側仕えと海の魔王、そして空の魔王
平民の住宅地エリアに近づくごとに人々が慌ただしくなっていた。
大きな声が響いてくる。
「みんなは早く神殿まで向かえ!」
海賊たちが町の人をどんどん先導している。
どうやら海賊たちも魔物が迫っていることに気が付いているようだ。
私の馬車に気付いた一人の男が近づいてくる。
「よっ、お貴族様。それと姐さんも」
いつものように馴れ馴れしく声を掛けたのは副船長のザスだった。
ただその顔は焦りが見え、いつものような余裕はないように見受けられる。
「ちょっと姐さんの力がないとやばいかも。お頭が妙に殺気立ってる」
「それもそうだろう。おそらく海の魔王がこちらにやってきている」
海の魔王の言葉を聞いて、流石のザスも息を呑んだ。
ウィリアムが戦うことを放棄していたことから、海の魔王は触らぬ神に祟りなしといったところだろう。
だが今は海の魔王が自分から接近しているためそのようなことを言っている場合ではなかった。
レーシュからも指示を出す。
「魔物もどんどん押し寄せてきている。お前たち海賊は騎士たちの連携して魔物を止めてくれ」
「あいよ、どうせあいつらが俺たちと協力なんてしないと思うから、この町の冒険者たちを集めて適当に蹴散らしていくよ」
ザスも手をあげて、やれやれ、と言いながらも協力はもらえたのはよかった。
魔物たちの討伐は海賊たちに任せて、大物は私が相手取るつもりだ。
「きゃああああ──!」
その時大きな悲鳴が聞こえてくる。
空から飛来してくる魔物が視界に映る。
「グオオオ!」
小型の緑色の竜が何体も空から町へ降りてきている。
私はすぐさま馬車から降りて、斬撃を竜目掛けて飛ばした。
「ガアッ──」
切り裂かれた竜たちはどんどん地面に落ちていき絶命していく。
それを見ていたザスは感心する。
「流石は姐さん……どうかしやした?」
私は自分の飛ばした斬撃について少し違和感があった。
前よりも体が軽くなっており、不思議と今なら何でも出来ると感じるほど力が溢れてきた。
「ううん、あとは任せてもいい?」
「ええ。まだ俺たちだけで対処できる魔物だからな。海の魔王だけに専念してくれ」
私とレーシュはこの混乱時に馬車に乗っていると、人々を踏みつけかねない。
途中で降り、走って港町まで向かうことにした。
何体もの魔物が町へどんどん降り立って、あちこちで煙が立っている。
助けに行きたいが、それができない自分にもどかしさがあった。
「あまり気に病むな」
レーシュから私へ労りの言葉をもらうが、それでもなかなか割り切れない。
「騎士たちよ! 魔物に襲撃を許すな!」
「「はっ!!」」
馬が空に舞い、飛んでいる魔物たちを次から次へと撃退していく。
誰よりも大きな声で魔物を撃ち落としていくのは、騎士の中で唯一面識のあるチューリップだった。
大きな槍で進む道にいる魔物を全て薙ぎ倒していく。
「流石は豪傑と謳われるチューリップ様だ。飛行してる中でも体にも強化の魔力を使っているのだろう」
ラウルたちと比べると劣るが、それでも騎士の中で一目置かれるだけの戦闘力を誇る。
そして豪快な声で騎士たちの指揮も高まっているようで、どんどん空の敵が墜落していった。
「領主の騎士たる我々が駐在しているのに町を守れなかったなどとなったら、全員アビに仕える資格なしと思えええ!」
暗闇の中だと魔物の方が夜目が利く。
しかしそれでも騎士たちは上手く立ち回っていた。
その時大きな声がまた降り注がれた。
「チューリップ様! 海からとてつもない大きな魔物が押し寄せてきております!」
「なぬ!」
空を飛んでいる彼らなら遠くまで見えるのだろう。
チューリップが遠くを見つめると、どんどん顔色が変わっていく。
「あれは何だ……!? あんな強大な魔物、見たことないぞ……?」
チューリップの声に震えがあった。
あれほどの豪胆さがあっても、海の魔王はそれすら恐怖させる存在だ。
騎士たちもこちらに迫っているという海の魔物が見えるせいで、恐怖からどんどん動きが悪くなっていった。
「う、うわあああ!」
先ほどまで優勢だったのに、騎士たちがどんどん空から墜落していく。
チューリップはすぐさま仲間たちを援護しているが、それでも守るには限界があった。
迫る複数の竜にとうとう本人の隙が生まれてしまった。
「ガァアアアアア!」
「しまった──!?」
私は走りながらもその竜に目掛けて斬撃を飛ばして切り裂いた。
「助かったのか? あれは──?」
チューリップも私たちに気付いた。
レーシュは立ち止まりチューリップに声を張り上げた。
「チューリップ様、海の魔王はこちらで引き受けます!」
「何を言っておる! 文官の其方が出る幕はない!」
チューリップは止めるのも無理がない。
騎士ですら普通の竜に手こずっているのに、騎士ですらないレーシュにどうにかできるとは思えないものだ。
「私ではなく、剣帝がおります!」
剣帝の名前を聞いた途端にチューリップは一度目を瞑った。
「剣帝か……。ウィリアムといい、平民の方が力強いのは我らの沽券に関わるが致し方ない。いいだろう、我々が雑魚は引きつける! 騎士たちよ、我々アビ・ローゼンブルクの騎士に負けはない! 我に続け! 恐れを力に代えろ!」
チューリップはすぐに言葉を飲み込んで、またもや騎士たちを奮い立たせていく。
彼の激励によって少しずつ士気が戻りつつあった。
私たちも先を急ぎ、やっと港が見えてくる。
そして海の先のモノもまた私たちの視界に映った。
「あれが海の魔王だと……いうのか?」
