側仕えは再会する
今日はレーシュも屋敷で業務をするらしいので、私も屋敷の掃除に勤しむ。
少し疲れも残るが、それを上回る楽しみがあるので鼻歌混じりに部屋の掃除をしていた。
「エステル、ご機嫌だね」
洗濯物を持っているフマルが通りかかった。
せっかく喜ばしいことがあるので、彼女にもこの気持ちを分かってもらいたい。
「うん、今日からフェーも来るから大きくなっているかなって楽しみなんだ」
「まだひと月しか経ってないのに親バカだなぁ」
フマルは双子なので、歳の離れた弟が成長する過程を知らないのだろう。
少し目を離せば成長していることなんてよくある。
「マレインだってそう思っていたはずよ。フマルは結構マレインに迷惑かけているでしょ?」
「そうだっけ? うーん、覚えがないな」
ケラケラと笑って誤魔化してくる。
調子のいい子だと思うが、どこか憎めないのがこの子のいいところだろう。
私は壺を上げて、台の上の埃を拭いていく。
「ねえねえ、そういえばレーシュ様とどこまでいったの?」
思わず壺が手から滑り落ちかけた。
どうにかキャッチできたが、危うく高い壺を割ってしまうところでホッとした。
「な、何のことかな?」
頑張って声が震えないように言ったつもりだがつっかえてしまった。
ニタニタと笑うフマルにどうやって誤魔化そうか頭を捻る。
「あれだけ接し方が変われば気付くよ。まさかあの時聞いてきたのがレーシュ様のことだったとはね」
前に平民と貴族の結婚についての常識を彼女に教えてもらった。
フマルなら気付かないだろうと甘く見ていたが、それほど分かりやすかったのだろう。
バレてしまっているということが恥ずかしく穴があったら入りたい。
「もしかしてイザベルさんにもバレてる?」
「当たり前だよ。だから最近はイザベルが近くにいない時がないでしょ?」
まさか絶対にバレてはいけないと思っていたイザベルに知られていることに頭が痛くなる。
しかしフマルは私に対して何か思うところはないだろうか。
「ねえ、フマル。私がレーシュ様と結婚ってできると思う?」
フマルの笑顔が急に止まり、少しばかり戸惑いの顔を作った。
社交はフマルではなくマレインが出る理由が分かるほど分かりやすい反応だ。
「やっぱり無理なのかな……」
「うん……多分ね。もちろんエステルは可愛いし、気配りも上手いから魅力的だけどね! ただやっぱり魔力がないのが……」
貴族世界ではどれほど魔力を持っているかで地位が変わる。
もちろんその地位の者同士での功績の有無で上下はあるが、大きな差は生まれないらしく、蛙の子は蛙という言葉が貴族にこそ重くのしかかるらしい。
「あとはエステルが第二夫人になるのなら手があるけど、それで満足できる?」
ズキっと心が痛んだ。
私もその方法しか思いつかなかったが、やはり第三者から言われるとどうしても意識せざるを得ない。
──分かっているけど……いや、だな。
貴族なら複数の女性と関係を結ぶのは珍しくないのかもしれないが、やはり自分だけを見て欲しいと思うのは私のエゴだろうか。
「でもレーシュ様って結構堅物だから第二夫人って多分嫌がるんだよね」
「そうなの? でもレーシュ様って花街に結構通っているみたいだけど……」
前に麻薬の件で花街に向かった時に親しい女性たちがいた。
わざわざドレスを買ったり、楽しそうに顔を緩ませていたのは記憶に新しい。
それを言うとフマルは、少し困った顔をしていた。
「あー、そういえばあの頃のこと知らなかったよね。二年前くらいかな。レーシュ様って本当に死にそうな落ち込んでいたんだから」
「えっ!?」
物騒な言葉が聞こえてきた。
いつもあれだけ自信を持って、上の立場の貴族にも物を言う男が心を病むことがあるのだろうか。
しかしレーシュの父親が国王殺しを行った大罪人らしいので、そうなってもおかしくないかもしれない。
「それでみんなで話し合って、花街に目を向けてもらったんだよ。そしたら少しずつ持ち直したから、良かったとは思うよ」
考えてみると私はほとんど彼と行動しているが、あの麻薬の件以来は全く女の子のお店に通っていなかった。
ハマった男は隙を見てよく行くようになるから注意しろと、近所に住んでいたマチルダによく言われたものだ。
「レーシュ様と結婚の話とかしているの?」
「うーん、ナビになるまで待ってくれと言われたっきりで」
「ねえ、エステル?」
もじもじと答えるとフマルが大きなため息を吐く。
少しばかり怒っているような顔だ。
「二人のことなんだから、しっかり話し合わなきゃ!」
「はい……」
返す言葉もなく、私も少しばかり楽観的なことを反省した。
だけどすぐにフマルはすぐに元のお茶目な顔に戻った。
「でもレーシュ様なら考えなしにやらないと思うから、あまり悲観的にならないようにね。私は応援しているよ!」
「うん……ありがとう」
フマルから元気をもらい、私も少しはこのことについて考えよう。
それからとうとうサリチルと弟のフェニルがやってきた。
私たち側仕え一同でサリチルたちを出迎える。
サリチルの後ろに付く弟の服装がいつもより高い物になっていることに気が付いた。
──フェー、あの服どうしたんだろう?
