側仕えと魔物退治
休日が過ぎてからはレーシュの仕事が急激に増えていった。
会議が増えたり、視察が増えたりして、忙しなく毎日が過ぎていく。
海賊がこちらの味方に付いてくれたが、まだ海の魔王を討伐には行けていない。
それ相応の準備が必要らしく、船の建設費や道具を揃えるのに時間がかかっていた。
ひと月が経とうとしているのに未だに討伐を行う日が決まっていない。
しかし全く進んでいないわけではなく大店を集めて、その費用の打診をする。
「海の魔王を倒した後でも魔物が完全にいなくなるまでに時間は掛かるので、その間はこちらで独占でき、さらに神国からの輸入費が格段に抑えられます。そうなればしばらくは相場が跳ね上がり、あなた方にも多くの利益が来るでしょう!」
今後の経済の話を一生懸命行うが大店たちはなかなか首を縦に振ってくれない。
迷ってはいるが、海が本当に安全になるかが半信半疑のようだ。
貴族の文官たちも参加しており、彼らもあまり真剣には考えていない様子だ。
だがナビ・アトランティカが一言発するだけ場が引き締まる。
「ではモルドレッド君の言う通りに行おう。アビからも少しずつ神国との話し合いを進めていると連絡もある。もちろん皆様方はご協力いただけますよね?」
平民の商人たちは貴族から言われたらそれに従うしかない。
海賊もこちらと協力をするので、彼らに助けを請うことも難しいのだ。
しかし問題は貴族たちだ。
今日の場では頷いてくれたが、おそらくまたのらりくらりと逃げ続けるだろう。
「このままで大丈夫なのかね」
ナビ・アトランティカは先ほどの威厳は何処へやら、まるで老け込んだようにレーシュへ確認する。
ジギタリスからも色々と言われているらしく、間に挟まれて苦労しているらしい。
レーシュもそれを知ってか、不憫そうに答えた。
「ええ、現在行っている賭けコロシアムはいい収益となっております。利益の一部がこちらに入ってくるので、だいぶ税が助かりました。剣帝を時々出せばそれだけで盛り上がりますからね。あとは貴族たちから少しでも寄付を募って、討伐を一日でも早く行いたいのですがね」
私が剣帝のふりをして出場する。
だが前みたいな本気の戦いではなく、稽古のように相手に合わせて行うだけだ。
ある程度時間が経ったら、持っている武器を弾き飛ばすだけの簡単な仕事だ。
本当にそれのおかげで観客が増えたのか分からないが、今では席が満席になっているのでやった甲斐はあったのかもしれない。
ただナビはまだ暗い顔を残す。
「それはなかなか難しいな。ネフライト様が帰ってしまった以上はジギタリス様の監視が強くなっている。そんな中で嫌われ者の君に寄付する物好きは少ない」
「ええ。だからこそ、もう一手欲しいですね。強力な後ろ盾があれば、資金不足の問題もすぐに解決できるのですが」
お互いにため息を吐いてその実現の難しさが分かる。
「おいおい、そちらも考えよう。一度失礼する」
ナビが部屋から出ていき、私は一言声を掛けてようとすると、大きな気配がやってくるのを感じた。
空いている窓から顔を出すのはウィリアムだった。
「よっ、大将! どうだいそっちは?」
まるで平民同士でやるような軽い挨拶をする。
海賊王という肩書きがあり、さらにはほとんどの者が勝つことができない存在ということで誰も文句を言えない。
だが私はもちろん文句を言う。
「ウィリアム? 私は前も玄関から来てくださいと伝えましたよね?」
何度も無視してやってくるので、いいかげん体に覚えさせた方がいいかもしれない。
だがウィリアムはいつもの調子で、大笑いをするだけだった。
「わりい、忘れてた。それよりも、こっちは造船に付きっきりで魔物退治が出来ねえ。だからお暇な騎士たちで討伐してくれ」
全く騎士に対して敬う気持ちがなく、もしこの場に騎士たちがいれば怒り狂ってたかもしれない。
だがレーシュも想定済みのようで特に怒った様子もなく、手を軽く振った。
「もうすぐ春神祭がある。それが終われば勝手に集まるか一網打尽にするつもりだ」
「春神祭って、あの村でやる小さなお祭りのこと?」
