プロローグ
リコリタ王国の国王陛下主催の夜会。
イリス・フィオニアは眼前に立ちはだかる王宮の中で一番広いダンスホールの豪華絢爛な扉の前で固唾を飲んだ。
「フィオニア卿、フィオニア侯爵令嬢が入場されます。」
アナウンスが会場に響き渡り、ホールに足を踏み入れる。
シャンデリアがギラギラと煌めき、華やかなドレスに身を包んだ令嬢たちが会場に花を添えている。
人々の刺すような視線が一気にこちらへ向く。
「まぁ…ご婚約者様がいらっしゃるのに…。」
「何かあったのかしら…?」
「あぁ、もしかして近頃噂の…。」
チラチラとこちらを窺う視線。ひそひそ話が周囲で渦巻く。
エスコート役の兄が苦痛を堪えるような、居た堪れない表情でこちらを見るのを、大丈夫、心配いらないという気持ちを込めてそっと微笑む。
夜会は国王陛下と王妃殿下の開会宣言により、華やかにスタートした。
招かれた人々が和やかに歓談し、いよいよダンスが始まるかというその時に、王と王妃の御前に青緑色の正装に身を包んだ男性が現れる。
「イリス・フィオニア。」
男性の硬い声で名前を呼ばれたイリスは同じく青緑色のドレスの長い裾を美しく捌き、男性の前に立つ。
男性の隣には真紅の髪の女性がこちらを見て艶やかに微笑んでいる。
その女性も同じく青緑色のドレスを身に纏っているのを見てイリスは息を呑む。
「イリス・フィオニア。今宵、そなたとの婚約をここで破棄する。」
男性の言葉が頭の中に響き渡る。
真紅の髪の女性は男性の肩下に頬を寄せ、先ほど以上にぐっと寄り添った。
「……承知…致しました。」
イリスは丁寧にお辞儀をし、くるりと向きを変える。
ざわざわと聞こえる話し声がイリスが向きを変えた途端に静まり返る。
あれだけ犇めいていたホールの人が割れ、広間から出口の扉までイリスが進む方向へ一本道が開ける。
好奇の視線。
面白がるような視線。
悲しげな視線。
憐れみの視線。
怒りを湛える視線。
様々な思いの込もった視線に晒されながら真っ直ぐに道が開かれた人波の中を背筋をピンと伸ばし、前を見つめ堂々と歩く。
…あと少し……あと少し………
ホールを出た途端、視界がぐらりと揺れる。
「…リリィ!!!」
ーーーそこでイリスは意識を手放した。
ーーーーーー
リコリタ王国王都から南へ少し離れた海岸沿いに広がるフィオニア領。
抜けるような青空の下に白亜の壁が立ち並ぶ街並み。屋根はいずれも空の色よりも濃い目が覚めるようなブルー。
その街の中央に位置する、街一番に高いドーム型の屋根を持つ大きな洋館。
その建物の1室でゆりかごに揺られて赤ん坊がすやすやと眠っていた。
「あぁこの娘は…本当にあの子にそっくりだ」
緑の髪の男が愛おしそうに赤ん坊を見つめる。
「あの子にそっくりって…こんな赤ん坊なんだからそっくりも何もまだ分からないだろう?」
赤い髪の女が軽口を叩きながらも口調とは正反対の優しい手つきで赤ん坊の頬をつつく。
「ふ…ふぇ…?」
赤ん坊の瞳がゆっくりと開く。
「あぁこの愛らしいブルーの瞳。」
茶色の髪の女が優しい笑みを湛えながら言う。
「リコリタ国に生まれた君に私からギフトを送ろう。」
青い髪の男が赤ん坊の額に手をかざすと虹色の光が赤ん坊に降り注いだ。
赤ん坊は光に手を伸ばし、キャッキャと声を上げて笑い出す。
「おかあさま!おかあさま!!ゆりかごが ゆれています!!」
「そんなに大きな声を出したら起きてしまうじゃ…あら、もう起きていたのね。ニコニコしてご機嫌さんね」
そう言って母親が微笑みながら赤ん坊を抱き上げる。
「風も吹いていないのに…変だなぁ??」
「妖精たちのいたずらかもしれないわね。」
母親は少年の頭を優しく撫でる。
「「君の人生に妖精の加護を…」」
窓を閉め切った部屋に柔らかな風が吹いた。