベル99から40もマイナスされる有様だ。
ティナの上限突破魔法はレベル6。マイナス分には遠く及ばない。一年近くかけてこの程度であり、しかも上限突破魔法というのは珍しい魔法であり、ゆえに成長させるための理論が確立してはいない。魔法を成長させるにあたって重要なのは理論に基づいた訓練である以上、理論が不明である上限突破魔法をレベル40まであげるのはほとんど不可能だろう。
何せ幼少期の理論など全く知らなかったティナだってレベル一桁くらいなら魔法を上げられたが、それ以上となるとエルザによる才能を開花させるための理論的な訓練が必要になったのだから。
ゆえに、アンジェを蝕む悪意を取り除くには手札が足りない。
だからといって諦めるわけにはいかない。足りないならば、手に入れればいいだけだ。
人の世の常識では打つ手なしかもしれない。だがティナは人の世の理の外、人間の常識の埒外へと手を伸ばしている。
能力強化魔法。
この世界に存在するあらゆる魔法を検索・獲得するための力。代わりに何かの命を奪い、獲得した経験値を支払う必要がある。
ここで浄化魔法など選んでもどうしようもない。能力強化魔法はあくまで魔法獲得のための手段。浄化魔法を獲得してもレベル1から上げていくのは至難だろうし、そもそも浄化魔法は要求経験値が膨大すぎて手が届かない。
『物真似で良ければ模倣魔法で浄化魔法にも手が届くんですけど、そのために聖女様に助けられる命を殺させるってのも違うですよね』
上限突破魔法を獲得する前に、ティナは確かにそう言っていた。
上限突破魔法獲得によって経験値を消費する前であれば形はどうあれ浄化魔法にだって手は届いていたのだ。
模倣魔法。
その名の通り、対象の持つ魔法を一つだけ『模倣』する魔法である。
その際、レベルもまた完全に『模倣』される。そう、アンジェの浄化魔法(レベル99)だろうとも完璧に、だ。
呪縛・浄はあくまで出力制限。アンジェにのみ有効な弱体化。であれば、ティナには関係ない。浄化魔法(レベル99)。アンジェが積み上げてきた成果を真似るだけの卑怯な手段であろうとも、ティナの上限突破魔法(レベル6)と組み合わせればレベル100を越えられる。呪縛だって破ることができるのだ。
ただし、問題がないわけではない。
模倣魔法獲得には相応の経験値が要求される。一年前に上限突破魔法を獲得するために大半の経験値を消費してから魔物を無力化するのみで殺すことはなくなったティナの手には届かない。
(…………、)
つまり。
模倣魔法獲得のためには『命』と引き換えでしか得ることができない経験値を集める必要がある。手っ取り早いのは魔物だろう。強く変貌しているがために経験値も多く、誰もが殺しても良い存在として捉えている者たちであればいくらでも踏み台にできる。
魔物を殺すことは正しい。なぜなら放っておけば多大な『命』を奪うのだから。
魔物は殺すしかない存在だ。なぜなら瘴気によって変貌した者たちを元に戻す手段は存在しないというのが定説なのだから。
魔物は加害者だ。『命』の奪う脅威。殺すことでしか止めることのできない者たちであり、しかし元を正せば瘴気による被害者でもある。
知らなければ、無邪気に正義を語って拳を振るうことができた。だがティナはすでに知っているのだ。瘴気による呪縛。体や心を蝕むそれさえ祓ってしまえば魔物と変えられた『命』を救うことはできるのだと。
付け加えるならば能力強化魔法はこの世界に存在する魔法を経験値を支払うことで獲得できる魔法だ。それが現在なのか過去なのか、はたまた未来なのかはティナには判断がつかないが、可能性だけならこうも言える。
模倣魔法は誰かがこの世界で発現させることが可能な魔法だ。ゆえに探せば模倣魔法を持つ誰かが存在するかもしれない。
大陸の隅々まで探し回っている間に状況は一線を超えてアンジェの身も心も『奴』の好きに蹂躙されるかもしれない。だけど、それでも、可能性だけならあるのだ。模倣魔法の使い手さえ見つけられればこれまで『加害者』として殺すしかなかった魔物たちを『被害者』として正当に扱い、きちんと救うことだって。
それを、経験値のために殺す?
