幕間 ティナという少女その六
それはティナとリーゼが激突して数ヶ月が経ったある日のこと。
『あ、ティナちゃんおはようーっ!』
『おはようです』
『なあティナ。「呪いの森」に人間の冒険者だなんだが踏み込んでくるのが増えていてな。ティナが姫様と邂逅したこととは関係なく、前々から「移住」の話は出ていたんだ。どこか隠れ住むのにちょうどいい場所知らないか?』
『うーん。私も冒険者歴はそんなですから秘境だのなんだの見つけにくい場所ってのにはそんなに詳しくねーんですよね』
『お嬢ちゃん、今日も姫様背中にくっつけて仲良しだなぁ』
『クリナが勝手にくっついてくるだけですよ。お陰で魔法の訓練が進まねーです』
『わたしの扱いがぞんざいだよう!! っていうかわたしが背中にいようがお構いなしに魔法の訓練するくせにい!! ぴょんぴょん飛び跳ねるからめっちゃ酔うんだよお!?』
『でしたら背中にくっつくのやめればいいじゃねーですか』
『これは趣味と実益を兼ねているから却下だよお。嫉妬してもらえるという私的な欲望を満たすと共に姫という立場を有効活用するためにねえ』
『???』
『呪いの森』の奥深く、結界や幻術で隠されたエルフの里でティナは複数のエルフと自然に会話ができるくらいには馴染んでいた。
『……、ふん』
そんなティナをリーゼは遠く離れた所から腕を組んで見据えていた。
……ティナの背中に張り付いて耳元に顔を近づけているクリナの声は聞こえなかったが、楽しそうにしているのは一目でわかった。だからこそ胸が苦しかったのだが。
『へいへーい、リーゼ。愛しの姫様がぽっと出の人間に懐いているのがそんなに嫌なのかにゃあ? いくら長寿なエルフといえども百歳以上離れた相手に恋慕するってのは流石に歳の差考えろって思うんだけど。そもそも次代の族長としてはともかく、その本質は──』
『フィリ、あまりふざけたこと言っているとぶった斬るから』
『おーおー怖いにゃあ。ぼく、ちびっちゃいそう☆ しっかし姫様がティナの背中に張り付いてイチャイチャしているのが気に食わないからって八つ当たりはやめてほしいっぽい』
声をかけてきたのは『あの時代』を知る数少ないエルフの一人だった。
フィリ。
常に戯けるような笑みを口元に刻む彼女は『今の』里のエルフの中でも最上位の実力者であるリーゼに睨まれても肩をすくめる余裕があった。
フィリは数十人のエルフに囲まれているティナを眺めながら、
『確かにあの時代の人間はクソ野郎揃いだった。いいや、今も大半は同じような感じなのかもだけど、全員が全員そうってわけじゃない』
『だから伝聞でしか当時を知らない若い衆だけでなく、当時の虐殺を経験した者たちでさえもあの人間を受け入れていると?』
『だよ』
もちろん精霊に愛された族長の娘であるクリナが懐いているというのも一因だろう。それこそ立場を有効活用するように。だが、ティナがあそこまで受け入れられているのは彼女がエルフだの異形だので相手を分類せず、目の前の相手と向き合ったからでもあるだろう。
当然のように、意識すらしていないその態度が最初は警戒心を剥き出しにしていた里のエルフたちの心を解きほぐした。
数ヶ月で『輪の中』に入れるほどに。
『貴様もあの人間は安全だと、裏切らないと、「輪の中」に入れても良いと考えているのか?』
『じゃなかったら、とっくに殺しているって。殺される前に殺せ。大切なものを守り抜く最適解はあの時代に教えてもらったからね』
『……、ふん』
気に食わないと言いたげに鼻を鳴らすリーゼ。だけど彼女も本当は気づいているはずだ。本当にティナを危険視しているのならば数ヶ月も放置することはなかったのだと。
ーーー☆ーーー
エルフは五百年から六百年を生きる長寿種族である。
エルフは人間よりも遥かに高い身体能力や魔力を持ち、また成長速度も早い。
エルフは百年以上前の『虐殺』でその数を減らし、今はもう百名にも満たない。しかも最初の『虐殺』で老練の戦士のほとんどが毒殺や不意打ちや人質をとられて無抵抗で殺されたがために現在のエルフの里の中では屈指の実力者であるリーゼでさえもあの時代の基準で見れば中の上程度の実力しかないのだとか。
そして、最後に。
エルフは人間が知らない魔法体系を知っている。
『確認ですけど、精霊……この世界を構築する意思持つ「力」の塊でしたっけ? まあその辺はどうでもいいとして──精霊の試練とやらを突破すれば適正を無視して魔法を獲得できる術が手に入るんですよね?』
『だよお』
『精霊の試練を突破することで手に入るのは自身や他者の能力を見通す能力知覚魔法、そして殺した生物の数や質に応じて蓄積する経験値を消費してこの世界に存在するあらゆる魔法を獲得できる能力強化魔法……でしたよね』
『だよお』
個々人によって覚えられる魔法の種類は異なる。この辺りを人間の魔法体系では才能の差と評価しているのだが、もしも才能を無視してどんな魔法でも覚えられるとすれば──
