側仕えの知らない二人の関係 レーシュ視点
俺の名前はレーシュ。
執務をしていたが途中でそれどころではなくなり、一度自室に戻ってベッドの上で頭を抱える。
先ほどエステルからここを辞めたいという話を言われ、言葉にできないほどの焦りが思考を邪魔をする。
──もっと早く話を聞いていれば……。
何か手があったのかもしれないと思えた。
エステルの加護は他者を寄せ付けないほどの才能であり、彼女の力をアテにした戦略を多く使った。
あの力無くしてこの場にいることもできなかっただろう。
だが今ではそんな力が無くともここに残ってほしいと思っている。
ただ彼女が言っているとおり、貴族世界では何も持たない平民が楽しく過ごせる場所ではない。
もし結婚したとしてもパーティの参加やお茶会など色々なことが付いてまわり、もしそれを避けさせようとしたら彼女はそれこそ自分の存在価値に悩むことになるだろう。
これまで話をしてこなかったことが仇になった。
俺がナビになれば全てがうまくいくと思っていたが、どうしても付き纏うのが魔力の問題だ。
魔力がこの国を支えている以上は魔力の優劣が俺たちの身分を決定づける。
そのためできることはそれに頼らない町に変えることだけだ。
──やっぱり無謀なのか?
魔力に頼らないことでの弊害は多くある。
まずここに住む貴族たちは必ず出て行ってしまう。
当たり前だが、魔力が関係ない町というのは貴族の存在価値がない。
この町に残り平民から粗雑に扱われ始めたら、彼らのプライドが耐えられず暴動が起きてもおかしくはない。
だが俺には一つだけまだ希望がある。
──この手しかないのか……。
窓際の床を見た。
来た時に念のために作ってはいたが、使う機会がないことを願っていた。
立ち上がって窓際まで向かう。
そして床に手を付くと、魔力がどんどん吸われていく。
すると床が消え階段が生まれた。
隠し部屋と呼ばれる魔法であり、作るときに大量の魔力を消費するが、出入りはそこまで魔力を必要としない。
俺は一度深呼吸をして、己の服装を一度見てみる。
特に大きな汚れや乱れもなく問題はないことを確認した。
階段を降りていき扉を開けると小さな小部屋があった。
石畳で出来た質素な部屋で、あるのは水晶の形をした魔道具だけだった。
開いた扉を閉めると、これで外界からこちらへ侵入することはできなくなった。
この水晶の魔道具は通信の魔道具と呼ばれ、町を管理する者なら一つは持っている。
この港町でも城には一つだけ置いてあり、普通の貴族では絶対に手に入れることが叶わない貴重な逸品だ。
だがその水晶が俺も個人的に持っていた。
正確には貸してもらっているのだ。
水晶に手を当てると、水晶から光が壁へと向かった。
これで相手から反応があればすぐに相手と面と向かって会話が出来るのだ。
それから少し待つと反応が返ってきた。
相手も隠し部屋に入って水晶に手を当てたのだ。
そして映し出されて自分はまるで楽しむように俺を見ていた。
「あらあら、ひどい顔ね。モルドレッド」
いつもの毅然とした顔ではなく、相手を遊ぶような楽しんでいる顔がそこにはあった。
綺麗な金髪を結いあげており、お風呂上がりなのか体が少し熱っている。
それが妙に色っぽく見えるが、俺はそんな彼女に対してもう異性として見ることはない。
「ご返事ありがとうございます。アビ・ローゼンブルク。今回は──」
俺にとって唯一の打開策が領主であるアビ・ローゼンブルクに頼むことだった。
いざ本題を口に出そうとするとなかなか言葉が出てこない。
これはアビに頼るべきものなのか。
沈黙が流れてしまい、アビが自分から話し出した。
「ねえ、モルドレッド。ここならレイラでいいわよ。私しか見てないのだから。貴族院で情熱的な告白をしたときのような顔で言ってほしいわね」
──嫌なことを思い出させるな!
