側仕えとレイラ・ローゼンブルクの誓い
ヴィーシャ暗殺集団は、前に襲ってきたグロリオサの組織だ。
さらに三分衆は幹部の地位で、グロリオサ、ベルマ、そして目の前にいる白いお面を付けた人物が最後の一人だ。
目の前にいるのに気配が薄く、それでいて底知れぬ悪意のようなものを感じる。
もし一対一で戦ったら勝てる自信はなく、領主を守り切れないかもしれないと不安が頭にちらつく。
「エステルちゃん、大丈夫よ。私が依頼していたの」
いつの間にか領主は席に座っている。
相手の威圧に当てられて動けなくなっていたことに気付いて、すぐに目の前のことに集中する。
「そうだったんですね。ですがお気を付けを」
どうして威圧を私だけに向けるのか分からないが、それが領主へ向かない保証は無い。
男か女かも分かりづらい声色で、声からは感情が読み取れない。
それでも私へ対して少なからぬ怒りを持っているのは、前にグロリオサを懲らしめたからかもしれない。
やっとシャーヴィの意識が領主へ移ったことで、私の体が軽くなる。
「ここに彼女を連れて来られたのは話してもいいからでよろしいのですよね」
「ええ、いいわ」
「ではコランダム領の最終調査結果を報告致します」
シャーヴィが机の上にたくさんの木簡を置く。
そしてそれを一つずつ領主が読んでいく。
「ふふ、本当にお兄様は扱いやすいわね。ほら、エステルちゃん見てみなさい」
私は差し出された木簡を受け取ると、その内容に驚愕する。
「奉納祭の祭壇付近へあらかじめ魔力の道標を作って魔物を故意的に誘導……さらに平民を扇動して領主への反乱を考えているって、本当にアビのお兄さんはこんなことを考えているの?」
領主はこくりと頷く。
どうして兄妹なのに貶めようと考えるのだ。
「馬鹿よね。領主の地位がそんなに羨ましいのかしら。でもおかげでコランダムにとって大きな失点を付けられるのだから、これほど役に立つ人はいないわよね」
愉快げに頬を吊り上げ、いつもの深みのある領主に戻っていた。
コランダムは反領主派らしく、領主にとって頭が痛い存在とは聞いている。
「私を攻撃するのなら何をされたって文句はないわよね。コランダム領地を更地にしてあげましょうか」
恐ろしいことを平然と言い放つ。
慌てて領主を止める。
「ちょっと待ってください! アビのお兄さんやそれに加担する人なら自業自得ですけど、関係ない人たちに被害が及ぶのはやめてください!」
領主は顔色を全く変えずに、私に対して厳しい目を向ける。
「エステルちゃんは勘違いしているわね」
領主から底冷えするような声が発せられる。
その声だけで鳥肌が立ち、私は息を呑んだ。
「この土地は全て私のモノなの。ドルヴィの子孫が侵略して、この地を支配してからは私たちドルヴィの子孫である領主一族が神の恵みと魔力の奉納をずっと管理してきた。元々はコランダムがこの土地の支配者だったとはいえ、今の支配者は私、アビ・ローゼンブルクよ。今までの恩恵を忘れて反旗をひるがえすのなら徹底的に潰すだけ」
容赦のない決定に何か止められる方法がないかを考える。
コランダム領は大領地と聞いている。
もしなんらかの方法で、本当に土地が更地になってしまったら、死んでしまう人たちの数は計り知れない。
「でもそれならどうして今までやらなかったのですか? 慈悲の心が少しでもあるのなら──」
「エステルちゃんと貴女の男が頑張ってくれたからじゃない」
領主の薄い笑いが私へ向けられる。
「海の魔王を倒してくれたおかげで海聖都市は魔力に余裕が出来る。そうなればコランダムに固執する必要もない。貴女の男が私のために全てを整えてくれるわ」
海の魔王を倒して港町を復興したことがコランダムの粛清を早めたというのか。
どんどん悪い者を討伐すれば良くなると信じていたのに、負の側面を伝えられている気がした。
さらに驚くべき事実を聞かされる。
「それにコランダム粛清はモルドレッドからの提案よ」
「レーシュが!?」
そんな作戦を聞かされていない。
だがレーシュはずっとコランダムを恐れていた。
そしてそれを私が聞けば止めると思って言わなかったのか。
頭が混乱して付いていけてなかった。
