側仕えに迫る影 ラウル視点
私の名前はラウル。
神国の神官であり、元々は神殿を増やすために派遣されてきた。
教王から授けられた称号は、槍兵の勇者。
だがこれは聞く者によって大きく異なって聞こえる言葉だ。
朝のお祈りも終わり、私は槍の腕が鈍らないように中庭で素振りをする。
時間が経つにつれて、鍛錬に勤しむ神官も増えていく。
そうすると決まって何人かに訓練を申し込まれる。
己を鍛えようとするのなら私はいくらでも手を貸そう。
「はあああ!」
若き神官が力いっぱい込めて剣を振り落としてくる。
木刀とはいえ、当たれば骨が折れるほどの威力だ。
だがそれは当たればの話だ。
「踏み込みが甘い! 動きも見切れるぞ。もっと腰を落とせ!」
「はい!」
この神官は元々は王国の貴族だったが、魔力が低いためこの神殿に預けられたと聞く。
しかし今では敬虔な信者であり、こうやって己を高めようと努力するのは素直に称賛する。
どんどん彼の動きが疲れで鈍くなってきたため、大ぶりになった隙をついて、剣を弾き飛ばした。
「はぁはぁ……参りました」
疲れからへたり込んでしまった。
私はいくつかの改善を告げてから、朝の見回りに向かう。
困っている人々がどこにいるか分からない。
海の市場も近いため一度見に行ってみると、前とは違い多くの漁師が忙しなく魚を卸していた。
「海の魔王がいなくなってからはみんな生き生きとしている。最高神よ、見ていただけておりますか! 人々のたくましさを! どうか彼らに最高神の導きを与えたまえ」
最高神へ祈りを捧げ、この港町の復興をお願いする。
その時、見知った顔がこちらに気付いて近づいてきた、
「あぁん? 槍の神官様じゃねえか」
ふてぶてしい顔で、半裸に黒いコートを身につけている男は、元海賊の船長であるウィリアムだ。
今はこの町の発展のため、海賊ではなく使節団という位置付けになっている。
本人は最初嫌がっていたが、今ではもう気にしていないらしい。
「その呼び方はやめてくれ。私にはラウルという名──」
「ちょうどいいや、ちょっとツラ貸せ」
私の言葉を最後まで聞かずに、ウィリアムは背を向けて歩いていく。
人の話を聞かないことに辟易しながらも後を付いていく。
人気のない岬の方まで歩かせられ、誰にも話を訊かれたく内容だったためここに連れてきたようだ。
──いいや、これは私への配慮か。
岬の奥でやっと立ち止まり、海を見たまま話を始めた。
「やっとこの海は自由になった。今はまだ魔物も残っているが、いずれは俺たちだけなく誰でも航海に出られる。あの嬢ちゃんのおかげだ」
ウィリアムの声からはエステルに対して強い感謝の念を感じる。
それほどまで海の魔王は、我々を苦しめてきた厄災だった。
土地の魔力も吸われ、海は人を寄せ付けない。
平和な今だからこそ彼は私へ伝えようとしているのだ。
「忠告してやる。もし嬢ちゃんと貴族の大将に手を出すつもりなら、俺たちも黙ってねえ。今ここで最高神ってやつに誓って答えてみろ」
ウィリアムの背からとてつもない力の波動を感じた。
海が少しずつ機嫌を悪くするように波を立てる。
ここは彼のフィールドだ。
魔力を使う武器もなく、あるのは腰にあるレイピアのみで、海を得意とする彼には勝てない。
冷や汗が背中をつたり、どう返答するか迷った。
「っけ、正直な野郎だ」
急にウィリアムの殺気が霧散した。
「私を殺さなくていいのかな?」
虚勢というべきだろう。
死が怖いが彼に殺されるならまだ武人の誇りを持てる。
しかし最高神のために生涯を尽くせないのだけは気がかりであった。
「お前んとこの教王のハゲから何度もうるせえ通信が来るせいで苛立っただけだ」
「教王が?」
教王は元老院の長であり、神使の助言機関だ。
だが今ではそれ以上のことに口を出し始めているため、神使と教王の立場が曖昧になってきている。
それは教王を支持する派閥があまりにも大きな力を持ち始めているからだ。
「ああ、ことあるごとに嬢ちゃんを始末しろとうるせえから、ヘンテコな水晶をぶっ壊してやった」
「あれは高価なんだぞ?」
ウィリアムは知るかよ、と唾を吐く。
どういうわけかウィリアムは前から教王と面識があるらしく、私は教王に命じられるままに、行方不明となっていた剣帝と戦うことになった。
