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側仕えは愛の甘さに痺れた

 今日はレーシュとのお出かけだ。

 夕食も摂り、私は支度のため自室でフマルにお手伝いを頼んだ。

 軽い化粧をしてもらいながら、未だ領主への答えが出ていないことにモヤモヤとしていた。



 ──今日の夜に玄関に来いって言ってたよね?



 領主の元へ向かう決心はまだついていない。

 だが時間もほとんど残されておらず、早く決めないといけない。


 プシュッと音が聞こえると、柑橘系の匂いがした。


「ほらほら、そんな暗い顔しないで」


 フマルが香水を振り掛けたようだ。

 彼女はいつもの調子で笑いかけてくる。


「エステル、今日の夜はレーシュ様のお部屋に行くんだよ」

「えっ?」


 私は意味が分からず首を傾げる。

 焦ったいとフマルは呆れた顔をした。


「もう、せっかく二人で遊びに行って、いい雰囲気になるのに、夜は別々の部屋で寝るなんてありえないでしょ」


 フマルの言葉がやっと飲み込み、顔が熱くなっていくのを感じる。


「えっ、いや、えっ──?」



 まだ早いのでは、と心の中で言い訳がたくさん思い付く。

 いつかはその日が来るかもと思っていたが、まさかそれが今日とは考えてもみなかった。

 言葉が出ない私にそっとフマルが肩を持った。


「落ち着いて、落ち着いて! ほら、紅茶出すから一度落ち着くんだよ」


 フマルが温かい紅茶を出してくれたが飲む気になれない。

 それでも飲めと言われたので、口に含むと自然に落ち着く。



「もう! エステルから誘わないとレーシュ様は多分ずっと待っちゃうよ?」

「どういうこと?」

「レーシュ様もエステルに気を遣いすぎなの。エステルだって自分で現状を変えようと頑張っているんだから、お互いに何かを我慢してもいいことないよ。まだ正式な夫婦になってもいないのに、こんな調子じゃ本当に先が思いやられるからさ」



 フマルの言葉は私の心に重くのしかかる。

 また暗い表情をしたせいか、フマルも慌てて言葉を続けた。


「エステルって姉御肌なんだから、もっと引っ張っていいんだよ」


 私は顔をあげる。

 彼女の言葉に何かがひらめきに近いものが出てきそうになった。


 準備を整えた私はレーシュと共に馬車に乗り込んだ。

 護衛はサリチルがしてくれるみたいだが、彼は私とレーシュの関係をどう思っているのだろう。

 私とレーシュは向かい合うように座り、サリチルはレーシュの隣に座る。

 サリチルは穏やかな表情で、私へ微笑んでくれる。


「エステルさんも本日はお綺麗ですね。しばらく会わないうちに素敵な淑女になっていてびっくりしました」

「そ、そんな! ただフマルたちが化粧をうまくしてくれただけですから!」


 私は特に綺麗な努力をしたつもりはなく、毎日やることをこなすだけで精一杯だった。


「何をおっしゃいますか。どんなに着飾っても全てを隠すことはできません。イザベルの指導にも逃げずに取り組んだ証拠です。しかし最初の出会いからこのようなことになるとは、私も予想はしていませんでしたがね」



