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側仕えは大切な人を得る

 イザベル達が戻ってきたので、私たちは馬車で一度屋敷に戻っていく。

 みんな無事で安心したが、私は別のことで頭がいっぱいだ。

 先ほどされたことを思い出さないようにするが、目の前にその人物がいるせいで、どうしたって意識してしまう。


 ──あれってそういうことよね?



 私は突然唇を奪われた。

 それも完全に身分違いのご主人様にだ。

 前に薬を飲ます時に私からやった緊急時ではなく、ただ恋人のように普通のキスだったのだ。

 それに──。


 ……夜に部屋に行く。



 思い出すと急に体温が上がり、頭から湯気が出そうになった。

 落ち着こうとするが、どうやっても胸の高鳴りが止まらない。

 そんな私をマレインが心配そうに覗き込んだ。


「エステル、顔が真っ赤よ? どこか体調が悪くない?」

「だ、大丈夫よ! ただちょっと……疲れただけだからッ!」



 他の人から指摘されたことで若干だが冷静になれた。

 どこかイザベルの視線が鋭く見えるが、あまり考えすぎないようにしたい。

 そんな時にフマルが元気な声が話しかけてくれる。


「でもエステルって本当に強いんだね。あんな重いモノを着て、ラウル様達を圧倒するんだもん」

「でも途中で倒れてしまったから、ご迷惑をおかけしただけだけどね」



 あれは反省のある戦いだった。

 慣れない装備に加えて、武器がない状態に焦ってしまった。

 そのため心の隙間を狙われたのだろう。

 次はあんな失態はしないつもりだ。


 屋敷に戻って各々でレーシュの指示を受ける。

 これからしばらくは交代で休暇を取るように言われ、私は明日が休みとなった。


「護衛は大丈夫ですか? まだ海賊達も襲ってくるかもしれませんよ?」

「それは心配ない。ウィリアム自ら了承したしな。奴らは一枚岩だから心配はいらん。エステル、たまにはお前も休め。働きすぎだ。そろそろサリチルたちも呼んでしまって問題ないだろう」



 ──フェーと会える!



 変な夢を見せられたせいで異様に恋しかったのだ。

 一目見て安心を確かめたい。


「さて、俺は色々な根回しをせんといかん。しばらくここで仕事をする」

「何かお食事をお持ちしますね」

「イザベルに頼んだから必要ない。お前は特に功労者だ。今日は少し早めに仕事を終えて休暇に入っていい。マレイン達も了承している」



 急に休めと言われると困るものだ。

 私としても先ほどのことを忘れるために無心で仕事をしたいくらいだ。


 ──今なら二人っきりよね?



