幕間 ティナという少女 その五
『呪いの森』全域を揺るがす激震が炸裂する。動きやすさを重視した薄緑のアーマーに身を包んだ銀髪銀目のスレンダーな女が腕を振るう度に太く強靭な木々を薙ぎ払うほどの衝撃波が放たれているからだ。
薄刃の剣の軌跡に沿って『飛ぶ斬撃』が縦横無尽に走り抜ける。国境近くの冒険者ギルドのギルドマスターにだって匹敵する威力の魔法が放たれる度にティナの身体が裂かれ、赤黒い液体が噴き出す。
だから。
しかし。
『どうして反撃しない!?』
そう、ティナは一度だって攻勢には出なかった。ステータスから考えて互角の勝負ができるはずなのに、だ。
問いに、決して浅くない傷を全身に刻み、赤黒い液体をこぼすティナは当然のようにこう返した。
『殺すとわかっていて、拳を握る理由がねーですから』
『な、ん』
『強大な力同士の激突は手加減が難しいです。私たちがぶつかれば、貴女を殺すのは目に見えているですよ』
はっきり言ってクリナの知り合いらしい貴女を殺すのは目覚めが悪いです、と付け加えるティナ。
そこに迷いはなかった。
決して軽くはないダメージを受けて、それでもいきなり攻撃を仕掛けてきた相手を殺すくらいなら自分が耐えればいいだけだと本気で考えているのだ。
いくらステータスが見えないとはいえやり合えば勝つのは自分だという自信の是非はともかく、初対面の『異形』に対して人間が一切の悪感情を向けていなかった。
『ふざ、けるな』
あり得ない、と言いたげに首を横に振るリーゼ。百年以上前の騙し打ち。手と手を取り合えば『呪縛』を打ち破ることだってできたはずなのに人間は虐殺の道を選んだ。背中を押されただけであそこまで惨たらしいことができるのが人間という生き物なのだ。
『ふざけるなよ、人間! あの時、百年以上前に、人間は私たちを裏切った!! 笑いながら殺すだけに飽き足らず我が同胞たちで薄汚い欲望を満たし、尊厳を奪ったではないか!! エルフという異形を排除するのは「当然」だと、大勢とはほんの少し違うだけで輪の中から追い出すのが人間の本質だ!! だから、だから!!』
人間側からエルフへと友好関係を結びたいと嘘をつき、誘い込んだ上で皆殺しとした。文章にすればそれだけの、百年以上前の出来事を長寿とされるエルフたるリーゼは体験したのだろう。
歴史書の中の一節。嘘をついて誘き寄せたことを戦略の一環とし、皆殺しにしたことを『魔物のような』異形を討伐した偉業だとさも正しいことだと纏めて、それを人間の大半が受け入れているが──当事者、それも被害者からすれば認められるわけがない。
おそらく真実は歴史書の簡潔な一節には記されていない。憎悪を煮詰めたようなドロドロとしたあの瞳を『つくりだした』悲劇はティナが想像できるようなものではないだろう。
その上で、ティナは口を開く。
『人間、人間ってうるせー奴ですね』
リーゼの憎悪を、苦痛を理解はできない。
なぜならティナはリーゼではなく、当時を知らないから。
それがどうした?
一から百まで相手を理解できないからと反論が許されないわけがない。
『私はティナです。それ以上も以下もねーんですよ。だから過去の「人間」がどうであれ、そんなもので「私」をどうこう言われる筋合いはねーです!!』
ティナが人間だと気づいたクリナが殺されるだなんだと騒いだ時もそうだった。『だから、殺さねーですよ。過去の人間はエルフを敵視していたかもですけど、私がそれに倣う筋合いはねーですから』とティナは言い切った。
憎悪に引きずられる必要はない。真っ直ぐに、ブレることなく、ティナはティナらしくあるだけだ。
『私は貴女と戦わねーです。だけどそれは私の自由です。貴女は貴女で好きにすればいいですよ』
『……ッッッ!!』
ティナはブレない。このままリーゼが攻撃をやめず、殺されることになろうとも己のスタイルを崩すことはないだろう。
真っ直ぐに、自己を貫く。
それこそティナの生き様なのだから。
『それ、でも……だとしても!! 人間をこのまま放っておけば「呪縛」に背中を押されて我らエルフが生き残っていたと、殺すべきだと喧伝するに決まっている!! 百年以上前のような悲劇が起こる!! だから、みんなを守るためにも、だから! 人間を生かす理由はない!!』
『別にエルフがここにいると広めるつもりも、殺すべきだのって馬鹿らしいこと喚くつもりもねーですよ』
『そんな口約束信じられるわけない!! 裏切り者の人間を、惨たらしく同胞を殺した人間を! 今更信じられるものかあ!!』
血反吐を吐き出すようだった。
ティナでは想像もできない、歴史書に簡潔に纏められただけの『過去』。どうしようもなく凄惨な『過去』から刻まれた憎悪は言葉一つで拭われるものではない。
今更、なのだ。
もうかつてのように無邪気に人間を信じられない。例え『呪縛』に一因があるとしても、今更手を取り合うことなどできるわけがないのだ。
だから。
だから。
だから。
薄刃の剣を振り下ろして『飛ぶ斬撃』を放つ寸前、ティナを守るように小柄な女の子が飛び出してきた。
『もうやめてリーゼさん!!』
『姫様!?』
遅かった。
魔法の発動を止められる段階はとうに過ぎていた。
薄刃の剣が振り下ろされる。その軌跡に沿って樹齢百年以上の太く強靭な木々だろうが小枝のように容易く両断する『飛ぶ斬撃』が放たれ、真っ直ぐにクリナへと襲い──
『させねーですよ!!』
──かかる前に、ティナの拳が『飛ぶ斬撃』を下からすくい上げて上空へと受け流したのだ。
『あ、ああっ危なかったよう!!』
『危なかったよう、じゃねーですよ!! 何やっているですかクリナ!?』
