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側仕えと己の剣

 トリスタンの一撃によって私は意識が朦朧とする。

 意識が混濁していき、遠い昔の記憶が呼び起こされた。



 もう亡くなっている母から髪を切ってもらったときだ。


「どんな時も髪だけは大事にしてね」


 母は髪を切るときはいつもそう言っていた。

 ただその時は珍しく質問をしたのだ。


「どうして?」


 母は手を止めることなく、優しい声で話してくれる。


「髪は自分で簡単に手入れできるでしょ。それに長い髪は美人の証なんだから」

「そうなんだ!」



 一般的な常識なのか分からないが、私の村では女性は髪が長ければ長いほどいい女と見られる。

 母も髪は長くて綺麗だといつも思っていた。

 その時、ハサミが気になり出した。


「ねえ、なんでハサミって髪しか切らないの?」

「そうねぇ。他にも使えるけど、それがハサミにとってもいいことなのよ」

「どうして?」


 母の言っていることがよく分からなかった。

 だが母は笑って答えてくれる。


「だって、ハサミも一つのことに集中したいじゃない。自分は髪を切るためにあるってね! 包丁は料理をするときに。斧は薪を割るために。全部一つの役割のためにあるの。得意不得意があるのならそれを受け入れて得意なことで頑張ればいいのよ」

「ふーん、なら剣は? 動物や魔物を殺すため?」


 我ながら困った質問をしたと思う。

 だが母は真面目に考えて、うーん、と唸っていた。

 そしてやっと答えが閃いたと、両手を合わせた。


「大事な人を守るためよ」

「守る? 斬るのに?」

「うん。動物を捕まえないと私たちは生きていけない。魔物を野放しにすれば、いつ村を襲ってくるか分からない。だからみんな剣を持って家族や友達を守るために、危険な相手にも剣を向けるのよ」