『ふっ、ははっ!!』
すでに数ヶ月前に聞いたことだ。それでも我慢できない。こんなの耐えられるわけがない。
『あらゆる魔法を獲得できる、つまり聖女様しか覚えられない浄化魔法にだって手が届くということなんですよね!?』
『理論上はねえ。要求経験値が膨大すぎて人間どころかエルフでさえも浄化魔法獲得は現実的じゃないけどお』
ティナの背中に張り付いたクリナは『っていうかそう簡単に浄化魔法が手に入るならとっくに反撃に出ているしねえ』などと呟いていたが、生憎と興奮しきったティナには聞こえていなかった。
『ふっ、ふふっ、ははははは!! まさかこんなところで聖女様に追いつくための手段に巡り会えるとは思っていなかったですよ!! 浄化魔法、はっはっ、聖女様に並んだと示すのにこれ以上わかりやすい証明もねーですよねえ!!』
実は能力知覚魔法や能力強化魔法についてはエルフの里に案内されたその日のうちにクリナから聞いていた。
それでも精霊の試練に手を出さなかったのは──
『前にも言ったけどお、精霊の試練はエルフにとっての秘宝のようなものだよお。いくらわたしが族長の娘にして精霊に愛されし姫君でも独断で人間に精霊の試練を受けさせることはできないからねえ』
『ですから「みんな」に受け入れてもらって同意を得られるようにする必要がある、でしたよね。とはいえクリナの言う通り特別なことはせず、いつも通り過ごしていただけですけど。これで本当に「みんな」の納得が得られるんですか?』
『もちろんだよお。「人間」という漠然とした枠組みじゃなくう、「ティナ」という存在を知ってもらえればねえ。大体みんなめっちゃ優しいからあ、相当悪い奴じゃなければ普通に受け入れてくれるってえ』
『優しい、ですか。どこぞのエルフさんには出会い頭に襲われましたけどね』
軽い声音だった。
ティナ自身もう終わったことだと処理しており、気にしていないので単なる軽口だったのだが──そこでクリナは『そこだよねえ』と口調こそいつも通りながらもどこか真剣な調子でこう告げた。
『だからこそお、この機会に「人間」だからと頭ごなしに敵視する風習を打ち払わないとねえ』
だってえ、と。
クリナは決定的な一言を放つ。
『「人間」ってだけで誰でも彼でも排除したらあ、それはエルフってだけで一律で異形扱いして排除しようとした連中と同じだものねえ』
あるいは、それは当時を知らないクリナだからこそ言えることなのかもしれない。
だけど、だからこそ、彼女はエルフのみんなが憎悪に目を曇らせ、百年以上前に虐殺を演出した連中と同じにはなってほしくなかった。
同胞を傷つけた『連中』ならいくら殺してもいい。それこそ伝聞でしか当時を知らないクリナだって寿命でとっくに死んでいるだろう『連中』を殺してやりたいと思っているくらいだ。だが『連中』を『人間』と拡大しては被害者から加害者に成り下がるだけだ。
綺麗事かもしれない。それでもクリナは大好きなみんなが得体の知れない化け物になってしまうのは嫌だった。
そのためなら──
『だから、うん。本当わたしは運が良かったよお。結界や幻術で囲まれた「領域」から飛び出した先で出会えたのがティナのような人間でねえ。リーゼさんの価値観を変える人間の選別には時間がかかると思っていたんだけど、案外人間もそんなに悪い人ばかりじゃないのかもねえ』
おそらくは『わざと』隠す気のないクリナの言葉にティナは小さく息を吐く。
一連の騒動において果たしてどこからどこまでがクリナの狙い通りだったのか。そんなことがティナの頭を掠めたが、すぐにどうでもいいと切り捨てていた。
結果として誰かの笑顔に繋がるのならばそれでいいと。
『まあ、私にとっては聖女様に並ぶための力が手に入るならなんでもいいです。その邪魔をしないのであれば、勝手に利用するがいいですよ。それに、あんな目で人間を恨み続ける一生を変えてやる助けになるというのならば悪い気はしないですしね』
『……まったくう。これでも非難の一つくらいは覚悟していたんだけどねえ。本当変な人なんだからあ』
『ですか?』
『だよお』
『そんなことより、これ以上進展なしというのも嫌ですからそろそろ本格的に動くですか。とりあえず確実に私を受け入れていないリーゼさんから順に対処していって、さっさと私が精霊の試練を受けるのを同意してもらわないとですね』
その会話から程なくしてティナはリーゼのもとへと歩み寄った。
『リーゼさん、少しいいですか?』
『…………、』
沈黙は肯定と受け取った。
ゆえにティナは続けてこう言った。
『私には憧れで大好きな人がいます。その人と対等でいたいがために強くなりたいんですよね』
『…………、』
沈黙の中にもいきなり何の話をしているのだと言いたげな困惑が感じられた。
無視してティナは口を開く。
