側仕えは家族と観光する
二人で一度中央市場に向かう。
何事も市場を最初に見るべきということはフェニルも分かっており、多くの露天を見て回る。
フェニルといくつか回ると、歩きながら感想を伝えてくれる。
「何だか前の市場を少し小さくしただけって感じだね」
「やっぱりそう思う? 野菜とかも少し実りが悪いのよね。領主様がお近くに住んでいることがこれほど恵まれているなんて思わなかったよ」
「魔力が権力者に集まるのは仕方ないことだからだからね」
まさか魔力のことをフェニルが知っているとは思わず、弟の博識にまた驚く。
「フェー、もしかして魔力が土地を潤すって知ってた?」
「うん、村長が話してくれたよ」
まさか村長がそんなことを知っているとは思わなかった。
貴族に納税する役割を担うので、そういったことも頭に入れないといけないのだろう。
「だけどやっぱり魔力だけに頼るのはあまり関心はできないけどね」
「えっ、なんで?」
「だって魔力頼みのせいだとこうやって農作物が影響を受けちゃうでしょ? それよりも魔力がなくても一定以上の収穫ができるようにして、さらに魔力で後押しした方がいいじゃん」
フェニルの言いたいことは分かるが、それも現実的に難しい。
魔力が土地を潤していることを知らなかったが、それでも作物がそれだけで全て豊作になるとは言い難かったからだ。
災害によっては食糧不足になることもあったので、私たち村人も少しでも作物が出来るように農業の知恵は受け継いでいっている。
ただフェニルもそれを分かっているようで、別の視点から考えを述べているようだった。
「なんというかな、その土地に合った農業があると思うんだよ。今って他国との貿易が難しくなっているから、その辺りの知識が古いままなんだよね。だから他国と貿易が出来れば、もっと大量生産ができるかもしれないし」
「貿易ね……」
考えてみると魔王と称されるほどの魔物たちがいるせいで貿易が止まっている。
もっと別の場所をテリトリーしてくれたら、人間側はもっと豊かな暮らしができたのにと思わずにはいられない。
「あれ姐さんじゃないですか?」
声を掛けてきたのは、ウィリアムの副船長であるザスだった。
ベレー帽を深く被る優男だが、知恵がまわり、加護も私を苦しめたりと油断ならない人物だ。
ただあの戦い以来はこちらへの敵意も薄れて、ウィリアムに全面的に従ってくれている。
他の海賊たちも一斉に挨拶してきた。
「こんにちは! 姐さん!」
まるで私の舎弟みたいに挨拶をしてくるのは困りものだが、いくら言っても聞かないのでもう諦めた。
「こんにちは、ザスさんと海賊の皆さん」
挨拶を返すと、ザスが私の弟を見て目を見張った。
「あれ、その子は弟さんですか?」
ザスがフェニルの目線に合わせて腰を落とした。
ひと回り離れているザスにどう接すればいいかフェニルが戸惑っているため、私が代わりに紹介する。
「ええ、今日から一緒に住むことになったの。名前はフェニル」
「よ、よろしくお願いします!」
元気よく挨拶をする姿に微笑ましい。
ザスも笑顔を向けて挨拶を返した。
「よろしく! 俺は副船長のザスだ。この港町で困ったことがあったらいいな」
「はい!」
いつもよりも緊張しているフェニルだが、いずれ慣れてくるだろう。
その時フェニルのお腹が盛大に鳴った。
「ご、ごめんなさい!」
恥ずかしそうにお腹を押さえていた。
長旅で疲れている上に、まだお昼も取っていないので仕方がない。
「ははは、よしフェー坊に美味しい海鮮料理を食わしてやろう」
「そ、そんな気を遣わなくても──」
フェニルが遠慮がちに答えるので、私が背中を押してあげる。
「いいじゃない。せっかくだから行こうよ」
フェニルは何か言いたげだったが、諦めたように頷いた。
ザスの後ろを付いていき、港の市場近くの酒場へと入っていく。
おそらく海賊たちがよく来る酒場なのか、店主もいつも通り接客をしていた。
「オヤジ、姐さんの弟が初めてここに来たらしいからとっておきを頼む」
「そうかい! なら今日は一番のやつを出してやろう」
内陸育ちの私たちはあまり魚を食べない。
日持ちする干物くらいなら食べたことがあるくらいで、せっかく港のそばに住んでいるのだから、その土地の食べ物を食べたいものだ。
店主がすぐに作り終え、小麦をまぶして油で揚げた魚を出してくれた。
食欲を誘ってきて、フェニルも食べたそうに見つめている。
「食っていいんだぜ?」
「う、うん!」
フェニルが魚を頭から食べ、口から湯気を出しながら美味しそうに食べる。
そして飲み込んでから、緩んだ頬で感想を述べた。
「美味しい……」