 私の頭ではよく分かっていない。

 だが今ならわかる気がする。


 意識が急激に覚醒して、倒れそうになりながらもどうにか足を一歩踏み出す。

 ギリギリ倒れずに済んだが、身体中が痛みでどうにかなってしまいそうだ。


 ──剣は、持ってる。


 目が霞んで見えるが、その手にはしっかり剣を握っていた。

 まだ負けていない。


「あれが本当に剣聖なのか?」


 誰かの言葉が妙に響き渡る。

 その言葉を皮切りに私の実力を疑問視する声が広がっていった。

 トリスタンもまた私に対して疑問を抱いているようだった。


「剣聖殿、貴女が海の魔王を倒したというのは嘘ではないですよね? 準備万端で来たとはいえ、流石にあの一発で決着が着くとは」

「まだ、終わってない……」


 私は足がふらふらとするのを根性で支える。

 まだ彼にはフマルの件を謝らせていないのだ。


「そういえば、言ってなかったわね」


 領主の声が周りの雑音を取り払った。

 一斉に静かになっていき、領主の言葉を誰もが注目していた。


「エステルちゃんは力を失っているから、剣聖の時のような力なんて無いわよ。ただの平民だから、優しく相手してあげてね」



 領主はニッコリと笑って試合の続行を促す。

 観客たちの声が少しずつ期待から落胆へと変わっていく。



「剣聖の力を見られると期待したのに、どうして平民の試合を観らんといかんのだ」

「力を失うなんてことがあるのか? またモルドレッドが嘘を吐いて自分の手柄にしただけではないのか」



 どんどん私の実績を疑問視して、それに同意する声が増えていく。

 さらにはレーシュに関しても、ここぞとばかりに悪く言う。



「そういえばモルドレッドの女だったよな?」



 その一言が一気に多くの観客の目の色を変えさせる。

 私に対して憎悪の感情が膨れ上がったかのように。


 カァーンと剣が石畳を大きく打つ音が広がった。

 普段温厚なシグルーンと思えない低い声が牽制する。


「エステルは私が護衛しております。もし手を出すのなら、エーギル家が黙っておりません」


 シグルーンの言葉に怖気付いたのか、騎士たちは一斉に目を逸らす。

 彼女と目を合わせることができるのは領主だけだ。

 さらにシグルーンは領主へ強く非難する。


「それとアビ・ローゼンブルク、この場でその情報を出すのは些か悪ふざけが過ぎます」


 お互いの目がぶつかり合い、周りがハラハラとしている。

 だが先に目線を外したのは領主の方だ。


「ふふ、そうね。ただこの勝負を挑んだのはその子よ。側仕えも満足にできないその子から剣を取ったら意味がないの」



 領主は私に問いかけていた。

 だが私には、領主なんて関係がない。


「興醒めだな。いずれ海賊王と一戦交える時のため自分の実力を測ってみたかったが、これでは弱い者いじめだ。もうよい、下がれ。平民風情は早く臭い下町に戻るんだな」



 トリスタンは言いたい放題言ってから背中を向けて去ろうとする。


「逃げるなぁああ!」

「なっ!?」



 背中を向けたトリスタンに向かって距離を詰めて剣を振るう。

 相手もギリギリで振り返って剣で受け止める。


 動くたびに激痛が走るが、それでも決着が着くまで剣を止めない。

 お互いに鍔迫り合いになり、些か筋力が無い分、私の方が押されている。


「後ろから攻撃なんぞ、騎士の風上に置けんな!」

「私は……側仕えだぁ!」



 息を大きく吸い込み、火事場のバカ力でトリスタンの剣を押し返した。


「うおっ!」


 体勢が崩れた隙に一気に決着を決めるために剣を突き出した。

 トリスタンは剣で守る代わりに、ボソボソと口を動かす。


「最高神スプンタマンユは我らの父なり。いかなる攻撃も意味はなし。父に剣を向ける愚か者に神の鉄槌を与えたまえ」


 何もない空間から水の塊が出現して私の突きを受け止める。

 どんなに力を入れても突き破れず、水の塊からいくつもの突起が現れ、私の体を刺そうと水の針になって射出された。


「くっ!?」


 急いで剣を盾にして急所を避ける。

 だが体を掠め、数本の針が体に突き刺さる。

 すぐに普通の水に変わり針は消え去ったが、刺さったところから血がポタポタと落ちる。



「醜い。どうして降参しない? これだから、平民は──」

「あんたがフマルに謝らないからだろうがぁ!」



 言葉遣いがどんどん荒くなるほど、私に余裕はない。

 できるのは私は攻撃することだけだ。

 たとえ死んでもやめない。


 私は……剣なのだから。


 痛みもどんどん気にならなくなるほど、私は夢中で剣を振るった。

 トリスタンも反撃してくる。

 お互いの剣が何合もぶつかり合う。


「こいつ、どんどん速くッ──!?」



 トリスタンの剣がどんどん見えてくる。

 少しずつ、彼の剣の癖が見えてくるので、次の動作を予想してゆとりを消していく。

 彼が詠唱をすると、不可思議な現象が起きるため、私は彼にその時間を与えない。

 しかし、彼は指を掲げると指輪が光り硬い感触が剣を通して私の手を痺れさせる。

 まるで見えない盾があるかのように私の攻撃が弾かれたのだ。



「お前がいくら強かろうが、私には魔道具がある。卑怯と思うなよ、これが騎士の戦い方だ。そして魔道具は触媒の代わりにもなる」



 トリスタンが手を前に突き出して、またもや詠唱をする。


「最高神スプンタマンユは我らの父なり。全ての大地は最高神の物であり、我らは貴方様へ最高の忠義で恩に報いよう。全ての生物の源である大海は私たちの敵を許しはしない。我らの敵に鉄槌あれ!」


 またもや何も無い空間から水が現れる。

 先ほど私を吹き飛ばした水の濁流が迫ってきている。


 遠くからフマルの、「逃げて!」、と言う声が私の耳まで届いた。


 この至近距離で二度目をくらえば、もう立ち上がることはできない。

 もしかするともう二度と動けなくなるかもしれない。

 だが体勢を崩している今では走って逃げることもできなかった。



「ッざけるな!」


 絶対絶命なのに私の心は負けていない。

 水の向こうにあるトリスタンへの殺意を一切途切れさせることなく、神経を張り詰めさせ、己を一本の剣に見立てた。


 ──逃げるな、舞え!


