第十話 すれ違い
──アンジェ=トゥーリアは幼き頃より人々の期待に応えてきた。
世界を汚染し、魔物を生み出す瘴気。ある小国の滅亡という例を持ち出すまでもなく、漆黒の絶望が世界にもたらす被害は絶大だ。
ゆえにまだ四歳ながらもトゥーリア公爵家の令嬢として教育を受けてきたアンジェは自身が浄化魔法の使い手であることの重大性を理解していた。
この力は『命』を左右する。
アンジェの行動によって失われる『命』の数が大きく変動するのだと。
理解しているのならば、手を抜けるわけがない。浄化魔法はもちろん、瘴気を浄化する際に魔物から身を守る術として他の魔法も鍛えていった。気がつけば王国が派遣する護衛が足手まといになるほどに。
これは義務だ。聖女として崇められるだけの力を持っているから、公爵令嬢として民衆の模範となるべきだから、そして何より『命』を背負っているのだから。
だから、普通の女の子のように友達と何の気兼ねなく遊んだり、趣味を楽しむ時間などない。そんなことをしている暇があるなら聖女にふさわしい強さを得るための訓練に時間を使うべきだから。
だから、トゥーリア公爵令嬢や聖女という肩書きにふさわしい相手と、そう、好きでも何でもない我儘な男との婚約だって受け入れなければならない。公爵令嬢として家のための結婚をするのが当然だから。
だから、だから、だから。
人々の期待が、義務が、押し付けが、アンジェという人間の生きる道を決めた。そこからほんの僅かでも逸れることを許さないと脅迫するように。
それは異形と化して、人々から忌避されても変わらなかった。恩知らずな連中など知ったことじゃないと言えるだけの『個』はとっくの昔に塗り潰されている。
そういうものだという心の動きは止められない。
それでも、だ。
あくまで道から逸れない範囲、聖女としての生き様の範疇ではあるが、アンジェは望んだ。
異形の女という冠が生み出す悪感情を跳ね除けるほどに聖女としての役目を果たしたならば、いつかどこかで何に怯えることなく『彼女』の手を取ってもいいのだと。
世界で唯一の浄化魔法の使い手。
その価値があれば、大丈夫。どれだけアンジェが忌避されようとも瘴気という脅威はアンジェにしか祓うことはできない。損得勘定でしかなくとも、いつか必ず認めるしかない状況になるはずだ。
だから。
だから!
だから!!
(どう、して……この程度の瘴気を浄化できないのですか!?)
純白の閃光が迸り、獣のアギトのような山脈地帯を呑み込まんとする瘴気を押し留めていた。
観測史上最大、なんて言わない。これまでアンジェが祓ってきた瘴気の中でも平均的な範疇の規模でしかない。
アンジェを異形と変えた『あの』瘴気を祓ってから今日まで新たな瘴気は確認されていなかった。だから、実感がなかったのかもしれない。
異形化による浄化魔法の劣化。
それがどれだけ進行しているのかが。
(こんなもの異形と化す前であれば一発で浄化できたのです! それが、こんなっ、わたくしから瘴気を浄化可能な唯一の聖女という価値が失われれば残るのは異形の女という侮蔑の象徴だけです!! そうなったら、もう、ティナさんとは……)
喉がひくつく。
視界が歪む。
自分が『どんな顔』をしているのか、公爵令嬢として表情をつくる技術を獲得しているはずのアンジェが把握しきれていなかった。
思考が、纏まらない。
恐怖が這い寄ってくる。
(まだ、です。浄化、浄化さえできればっ、積み重ねれば! いつかきっと何に怯えることなくティナさんの手を取ることができるのです!! ですから!!)
「お願いですから、早く、消えてください!!」
悲鳴にも似た叫びが放たれる。
公爵令嬢らしくない、感情を爆発させたような叫びだった。
そして。
そして。
そして。
「聖女様!! 助けにきたですよお!!!!」
声が。
聞こえて。
ーーー☆ーーー
カッッッ!!!! と。
放たれたのは純白に満ちた光だった。そう、全盛期のアンジェの浄化魔法に匹敵する光が山脈地帯を呑み込まんとしていた瘴気を吹き飛ばしたのだ。
ーーー☆ーーー
「……ぁ……」
並ぶ、追い越す。
薄い赤のツインテールに動きやすいラフな格好。何よりその声は『彼女』以外の何者でもなかった。
「うーむ。上限突破魔法は使わずに済んだ、ですか」
振り返る。
いつかきっと向き合いたかった『彼女』。
だけど。
それは。
「あ、聖女様っ。遅くなってごめんですよっ」
いつも通りの『彼女』が。
どうしようもなく怖かった。
「ぅ、あ……」
だって、アンジェが異形の女という侮蔑の塊を払拭するには聖女として功績を積み上げ、誰もが忌避の感情を脇に置いておけるくらいの価値ある存在とならなければいけなくて。
だって、今はティナはアンジェに心を許していても、いつかどこかで他の人間と同じく拒絶するようになるのは目に見えていて。
だって、ティナから拒絶されないようにするには世界に唯一の浄化魔法の使い手という価値を功績で高めていくしかなくて。
ならば、先程のアレは、なんだ?
