側仕えと剣聖
突然の雷に私たちは咄嗟に頭を下げてしゃがみ込んだ。
ゴロゴロと空が威嚇するように音を立てていた。
あちこちから煙が舞い上がっており、雷が火災を引き起こしているのだ。
「無事か、お前たち?」
レーシュの呼びかけに全員が応える。
空の魔王は雄叫びをあげ続け、今もなお雷が至るところに落ちている。
恐る恐るレーシュへ確認する。
「あの雷ってあの飛んでいるやつの仕業でしょうか?」
「おそらくな」
あの魔物は天候を操っていることになる。
まるで神のような存在に今更ながらとてつもない敵と戦おうとしていることを実感する。
ウィリアムは腕を組んで不可解そうな顔をしていた。
「あいつ、貴族街の方を見ていないか?」
ウィリアムに言われてやっと気付く。
雷が貴族街を中心に降り注いでいるように見え、煙の上がる場所はこちらより段違いに多かった。
そして貴族街には、私の弟がまだいるのだ。
「フェー……」
海の魔王は放っておいてはいけない。
それと同じくらい空の魔王もこれ以上野放しにするのは危険だ。
分かっているのに、私は弟の様子を見に行きたい欲求に駆られた。
「エステル!」
レーシュの手が私の手を握る。
今は集中するべきだ、私はそう言われると思っていた。
「心配なら見に行ってこい」
「えっ?」
レーシュは冗談でもなく真顔でそう言った。
今は魔物が来ているのに私のわがままを許してくれるのだ。
「でも……」
「海の魔王と空の魔王なら、この二人が足止めする」
そんな無茶を言ったらまた喧嘩になるのではないかと思ったが、二人はもうすでにそれぞれの方へ足を進めていた。
「本来はあの魔物の討伐は貴族の役目。力不足は恥ずべきことだが、私の聖者の盾は民を守るためにある。空の魔王は私が誘導しよう」
「なら俺は海の魔王か。どっちが長く足止めできるか勝負と行こうか」
陸の魔王と戦ったことのある私はわかる。
この二人といえども、協力して戦うのならまだしも、一人で抑えられる相手じゃない。
私は唇を噛んで自分の気持ちを閉じ込める。
「行けません……」
今はわがままを言うべきではない。
それでも弟の安否がどうしても気になるせいか平然とした顔で言う事ができなかった。
すると突然手刀が飛んでくる。
「いたッ!」
避けることもできたがなんだか当たらないといけない気がした。
レーシュから一撃を当てられ、本当に痛いと言うよりも条件反射で言葉が出た。
「お前はすぐに顔に出る。いいから見てこい。空の魔王ならしばらく俺が騎士団を動かして足止めくらいしてやる。お前には万全な状態で大きく宣伝してもらわんといかんからな。新しい英雄の舞台は整えてやる」
彼はいつものように自信に満ちた顔で笑ってみせた。
そして返事を聞く前にレーシュは走り出してどこかへ向かう。
「よく分からんが、こんな化け物を嬢ちゃんだけに任せるんだ。俺も少しの手柄を立てねえと格好がつかんな」
「海賊にしては見上げた精神だ。それなら最高神にこの身を捧げている私が頑張らないわけにはいくまい!」
ラウルとウィリアムも一斉に動き出す。
一人残り、私はみんなの無事を祈る。
せっかくみんなが私に時間をくれたのだからすぐに屋敷の方へ走った。
どんどん加速していき、これまで出した事がない速度まで上がっていく。
「やっぱり体の調子がいい」
まるで夢の中で修行させられている時と同じくらい力が増してくる。
屋根を伝って近道をしていき、貴族街の区域に入ると、その惨状は想像以上にひどいものだった。
ほとんどの屋敷が何かしら壊れている。
中がむき出しになっているものもあり、貴族たちが一斉に城の方へ逃げていた。
「お願い……私たちの家だけは──!」
屋根が途切れたので、いつもの道を通っていく。
私たちの屋敷がある方で煙が上がっており、血の気が引く。
──まだ分からない、分からない!
自分に言い聞かせ足を止めずに走った。
そして私は門の前にたどり着いた。
真っ赤に燃える屋敷が私の目に映るのだった。
「フェー、どこ!」
私は急いで屋敷の中へ入ろうとする。
だが火力が強すぎてもう中へ入るのは不可能だ。
グラっと建物が揺れて、屋敷が崩れ落ちていく。
「あああああ!」
こんな場所に残されてしまったら絶対に助からない。
屋敷の中に人の気配を感じず、私はただ涙を流しながらその場にへたり込むしかない。
悲しみが次第に憎悪に変わりに、この天変地異をもたらした魔物にそのやったことに対する罰を受けてもらおう。
「わたしの、弟をッ!」
空に浮かぶ魔王は騎士たちとずっと交戦している。
よく持ち堪えているが、ラウルも魔法で作り出した馬の騎獣に跨り、赤い盾で危険な攻撃を弾いているようだ。
だが空の魔王が本気を出せば簡単に一掃できるのにしないのは、私たちで遊んでいるからだろう。
その強者の余裕が気に入らない。
心の奥から黒い感情が溢れてしまいそうだ。
私はその感情を離しはしない。
剣を地面に突き立て、己の中に眠る力を一気に解放させる。
「殺す、殺す!」
感情が爆発するのをこの力に乗せる。
この力のリスクなんて考えない。
あいつさえ倒せるのなら構わない。
「呼び声に応えろ、“一騎当千“!」
私の加護の発動と共に意識が朦朧とする。
方向が分からず自分自身も何者か気にしなくなっていく。
それでも敵だけは見失わなかった。
「ゴオオオオオオ!」
空の魔王の雄叫びが空気を震わせる。
薄れゆく意識の中でも何かを斬っている感触はあった。
間違いなく空の魔王に剣撃を繰り出し、それで空の魔王が地面に落ちてくる。
──まだ、まだ、まだ、まだ!