 私とレーシュは乾いた笑いが出た。

 お互いに初めての出会いに良い思い出はない。

 ただそれも今となってはよい思い出かもしれない。



「そういえばあまり詳しく聞かなかったが、サリチルとエステルはどのような出会いだったんだ?」



 私はサリチルの勧めで働くことになった。

 偶然にも彼を助けたことが全ての始まりだったのだろう。

 サリチルと私は顔を見合わせる。



「確かエステルさんが迷子になっていて偶然にも山の中で出会いましたかな」



 レーシュの呆れた目が痛い。

 ちょうど繁殖した魔物を減らすために山に向かったのはいいが、気付けばその時の仲間達と離れてしまったのだ。


「はは、あの時も大変ご迷惑をおかけしました」


 前にも謝ったが、今も申し訳なさから謝る。

 サリチルは笑って気にしていないと言ってくれた。



「一瞬で竜を倒した姿には驚きました。噂通りのお強さで興奮してしまった」

「うわさ?」


 たまにしか冒険者の依頼を受けない私にどんな噂が立っているのだろう。

 その答えを聞く前に劇場の前に辿り着き、その答えを聞けなかった。

 レーシュにエスコートされ、馬車を降りてチケットを受付に渡すと、飛んでくるように支配人がやってきた。


「これは、モルドレッド様と剣聖様。特別席をご用意しておりますので、どうぞおくつろぎくださいませ」



 まるでオドオドとした様子だ。

 特に私のことをチラチラと怯えながら見てくる。

 レーシュがその目線を遮るように立って、案内をするように命令した。

 もうすでにかなりのお客が入っており、身なりの良い人たちしかいない。


 ──貴族や大店の店主とかなんだろうな。



 綺麗な椅子に加えて、デーブルの上には軽食まで置かれている。

 たまにくる大道芸たちの芸くらいにしか考えてなかったが、おそらくそんな貧困な想像を上回るものが観られるのだろう。



「今日の劇は隣国の王子と王女の恋愛を描いものらしい」



 椅子に座って今回の劇について教えてもらう。

 どうやら敵国同士なのにお互いを好きになってしまった話らしく、その結末がかなりの反響を呼んだとのことだ。

 ふとたくさんの視線が気になる。


「何だか注目されてません?」



 少し後ろの席ということもあるが、私をチラチラと覗き見る者達が多い。

 レーシュは、ため息を吐くが、特に文句を言うわけではないようだ。



「今は俺もお前も時の人だからな。特にウィリアムでも倒せない海の魔王を討伐したとなれば、お近づきになりたいと思うものだ」

「ふーん」



 今の私にはほとんど関係のない話だ。

 レーシュの腕が私の肩を回り、急にぐいっと近づけられた。

 全く警戒していなかったので、密着すると心臓が高鳴る。


「特に貴族と平民の結婚は物珍しいからな。剣聖の力だけを当てにしているだけと思うわれるのも癪だ」

「だからって……」



 今ここでそんなアピールをしなくてもいいのではと思う。

 文句を言おうとすると、彼の人差し指が私の口元に当てられる。


「劇が始まる。残念ながら他のお客様に迷惑だから、このまま静かに観よう」


 少し悪戯っぽい顔をする彼に口では敵わない。

 しょうがないとレーシュの腕を組んで、肩に頭を預けたら、彼の方が慌て出した。


「お、おい!」

「お静かになんでしょ?」



 グッと何か言いたげなことを堪えていた。


 ──レーシュの腕って何だかホッとする。


 もっと細腕だと思っていたが、ちょうど良い肉付きだった。

 最初は私も慣れない甘え方にどきどきとしたが、演者たちの劇に目を奪われる。


 最初の一目惚れに始まり、多くの波乱で引き離されながらも、最後には二人が結ばれる姿に思わず涙した。


 教養と言われ身構えていたが、私でも理解できる内容で楽しい時間だったと言える。

 しかし貴族でも王族同士の結婚は大変なんだと自分たちと重ねるところもあった。

 その時、隣のレーシュはどんな感想を持ったのか気になる。


「すごく感動したね。レーシュはどう、だった……?」



 何だか険しい顔をしており、もしかすると楽しめなかったのか。

 だが私は問いかけると、いつもの裏がありそうな笑顔が向けられた。


「ああ、良かったよ」


 ──これは何か隠している時の顔だ。


 背中に冷や汗が伝って、ずっと腕を組んだままだったことを思い出す。

 時々悲しい時や感動した時に握りしめたかもしれない。

 慌ててその腕を離した。


「ご、ごめんなさい! 話に夢中で解くのを忘れてて」


 だが彼の張り付いた笑顔はそのままだ。

 一応はエスコートしてくれるが、少しばかり何かを急いでいるようにも感じられる。

 サリチルとレーシュの目が合うと言葉を言わずとも何かを察していたようだった。


 寄り道をせずに馬車はすぐさま屋敷へと着いた。

 その時、フマルから言われたことを思い出した。


 ……今日の夜はレーシュ様のお部屋に行くんだよ。



 どのタイミングで誘えばいいのだろうと、私は内心で慌て出す。

 サリチルが一度離れて、私とレーシュだけになり、長い廊下を歩く。


 ──今しかない?