『そのためにも精霊の試練を受けたいんですけど、クリナが言うんですよ。そのためには私がエルフのみんなに受け入れてもらって同意を得られるようにする必要がある、と。ですのでそろそろ私のこと受け入れてくれません?』
『『ぷっはは!!』』
沈黙が、弾ける。
ティナの背中に張り付いていたクリナ、リーゼの隣で成り行きを見守っていたフィリが同時に噴き出したからだ。
『あっはははあ!! どうするのかと思っていたらあ、ド直球にも程がないかなあ!?』
『小難しいのは苦手ですから』
『にゃはははっ!! こんな展開はぼくも予想外だってっ。姫様も面白い女を拾ってきたにゃあ!!』
『はあ、そうですか』
それよりも、と。
ティナは真っ直ぐにリーゼを見つめる。
『返事、聞かせてくれません?』
『──もしも我が貴様を受け入れないと、精霊の試練を受けさせないと言えばどうする?』
問いにティナは当然のようにこう答えた。
『その時は出直して、どうにか貴女が私を受け入れてくれるよう対策でも考えるですよ。精霊の試練を突破して得られる力は魅力的ですしね』
『……チッ』
がしがしと頭を掻くリーゼ。
その胸中に暴れたものはリーゼにしかわからないだろう。
長い沈黙があった。
やがてリーゼは吐き捨てるようにこう言ったのだ。
『少なくとも貴様は百年以上前に虐殺を繰り返した人間どもとは違うようだ。……単に自己中心的なだけかもしれんがな』
その返事に。
ティナは首を傾げた。
『ん? そんなの当たり前じゃねーですか。で、結局私のこと受け入れてくれるんですか???』
『なっ、貴様! 我がどんな思いでだな……っ!!』
『なんでもいいですから早く受け入れてくださいよ! 私は早く聖女様に並ぶだけの力を得たいんですから!!』
『本当自分勝手な女だな!?』
今ここにはいない憧れしか見ていないティナは気づいていなかったが、ティナの背中に張り付いていたクリナは違う。どこか目元を優しく緩めて、万が一にも誰にも聞かれないようこう呟いていた。
『少しは前に進めたみたいでよかったよお』
ーーー☆ーーー
『ふんっ! 大体だな、貴様は精霊の試練を受けたいようだが、あの試練はそう容易く突破できるものではないからな!? 身体的にはもちろん精神的にも負担のかかるあの試練は百年以上前に最強と君臨していたエルフでさえも三十年かけてようやく突破できるものなのだ!! 精霊に愛されているために無条件で試練を突破できる姫様のような裏技でもない限り人間ごときの寿命の範疇で突破できるわけがない!!』
『最低でも三十年、ですか』
『それはあくまでエルフの中でも優れた者の場合だ! 我でも六十年かかった以上、人間ならばその倍以上は──』
『そんなに時間をかけては聖女様に追いつくも何もあったものではねーですね。さっさと突破しねーと』
『きっ、貴様っ!!』
『というわけで早く私のことを受け入れてくださいよリーゼさん!! そうしてくれないとそもそも精霊の試練を受けることすらできないじゃねーですか!!』
『だからっ、それは先程だな!!』
『先程? 急に私と百年以上前の人間は違うとか当たり前のことを言っていたけどまさかそれのことですか??? それとこれとは話が違うですよ。というわけで、早く私のことを受け入れるとしっかりはっきり言ってくださいよ!!』
『もう我貴様嫌いぃいい!!』
ちなみに紆余曲折あって『みんな』に受け入れてもらったティナが精霊の試練を一年足らず、十三歳の頃に突破したものだからリーゼは頭を抱えて絶叫したのだという。
『リーゼさんのあんな顔が見られるなんて、やっぱりティナは大当たりだったよねえ』
そんなリーゼを恍惚とした表情でクリナが見ていたのだが、幸か不幸か額に手をやってため息を吐くフィリ以外には気付かれていなかった。
ーーー☆ーーー
【名前】
ティナ(十三歳当時)
【性別】
女
【種族】
人間
【年齢】
十三歳
【称号】
未取得
【所有魔法】
風属性魔法(レベル59)
身体強化魔法(レベル85)
能力知覚魔法(レベル1)
能力強化魔法(レベル分類不可)
※詳細を表示するには能力知覚魔法(レベル20)以上を使用してください。
【状態】
呪縛・心(レベル1)
※詳細を表示するには能力知覚魔法(レベル20)以上を使用してください。
ーーー☆ーーー
【名前】
フィリ
【性別】
女
【種族】
エルフ
【年齢】
百三十四歳
【称号】
未取得
【所有魔法】
炎属性魔法(レベル51)
土属性魔法(レベル41)
砲撃魔法(レベル57)
能力知覚魔法(レベル5)
能力強化魔法(レベル分類不可)
転移魔法(レベル46)
※詳細を表示するには能力知覚魔法(レベル20)以上を使用してください。
【状態】
呪縛・心(レベル1)
※詳細を表示するには能力知覚魔法(レベル20)以上を使用してください。
 