レーシュの声が震え出し、私もまたその異形な姿に底知れぬ恐怖感を与えられる。
地平線からこちらにやってくる巨大な海の竜が、どんどんこちらへ迫ってきている。
長い胴体が海に隠れ、その全貌が全く見えない。
この港町全体と同じくらいの大きさといっても過言ではなく、ベヒーモスと同じく伝説の魔物に相応しい。
ピタピタと水に濡れた足音が聞こえてきた。
岸の方を見ると、カエルのような顔をした半魚人たちがどんどん海から上がってきていた。
「レーシュ、下がって!」
このまま町へ行かせるつもりはない。
「はぁぁッ──!」
体を加速させて、進撃する前にどんどん切り捨てていく。
だが数はどんどん増えるばかりで、見える範囲でも数百はくだらない。
これは少し時間が掛かることを覚悟していると、思わぬ味方がいた。
「うおりゃああああ!」
遠くの方で雄叫びのような声が響いてくる。
他の場所で現れた半魚人たちが空を飛び、体を爆散されていっていた。
「あれは……ウィリアムか? 流石はオリハルコン級だな」
「ええ、あっちは彼に任せて大丈夫だと思います。反対側に──」
ウィリアムが撃退している場所とは逆の方へ行こうとしたが、そちらも大きく敵が舞い上がっていた。
さらに空に赤い槍が浮き上がっており、槍を大きくさせて回転しながら敵を蹴散らしていた。
この岸沿いに教会もあるため、彼も防衛のために戦ってくれているのだ。
「あの白髪神官もいるなら助かるな」
「こんな時まで喧嘩は売らないでくださいね」
一応苦言を言うとレーシュも「分かっている」と口を閉ざす。
私も協力して少しでも敵を倒していく。
上がってきた敵を一通り倒すと、ウィリアムが私たちの方へとやってくる。
「よっ、嬢ちゃんたち! 助かったぜ」
あれほどの敵を倒したにも関わらずウィリアムは息一つ切らしておらず、まだまだ戦う余力を残しているようで安心する。
しかしここで悠長に話している場合ではなく、どんどん海の魔王が近づいてきていた。
「ウィリアム、あれが海の魔王で間違いないな?」
「ああ、あんなやべえ奴が他にいてたまるか。正直戦うしか方法はねえ。今から街の奴らを逃している時間はねえからな」
海の魔王がどうしてここに迫ってきているのか分からないが、もし私たちが負ければ多くの住民が殺されてしまう。
だが海の敵を倒すには私も海に行かねばならず、水中で勝てると思えるほど甘い敵ではない。
「嬢ちゃん、正直あんたしか頼れないがあいつを倒せそうかい?」
ウィリアムは申し訳なさそうに私を見た。
自分の力量は分かっているからこそ、海の魔王に歯が立たないことに悔しさが見えた。
ただ私も今回の相手は必ず勝てるといえない。
「陸の上なら倒せると思う。ただ足場がない海で勝てる自信はない」
ここまで引きつけて倒すという手段もあるが、ここまで近づけられた時点でこの港町は破壊し尽くされてしまうだろう。
それでは結局は勝っても、負けたのと同じだ。
ウィリアムは拳で己の胸を大きく打って、自信満々に答える。
「それなら任せな。俺の加護で足場を作ってやる」
ウィリアムは海に関わる加護を持っていると聞いている。
どのように足場を作るのかは分からないが、これまでの付き合いで彼なら信用できると思わせるものがある。
ラウルも敵を倒し終えてこちらへやってくる。
「みなさんお揃いのようですね……なんですか、お二方ともその顔は?」
レーシュとウィリアムはどちらも嫌そうに顔を顰めており、どちらもラウルを苦手としているようだ。
その時レーシュが思い出したようにラウルへ指を指した。
「白髪の勇者! お前あれはどういうことだ!」
突然怒られたラウルはムッとして聞き返す。
「あれでは分からん。それに槍兵の勇者だ! 貴殿は少し敬意というものを学びたまえ」
「そんなことはどうでもいい! お前に前もって貿易の話をしたのは何のためだ! 全てご破産にしやがって!」
前に貿易について神国と考えていると言っていたことを思い出す。
あの時は貿易のメリットがないということで断られているはずだ。
「何を言うか。私がどれほど貴殿のために動いていると思っている。本来なら一笑に伏すようなことでも、粉骨砕身で大きく前進させているのに」
髪をかき上げて爽やかさを演出するがそれがかえってレーシュを怒らせる。
「ならどうして教王からお断りの返事が来る! トップが断れば絶対にできないだろうが!」
「教王様が……断っただと? ふむ、なるほど」
ラウルも知らなかったようで顎に手を当てて考える。
しかし今はそんな悠長なことをしている場合ではない。
「レーシュ、流石に今は魔物を優先しましょう」
「っち! エステルの言うとおりだ。今はあの化け物を──」
突然突風が吹く。
吹き飛ばされそうな風に、私たちは足を踏まんばって耐えた。
明らかに自然な風とは違い、空も大きく雷を轟かしていた。
ゾワっとした感覚は海の魔王だけを感知しているわけではなかったのだ。
「グォおおオオオオオオオオ!」
空に浮かぶのは、まるで空を埋め尽くさんほどの六本の翼を持った鳥と馬を足したような魔物がいた。
四本の足が馬のように空を蹴っており、その獰猛な目はこの町全てを獲物として見定めているようだった。
放たれるプレッシャーは陸と海の魔王と引けを取らない。
ラウルが信じられないものを見たと、掠れるような声でその名前を言う。
「空の魔王……ジズだと?」
暗闇の中でジズの目が光ったか気がした。
すると突如大きな雷が街全体に降り注がれた。