私の村でも収穫の季節で実るように神様へお願い祭りを開く。
近くの農村と一緒にやるので、結構大きな祭りとなって楽しいものだ。
だがレーシュは首を横に振った。
「貴族が魔力を奉納することを祝う祭りだ」
「お貴族様が奉納する?」
またもや貴族の知らない常識が出てきた。
だがレーシュもいいかげん私の無知は理解してくれている。
「ああ。俺たちが土地に魔力を奉納して神々に送るからこそ毎年収穫できる。俺たちの特権階級もこの魔力があってこそだ」
「もし魔力を奉納しなかったらどうなるのですか?」
「一生草木が生えてこない」
「えッ──!?」
それほど重要なものだと知らずに驚いた。
貴族が魔力を持っていることは有名だが、一体それがどのように使われているのか知らなかった。
偉そうにしているだけの貴族でも、なくではならない存在のようだ。
「お前に見せることはなかったが、毎日俺が日課で個室に籠ることがあるだろ? 魔力を魔石に奉納して、定期的に領主の城に送っている。疲れるから一日でまとめてやるなんてこともできない。爵位に応じて求められる魔力量も違うから、普段から魔力を良く使う騎士なんかはよっぽど血が優秀じゃないとできんがな」
本当に生まれで全てが決まる世界だと知った。
レーシュの魔力がどれほどか分からないが、中級貴族なのでもっと上がいるということだ。
だが彼は特に魔力の差を気にしているところを見たことがない。
「本来なら俺がこの地位に就くことなんてありえない。全てはお前から始まった。感謝している、エステル」
真っ直ぐに感謝を言われると恥ずかしくなってきた。
それと同時にやはり前のことを思い出すと、体が強張ってくる。
もし結婚すれば必ず貴族の血が薄くなり、さらに私の剣聖の加護は弟に与えてしまうと戦えなくなる可能性があった。
そんな役立たずになる私を側に置いてくれるだろうか。
「どうかしたか?」
「い、いいえ! なんでもない!」
今はレーシュも大変な時である。
私のことで勝手な心配をかけるわけにはいかない。
あまり問い詰められたくない時にウィリアムが話に割り込んでくれた。
「ところでよ、あの神官の坊ちゃん知らんか?」
「知らんな。どうせまた女を引っ掛けてるんだろ」
レーシュはさも当たり前のように答えた。
ウィリアムも勝手に納得していたので、二人とも共通の認識を持っているようだ。
だが少し前に最後に彼を見た時はかなり深刻そうな顔をしていたのが一つ気がかりだった。
それからまた日が経ち、港町でも春神祭についての話題を聞くようになった。
平民からするとただのお祭りだが、貴族たちはそれに向けてかなり忙しなく働いている。
多くの騎士たちが中庭に集まって、レーシュが代表として挨拶をする。
「──知っての通り、最高神たちへ魔力が奉納された。これから土地が潤い始め、魔物が活発化していく。勇者諸君であれば心配はいらないが、これは我々の責務である! これより我々は新峰山へ向かう。ベヒーモスの眷属たちが暴れるだろうが、我々が魔物に屈することはない! いざ、出陣!」
レーシュの合図の下、各々が足元に石のようなものを投げると馬が出現した。
どんどん馬を走らせて空へと舞い上がる。
呆けている私のところへレーシュがやってきた。
「騎獣も見るのは初めてか?」
「はい……すごいですね」
これから向かうのは北の大草原と聞いている。
聞く限りだと結構距離があり、一日で帰ってくるのは不可能ではないかと思ったが、空を飛んで行けるのなら話は別だろう。
最短距離で向かえるので、必要最低限の携帯食で十分そうだ。
「俺は魔力が足りんから馬で行く。着く頃にはほとんど終わっているだろうがな」
レーシュは立場上、一緒に付いていかないといけないらしい。
私は側仕えとしてお供をして、レーシュの安全も守る。
「モルドレッド、久しぶりだな」
騎士の一人がレーシュへ話しかける。
大きな巨体で周りを圧倒するその姿に見覚えがあった。
「チューリップ様! 本日はご協力ありがとうございます!」
「気にせんで良い。魔力を奉納すれば魔物が活性化するからな。我々も喜んで協力する」