「可哀想よね。父親が大罪を犯したせいでずっと周りから蔑まされて。頼りにしていたコランダム派閥に裏切られ、スマカラタに乗り換えたら毎日のように脅される」
領主が別の木簡を渡す。
それはレーシュのこれまでの行動がまとめられているものだった。
レーシュがヴィーシャ暗殺集団をうまく監視していると思っていたが、逆にレーシュの行動が筒抜けになっていたようだった。
内容は、コランダム関連のものばかりで、貴族からの圧力でいくつかの交易が海聖都市と行うことが禁止されている。
さらには奉納祭では海聖都市への騎士の遠征も拒否され、自前で魔物の討伐はしろ、と書かれていた。
「早く彼の不安を取り除くためにも邪魔な芽を摘むべきじゃないかしら?」
領主の囁く声は私へ選択を促す。
だが私はするべきことはきっとこれではない。
「領主、私は反対です……」
自信ない言葉が溢れた。
ピクッと目の前にいるシャーヴィが殺気立ち、返答次第ではこの人も敵に回る気がする。
そんな中でも領主は変わらずの顔で私をチラッと見て顔を逸らした。
「コランダムをどうしてそんなに排除したいのですか?」
「彼らは最高神ではなく、邪竜へ魔力を奉納しているのよ」
領主からの一言をなかなか信じられなかった。
どうして大きな領土を持つナビがそのようなことをするのだ。
邪竜教の信者は神国が目を光らせており、もし見つかれば極刑となると聞く。
「もしそんなことが神国に知られたら、たちまち攻め込まれてしまう。そしてわたくしは領地管理の責任を取らされてしまうでしょうね」
領主が見て見ぬふりをすればコランダムは助かるかもしれないが、領主はおそらく地位を降ろされてしまう。
私は何か方法がないかを頭を働かせる。
「どうしてコランダムは邪竜に魔力をあげるの? あの三大災厄だって邪竜の仕業なんでしょ? それだともっと自分たちの首を締めることになるのに……」
これほどまでの不況は全て魔力不足なんだから、それを別の神様に与える理由があるのか。
「邪竜が最高神の加護を超え始めているからよ。三大災厄が魔力を奪い続け、それが全て邪竜の力に替わる。神国は最高神のお膝元だからまだ大丈夫でしょうけど、遠く離れた王国なら邪竜の方が加護を与えやすいのよ」
「そんなのって……」
「内乱で貴族が減った今では、少しでも魔力を効率良く使いたいコランダムの気持ちも分かるけど、越えてはいけない一線を越えてしまったわ。まあ、元々猛犬だったから、遅かれ早かれ処分することになりましたけどね。これでコランダム派閥も私へ膝を屈するでしょう。誰だって死にたくないですもの」
領主の微笑みが恐ろしい。
何か言わなくては、とずっと考えているのに何も言葉が出てくれない。
それを見かねた領主がある提案をする。
「止めるなら今よ」
領主は手を首に回して髪を退け、綺麗な首元が私へ見えるようになった。
「私を今止めないなら、これからの大虐殺は止まらない。エステルちゃんはどっちがいい? 私の敵か、味方か……」
これが大きな分かれ道だと感じた。
この選択次第で私の行く道が大きく変わるのだと。
「でも一つだけ私がコランダムを殺さない唯一の方法があるわ」
彼女からもう一つの選択肢を提示される。
それこそがおそらく彼女が一番してほしいお願いなのだろう。
その背中が寂しくそれを物語っていた。
「貴女が剣聖の力を取り戻して、その力をモルドレッドではなく私へ使ってくれるのなら、今回の大虐殺は見送ってもいいわ。でもその時はモルドレッドがコランダムにいつか殺されるでしょうけどね。いくらでも殺す機会なんてあるもの」
領主のコランダム粛清に賛成すれば、レーシュも今後は自由になり領主の憂いもなくなる。
だがそれは大きな犠牲によってだ。
もし領主に敵対して、私がこの場で首を取れば領主殺しの罪はレーシュにまで広がり、一生貴族社会では生きていけなくなるだろうし、私が何もしなくとも神国が領主に対して重たい罰を与え、コランダムも助かりはしない。
そして領主を一生守る盾を選んだら、レーシュはいずれコランダムによって謀殺される可能性がある。
選択肢なんて、コランダム粛清しかないのだ。
──本当にそうなの?