「だろ? ほら、どんどん食え!」
ザスに急かされるままに出されてくる料理に手を付けていく。
そしてとうとうお腹いっぱいになって、お腹を押さえていた。
「美味しかった……」
「良かった。ずっとフェーに食べさせてあげたかったんだ」
フェニルの喜ぶ姿が見れたことに自分も嬉しくなる。
フェニルはその言葉に照れながら、上を見上げた。
「ヴィーにも食べさせてあげたかったな」
フェニルの口から知らない名前が出てきた。
村人でもそんなあだ名の子も記憶がない。
「ねえ、ヴィーって誰のこと?」
「ヴァイオレットちゃんだよ」
やっと思い出した。
私が離れている間に、ヴィーシャ暗殺集団の当主ヴィーシャにフェニルの護衛をお願いしていたのだ。
今の話を聞いていたザスがフェニルを茶化してくる。
「おいおい、ガールフレンドか? 病弱って聞いていたのにやるじゃねえか」
「そ、そんなんじゃないですよ!」
慌てるフェニルを見て、どうやら本当にヴァイオレットに恋をしているのが微笑ましい。
獣人族のヴァイオレットは猫耳がある異種族だ。
見た目は十歳前後だが、この国では暗殺者のトップとして君臨しており、ウィリアムとラウルに並ぶ実力者として有名であった。
ただ弟の恋を応援したい気持ちもあるが、暗殺者との恋を素直に応援していいのかという複雑な気分になる。
「そういえばヴァイオレットちゃんは帰ったの?」
「ううん、付いてきているけど、ここならお姉ちゃんがいるから夜以外は散歩でも行くって」
気配が全く感じないから、家に戻ったのかと思っていた。
ただあの耳があるのなら、騒ぎになってしまわないだろうか。
外交上、ここには獣人族は住めないことになっている。
もし居るのなら奴隷の可能性が高いが、獣人族の報復を恐れてあまりする人はいないらしい。
ザスが目を丸くして、フェニルの話に興味を持っていた。
「まるで暗殺者みたいな嬢ちゃんだな」
暗殺者という言葉に体がピクリと反応してしまった。
勘の鋭いザスの前で不本意に話してはいけないと自分の中で戒める。
「ザスさんそろそろ私たち行くね」
「そうかい。俺たちも明日の出航の準備があるからそろそろ戻るかね」
「また美味しい魚をたくさん釣ってきてくださいね」
「ああ、お頭がうるさいから姐さんところのお貴族様に少しばかり卸してやるよ」
それは嬉しい話だ。
フェニルも気に入ってくれているし、レーシュも魚料理は好んでいた。
今日からは料理人も厨房に入ってくれるので、美味しいものが食べられる。
ザスたちと別れてからまたフェニルと二人っきりになった。
「海賊ってすこい優しい人たちなんだね」
「そうね。最初の出会いは最悪だったけど」
今では友好的だが、最初は大変だった。
海賊の妨害やジギタリスたちの来襲など思いがけないことばかりで一時はどうなるかと思っていたが、全てレーシュの思い通りの結果になっていた。
このまま全てが上手くいってくれるのかと楽観的な気分になっていると、フェニルが口を尖らせて私を見た。
「でもお姉ちゃん、海賊さんたちのことは先に教えてよ。ものすごく怖かったんだから」
「うっ……そうよね、ごめん」
少し配慮がなかったことを素直に謝る。
フェニルもすぐに許してくれて仲良くまた町を見てまわる。
一人だと気付かないことでも弟と回ることで新しい発見が多くあった。
楽しい時間も過ぎ去り、二人でまた屋敷へ戻ろうとすると弟が急に立ち止まった。
「どうしたの?」
疲れてしまったのかと思ったが、フェニルは私をジーッと見つめる。
この癖は思っていることをどう言葉にしようか悩んでいる時で、たいていは私に何か言いたいことがあるのだ。
ただそれはいつも私を気遣う時に出る。
「ねえ、お姉ちゃん? 何か僕に隠し事しているでしょ?」
ドキッと心臓が脈打った。
すぐに返事をすればよかったのだが、言葉がなかなか出てこなかった。
彼の目を直視することができなかった。
「僕にだって隠し事はたくさんあるよ」
フェニルの優しい声が響いてくる。
「フェー……」
だが私のはそんな生易しいものではない。
弟の命がかかっているのに、それでも自分のことばかり考えてしまう。
「だからそんなに思い詰めないでよ。僕ももう子供じゃない。どうしてもお姉ちゃんに迷惑ばかりかけちゃうけど、薬なんか頼らずにこの病気だって克服してみせる。だから……もし大変なら僕でも、それか他の人に相談していいんだよ?」
聡いこの子は私の隠し事に気づくのは簡単だろう。
そして一番辛いはずなのにそれでも他者を思いやれる彼に出来ることは、決して小さなことで悩むことではなかった。
──私が弱気になってどうする!
