幕間 ティナという少女 その七
エルフの里から帰ってすぐにエルザ=グリードのもとを訪ねたティナは三日三晩抱きしめられていた。
心配をかけるとは思っていたが、エルフの信頼を勝ち取るには下手なことはできなかった。ティナとしては無事なことくらいはエルザに伝えたかったが、『外』に手紙を送るなどすれば内容を確認してもらったとしても暗号か何かでエルフが生存していたことや里の場所を伝えようとしていると邪推されかねなかったからだ。
結局『移住』が決まるまで年単位でエルフの里に滞在することになった。というかティナが精霊の試練を突破するまで『移住』しないようクリナが立ち回っていたようであり、あれが彼女なりのお礼みたいなものだったのだろう。
とにかく、だ。
ティナとしては精霊の試練を逃すなどあり得なかったが、それはそれとしてエルザに心配をかけるのは本意ではなかったので好きにさせてはいたが……。
『師匠ー。そろそろ離してくれねーですか?』
『……もういなくなったりしないですわよね? 死んだり、しないですわよね……!?』
『しねーですよ。いやまあちょっとばかり不在にすることはあるかもですけど、絶対に死ぬことはねーです』
『……ほん、とう?』
『本当ですよ。っていうか死んでしまったら聖女様に並ぶも何もあったものじゃねーですからね。何のための武者修行だって話ですよ』
これでも落ち着いたほうだった。帰ってきた当初など子供のように泣き叫んで話をすることもできなかったのだから。
死んだ娘にティナが似ている……だけではない。ティナという少女自身をエルザは大切に想ってくれているからこそ、娘のように死に別れするようなことはもう耐えられないのだろう。
効率的に事を運ぼうとした結果がこれだ。
師匠をこんなにも悲しませるくらいならエルフ側に変に邪推されようとも手紙の一つでも送ればよかったとティナは後悔していた。
『だけど、その……何も言わずにいなくなったことで心配かけたのは本当申し訳ねーと思っているですよ。師匠、ごめんなさい』
『もういいですわ。ティナちゃんが無事だったなら、それで十分なのですから』
ーーー☆ーーー
『うーん。参ったですね』
ようやく解放してもらったティナは自室のベッドに腰掛け、覚えたての能力知覚魔法で自身の能力を確認していた。
【名前】
ティナ
【性別】
女
【種族】
人間
【年齢】
十三歳
【称号】
未取得
【所有魔法】
風属性魔法(レベル59)
身体強化魔法(レベル85)
能力知覚魔法(レベル1)
能力強化魔法(レベル分類不可)
※詳細を表示するには能力知覚魔法(レベル20)以上を使用してください。
【状態】
呪縛・心(レベル1)
※詳細を表示するには能力知覚魔法(レベル20)以上を使用してください。
レベルというのは熟練度みたいなもので、能力が上がれば上がるだけ上昇するものらしい。
問題は【状態】にある呪縛・心(レベル1)という項目。
クリナに聞いたところ、この呪縛というものはある時期からこの世界の全生物を蝕んでいるものらしい。
詳細は能力知覚魔法(レベル20)を使えば確認できるようで、レベル20に至っていた百年以上前のエルフの一人が呪縛の詳細について読み取った内容を語っていたようだ。
曰く、呪縛・心とは悪感情を増幅するものである(呪縛が現れるまでは能力知覚魔法にそこまで重きを置いておらず、突如現れた呪縛・心の正体を確認しようと急いでレベル20まで上げた時には背中を押された人間たちによるエルフ虐殺が起こった後だったらしい)。
曰く、呪縛は浄化魔法で解除できるものである。ただし呪縛のレベルを浄化魔法が上回っていないと解除は不可能。
曰く、百年以上前に初めて観測された瘴気に蝕まれた動植物が完全に魔物に変貌するのにも呪縛が関係している。
……エルザのもとに帰る前に『呪いの森』で襲ってきた魔物に能力知覚魔法を使用したところ、呪縛・心(レベル100)と呪縛・体(レベル100)が確認された。呪縛・心が悪感情の増幅など心に関係しているのならば、呪縛・体は文字通り体に関係していると考えれば瘴気によって動植物が魔物と変貌する理由も説明できる。
つまり。
だから。
レベル100以上の浄化魔法があれば呪縛・心はもちろん呪縛・体も解呪することができる──そうして魔物をもとの動植物に戻すことができるのではないか?
