側仕えと剣の加護
目の前に洞窟があった。
この付近の上空で光っていた為、おそらくはブリュンヒルデが目印として出したはずだ。
全身が重くともまだ体は動く。
貴族の薬は外傷は消してくれるが疲労までは癒せないため疲労困憊のままだ。
シグルーンが私を憲兵に預けていこうとしたところで目を覚ませてよかった。
無茶をするなと引き留められたが私の頑固なところに彼女もとうとう折れてくれた。
「ブリュンヒルデの姿がないですが、もしや中まで一人で……」
無茶をし過ぎだと思う。
だがあまり危険に身を置こうとする性格ではないので、もしかすると誰か助っ人がいるのかもしれない。
しかしそれでも待って欲しかった。
「エステル、私が先導しますので後ろを付いて来てくださいました」
「うん、お願い!」
私が先では絶対に迷ってしまう。
シグルーンは洞窟に入る前に私へ確認をする。
「エステル、貴女は平民なのですから、貴族の縛りはないと思います。それなのにどうして身を危険に晒してまでシルヴェストル様をお助けするのですか?」
シグルーンは私の心を見透かすような目をする。
だが私は誰であろうとも変わらない。
「子供が勇気を出したのなら、私だってそれに応えたい」
真っ直ぐに見返すと、シグルーンの表情が緩む。
そしてまた引き締まった。
「では行きましょう」
松明が洞窟内を照らしているので視界は良好。
ただ横穴が多いためどこに敵がいるか分からない。
昔の私はどうやって気配というのを感じ取っていたのだろうか。
「あーあ、いいよな」
ふと声が聞こえてきたため私とシグルーンは動きを止める。
横穴の方から誰かが歩いているようだ。
「これからあのべっぴん貴族とお楽しみだろ? 少しくらい分けてくれんかな」
「無理無理、俺たちのような下っ端は騙した農民の女くらいしか恵んでくれんよ」
緊張感の無い話し声が聞こえてくる。
今の内容が私の頭を怒りで燃え上がらせた。
だがシグルーンの手が私の動きを制した。
「ここはお任せを」
シグルーンは首飾りのように身に付けていた小瓶の中から、小さな葉っぱを取り出す。
手のひらに置いた葉っぱは淡い光となりながら溶け出す。
そして光を息でフッと吹いた。
すると程なくして歩いていた下っ端が倒れる。
「騒ぎを大きくしたくありませんからね」
おそらくこれも魔法の一つなのだろう。
剣で戦うしか術がない私と違って、彼女は本当に頼れる。
「今の会話はブリュンヒルデのことだよね?」
「おそらく捕まってしまったのでしょう。ですが一番はシルヴェストル様の無事こそが最優先。彼女のことは──エステルッ!」
私はシグルーンの言葉を聞く前に下っ端が歩いてきた道を逆走する。
このままではブリュンヒルデが酷い目に遭ってしまう。
平民に対してよく思っていない彼女だが、だからといって傷付けられていいわけではない。
「ん? おい侵入者だ!」
私が進む道にも敵がわんさかいた。
壁に付いている鈴を鳴らして、洞窟全体に音が響く。
これでもう隠れる意味はないだろう。
だがこれで少しでもブリュンヒルデへの気が逸れてくれてくれるのならそれでいい。
「女二人だ!」
「生捕にしろ!」
下卑た顔をした男たちが私たちを捕まえようとする。
だが今の私は虫の居所が悪い。
「邪魔よッ!」
私は持っている剣で敵を倒していく。
だがやはり敵の数が多いせいでなかなか前に進めない。
「調子に乗るなヨ!」
私の隙を突かれて、後ろから大柄の男に羽交い締めをされる。
力が強くて抜け出せず、どんどん骨がミシッと音を立て始めた。
「ぐはっ!」
すんでのところで拘束が外れた。
私を掴んでいた男は事切れていた。
「気を付けてください!」
シグルーンが私を援護してくれたようだ。
手に持つ細い剣で流れるように敵を一撃で沈めていた。
「っち! お前ら後ろから援護しろ!」
接近戦をしてくる輩以外にもナイフを投擲してくる者もいる。
何本か剣で弾いたが、どれもこれも変な液体が付着している為、毒か何かだろう。
シグルーンはまるでその攻撃は無視するように片っ端から倒す。
魔道具のおかげで彼女には飛び道具が効かないのだ。
私も負けてはいられない。
そう思った直後に足がカクンと力が抜ける。
気持ち悪さが襲ってくるのは貧血のせいかもしれない。
だがこの隙を付いたナイフが目の前に迫ってきた。
「くっ!」
極限の状態が集中力を上げ、私はギリギリのところで避けた。
しかし僅かに掠ったため、急いで毒を吸い出して外に吐き出す。
「エステル!」
シグルーンが私を守るように前に出る。
「一度逃げましょう。私も貴女を守りながらでは戦えない!」
そんなことはできない。
もし時間が経てばブリュンヒルデの身に危険が及ぶ。
それなのに窮地を脱せない、自分の不甲斐なさを呪いたくなった。
どうすれば助け出せるのだ。
私の持っている剣だけでこの組織を相手取れないのか。
──剣?