 勇気を振り絞り、この絶好のチャンスを利用するしかない。


「あの、レーシュ……」



 ずっと私の手を握って歩いてくれる彼を呼ぶ。

 チラッと目をこちらに向けられ、決心が鈍りそうになった。


「あ、後で部屋に行ってもいい?」



 恥ずかしくて、赤くなる顔を隠すため手で隠しながら顔を反対方向へ向ける。

 すると急に彼が立ち止まった。

 どうして返事をしてくれないのだろう。

 まさかタイミングがおかしかったのか。

 それとも聞こえなかったのかもしれない。


 だが二度目の言葉はさらなる勇気が必要で、言葉が喉につっかえて出てこない。

 すると彼の顔が近づいてくる気配があった。



「今からじゃダメか?」



 まだ心の準備が出来ていなかった私はその言葉に返事ができず、ガバッと顔を向けるしかできなかった。

 レーシュの真剣な顔が一瞬だけ見えたと思ったら、私の体が持ち上げられた。


 レーシュが私を腕の中で横向きに抱き、尋ねたわりには私の意見を聞くよりも先に足が自室へと向かう。


「えっ、いやっ、レーシュ!?」


 前にマレインを抱き抱えた時にはかなりしんどそうだったのに、今回は嘘のように素早い足取りに思わず驚いた。

 劇場で腕を握った時も思ったが、思った以上に腕が太かった気がしたので、もしかするとトレーニングを隠れてしていたのかもしれない。


 とうとうレーシュの部屋に着くと、フマルの言う通りすでに寝室は整えられ、何だか私の部屋と少し似た匂いがする。

 前はこんな匂いではなかったと思うと考えている間に、私はベッドの上で倒された。


「劇場であんなことをするんだ。もちろん分かっていたんだろうな?」



 レーシュの黒い笑顔に、これは私が蒔いた種だったと気付く。

 ここにきて止めるなんてことはできない。

 だがそれでも彼は何かを我慢するかのように、私に最後の確認をする。


「いいか?」


 彼の目がいつもよりも熱くなっている。

 目を瞑って唇を合わせる。

 そして唇を息のかかるほんの少しだけ浮かした。

 私の返事を最後まで待ってくれている。

 言葉を返す代わりにレーシュを引き寄せる。


 私は彼の全てを受け入れた。


 お互いに初めてということで戸惑いながらも甘い時間を楽しんだ。

 体がとろけるような痺れにあい、心地の良い感触が体の中で反響している。

 レーシュの息が荒れ、私の胸の上に倒れ込むので優しく抱きしめた。

 そして横になって体を休め、手を私の頬へ当てる。


「痛くなかったか?」

「う、うん……優しかった」



 それは良かったと、レーシュはホッとして満足気だった。

 お互いに一体となり、心の中が満たされる。

 それでも先ほどのことが思い起こされ、まだ彼を求めている自分がいた。

 それを察してからレーシュはゆっくりと唇を合わせてくれる。

 長く堪能してから離れていくと、レーシュは少し暗い顔をしていた。


「エステル、お前は領主のところへ行くんだろ?」


 ドキッと心臓が跳ねた。

 まだ迷っている段階でもあり、もうすぐ決断しないといけない。

 それを彼に見透かされていたことに何だか後ろめたい気持ちがあった。


「ずっとどんな顔で送り出そうと考えていたんだ。だがお前があんな我慢ならないことをするのは考えてもみなかった」



 どうやら彼が積極的になったのは私のせいらしい。

 図らずもうまくいったが、レーシュでも頭より行動が先に出るらしい。



「お前の心はずっとここに置いていけ。お前の気持ちは俺だけが独占したい。俺の心もお前だけのものだ。だから必ず戻ってきてくれるか?」


 彼の手が震えながら私の髪を撫でる。

 おそらくまた前に戻って孤独になるのを恐れているのだろう。

 次は私が彼の体を引き寄せた。


「うん、また帰ってくる。だからもっと貴方のことを教えて」


 次は私から彼を襲うように体を起こして唇を奪う。

 お互いのことを忘れないように深く刻み込むために。

 そしてレーシュも完全に疲れて眠ってしまい、私は起こさないようにゆっくりと部屋を出る。

 支度を整え、玄関まで向かうと、フマルが外行きの格好をしていた。


「フマル……」


 どうしてここにいるのか聞こうとする前に、静かにするようにフマルが口に手を当てる。

 そして音を立てないように玄関を開けると、目の前には馬車が止まっていた。

 領主が笑って手を振っており、私が来るのを待っていたようだった。

 馬車に乗り込む前に、私は屋敷を振り返る。



「また帰ってくるから」



 二人の家族へ向けて私はつぶやいた。

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