そう、殺すしかない脅威だと定義されていたがためにこれまで拳を振るってきたが、瘴気の被害者を助けられるかもしれないならば──
『だけど浄化魔法に限らずあらゆる魔法のレベル上限は99、ですか』
それもクリナから聞かされたことであった。
百年以上前のエルフは(一番レベルを上げるのが簡単な基本属性の魔法で)レベル99まで至ったらしいが、そこでステータスにレベルは99が上限ですと表示されたらしい。
そう、一つの魔法を極めてもレベル99以上には成長しない。
……そうなると魔物を蝕む呪縛がレベル100に至っていることに説明がつかないが、ひとまずそれはそういうものだと処理するとして。
ゆえに、だから、仕方ないと諦めると?
瘴気に蝕まれて魔物と変貌した動植物の中には人間だって含まれているのに、レベル99までしか浄化魔法が上げられないからと瘴気の被害者を見捨てろと?
瘴気に蝕まれて魔物と化した生物はもう助けられないとされていた今までとは違う。レベルの問題さえ解決すれば助けられるのに諦めるというのか?
『運が良いのか悪いのか、これまで殺してきた魔物の分だけ経験値はたまっているんですよね』
浄化魔法は要求経験値が膨大で手が届かないが、大抵の魔法は獲得できそうだった。
それが己の罪の象徴に感じられて身体の芯から得体の知れない寒気がしたが、奥歯を噛み締めて無理矢理にでも思考を切り替える。
『物真似で良ければ模倣魔法で浄化魔法にも手が届くんですけど、そのために聖女様に助けられる命を殺させるってのも違うですよね』
だから。
だから。
だから。
『能力強化魔法解放。上限突破魔法を獲得するですよ』
目に見えるような変化はなかった。
しかしティナの胸の奥から異様な熱が迸った。力が埋め込まれる感覚。上限突破魔法は問題なく獲得できたようだ。
代わりにこれまで獲得した経験値の大半を消費することになったが。
『上限突破魔法のレベルに応じて対象とした魔法を強化する、この魔法で私が聖女様の浄化魔法を底上げすればレベル上限のその先にだって手が届くですよ。……できれば物真似とはいえ浄化魔法を獲得できる模倣魔法も手に入れたかったですが、流石に経験値が足りねーですか』
魔法には上限という成長限界がある。
だが、炎属性魔法に風属性魔法を組み合わせて威力を増幅するように魔法と魔法を組み合わせればレベル上限以上の結果を導き出すことはできる(呪縛も同じ理屈でレベル100の状態異常を埋め込んでいる、のか?)。
当初の目標とは大きく外れることにはなるが、それでもティナは放ってはおけなかった。このまま聖女が『殺すしかない』と魔物に手をかけるのを黙って見ているなど我慢がならなかったのだ。
エゴなのだろう。
聖女がこれまで人類のためにとその手を汚してきたことを思えば、こんな真実は知らないほうが幸せなのかもしれない。
それでも、と。
そう繋げてしまったから。
『何はともあれ、「道」は見えてきたです。少なくとも聖女様の浄化魔法のレベルを知る必要があるですし、色々と説明できる機会をつくる必要があるですね』
とはいえ相手は聖女にして公爵令嬢だ。
最近瘴気によって身体的な異常が出ているらしい彼女に平民が容易く会いに行けるわけがないだろう。
ならば。
『王立魔法学園。聖女様が通っている学園に私も通ってしまえば接触の機会もできるってものですよ』
魔法の才能に優れた血筋の貴族でも一握りしか通えないとされる最高峰の学園の入学試験を、しかしティナは当然のように合格する前提で予定を組んでいく。
本当ならばすぐにでも聖女のもとに駆けつけたい衝動をぐっと我慢して、ティナは一年後を見据えて行動を開始する。
上限突破魔法のレベルを上げて、来たるべき時に聖女の浄化魔法のレベルがいくつでも対応できるようにだ。
……最近、聖女が観測史上最大の瘴気に呑み込まれて異形と化したというのが引っかかりはしていたが、浄化魔法が押し負けた結果の異形化ならば浄化魔法以上のレベルの呪縛に囚われている可能性は高い。何はともあれ上限突破魔法のレベルを上げれば元に戻すことはできる。
全ては魔物に変えられた人間を含む動植物やアンジェを元に戻すために。
だからこその一年。
確実性を重視したからこそ一年という期間を消費するべきと結論づけた。