私はふと転がっているナイフや剣、鈍器等に目が移った。
ずっと剣を持っていた私は他の道具を使う発想はない。
だが今はどんな方法を使ってでもやらなければいけないことがある。
速さこそが最も必要な強さだ。
私は足元に転がっているナイフを蹴り上げた。
それは私が思っていた方向へと飛び出し、暗殺者を一撃で仕留めた。
私はすぐさま別のナイフを拾い上げて、両手で投擲する。
一撃でどんどん沈めていけば、剣よりも早く倒せる。
「ありえねえ、あんなデタラメ、ぎゃあっ!」
一刻も猶予もない。
地面に落ちた鉄球を持ち上げて、腰を回転させて持ち上げる。
重量の重い鈍器を回転を利用して放つことで、勢いを付けて敵を襲った。
「あんたたちみたいな卑怯な奴らに、私の護衛騎士をやってたまるか!」
私の威圧に圧倒されてから、敵も逃げ腰になっていた。
全身の疲労が体を襲おうとも、倒れるまで止まることはしない。
「エステル!」
後ろから声が聞こえたので、私は落ちているナイフをできるだけ拾った。
横を並走するようにシグルーンの小さな馬の騎獣が走る。
飛び乗るとさらに速度を上げ、暗殺者たちも高速で移動する騎獣を避けて道をあける。
「逃すな!」
後ろからこちらを狙ってくる。
私は持っているナイフを投げて相手を封殺していく。
「もう、無茶をしますね」
「はは、ごめん」
シグルーンの背中に身を預け、少しの休息を取る。
まだまだ本命の敵が残っているのだから。
ガヤガヤと音が聞こえ始め、私たちは大きな広間にたどり着く。
するとまるで見せ物のようにブリュンヒルデが磔にされていた。
グロリオサがブリュンヒルデの近くで囁き、ブリュンヒルデの涙の声がこちらまで聞こえてくる。
それを見て楽しむ輩を許してはおけない。
私の投げたナイフは正確にグロリオサの眉間目掛けて放たれた。
だがそれを脅威的な反射で掴んでいた。
距離が離れているのに殺気が体を包む。
だが私はそれを無視する。
前に負けたことなんぞ関係ない。
「人の護衛騎士に手を出そうとしたんだから覚悟は出来ているんでしょうね」
私の心は怒りで支配されている。
だがそれを嘲笑うようにグロリオサは道化のように驚けてみせた。
「おいおい、よく来れたな。だが残念だな、お探しの領主の弟様はこちらじゃねえぜ」
「ならそっちも教えれば命までは取らない」
私は当たり前のように言うと、敵は虚を突かれたのか目を点にする。
「かははははっ!」
グロリオサが腹を抱えて笑うと周りにいる暗殺者たちも笑い出した。
するといきなりブリュンヒルデの顎を乱暴に掴む。
「なあ、お前も貴族が嫌いだろ? こんな綺麗な顔でさ、日々俺たちを見下しているんだぜ?」
ブリュンヒルデが嫌がるのを全く気にせず、私に話しているようでブリュンヒルデに向けて精神的に追い詰めようとしている。
「メチャクチャにしてやりたいよな? 俺の村にしたようにな。この女はお前の護衛騎士になったのだって、どうせくだらない出世欲のためだろ。側近にもなれない無能騎士様よ」
ブリュンヒルデは必死に抵抗するが全く動けないためなすがままだ。
「なあ、本当にこいつを助ける価値があるか? あっちにいけば領主の弟がいるぜ。俺たちが楽しんでいる間なら見逃してやってもいい。だがここに残るなら、お前から先に慰めものになってもらうがな」
ブリュンヒルデの顔が恐怖で引き攣っている。