ティナの浄化魔法が瘴気を祓った。それもアンジェが十時間近くかけても浄化できなかった瘴気を全盛期のアンジェと並ぶだけの力でもって簡単に、だ。
「……でしたら……唯一という価値も、浄化魔法の性能でも劣っていたら……わたくしには、もう……」
「聖女様? ごめんなさい声が小さくて聞こえなかったんですけど。っていうか何か様子がおかしいような……あっ!? まさかどこか怪我でもしたですか!?」
負の感情が強く這い寄ってくる。
気がつけば転移魔法が発動していた。
ティナから逃げるようにアンジェの姿はこの場より消失した。
ーーー☆ーーー
「ちょっ、聖女様!?」
突如転移魔法で消えたアンジェにティナは慌てて手を伸ばすが、もちろん間に合うわけもなく虚空を泳ぐに終わる。
「な、にが……私、何か間違ってしまったですか?」
呆然と呟くティナ。
良くも悪くも真っ直ぐにアンジェしか見ておらず、周囲の評価など知ったことじゃないティナだからこそ異形だから忌避するべきなんて常識はくだらないと切り捨てられた。
だからこそ、だ。
異形だからと忌避されてきたアンジェの苦悩を察することができなかった。そもそもティナにとっては異形の姿もまた『美しい』ものであり、周囲が何を喚こうが妬みにしか感じられなかったのだから。
「落ち着くですよ。今は、そうです、傷つけてしまったのならばいくらでも謝るとして、今は呪縛の件に専念するべきです。幸い、聖女様をお救いするために必要な手札は揃えているんです。魔力が戻り次第、聖女様の呪縛を祓ってやるですよ!!」
長距離移動のための身体強化魔法や先の浄化魔法を放った際の『模倣』によってティナは魔力の大半を消費していた。
人間の内蔵魔力量はそうそう枯渇するものでもないのだが、何日もぶっ通しで魔法を使い続けたり、ティナのように人間離れしたレベルの魔法や高度で複雑な魔法を連続使用すればいずれは枯渇するものだ。
ちなみに人間の内蔵魔力量は個人差がほとんどなく、ティナであってもそこらの魔法使いとあまり変わらない。ただし、アンジェはレベル99の魔法をどれだけ使っても魔力切れが起こらないほどに無尽蔵の魔力を宿している。その一点だけ鑑みても彼女の規格外っぷりがわかるというものだ。
「すう、はあ」
一日も経てば回復するとはいえ、できれば早めに決着をつけたかったのだが、焦ってもどうにもならないと意識して呼吸を整え、無理矢理にでも意識を切り替える。
ゆえに現状に目を向けろ。
瘴気は浄化された。だからといって生み出された魔物が消えてなくなるわけではないのだ。
「よしっ! とりあえずおっさんたちと合流してこの場を切り抜けるですよ!! 魔力が心許ない以上、無理はできねーですしね!!」
今は目の前の脅威に目を向けるしかない。
魔物が蠢く魔境を突破し、アンジェを救うためにもだ。
ーーー☆ーーー
【名前】
アンジェ=トゥーリア
【性別】
女
【種族】
人間
【年齢】
十五歳
【称号】
女神より祝福されし聖女
【所有魔法】
浄化魔法(レベル99)
炎属性魔法(レベル99)
水属性魔法(レベル99)
土属性魔法(レベル99)
風属性魔法(レベル99)
雷属性魔法(レベル99)
身体強化魔法(レベル99)
転移魔法(レベル99)
収納魔法(レベル99)
重力魔法(レベル99)
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※全所有魔法を表示するには能力知覚魔法(レベル11)以上を使用してください。
※詳細を表示するには能力知覚魔法(レベル20)以上を使用してください。
※レベルは99が上限です。
【状態】
呪縛・心(レベル62)
呪縛・体(レベル100)
呪縛・浄(レベル62)
憑依・魔(レベル分類不可)
※詳細を表示するには能力知覚魔法(レベル20)以上を使用してください。
エラー発生。上限を超える情報が表示されています。再度能力知覚魔法を使用することを推奨します。




