側仕えの勉強
体も頭もヘトヘトになりながらもどうにか切り抜けられた。
私は疲れながらも部屋に戻ると、フマルの他にも来客がいることに気が付いた。
「おかえりなさいませ、エステル様」
シグルーンが資料を広げてフマルのお手伝いをしているようで、手を止め立ち上がり礼儀正しくもわざわざお辞儀までしてくれる。
「こんばんは、シグルーン様」
「エステル様、私のことはシグルーンのみで構いません」
守られる立場とはいえ、貴族相手に呼び捨ては躊躇いが出てしまう。
ただ相手がそう言うのだから合わせなければならない。
「ならシグルーンね。シグルーンも手伝ってくれるの?」
「はい。挨拶で来ただけでしたが、フマルから領主からの課題を出されたと聞きましたので、少しでもお役に立てればと存じます」
前にレーシュが言っていたが、私たちを苦しめたジールバンを親戚に持つ反領主派のため警戒していた。
ただ彼女の普段の喋り方から警戒する必要はないのではないかと思ってしまう。
「シグルーンは元々領主の側近だったから、そんなに警戒しなくてもいいよ」
「そうなの!?」
そこでやっとこれまでの話が少し繋がった。
ジールバンがわりかし好き勝手出来たのも、シグルーンという太いパイプがあったからだ。
だからこそネフライトは少し厳しく、シグルーンに接していたのだろう。
「はい。ただその時にちょうど内乱が起きたので、コランダム派の私は距離を置きましたの。結婚も同時期でしたので、良いタイミングだったと思います」
そういえばコランダムが反領主派と呼ばれる理由はなんだろうか。
私は思い切って尋ねてみた。
「ねえ、どうしてコランダム様のところは反領主派と呼ばれているのですか?」
「そうですね。ちょうど資料をまとめたところですので、わたくしが簡単に説明をさせていただければと思います」
シグルーンに勧められ、私は椅子に座って彼女の用意した地図を見る。
細長く伸びる地形が領主が治めている領地らしく、こんなに細かく分かれているのかと驚いた。
「この国は王族の直轄領と三つの領地、全部で四つの領土があります。こちらが私たちが住まうローゼンブルク領ですね。二百年前まではローゼンブルク領は別の方が統治されていたのですが、国王であらせられるドルヴィ・メギリストが占領されてからは王族の傍系が各領主となっています」
「へえ、領主様って王族の血も引いているんですね」
あの風格は確かに王族と言われても納得してしまう。
しかし、彼女には兄がいるのではなかっただろうか。
「ねえ、領主様ってお兄さんがいるのですよね? 領主様ってどうしてお兄さんが継がなかったの?」
「良いご指摘です。それこそが、領主派と反領主派を分ける大きなところなんです」
疑問を口にしただけで褒めてくれるシグルーンを好きになってしまう。
話し方も上品でこれまで出会った令嬢とは一線を画すような気がする。
シグルーンは手書きの簡易地図を真っ二つに割って、コランダム系とスマラカタ系と書いてを東と西で分ける。
「この領地は大まかに言えばコランダム系とスマラカタ系という大派閥で分けられます。言わばこの二つがこの国を支える方々ですので、領主は必ずスマラカタ系とコランダム系のどちらとも娶らないといけない決まりが暗黙であるのです」
「もしかして、領主様はスマラカタ系の血筋が入っているの?」
「ご明察です。ちなみに領主の兄君はコランダム系の血筋となります」
どおりでネフライトと親しげだと知る。
シグルーンは少し言いづらそうだ。
そこでフマルが助け舟を出す。
「えっとね、今の領主様がレイラ様になられたのはレーシュ様のお父様が内乱を起こしたことが背景にあるの」
前にネフライトから教えてもらったことを思い出す。
レーシュの父親は、第二王子を国王にするため、国王と第一王子を殺害したが、結局第二王子ごと処刑され、今は第三王子が即位しているらしい。
どうして内乱が領主が女性になる理由になるのだ。
シグルーンも頷いて話を引き続く。
「実は第二王子とモルドレッドの父君の企てを阻止するために、レイラ様がスマラカタの騎士を率いて内乱を終結させました。そして今のドルヴィからその功績を讃えられて、正式に領主として任命された経緯があります」
全てがレーシュの出自に由来している。
彼が嫌われる理由はお父さんが歴史に悪名を残したことだが、多くの人の人生に関わっているのなら恨みを買ってもおかしくはない。
シグルーンの顔が悲しみに沈む。
「レーシュ・モルドレッドもレイラ様の味方としてその戦いに参加したのですが連座にするべきという声が多く、どうにか多くの資産や魔道具の特許を引き換えにすることで助命を許されたとのことです。コランダム系のほとんどがこの戦いで傍観していた関係で、レイラ様の兄君を次期当主に立てることが出来なかったのです」
レーシュのお父さんの問題は私が考えるよりも深く多くのことに繋がっている。
彼の苦しみはどれほどかは分からない。
だが私も支える側に立ちたいのなら、今すべきは同情ではない。
「ありがとうシグルーン。もっとこの国のことを教えて」
私は少しでも勉強をして五日後のお茶会に間に合わせないと、レーシュを支える以前に無能者として追い出される危険がある。
そこでふと領主が嫌がらせをしてきそうな予感があった。
その一つが──。
「ねえ、私に楽器を教えてくれない?」
「楽器、ですか? それも課題がおありで?」
シグルーンがためらいながら答える。
私は首を振った。
「来てないけど、あの人ならそれもさせそうな気がする。ジャスミーヌはそこまではいらないって言ってたけど、あの性悪な……人を試すような領主なら絶対に何か企んでると思うの」
シグルーンは手を組んで、深く考え込む。
しかし申し訳なそうに私へ答えてくれた。
「エステル様のご期待に添いたいのですが、これから学ぶにはあまりにも時間が足りません。それにあれも、これも、と手を出していたら全てが中途半端になってしまうと思います」
シグルーンの指摘に言葉が詰まった。
焦っている気持ちが見透かされ恥ずかしくなる。