私をちらっと目を向けてすぐに諦めたような顔をする。
「そうね、ならシルヴェストル様を返してもらう」
「だってよ、べっぴん騎士さん」
「だけどね──」
私は手に持つ剣をグロリオサに向けた。
「その子も大事なうちの子なの。汚い手で触らないでちょうだい」
お互いの眼光がぶつかり合った。
これまで酒を飲んでいた暗殺者たちが立ち上がって武器を構えた。
さらに後ろからもこちらを追いかけている敵たちがいる。
「シグルーン、ごめん! 後ろは任せた!」
「一人ではッ──!」
シグルーンの言葉を最後まで聞く前に駆け出す。
ボロボロだろうともこの身が朽ち果てるまでは立ち止まる気はない。
迫り来る敵を薙ぎ倒す。
遠距離だろうが、当たる前に倒せばいい。
落ちている武器を拾っては投げ、奪っては即座に無効化する。
「かか、威勢はいいが遅いままじゃねえか!」
グロリオサの言葉を無視する。
たとえ実力が無くともそれが退く理由にはならない。
しかし体は正直で疲労で腕が上がらなくなってくる。
「くたばれ!」
剣がカラーンと音を立てたことで、敵が好機と距離を詰めてきた。
剣を持つには時間がないため、私は素手で相手の体重を利用して背負い投げをした。
どうにか目の前の敵を全て倒して、この場に立っているのはグロリオサだけだ。
「はぁはぁ……」
息切れが激しく肺が酸素を求める。
頭がクラクラとしながらもまだ私の体は止まる気はない。
落ちている剣を再度拾い直す。
「おうおう、力を失ったというわりにはなかなか頑張るな」
グロリオサは仲間が倒されているのにただ見ているだけだ。
この余裕が気に食わない。
「じゃあ次は俺の番か、よ!」
グロリオサの短剣が放たれる。
首元に放たれたため、私は剣で防ごうとする。
だがグロリオサの顔がニヤつきが増した気がして、防御ではなく横に飛び退く。
するとまるで短剣が意思を持っているかのように追尾してきた。
「く……っ!」
短剣に合わせて私の剣を振るう。
だが剣を通して激しい痺れがくる。
小さな刃物のくせに鈍器で殴られたのかと思うほどの衝撃があった。
地面に倒れてしまい、すぐに追撃に備えて立ち上がる。
だがグロリオサは欠伸をするだけだった。
「こりゃぁ、歯応えがなさすぎるぜ」
グロリオサはそう言って再度ブリュンヒルデの胸元へ手を伸ばそうとした。
「触るなって言ってるでしょうが!」
地面を蹴り出して全身全霊を込めた一撃を放つ。
だがグロリオサはひょいっと簡単に避けた。
「なんだ、まだそんな体力があったのか。一瞬ヒヤッとしたぜ。危うく本能で殺してしまうかもってな!」
グロリオサは軽やかなステップでまたこちらに突っ込んできた。
拳が私を襲い、剣での防御を崩される。
思いっきりお腹を殴られ、大きく吹き飛ばされた。
後ろの壁まで何度も地面をぶつかりながら到達する。
「かは……っ!」
体が動かない。
どんどん目の前が真っ白に見えてきた。
それでもまだ倒れるわけにはいかない。
「ふー、はー」
呼吸を一生懸命行う。
何度も空気を吸い込んで、体の細胞へ行き渡す。
剣を杖のようにして立ち上がった。
「おいおい、体力だけは化け物だな。別に貴族の女なんかに命を賭ける義理なんてねえだろ? それに俺は楽しむだけで殺しはしない。自分で死にたくなるかもしれないがな」
大笑いが広間一帯に響き渡る。
下衆な声が耳障りだ。
ブリュンヒルデが震えながら声を失っている。