救える可能性のある『命』を、人間だって含まれている『被害者』たちを手っ取り早いからと経験値として殺して回ると?
(……は、ははっ……)
ぱちん、と。
空虚な笑いを漏らしながら、ティナは己の顔を手で掴むように覆う。
(私は紛うことなき外道ですね。『被害者』だろうがなんだろうが、聖女様をお救いする最短ルートならばと殺す道が選べるのですから)
これが、ティナ。
真っ直ぐで、純粋で、ブレることなき少女。
そう、『あの時』からティナの優先順位第一位は不動なのだ。その頂点のためならば他の何物だって切り捨てられるほどに。
誰に非難されようとも、ティナは掴む。
大好きなあの人を救うための力を。
ーーー☆ーーー
『ついに! 模倣魔法獲得に必要な経験値がたまったですよおーっ!!』
そうして必要な手札は揃った。
多くの『命』を犠牲にした果てにたった一人を救うための手札が、だ。
ーーー☆ーーー
世界のどこかで『彼』は悪意に満ちた笑みを広げていく。
例えば百年以上も憎悪を燃やし続けていたはずのエルフさえも懐柔するに至った『きっかけ』。レベル1ではできることに限度はあるが、クリナがあのタイミングで『領域』の外に出るよう背中を押すことでティナと引き合わせることくらいはできる。
その末にティナは精霊の試練を突破した。そうして獲得した能力知覚魔法や能力強化魔法によって上限突破魔法……は予想外だっだが、模倣魔法へと繋げる『道』へと誘導できた。
真っ直ぐで、純粋で、ブレることはない?
それならそれでやりようもある。周囲の環境を操作することで想いこそブレなくとも行動を望むがままに誘導することは簡単だ。
──ティナがエルザに魔法を教えてもらっていた頃は目をつけてすらいなかった。ギルドマスターを殴り飛ばした辺りから人間側にも強き者が現れたと判断して一通り精査し、そこで彼女の『心の動き』や膨大な魔物を殺して経験値を積み上げていることを知った。
ゆえに、利用価値があると判断したのだ。
その判断は間違っていなかった。
その証拠にアンジェ=トゥーリアは本来の計画よりもずっと早く、より強固に悪感情に縛りつけられているのだから。
全ては悪意のままに。
女神の愛した生命はかくも美しく、ゆえに踏み躙り甲斐があるというものだ。
ーーー☆ーーー
【名前】
ティナ
【性別】
女
【年齢】
十四歳
【称号】
未取得
【所有魔法】
風属性魔法(レベル89)
精霊が司る基本属性の一つ、風を操る魔法。
身体強化魔法(レベル94)
術者の膂力、反射神経、自然治癒力など身体能力全般の底上げを可能とする。代わりに一点に集中して底上げする魔法よりは増幅率は低くなる。
能力知覚魔法(レベル23)
精霊に認められし者が観測できる天なりし上位の領域、すなわち対象の能力をステータスとして表示可能。
能力強化魔法(レベル分類不可)
この世界に存在するあらゆる可能性を網羅する天なりし上位の領域に接続し、これまで殺してきた生物の魂の残滓たる経験値を対価とすることであらゆる魔法を獲得できる。
上限突破魔法(レベル6)
上限突破魔法のレベル分だけ対象の魔法のレベルを上げ、強化する。
模倣魔法(レベル分類不可)
対象の魔法をレベルも含めて模倣する。ただし一つの魔法を模倣するとそれから三日間他の魔法を模倣することはできない。
【状態】
呪縛・心(レベル1)
呪法による状態異常。嫌悪や憎悪といった負の感情の増幅を軸に心に干渉する。レベル100になると対象の心そのものを支配する。呪縛・心と同じかそれ以上のレベルの浄化魔法で解呪可能。