ビシッとシャツを着こなし、少し大人びた気がした。
少し頬が緩みそうになるのを抑える。
イザベルが前に出てサリチルへ挨拶を行う。
「お待ちしておりました、サリチル」
「歓迎ありがとうございます。これからレーシュ様へ報告もありますので、ご一緒に行きましょう」
サリチルは来て早々にイザベルとレーシュの部屋へと向かった。
前の屋敷はお金に余裕ができたので、新たに使用人を雇いなおして留守を任せている。
あのよくサボる二人の側仕えは実家に帰したとのことだ。
「それとフェニル、旦那様へお話をしますので貴方も一緒に来てください。エステルさんもご一緒よろしいですか?」
弟とどんな話をさせるつもりか分からないが、呼ばれたので私も一緒に行くことにする。
執務をしているレーシュもサリチルが来たことで一度手を止めた。
「よく来たな、サリチル」
サリチルが来たことでレーシュの顔が少し柔らかくなった気がした。
長年仕えてくれる忠臣と久々に会えたのだから少しは心に余裕ができるかもしれない。
「お久しぶりです。少しお痩せになりましたかな?」
「ここは敵ばかりだったからな。お前が来てくれて本当に助かる」
「その言葉に見合った働きをしましょう。ところでレーシュ様へお願いしたいのですが、フェニルを側仕えとして雇ってみてはいかがでしょうか」
まさかの提案に私だけではなく、レーシュも驚いた。
弟の体は毎日の重労働に耐えられるほど丈夫ではない。
もしかすると弟が責任を感じて無理をしようとするのなら止めないといけない。
「サリチル、流石に無理じゃないか? エステルの話を聞く限りだと、頻繁に体調を崩すと聞く」
「ええ、ですから書類仕事を手伝ってもらおうと思っております。こちらを読んでいただければ、彼の非凡な才能が分かるかと存じます」
サリチルが何枚かの木簡を渡した。
それを軽く一読して、レーシュは目を見張った。
「本当にこれを書いたのか? どこかで学を学んだのか?」
「いいえ、ご自身で屋敷の本を読んで学習しただけでございます」
「信じられん……」
頭が良いとは常々思っていたが、レーシュが褒めるのだからよっぽど良いことが書いていたようだ。
姉として鼻が高いが、それと同時に不安もあった。
私のためにしてくれるのはありがたいが、フェニルはよく夢中になるとぶっ倒れるまで作業を行い続ける傾向がある。
フェニルが前に出てレーシュへお辞儀をする。
「レーシュ様、精一杯サリチル様のお手伝いをしますので、どうか私を雇ってくださいませ」
「うーん」
レーシュの目がチラッと私へと向く。
能力はおそらく問題はないのだが、私への気遣いで少し迷っているようだ。
だが私もそれに答えるのが難しく、弟の意志を尊重したい気持ちもあるのだ。
「分かった。しばらく様子を見る。試用期間を経て問題なければ本採用とする。元々は同じ屋敷に住んでいるのだから、人手が増えることに越したことはない」
「ありがとうございます!」
フェニルの顔が喜びに満ち、再度大きくお辞儀をした。
私とフェニル以外は話が残っているらしいので、二人で退出した後に私の自室へと向かった。
色々と話がしたかったが身体の弱いフェニルの熱をおでこで測る。
「熱はないかな、身体は大丈夫?」
「大丈夫だよ。それよりもお貴族様の馬車にずーっと乗れたことの方が嬉しいよ。やっぱり旅って楽しいね」
前から旅をしたいと言い続け、とうとうその夢が叶ったことに喜んでいた。
ただ私としては少し複雑なのが、私が一緒にフェニルと乗りたかったことだ。
もちろんフェニルはそんなことを気にするわけがないだろうが、成長を見守ってきた側からするとその喜んでいる姿を見たいと思うものだ。
──でも喜んでいるならいいかな。
今度のお菓子は一緒に行けるので、その初めては私が独占しよう。
少し親バカになっているのは、前にあった加護による悪夢のせいかもしれない。
今の幸せを当たり前と思ってはいけない。
「そうだ、そういえば──」
病気を治す方法が分かったと言おうとしたが、不意に言葉が出なかった。
まだレーシュにもこの力が無くなった後の相談をしておらず、今やればそれだけ早くこの子の苦しみを取り除けるのだ。
それなのに自分中心の理由で私はこの子を後回しにしようとしていた。
「お姉ちゃん?」
はっ、となり無理矢理に笑顔を作った。
後ろめたい気持ちが心臓を押し潰しそうだった。
「お姉ちゃん、何だかまた綺麗になった?」
「えっ?」
突然褒められて照れてしまった。
まさか弟からお世辞を言われて舞い上がったなんていえないので、私は冗談めかしく答える。
「ありがとう。お貴族様と出会う機会が増えたから化粧が上手くなったのかもね」
「うーん、それもあるんだろうけど、なんというかな?」
フェニルが珍しく言葉にならずに悩んでいた。
そんなお世辞の理由を無理矢理作らなくてもいいのにと思いながらも、そんな配慮を覚える弟に遠くに行くような感覚を覚える。
「ねえ、それよりも今日はまだ体調も良さそうだし、港町を案内してあげよっか!」
港町にもすっかり慣れたので、少しでもフェニルに楽しんで欲しい。
レーシュからも許可をもらったので、二人っきりで観光できる。
「うん! あっ、そういえばここって海賊がいるって聞くけど、治安とかって大丈夫?」
ここに来る前は海賊が幅を利かせており、貴族も従うだけだったが、今ではウィリアムも協力的になってくれるおかげで、余計ないざこざは無くなっている。
ただフェニルにそこまでの話が伝わっていないようなので、私が胸を張って安心させる。
「大丈夫よ。もしもの時はお姉ちゃんが守ってあげるから」
「確かに怒ったお姉ちゃんより怖い人なんていないもんね」
お互いに笑いあってから、小生意気な弟の横腹をくすぐってやった。