こちらをからかっているのは明白。
領主と俺は貴族院では何かと接点があった。
歳が違うため数年だけだったが、ローゼンブルク領を盛り立てるために協力をしたこともあり、そこから彼女に対して身分差がありながらも恋慕したこともある。
だがそれも父の国王殺しによって、今のようなよそよそしい関係になった。
「昔のことです。それに振った貴女がそれを言いますか?」
惨めな返答だったと言った後に後悔する。
しかし領主は反応がもらえたことに喜ぶ仕草をする。
「だってあの時のモルドレッドは本当に魅力がなかったのだもの。だけど、今の貴方はその時よりもさらに魅力が無くなっていると思うけどね」
どこか確信をつくような言い方に、久方ぶりにこの女の厄介さを思い出す。
全てを知らないはずなのに、まるで見透かされている気にされる。
「ねえ、そういえば貴方の可愛い平民の側仕えちゃんは元気なの?」
「どうして貴女がエステルを気にする?」
思わず言葉が強くなってしまった。
それをまた楽しそうに領主は笑った。
「ふふ、貴方のことだから悩むことなんて一つよね。魔力のない平民の娘と結婚について私の力を借りたいとか、かしらね?」
俺の顔の変化を見て、領主は「正解だった!」とさらに喜ぶ。
一体どうしてこれほど離れているのにここまで彼女に筒抜けなのだ。
家に間者でもいるのかと思えるほどだ。
だが分かっているのなら俺もなりふり構ってはいられない。
俺は膝をついて頭を下げた。
「どうか俺に知恵が欲しい。どうすればいい! なんだってやってみせます。アビ・ローゼンブルクのためにどんなことでもやり遂げます。だからあいつと笑い合って生きられるように、どうか知恵をお貸しください!」
大きな声を張り上げて懇願する。
領主は天才だ。
俺のような積み上げてきたものではなく、最初から持っている紛れもない天才。
だからこそ彼女なら俺に希望を与えてくれる。
そう願わずにはいられなかった。
しかし俺は忘れていたのだ。
彼女がどういう人物かを。
「はぁ……」
重苦しいため息が溢れた。
彼女がそのため息を吐くのは決まって、失望している時だ。
「だから貴方に魅力がないと言ったのが分からないのかしら?」
先ほどまでのお茶目さが嘘のように消え去り、元のアビ・ローゼンブルクへと戻っていた。
まるで心臓を掴まれているような恐怖が押し寄せてくる。
彼女は戦わずに人を殺せるのではないかと思えるほど、震えて顔が上げられない。
「可愛い、可愛い、モルドレッドから通信が来たから楽しみにしていたのに。こっちだって色々と手を回してあげているのに……」
言葉を止めたところでやっと俺は顔を上げることができた。
そして憤怒に燃えた彼女の目を直視してしまい、まるで蛇に睨まれた蛙のように金縛りに遭ってしまった。
冷や汗が身体中から噴き出してくる。
「それでもまだ足りないと申すか!」
初めて彼女の本気の怒りを知った。
俺はすぐさま頭を下げて謝罪を述べる。
「申し訳ございません!」
この俺がこんな情けない姿をすることに憤りもあった。
いつものように強気に物事を進めることができず、俺は結局上位者に逆らえないのだ。
「いいこと、モルドレッド? 私が貴族院で言ったことを忘れていないわよね?」
俺の記憶が貴族院時代まで遡る。
初めて告白した時に言われた言葉だ。
「相手と交渉するのなら、相手が断れない状況を作れ、己を犠牲にする方法は下策である」
俺はこれまでその言葉をずっと頭の片隅に置いてやってきた。
だからこそこちらが持てるあらゆるものを利用して相手と交渉してきたのだ。
彼女と貴族院で一時とはいえ協力できたことも、王族からの処刑を免れたことも、それが彼女からの教えの賜物だったことだ。
「その言葉を覚えているのによくもさっきはあんなことを言えたもんね。貴方にとってレイラ・ローゼンブルクの言葉も、アビ・ローゼンブルクという肩書きも軽く見えているということかしら?」
領主の怒りの声を黙って受け入れる。
歯を食いしばり身に滲みらせる。
──こんなのは……俺じゃない!
自分がやるべきことは何だったかを思い出す。
元々は領主に歯向かうことも考えていたのに、自分は情けなくもその相手にお願いをしているのだ。
これまで乗り越えた障害はエステル無くして達成できなかった。
己の策が上手くいったのは決して俺が優れていたわけではない。
──俺は俺を過大評価するな。
深く心に刻み、その言葉を何度も反芻させる。
顔を上げやっと領主の顔が見ることできた。
何事もなかったかのように立ち上がり、震える心を奮い立たせる。
「失礼しました。アビ・ローゼンブルク。少し愚痴が出過ぎました」
間違えてはいけない。
どんなに協力してくれようとも、領主が無条件で味方になってくれるはずがない。
俺は自分の価値を証明し続けないといけないのだ。
「ふーん、それならもういいかしら? わたくしも暇ではありませんの。愚図で鈍間で頭を下げるしか能の無い反逆者にこれ以上時間を取られたくないのよ」
多くの罵詈雑言が降り注ぐ。
俺は一度息を大きく吐き出す。
俺の失敗は一人で進めようとしたことだ。
結局は誰かの手を借りなければいけないのに、それを認めないことが全て間違いだった。
俺はこの女を利用せずして、進める道はなかったのだ。
「いいえ、アビ・ローゼンブルク。ぜひ商談と行きましょう。私の未来のために、そして貴女が欲しているものを手に入れるために」
「わたくしが欲しがってる……?」
やっとアビの顔が変わった。
俺も少なからず領主の未来を考えていた。
何でも手に入れられる彼女が、どんな困難でも乗り越えることが出来る彼女が、どうして俺のような中級貴族に手助けをするのか。
それは彼女にも叶えたい野望があるとしか思えなかったのだ。
俺の未来のために、アビ・ローゼンブルクも俺の陣地に来てもらおう。