そういう風に後回しにしたのは『再会』したいという望みが膨らみすぎて、『再会』した際にうまくやれるかという恐怖も僅かながら浮かんでいたからか。拒絶でもされようものなら耐えられない、そんな普段なら『再会』したいという望みに押し流されるはずの小さな恐怖が結果として躊躇を生み出した。確実に、何の問題もなく事を進めるために念入りに準備しておきたいという、現状アンジェの身体に異形化という異常が現れている状態ではあり得ない思考でもって。
わかっていても避けられない心の動き。
そのことにティナは気付けなかった。
最高峰ランクの冒険者たるギルドマスターやエルフの里でも屈指の実力者であるリーゼよりも強いティナでさえも上限突破魔法のレベル上げは困難を極めるだろう。胸の内に燃える力は肉体強化魔法や風属性魔法の比にはならないほど希少な魔法。すなわち一般的な魔法と比べて魔法強化のための理論が整っているわけではないのだから(ゆえに『現在の』ティナは一年かけて上限突破魔法をレベル6までしか上げられなかった)。
となれば、だ。
実は一年かけて得られるのは同じ学園に通っているという自然な理由で『再会』できるということだけだったりする。
希少ゆえに理論が出来上がっていない以上、一年近くかけても上限突破魔法のレベルは大して上げられない。そう、すぐに成長限界がくるということは、多少レベルを上げるだけなら一年も必要ないのだ(その証拠に一か月も経たずに上限突破魔法はレベル6となり、そこで頭打ちとなったのだから)。
さらに言えば、なぜアンジェの異形化を放置できる?
なぜか(いくら姿が変わろうともアンジェはアンジェだと思っているからこそ)異形化についてティナはそこまで深刻に考えていないが、アンジェは瘴気によって異形と化したのだ。そう、触れたものをすべからず魔物という異形へと変える瘴気によって、だ。
そんな状態で一年も放置した結果、他の『被害者』たちと同じように魔物に変貌する可能性だってゼロではない、と考えれば、流石に一年近く消費するような悠長な手は選ばないはずだ。
それなら多少警戒されようとも少しでも早く『再会』し、アンジェの浄化魔法のレベルや異形化の状態を確認した上で『どこまで浄化魔法のレベルを上げられれば異形化を元に戻せるのか』というゴールをはっきりさせた上で何かしらの行動に移るはずだ(何なら必要な分のレベルを上げるためにエルフにでも頼って複数人の上限突破魔法の使い手を用意するなどすることでレベルを上げづらいという欠点を『物量』で埋め合わせるなんてこともできたはずだ)。
もっと焦って、なりふり構わず、とにかくアンジェを異形化というどう考えても魔物に変貌する前段階から救い出す方法を構築するために足掻くはずだ。
つまり。
だから。
おそらくとっかかりは『再会』したとして仲良くなれるだろうか、なんて些細な負の感情だ。そんな小さな恐怖を軸として歪めていった心の動きが、本来ならあり得ない『道』へと誘導する。
呪縛・心。
そういう心に干渉する状態異常があるとわかっていても、そもそも自分が間違った『道』を進んでいると気づけなければ何の意味もない。
ほんの僅かな誤差、賢いフリをした過ちこそ世界を包み込む破滅の正体であった。
ーーー☆ーーー
そして、十四歳になって最高峰ランクの冒険者となったティナは王立魔法学園への入学を果たした。
そこで彼女は聖女にして公爵令嬢でもあるアンジェ=トゥーリアと再会したのだ。
ーーー☆ーーー
【名前】
ティナ(学園入学時)
【性別】
女
【年齢】
十四歳
【称号】
未取得
【所有魔法】
風属性魔法(レベル89)
精霊が司る基本属性の一つ、風を操る魔法。
身体強化魔法(レベル94)
術者の膂力、反射神経、自然治癒力など身体能力全般の底上げを可能とする。代わりに一点に集中して底上げする魔法よりは増幅率は低くなる。
能力知覚魔法(レベル23)
精霊に認められし者が観測できる天なりし上位の領域、すなわち対象の能力をステータスとして表示可能。
能力強化魔法(レベル分類不可)
この世界に存在するあらゆる可能性を網羅する天なりし領域に接続し、これまで殺してきた生物の魂の残滓たる経験値を対価とすることであらゆる魔法を獲得できる。
上限突破魔法(レベル6)
上限突破魔法のレベル分だけ対象の魔法のレベルを上げ、強化する。
【状態】
呪縛・心(レベル1)
呪法による状態異常。嫌悪や憎悪といった負の感情の増幅を軸に心に干渉する。レベル100になると対象の心そのものを支配する。呪縛・心と同じかそれ以上のレベルの浄化魔法で解呪可能。