「大丈夫、よ、ブリュン……ヒルデ。私、が絶対、に助ける」
ピクッと反応したグロリオサは首をコキコキと鳴らす。
さっきまでとは違い、遊びの雰囲気が消し飛んだ。
「あんまりうぜえと我慢できなくなるんだわ」
グロリオサの握った指の隙間から四本の刃が出てくる。
それが私の方へ飛んできた。
このまま無防備に当たれば致命傷は免れない。
だが不思議と刃の軌道が分かってしまった。
剣を軽く振るって刃の軌道を変えた。
「あぁん?」
訝しむ目が私を見つめる。
だがすぐにまたナイフ二本を連続で投擲してくる。
一本目はステップで避け、もう一本は先ほどのように剣で逸らす。
流れる動きのまま真っ直ぐに剣を持って走った。
「っち! いいかげん倒れろや!」
次は十本のナイフがこちらに降り注がれる。
だが頭の中で常に自分の声がこだまする。
──剣しか取り柄のない私が他の剣に負けてたまるか!
足が自然と動き出す。
ナイフの軌道は最初の出だしで分かる。
ステップだけで避け、直接のぶつかり合いを避けた。
「はー、ふー」
常に呼吸だけは意識する。
自分を常に見失わずに集中力を極限にまで深めた。
「なんだよ、それも加護か? 憎たらしいな!」
うるさい声が響いてくるが今の私にとってどうでもいい。
この男を倒してブリュンヒルデを助ければそれだけでいい。
「どうせこいつは感謝もしないぞ! 貴族なんてものはな──」
ギリッと怒りを奥歯で噛み締め、目の前の男を睨みつける。
「この子が、泣いて、いるのに……貴族も平民も関係あるかあ!」
全身の血流が速くなる感触があった。
私の足が軽やかに進む。
まるで体が覚えていたようにそれは技となる。
「華演舞!」
相手が次のナイフを構える前に距離を詰めようとする。
だが相手も私と同じくらいの速さでバックステップで逃げていく。
「もう遊びはお終いだ! お前は生かしていると危ねえ!」
何十本ものナイフが瞬時に放たれた。
一体どこに隠していたのか分からないが、たとえいくら剣が降り注ごうとも私の剣が負けるわけがない。
「はあああああ!」
剣を避け、捌く。
どんな方向から放たれようとも、私は自分の剣が考えるよりも早く弾き返した。
「なあなぁなぁ! どんどん速くなってるじゃねえか! 力を隠してたのかよ!」
怯えた声が聞こえてくる。
相手の恐怖が私にまで伝わってくる。
「剣舞……」
後ろから感嘆した吐息が聞こえた。
体の中で音が聞こえた。
それに従うようにすることでさらに速さが増す。
とうとう相手を壁際に追い詰めた。
「くそっ! 俺はババァに認めさせる必要が──」
私の攻撃にカウンターを仕掛けるように拳を放ってくる。
紙一重で避けると、相手の懐がガラ空きになった。
「うっさいーッ!」
胴を思いっきり薙いだ。
体に鉄板を仕込んでいるのか固い感触がある。
しかしそれでもミシミシと骨が音を立てながら、体ごと力任せに振り抜いた。
「がはッ!」
グロリオサを吹き飛び、地面に倒れ伏した。
だがそれと同時に私の体も力を失って倒れた。
──まだ倒していない。
グロリオサは体を引きずって通路へ逃げていく。
そっちはシルヴェストルがいると言っていた通路だ。
「エステル!」
後ろからシグルーンの声も聞こえてきた。
どうやら後ろの敵は倒してくれたのだろう、
あそこまでの手負いならシグルーンがいれば問題ないはずだ。
もう限界だ、と意識がぷつりと切れた。