自分の答えに疑問を持った。
私は頭は良くない。
それでもこの選択肢しかないようには思えなかったのだ。
私は持っている剣を鞘から抜き放った。
「前に海の魔王を討伐した褒美で宝剣をもらいましたね」
領主の側仕えになってすぐに剣舞で使うための宝剣を賜った。
そのときに騎士としての口上を述べて、領主と最高神への誓いを立てたことを思い出す。
「あの時はあまりよく分かっていなかったけど、私はその時に忠義を誓った……」
「返したくなりましたか?」
領主の目が寂しく伏せられる。
「いいえ。私はそれを再び誓おうと思います」
ガバッと顔を上げて、領主の目が私へと向く。
あまり見られない領主の本気の驚いた顔だ。
「わたくしを選んでくださるの?」
彼女の顔は不安ながら、私の答えを息を呑んで待っていた。
だが私は彼女と同じ道をただ後ろから行くつもりはない。
「アビ・ローゼンブルク、間違えないで」
剣を鞘に戻して、領主へ突き出す。
「私は騎士じゃない。今はただの側仕えよ。だけど剣であることを忘れてはいない。貴女の代わりに私がコランダム領へ行ってくる」
目を見開いて領主はよく理解出来ていない顔をする。
ただ私にはこれしか方法がなく、策略を考えられるほどの器用さはない。
領主は私の考えが分からないと困惑している。
「どうして貴女がコランダム領に行くの?」
「私がコランダムに直接叱ってきます。アビがこれほど頑張ってくれているのだから少しは応えなさいって」
領主の目が丸くなり、彼女の理解を完全に超えたようだった。
そして彼女は笑い出して、持ってきた扇子で顔を隠す。
「あのコランダムを叱る……」
シャーヴィも信じられないと呆れた声を出した。
やっと領主の笑いも収まり、私へその理由を言うように促す。
私は自分の想いを伝える。
「こんな大変な時に協力しないことは間違ってます。私が三大災厄を倒せば全て丸く収まるのだから、それまで他の神様に頼らず我慢しろって言ってやります」
少しずつ力が取り戻しつつあり、数年以内には前の力が戻る確信があった。
もしくは弟のフェニルが目覚めたら、剣聖の加護を返してもらってすぐさま倒しに行くことも出来る。
そうなればもう誰も魔力不足でよからぬことを考えなくなるはずだ。
だがそんな私の考えをシャーヴィは否定する。
「そんな単純な話になるとは思えない。コランダムの反逆はひとえにこの国を映す鏡。国王のドルヴィはまともに統治する気もなく、貴族は己の利権に固執して、自分たちの利益だけを貪る。魔力こそ絶対の力である以上は、アビ・ローゼンブルクのような当主が管理をしなければならない。そのためには反乱分子は取り除かねば国が荒れる一方だ」
まるで恨みがあるかのように怒りを込めた言葉を呟く。
どうしてただの暗殺集団なのに、領主の肩を持つのか分からない。
でもそれは全て領主に丸投げすることに他ならない。
「なら神様がいらない国にして、みんなの責任にしちゃえばいいじゃない」
シャーヴィは言葉を失って黙ってしまう。
私たちはずっと魔力の恩恵を受けてきたらしい。
しかしそれは豊かな暮らしを受ける代わりに、このように貴族絶対主義になってしまった。
一度その垣根を壊して、新たな未来を受け入れるべきだ。
──そういえば前にフェーも言ってたっけ。
港町を観光した時に、弟のフェニルは魔力だけに頼るのは感心しないと言っていた。
今更ながら弟の言っていた言葉も分かる。
万能な力に頼りきっていたからこそ、その力をめぐって争いが起きるくらいなら無い方がマシだ。
「そうね……」
領主は遠い目をしてどこか虚空を見つめる。
そして何かを思いついたかのように、また顔が笑顔で輝き出した。
「そうよね……ふふ、私も考えが凝り固まっていたわ」
領主は立ち上がって、私の手を持つ。
「エステルちゃん、私はコランダム領地を徹底的に潰すわ! 魔力なんていらない、誰一人とてあの領地に生き残りを出させない」
踊りそうなほどの弾ませた声で、彼女は嬉しそうに展望を告げる。
どうして今の会話でそのような狂気を出してくれるのだ。
「エステルちゃんがもし期限内にコランダムを説得出来れば止めてあげる。私の側仕えなら諫言を、戒めを、叱咤を与えてくださませ」
領主の目が本気になる。
それは私への期待なのか、それとも遊びなのか分からない。
だが彼女はやると言ったらやるだろう。
「私は一回も領主としての貴女を理解したことがない」
領主は私の言葉を真っ直ぐと受け止める。
そして私の頬を優しく撫でるのだった。
「そういうものよ。私はいつだって独りで寂しい夜を過ごしてきたわ。それに誰にも理解を求めたこともない」
彼女はいつだって正しい存在なんだろう。
だが彼女がカジノで楽しんでいた姿は本当にかりそめだったのだろうか。
そして私をここに連れてきた理由は私に止めて欲しいからではないか。
彼女のように強い存在が本当に私を望んでいるかは分からない。
でもレーシュも独りで苦しんでいたのなら、彼女も人知れず悲しんでいるのかもしれない。
私も彼女の頬に手をやると、領主はまじまじと私を見る。
「貴女がレイラ・ローゼンブルクとして助けてほしいなら、私はいくらでも剣を振るう。いくらでも掛かってくればいい。最後まで貴女に付き合ってあげるから」
領主は私の言葉を聞いて、喉をコクンと鳴らした。
ゆっくりと変装の魔道具が上から解け始める。
元に戻った姿で目を揺らせ、その内心を知らせるようだった。
彼女は私の手の温度を感じるように頬へ預ける。
「ええ、信じているわ」