丸まった頭をしているので少し強面だが、話してみるとかなり面倒見の良い人物で、レーシュを全く嫌わない稀有な人物だ。
魔物討伐は領土にとって大事なことらしく、こうやって中央の騎士も手伝いに来てくれるのだ。
「しかし噂は真かね? 剣帝と呼ばれる最強の剣士が協力をしているというのは?」
「流石は耳がお早い。ええ、だからこそ海の魔王の討伐を考えることができました」
「そういうことか。中央でも噂は流れておるぞ」
まだひと月しか経っていないのに噂が広がるが早い。
貴族はあまり観戦に来ないので、おそらくは商人が情報を運んだのだろう。
「今日は特に騎士団の人数が多いように見えますが何かご存知ですか?」
「うむ、どうやら今回はそなたが海賊相手に上手く交渉しているから、少しばかり魔力を多く提供したと会議で言っておった」
「それは、それは助かります。魔力が多ければ秋の実りが期待できます」
おそらく領主が気を利かせてくれたのだろう。
レーシュも思いがけない朗報に顔が綻んでいた。
「ではそろそろ行こう。わがはいたちが魔物を数を減らさねばせっかくの魔力が無駄になる。特にあそこはそういう場所だからな」
「おっしゃる通りです。北の大草原さえ手に入れば西の──」
チューリップはレーシュの肩をガシッと掴む。
そして顔を耳元へ近づけ、小さな声で話す。
「気を付けろ。其方の敵は多い。どこで攻撃が分からんからな」
「ご忠告ありがとうございます。肝に銘じておきます」
チューリップは用が済んだと敬礼した。
すぐに他の騎士たち同様に石を投げて馬に乗って空を駆けていった。
私たちも馬に乗って追いかける。
私は後ろを付いていく形になっているが、レーシュが速度を減速させて平行させてくる。
「エステル、何か悩みがあるなら言え」
「悩み事なんて……ありません」
無理矢理に笑顔を作ったが、レーシュの目は誤魔化せていない。
しかし彼にこんな身勝手なことを伝える気にもなれなかった。
「今日は最後の仕上げだから、明日は少し暇だ。たまに全員を労うつもりだが、お前が良ければ一日付き合え」
「明日ですか?」
「ああ、お前が美味しいと言ってた菓子を食べに行く」
前に言っていたことを覚えてくれたようだ。
嬉しいと思う気持ちもあったが、気を遣われていることに後ろめたさがあった。
「もし話せるようになったら言えばいい。俺はずっと側にいる」
「はい……必ず」
目を直視できず、自然と視線が足元へ向かう。
これは私の問題であり、自分で片付けないといけない。
ずっと優しさに甘えるわけにはいかないのだから。
「それと……」
別の話題になった雰囲気を感じて目線を上げた。
少し怒っているようにも見えた。
「エステル、お前はウィリアムには呼び捨てなんだな」
「え、ええ。そうですね」
「なら俺も二人っきりの時は呼び捨てで構わん」
「そ、それは……流石に不敬ではないですか?」
私は平民で、レーシュは汚名があるとはいえ貴族だ。
そんな私が呼び捨てにすれば勘繰られるだろう。
「だから二人っきりの時だけだ」
少し顔を赤くしながら言うので、思わず笑いそうになった。
まさかウィリアムに対してまで嫉妬をするとは思わなかったからだ。
「何を笑う……」
少しムッとした顔になった。
怒っているよりも照れ隠しのようで、こちらを見る視線が泳いでいた。
「少し気恥ずかしいので少しずつ慣れていきますね」
今はまだ呼び捨てで言うのに抵抗があった。
もし彼と離れるなら、あまり不敬を働いてはいけない。
線引きをしっかりしつつ、彼もまたその言葉に疑問を持たず頷いて、ただ馬を走らせる。
その時、進む方角に空に暗雲が現れる。
「レーシュ様、あれは一体……」
「分からんが、良くないことのようだ。空にいるのはなんだ?」
空を飛行する多くの魔物がいた。
その数は見える範囲でも百体はくだらない。
「どれほどの魔力を奉納したんだ? エステル、もしもの時は援護してやってくれ」
「分かりました!」
ゾワゾワと体に鳥肌が立ってくる。
まるで遠くからこちらを見つめる目があるような気持ち悪さと大きな力が少しずつこちらへ向かってくるのを感じた。