 足を踏ん張り、水の濁流へ一歩踏み出そうとした時に、水の濁流が別の方向からきた濁流によってかき消された。


「なっ!?」


 トリスタンも予想してなかった横からの妨害に驚く。


「お互いにそれまで!」


 審判をしていたカサンドラが割って入る。

 勝負の決着を告げられるが、私はまだ彼に謝ってもらっていない。


「どうして止めるの! まだ私は──」

「アビが止めたのだ。この勝負は終わりとな」



 冷静さを欠いている私にカサンドラが諭すように言う。

 私は領主へ顔を向ける。

 領主は立ち上がって、先ほどの魔法を放ったようだ。


「いい勝負だったわ。だけどこれ以上はだめ。死人が出ちゃう」

「私は負けてない! 今だってもう少しで──」


 抗議をしようと領主の方へ詰めかけようとしたが、カサンドラが私の体を無理矢理地面に倒した。

 警戒していたのに全く反応できず、彼女の力で動きを封じ込められた。

 いくらジタバタしても彼女の拘束が外れない。



「エステル、アビの言葉は絶対だ。恩人とはいえ、この手で始末などしたくはない。どうか今日だけは堪えてくれ」

「くっ……」


 せめてものと私はトリスタンを睨む。

 だが彼はもうすでに別の騎士に引っ張られ後ろ姿しか見えなかった。


「剣聖が守られているよ」

「アビはお優しい。それなのに助けてもらっているのにお礼もなしか」

「弱くなった剣聖なら俺たちも下手に出なくていいんだな」


 勝手に色々と好き勝手言われる。

 何も汚名を返上できず、ただ大事な人たちを馬鹿にされただけで悔しくなる。

 涙が溢れ、自分の弱さを初めて呪った。



「アビ・ローゼンブルク、お願いがございます」


 ブリュンヒルデが領主へ手を挙げる。

 領主は首を動かして言葉を許した。


「元々私は剣聖殿の力に憧れて護衛騎士を志願しました。ですがその力がないのでしたら、この度で護衛騎士の任を解いていただきたいです」



 さらに辺りが騒ついた。


「護衛騎士から見捨てられるってよ」

「当たり前だろ。好き好んで平民の世話なんてしたくねえだろ」



 元々、ブリュンヒルデは私の剣聖の力を目当てに護衛騎士になったと言っていた。

 特に貴族意識も強いため、私に価値が無いとわかればそうなることは予想が出来た。

 だが領主から意外な言葉が飛ぶ。


「駄目よ。これは命令。私が命じたのだから、私が任を解くまでは続けなさい」



 ブリュンヒルデは断られると思わず狼狽えた。


「ど、どうしてですか……」

「ブリュンヒルデ、これ以上はやめなさい。アビのお言葉は絶対よ」

「うるさい! 貴女も剣聖でない平民に仕えたくはないでしょ!」


 シグルーンもブリュンヒルデを説得しようするが、全く聞く耳を持たない。

 ブリュンヒルデはわざわざ回り込んで領主の近くで懇願する。



「どうか、アビよ。私の剣はこの領地のために使わせて──」

「甘えるな、小娘! お前が選んだ主だろ!」


 領主から心胆を寒からしめる声が響く。

 先ほどまでの騒ぎが一斉に静まる。

 領主の怒りが全体に広がり、誰もが息を呑んで見守る中で領主が立ち上がってブリュンヒルデの喉元に扇子を当てた。

 大きな声でも無いのに、底冷えする声はしっかりと耳に入る。



「今ここで一生解任にしてもいいのよ。首が無いなら仕えようがありませんものね」


 まるでゴミを見るような目でブリュンヒルデを見下ろしていた。

 ブリュンヒルデも涙目になりながら、息を呑んで震えている。


 だが領主はもう興味が失せたようで私に笑いかける。


「エステルちゃん、良かったわよ。ちゃんと怪我を治してね。でもお茶会にはしっかり出てもらうから、側仕えとして役に立たないのなら分かっているわよね?」


 口調は軽いのに、彼女の期待に添えなければ自分の命も切って捨てられるかもしれない。

 私もまだまだへこたれてはいられない。


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