「だから私も神使様に相談したのだ。このままではどのような方法を取るか分からないからね。しかし、まさかここまでお越しになることだけは想定してなんだ」
神使様は我が国の宝だ。
高い魔力に最高神と話せる唯一無二の存在。
そんな彼女が死んでしまえば神国が無秩序になる恐れがある。
だからこそ神使様だけは命に代えても守らなければならない。
「あの神使ってガキも信用ならねえ。あれはネジが飛んでる。どっかの領主のようにな」
神使に対して何とも失礼な発言だ。
だがこの男に神使様の神秘性をいくら説いても理解できないだろうと諦める。
「嬢ちゃんの家に弟がいるって覚えているよな?」
ウィリアムがその話題を出したときに、お祈りの間で神使様から言われたことを思い出す。
……この魔道具で弟君から加護を奪うのだ。
巻物となって私の懐に忍ばせている。
魔法の筆で特殊な文字を書かれており、少しの間対象の体に当てることで加護を奪える。
高価な品であるが、剣聖の加護はそれほど貴重だ。
何しろ海の魔王を屠るほどの加護だ。
そして神使様は、私にその加護を付けさせようとするだろう。
もしかするとウィリアムは私の考えに気付いているのか。
そう思えるほどのタイミングでその話題が出た。
無言では怪しまれるため返事をした。
「ええ、十歳病で苦しんでいると」
「嬢ちゃんの加護が弟に移ったら、てめえらは奪いに行きそうだから忠告してやる」
一瞬心臓が脈打った。
もちろんそれを顔に出すほど馬鹿でないが、ウィリアムの先見性には驚かせられる。
振り返って真剣な声色で私へ伝える。
「欲はかかねえことだ。俺の勘が言っている。嬢ちゃん周りで何かをやろうとすれば必ずそれ以上の報復が来る。それが嬢ちゃん自身なのか、はたまた側にいる者なのかは分からねえ。ただくだらねえことで命を落とす馬鹿にはなるなってことだ」
珍しく彼は私を心配してくれたのだ。
命が降った以上はもう覆せない。
しかし妙に嬉しくもあった。
身分が違くとも友と呼ぶに差し支えないくらいに。
彼もそう思ってから不敵な笑いをこちらへ向ける。
「まあ、てめえみたいないけすかない男はそこらへんのゴミ箱で朽ち果てて欲しいからよ」
前言撤回だ。
この男とレーシュは一生分かり合えないだろう。
私は一度モルドレッド邸に向かう。
イザベルという女性の側仕えが私を客間に案内してくれ、レーシュを呼びにいくと出ていく。
その隙に私も動き出す。
何度かここを訪れ、エステルの弟の部屋に目星を付けていた。
「三階に女性たちの部屋があるだろうが、男かつ病弱なら一階の可能性が高い」
私は人の気配を細かく探りながらお目当ての部屋を探す。
一瞬、エステルの悲鳴が聞こえたかと思ったが、同時に他の側仕えの声も聞こえたので、特に大事ではないだろう。
そしてとうとうそれらしき部屋の前に着く。
「急がねばな。エステルさん、どうか私をお許しください」
部屋のノブに手をかけようとした瞬間、私の勘が囁いた。
これは開けてはならない。
ウィリアム以上の殺意が私へ向いていた。
純粋な殺意というべきだろうか。
まるで喉元にナイフが添えられているような、死が目の前にあるようだった。
ここも私の得意な戦いの場ではないせいだろう。
少しでもこのドアを開ける素振りをすれば、速やかに首を刎ねられる。
「世界は広い……と言いたいが、私と同格以上ならヴィーシャしかいまい。なるほど、あの男の忠告は無視してはならんか」
どうしてヴィーシャがエステルの弟を護っているのかは分からない。
だが彼女はネフライトを助け、ナビとなる素質を持つレーシュと結ばれている。
大きな運命が彼女を味方していると思わずにはいられない。
「すまない。見逃してくれ。私もまだ死ぬわけにはいかん」
返事があるわけでもないが、私はドアノブから手を遠ざけて元の客間へ戻る。
神使にも忠告せばならん。
下手に手を出すと、教王どころではなくなると。
誰にも気付かれず客間でお茶を楽しんでいた風を装う。
するとレーシュもやってきた。
「わざわざやってきてなんだ? こっちは忙しいんだ」
「すまない、こちらも演目の確認がしたくてね。それと今後の神国との貿易で確認しないといけない事項があったんだ」
私はそういって前もって用意していた内容で打ち合わせをする。