『いやあ、そのお、何とか喧嘩を止められないかなあっと』
『だからって飛び込んでくるなど馬鹿ですか!? 私が弾かなかったら真っ二つだったんですよ!?』
『あ、あっははあ』
『こいつっ、ヘラヘラ笑って反省してねーですね!?』
『んう? 待ってその手はなにやめて頭を掴まないで潰れちゃっ、ぶふう!?』
頭を片手で握り潰されたクリナの悲鳴が『呪いの森』に響き渡った。だがそこに悪感情はない。憎悪などもってのほかだ。
そう、人間とエルフがかつてのように気兼ねなく接している光景が広がっていた。
いいや人間だのエルフだのは関係ないのだろう。おそらく種族の違いなどとっくに頭から抜け落ちている。
クリナを守るために咄嗟に飛び出したあの行動が全てだ。百年以上前の憎悪など今を生きる者たちには何の関係もない。
ティナという少女は百年以上前の『人間』とは違い、『呪縛』に背中を押されてもなおエルフだの異形だのではなく、目の前に立っているのは誰か、それしか考えていないのだ。
だからブレない。
種族がなんであれブレる必要がない。
『それでも……我はエルフの未来のため貴様を見逃すわけにはいかない! もしも貴様が口を滑らせれば、それだけで百年以上前の悲劇が繰り返されるのだから!! だから、もう二度と失わないためにも、だから!!』
『それなんだけどお、わたしに名案があるんだよねえ』
と、いつの間にかティナの手から逃れていたクリナがサラッと爆弾発言を投げ込んできた。
『いっそティナをエルフの里に案内すればどうかなあ? 少なくとも「移住」するまでは里に監禁しちゃえばわたしたちの居場所を知られる心配もなくなるしい』
…………。
…………。
…………。
『いや、いやいや。私の都合は無視ですかそうですか。クリナ、どうやら握り潰し足りなかったみたいですね』
『わあ待って待ってこれ以上やられたらわたしの可愛いお顔が崩れちゃうよう!!』
『自分で可愛いだなんだ言っているんじゃねーですよ!!』
確かにエルフの里に監禁してしまえば少なくとも『外』に情報が漏れることはないだろう。代わりに里の具体的な場所を知られるリスクが出てくるし、何より人間という危険因子を懐まで招き入れることになるのだが。
『姫様!!』
『命令だよう、リーゼさん。それでも駄目かなあ?』
『……ッ……。それが、姫様の意思であれば……従いましょう』
『そっかあ。良かった良かったあ』
──もしもクリナが初めから命令していてもリーゼは止まらなかっただろう。その時は後にいかなる罰を受けようとも『姫様のために』ティナを殺すと意固地になっていたはずだ。
命懸けでぶつかり、なお、ティナが拳を握らなかったから。そしてティナなら助けてくれるだろうと信じてクリナが飛び込んでいった結果、クリナを守るためにティナが拳を振るったから──そうしてティナという少女を知ることができたからこそ命令という理由を与えられたリーゼは殺意を抑え込むことができたのだ。
半ば賭けではあったが、クリナは失敗するとは思わなかった。
虫を殺すことさえ忌避する心根の持ち主ながらも同胞のためなら後でどれだけ後悔しようとも非情に徹して剣を振るうリーゼ、そして人間だのエルフだの種族の差にまったくもって興味を示さないティナ。二人の本質をクリナが正しく見抜いているならば必ずや成功すると確信していたから。
エルフの姫様。
上に立つ冠をいただいているのは伊達ではない。
『あ、でもこれはこれでエルフの力の秘密を探ることができるいい機会かもです? せっかくの機会ですし有効活用するですかね』
『あれえ? 結果良ければ全て良しって感じならわたしの可憐なお顔を握り潰す必要なくないかなあ??? っていうか争いを終息させたことを鑑みれば感謝してもいいくらいだと思うけどお!!』
『それとこれとは話が別です。調子に乗らないようきちんとシメるところはシメねーとですからね』
『まっ待って待って反省うん反省しているからもう許しっ、リーゼさーん! 助けてよう!!』
『姫様の我儘のせいでこれから忙しくなるのは目に見えているので、今のうちに痛い目にあってもらうべきかと。そもそも姫様が「領域」の外に出なければティナとやらと遭遇することもなく、こんな面倒な事態にはならなかったのだから本当痛い目にあってください!!』
『わあリーゼさんめっちゃ怒ってるう!? まっ、ティナおてて待って力強っ、ぶっふーう!?』
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【名前】
ティナ(十二歳当時)
【性別】
女
【種族】
人間
【年齢】
十二歳
【称号】
未取得
【所有魔法】
風属性魔法(レベル52)
身体強化魔法(レベル69)
※詳細を表示するには能力知覚魔法(レベル20)以上を使用してください。
【状態】
呪縛・心(レベル1)
※詳細を表示するには能力知覚魔法(レベル20)以上を使用してください。
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【名前】
リーゼ
【性別】
女
【種族】
エルフ
【年齢】
百二十三歳
【称号】
未取得
【所有魔法】
風属性魔法(レベル68)
武具強化魔法(レベル64)
能力知覚魔法(レベル12)
能力強化魔法(レベル分類不可)
幻惑魔法(レベル67)
※詳細を表示するには能力知覚魔法(レベル20)以上を使用してください。
【状態】
呪縛・心(レベル1)
※詳細を表示するには能力知覚魔法(レベル20)以上を使用してください。




