側仕えはゼロとなる
夜通し戦い続けた私の疲労もピークを迎え、前のようにフェニルと同じ部屋で寝ようとしたがイザベルから止められた。
「家族とはいえ部屋は移させていただきます。貴女のお部屋は今後は旦那様と同じ二階に移していただきます」
「えっ?」
突然のことにびっくりするが、有無を言わさず襟を掴んで引きずっていく。
いつの間に私の部屋を作ったのだろう。
家具等も余った物ではなく、高価な作りの物であり、私には不釣り合いなものばかりあった。
ただわざわざ部屋を分けずともフェニルと一緒の部屋の方が私も安心でき、さらに贅沢しない分はお金の節約のためにもいいのではないだろうか。
「あのぉ、弟が心配ですので、同じ一階ではダメでしょうか?」
軽く聞いた私はイザベルの怖い顔を見て失言だったと知る。
「ダメです! 本来は令嬢は己の純潔を示すため、家族であろうとも男性とはある一定の距離感を保たねばなりません。ましてや、ナビの夫人となれば今後は多くの妬みの対象となり、汚点を付けようと画策する者が現れても仕方がありませんよ!」
家族と一緒に眠るのも駄目とは、何だか恐ろしい世界に来てしまったと実感する。
ただイザベルも意地悪で言っていないことは分かっているので、私もこれ以上わがままを言うべきではない。
それにヴァイレットも見張ってくれていると思うので、私がわざわざ近くにいなくても大丈夫だろう。
大人しく新たな自室のベッドに座る。
「何だか慣れないな……」
フカフカのベッドの上で俯いていると覗き込む誰かの目が合った。
「エステル?」
「うわっ!?」
びっくりした私は思わず声を上げた。
ヴァイオレットが目の前にいるのだ。
まさかこの距離まで全く気付かないなんて、彼女の凄さを実感した。
「ど、どうしたのヴァイオレットちゃん?」
上擦った私の声にヴァイオレットは答えず、ジーッと見つめてくる。
返事がないヴァイオレットに手を伸ばそうとすると、私の腕が金縛りにあったかのように動けなくなった。
身体中から汗が吹き出し、震えが襲ってくるのは彼女から放たれるプレッシャーのせいだ。
「エステルを守るは契約に含まれていない」
ヴァイオレットの目が恐ろしく見えた。
私はいま殺気で動けなくなっているのだ。
──レーシュ!
目だけを閉じて、想い人の名前を呼ぶ。
だがたとえ彼がいても彼女に殺されるのが二人になるだけだ。
私とヴァイオレットは元々は敵同士。
迂闊な私にレーシュが暗殺集団を全面利用しない理由を教えてくれたことを思い出す。
……あいつらはあくまで集団だ。もしトップが死のうとも新たなトップが生まれるだけで、そこに死への恐怖はない。暗殺集団を思い通り使おうとしたら、あちらは死に物狂いで俺たちに反抗するだろう。俺たちは不可侵という条件でしかお互いの安全を保障できない。
レーシュの言いたいことがやっと分かった。
私さえ倒してしまえばレーシュを消すことも難しくなく、ヴィーシャ暗殺集団も隙あらばレーシュの契約魔術を無効にしたいと思っているのだ。
どうやって危機を回避しようと考えていると、急に体がいつものように軽くなった。
ヴァイオレットが殺気を消し去ったのだ。
息切れが起きて苦しくなった私は、慌てて息を大きく吸い、酸欠になりかけていたことに今更気付く。
絶好の機会なのに、すぐに殺そうとしないことに疑問が生まれた。
「どうして……私を殺さなかったの?」
ヴァイオレットの真意が図れず、私はどうして生き残っているのだ。
しかしヴァイオレットもまたそんなつもりはないと首を振った。
「なんで弱くなったのか分からない。でも眠れる獅子を起こしたくない」
ヴァイオレットは私が本当に弱くなったのかを試しただけだ。
ただ彼女はもう一つの理由を口にする。
「それにフェーを悲しませたくないから」
「フェーのため?」
それはヴァイオレットもフェニルを気に入っているのだろうか。
普段から無表情に近いため、彼女がフェニルをどう思っているかの心情を聞けるのは少し楽しみだ。
「うん、フェーはもっと伸びる。さっき部屋に行ったらエステルと同じ匂いを放ち始めていた」
そんなに早く剣聖の加護で強くなるはずがないが彼女が嘘を言っているようにも見えない。
彼女はフェニルがどんどん変わり始めていることに気が付いているようだ。
私ではその変化に気付けなかったので、少なからフェニルの体調は良い方向へ向かっていると思っていいだろう。
「ヴァイオレットちゃん、これからフェーをお願いね」
「うん、任せてください」
短く答え、またヴァイオレットは姿を消した。
前みたい見つけることはできないが、彼女は信用できると前の自分は結論付けている。
それなら自分の勘を信じよう。
そのまま疲れから意識が落ちていく。
いつものように側仕えの仕事をして、他のみんなとこれまで通り楽しく仕事をする。
いつの間にかドレスへ着替えて、よく分からないパーティに出席していた。