剣が相手を捉えかけたが、多くの雷が降り注ぎ私の体にも触れる。
それでも弟が受けた痛みよりマシだ。
「こんなので止まると思うなああああ!」
雷を潜り抜けて、空の魔王の懐に入る。
力任せに振るった一振りで、体から大きく紫の血飛沫をあげる。
……──ちゃんッ!
空の魔王が鉤爪で自分の腹を裂いた感触があった。
吐きそうなほどの痛みでも、私の意識がなくなることはない。
「もっとッ、もっとッ、もっとぉお!」
相打ちでも構わない。
ここでこいつを殺せるのならなんだってやってやる。
「お姉ちゃんッ!」
横から誰かに抱きしめられた。
意識が混在して、どこを見ればいいのか分からない。
しかし次第に視界が晴れていく。
目の前に見えるのは先ほどと同じレーシュの屋敷の前だった。
空の魔王と戦っている実感はあったのに、この場所で私は何をやっていたのか。
私を前から抱きしめる弟の姿があった。
「フェー……?」
これは幻だろうか。
目の前に焼け落ちた屋敷があるのに、彼の姿が目の前にある。
顔を上げたフェニルの顔は心配そうに歪んでいる。
今はそれよりも弟の体の心配が先だ。
「痛ッ!」
しゃがみ込んだ時に体が悲鳴を上げた。
みしみしと負荷がかかり、過ぎた力の代償が返ってきた。
フェニルがさらに不安な顔を作るので、無理矢理に痩せ我慢をする。
それよりもやることがあった。
「怪我はない!」
急いで弟の体を触っていく。
どこか痛ければ反応するはずだが、そういったことは見受けられず彼は無傷だ。
「大丈夫だよ、ヴィーが教えてくれたから」
弟に夢中になり気づかなかったが、少し後ろの方で困った顔をして、猫耳を前に倒しているヴァイオレットがいた。
「フェー、言うこと聞いてくれない。危ないのに……」
「ごめんね。お姉ちゃんが呼んだ気がしたから」
フェニルは一度避難したが、私のことが心配になり戻ってきてくれたようだ。
だがおかげで私の不安が完全に消え去った。
「エステル、大丈夫か!」
空から騎獣に乗ったレーシュがやってくる。
正確にはラウルの騎獣の後ろに乗っていた。
目の前に降り立ち、レーシュは私の元まで走ってくる。
「すいません。屋敷が焼け落ちていたので、フェーが巻き込まれたと思って……あれ? 確か空の魔王と戦っていたような……」
色々と頭がごちゃ混ぜになっていた。
一体私は何をしていたのだ。
「やっぱりあれはお前か……」
レーシュは納得したように私の頭を撫でる。
ふと周りに注意を張り巡らせると、先ほどまであった大きな気配が一つに減っている。
空を見上げると、雷は止まっており、空の魔王の姿もなかった。
その代わり、大きな歓声が聞こえてくる。
「騎士たちよ! 空の魔王は逃げ去った! あとは海の魔王を追い返せば我々の勝利なるぞ!」
「おおおおお!」
空を駆ける騎士たちが海の方へどんどん向かっていく。
「前に見た甲冑の戦士が出てきて圧倒していたぞ。前よりも大きく感じたが、あれはお前が操ったんだろ?」
──そうだ、確かに私は“一騎当千“を使った。
だがあんな感覚は初めてだ。
無我夢中とはいえ、私は操っていたのだ。
「空の魔王は倒したのですか?」
レーシュは首を振った。
「いいや、逃げられた。だが空の魔王が尻尾巻いて逃げ出すなんて一生見られる者でもない。あとは海の魔王だけだが、まだいけるか?」
正直に言うともう体が辛くて堪らない。
しかし目の前にいるフェニルを見て、また気を引き締める。
「フェー、お姉ちゃんが必ず海の魔王を倒してくるからね」
「うん。お姉ちゃんはすごいもんね。海が平和になったら、いつか一緒に船に乗って旅をしようよ」
それは楽しい夢だ。
どうせならここの屋敷に勤めるみんなで行ってみたい。
私は体を起こして、レーシュへ向きなおる。
「はい。剣聖の名を大きく轟かせます」
私とレーシュはラウルの騎獣に乗せてもらい、海の魔王の場所まで飛行する。
もうほとんどの体力がない私では長期戦は不可能だ。
だがそれでも必ず倒してみせる。