私はフェニルに近づいて彼の両方を持った。
「フェー、もう少し待ってね。あと少しで絶対にその病気を治してみせるから」
「うん、待ってる。でも僕も自分の力で克服するつもりだからどっちが早いか競争だね」
お互いのおでこを合わせる。
普段なら熱を計る時にやるが今日は違う。
前向きになり、お互いの顔を見合わせて笑った。
部屋へと戻り、フェニルを着替えさせて一旦休ませる。
今日は多分大丈夫だが、これ以上無理をさせると体調を崩しかねない。
「まだ大丈夫なのに……」
新しい町に来たばかりで興奮が治らないようだが、私が保護者として責任を持って体調を管理しないといけない。
どんなに賢くても自分の限界はなかなか自分では分からないものだ。
「あとでジャスマンに頼んで料理を持ってきてもらうから待っててね」
「はーい」
不服そうだがそれでも聞き分けよく待っててくれる。
私は覚悟を決めてレーシュへ話をするため部屋へと向かった。
ちょうどその時、別の部屋から出てきたイザベルと出会う。
「帰っていらっしゃたのですね」
「はい、これからレーシュ様に報告しようと思います」
「それでしたら私もちょうど御用がありましたので、一緒に行きましょう」
どこか鋭い視線を感じながらも、私は頷いて一緒に部屋へと向かう。
私の前を歩いているのに、ずっと私へ意識が向けられるので居辛さを感じる。
「エステルさん、酷なのは承知で言いますが、貴女の恋は実りません」
イザベルから心臓に刺さる一言が放たれた。
フマルの言うとおり、イザベルは勘づいているのだ。
何と返事をしようか悩んでいる間に、イザベルは言葉を続ける。
「これからモルドレッド家が汚名を返上したとしたら、次にやるべきは家の血をさらに上に引き上げること。そうしなければならない理由はお分かりですか?」
「魔力が貴族にとって一番大切だからですよね」
「その通りです。今は代行という立場ですが、もし町を統治するナビになれば求められる魔力量が多くなります。早急に対応をしなければ、すぐに魔力不足が起きてしまい、監督不行ですぐに他の貴族が坊っちゃまを蹴落としていくでしょう。実益より恋を優先したばかりに」
イザベルは私に聞いているのだ。
私のせいでまたレーシュがどん底に落ちても責任を感じずにいられるかと。
「これは貴女だけの責任ではありません。ただ坊っちゃまもまだお若い。いっときの感情で全てを棒に振って欲しくないのです」
私がフェニルに親愛を抱くように、イザベルもレーシュに対して似た感情があるのだろう。
そんな彼女に私から何を言っても意味はない。
無言が続く中でとうとうレーシュの部屋へと辿り着く。
今も仕事をしているのだろう。
「坊っちゃま、イザベルでございます。わたくしとエステルの入室のご許可をいただけますでしょうか」
「ああ、構わん」
一度作業を止めて私たちの話を優先してくれる。
ただこの二人で来ることがあまりないので、レーシュは少しばかり気を張っているようだ。
「ではイザベルから話を聞こう」
「はい。こちらが前に話したが縁談の候補者様のリストです」
書字板には五人ほどの名前が書いてある。
それを見たレーシュは苦い顔をする。
「どれも大貴族じゃないか。俺なんかと縁談をするわけないだろ」
少しばかりホッとする私がいるが、これからのことを考えるとそれも現実的な話になるだろう。
イザベルもそう言われるのを承知だったみたいですぐに言葉を返した。
「確かに今では不釣り合いですが、この方達は嫁ぎ先を探している方達ですので、将来的にナビになられるのなら、交渉の価値があります」
「今はそれどころではない。もういいだろ、ナビになってからまた考えてくれ」
「それならば平民にうつつをぬかすのはナビになるのと同じくらい大事なことなのでしょうか?」
イザベルの言葉が直接的になり、レーシュの目が据わった。
初めてレーシュがイザベルに対して敵意のある目を向け空気が張り詰めていく。