「あら、あれがモルドレッド夫人かしら?」
「剣聖と持て囃されていたのに、社交も教養もない役立たずと聞きますわ」
自分の現状は自分がよく知っている。
本当のことを言われたのなら言い返すこともできない。
「あら、あの方たちは本当に素敵なペアね」
前で二人の男女が仲良くダンスをしている。
女性の顔は見えないが、男の顔は私のよく知る人物だ。
「レーシュ……」
レーシュが楽しく女性をエスコートしている。
他の人たちの言う通り、私なんかよりも全然お似合いだ。
あんな踊りを私はできない。
そして仲良く私の側からどんどん遠ざかる。
「待って!」
私は追いかけるが全く追いつけない。
足が重く、これが加護が無くなった影響なのだろうか。
涙を流しながら私は懸命に走った。
そしてなんとか彼の腕を掴むことに成功した。
振り向いた彼の顔は私を見た瞬間に、今まで見たことがないほど冷徹な顔をしていた。
「剣を持たないお前に何の価値がある?」
心の締め付けられる言葉と共に私は飛び起きた。
はぁはぁ、荒い息が漏れた。
「夢、夢よね。ははっ……」
夢だと気付いても気持ちは晴れない。
いつの間にか空の陽も落ちて真っ暗だ。
「寝ている場合じゃないよね」
私は壁に立て掛けていた剣を手に取って外へ向かう。
この力を失った後を私も考えていた。
至極簡単な答えは鍛錬を行うことだ。
寝静まった夜なら誰にも気付かれずに鍛えることができる。
手に持つ剣の感触は特に変わらない。
むしろ落ち着くのは加護とは関係がなくて良かったと思う。
「ふんっ!」
上段から剣を振り落とす。
筋力の状態も確認したが、どうやら鍛えた体はそのままのようだ。
ただそのキレが失われており、自分の思い描いた軌跡とは少し違った。
微妙な差ではあるが、前よりも上手く緻密な制御ができていない。
剣の速度も遅く、もしオリハルコン級と戦えば一撃も当てることができずにやられてしまうだろう。
「き、きつい……」
数十回の素振りをしただけで体が悲鳴を上げ始めた。
前ならいくらやっても疲れない自信があったが、上手く筋肉を扱えていないのか疲労が多く溜まる。
息切れを整えるため、一度剣で体を支える。
「こんなのはまだ訓練ですらない。早く実戦も積まないと、感覚なんて戻るわけがない」
基礎訓練でこれでは先が思いやられるが、まだ始まったばかりだ。
大事なのは継続であり、私はこれを続けられなければレーシュの側へ居る資格がない。
それから朝日が上るまで素振りを続け、私は土を入れた袋を重り代わりに身につけた。
少しでも前の強さに近づけるように。
だが鍛錬だけやっていいわけでもないが、社交の勉強はナビへの引き継ぎで忙しいので、しばらく先と言われていた。
私も今日は休みをもらっていたが、やることもないため部屋の掃除を行う。
玄関の掃除をしていると、フマルがちょうど洗濯物を運んでいた。
「ありぃ? エステル、今日は休みでしょ? 私たちがするから休んでていいのに」
今までと変わらず接してくれるフマルに少なからずホッとした。
私の力が無くなったことは知っていると思うので、もし夢みたいに役立たずだと軽蔑されるのを恐れていたのだ。
彼女たちに限ってそんなことはない、そう思いたい私はいつも通り返事をする。
「そうなんだけど、ちょっと体を動かしていないと落ち着かなくてね」
「エステルらしいね。でもレーシュ様もすごい思い切ったよね。あんな大勢の前で宣言するんだもん」
「うん……」
フマルは羨ましそうに妄想に耽っていたがすぐに現実へ戻ってきた。
「あんまり嬉しくなさそうだね? 昨日はベッドであんなにいちゃついていたのに」
「ちょっと! ベッドの前でしょ!」
言い方が非常に紛らわしい。
誰かに聞かれたあらぬ誤解を受けてしまう。
フマルは舌を可愛く出して、頭をコツンと叩く。
何だか悩んでいるのが馬鹿馬鹿しくなるほど気持ちが楽になった。
「ありがとう、フマル。何だか元気になってきた」
「そう? 何もしていないけど。でもエステルっていつも悩んでいるよね。そう言う時は、視野が狭くなっているせい、と言われているよ!」
フマルの言う通りだろう。
私は頭を使うことが苦手で、解決する手段が鍛錬しか思いつかない。
それならいっそのことフマルに全部相談したほうがいいのではないだろうか。
「ねえ、フマル? 私がこれからどうすればレーシュの役に立てると思う?」
私は恥も外聞も捨て、フマルヘ相談する。
自分でも思い付かないことでも、フマルなら別の視点から何か教えてもらえるかもしれない。
フマルも一生懸命に頭を悩ませ、うんうん、と腕を組みながらうねりだす。
そしてしばらくしてやっと考えがまとまったようだ。
「まずは、エステル! もっと遊びなさい!」
「……へっ?」
思っていた答えと全く別の方向から提案された。
何もできない私が遊び呆けてしまったら、それこそ脛齧りではないだろうか。