 誰の気配もなく、今なら先ほどの行動の意味を聞ける。

 だがなんと聞けばいいのだろう。

 レーシュも私が部屋から出ないので、不思議そうに首を傾げた。

 だが急に何かに気付いたのか、こちらへと歩いてきた。

 近づいてくると、なんでか私の足が一歩ずつ下がってしまう。


「嫌だったか?」



 いつも自信家の顔を持つ彼が不安そうな顔になっている。


「い、いえ。その……さっきのことは、一体、なんだったのかなって……」



 何だかどんどん気恥ずかしくなっていく、どんどん下がるにつれてとうとう壁際まで来てしまった。

 レーシュに追い詰められ、私の頭もどんどんパニックを起こす。

 壁に上から手を当てられて、上から見下ろされる形になった。


「そうやって気付かないふりをするのなら、もう一度分からせてやるぞ?」



 言葉とは裏腹にレーシュの目は優しく、それでいて獲物を狙う獣のようにも見えた。

 私の髪を手に持ち、まるで自分の気持ちを抑えるようにすぐに解いた。


「夜に返事を聞く」



 彼はそう言って席へと戻る。

 胸が高鳴るが、これ以上は彼の仕事の邪魔になるので部屋から出た。

 仕事に戻り始めたが、どうも集中できない。



「エステル、本当に大丈夫?」

「うわッ!」



 隣にいるのに気が付かずに、私は思わず驚いてしまった。

 普段なら気配に気付けるのに、それほどまで浮ついてしまっているのだ。



「どうかしたマレイン?」



 無理矢理いつも通りの顔を作ったが、余計にマレインを不安にさせたようだ。

 ひょっこりとフマルもやってきた。

 何だかいつもと違うフマルの表情に、もしかすると気付かれたかと不安になってきた。

 その気持ちを代弁するようにマレインが尋ねる。


「エステル、もしかして……ラウル様を蹴ったこと気にしているの?」

「えっ……」


 そういえばそんなことがあったなと今更ながら申し訳ない気持ちになった。

 ふらついていたから、結構重い一撃だったのではないだろうか。

 フマルも頷いて、まるで同情するように私の手を持った。


「あの綺麗な顔に傷を付けたら、誰だって気にするよ。でも大丈夫。あんなことで顔がダメになったりしないから」



 想像以上にフマルはラウルの顔が好みらしく絶対の自信があった。

 だがマレインは少し頭が痛そうにしていた。



「違うわよ、フマル。エステルはラウル様を蹴ったことで外交問題に発生しないか心配しているのよ」



 ──全く心配していませんでした。



 そもそもラウルのことを考えてすらいなかった。

 前にマレインからラウルに手を出すと国同士の問題になると言われていたが、今回はラウル自身が望んで出た試合なのだから、あちら側の責任ではないだろうか。



「大丈夫だよ。だってやったのは平民の剣帝ということになってるんだから。旦那様が上手くやってくれるはず」

「またいい加減な……でもそうよね。エステル、少しでも辛いことがあったら言うんだよ?」



 自分の身を案じてくれるマレインに、まるで姉を持った気分になる。

 その時、一つ思い出したことがあった。



「そういえばそろそろ乾いたはずよね」

「乾いた?」


 マレインが何のことだかわかっていないようだが、フマルはその言葉で気付いた。

 私はマレインの手を引っ張り、中庭へと向かう。



「一体どうしたの?」

「ふふ、あそこ見て!」


 木の下の影で干しているものを指差した。

 そこには純白のドレスが干してあり、前にワインで赤くなったマレインのドレスだ。

 一緒に近づいて、マレインはドレスを触った。


「これって……」

「大事なものなんでしょ? これでも染み抜きは得意なの。農民の知恵ってやつね」


 なかなかシミを取るのは苦労したけど無事に元通りになってよかった。

 マレインの体が震え、ゆっくりと顔をドレスにつけていた。


「ありが、とう……」



 大事なドレスを汚されてしまい、気丈に振る舞う彼女も少し元気がないのが分かる。

 だからフマルに手伝ってもらって、すぐに洗ったらほとんど前と変わらない色に戻った。

 これならまた舞踏会があっても着ることができるだろう。

 ドレスをマレインの衣装棚に入れて、大事そうに閉じるのだった。


「ありがとうエステル。あなたのおかげで、お母様のドレスをまた着ることができます」

「ううん。あれくらい簡単よ。マレインにはいつもお世話になっているし、これくらいならいくらでもやってあげる」



 お互いに笑い合い、仕事に戻る。

 今日の仕事はほとんど終わったが、どうして聞きたいことがある。

 私はこういった話が好きそうなフマルに話を聞きにいく。



「ねえ、フマル。もしもなんだけど、貴族と平民が結婚した話ってあるの?」

「えっ! エステル、誰か好きな騎士様でもいたの! だれっ、だれ!」


 もしもの話って言ったのに、どうしてすぐに私と気づくのだ。

 だがここで認めるわけにはいかないから、上手く誤魔化さないといけない。


「私じゃなくてもしもの話よ」

「うーん、そうだね。あるといえばあるけど、やっぱり駆け落ちとかかな」



 ──駆け落ち!?



 それは少し現実的じゃない。

 正直に言うとレーシュが農村の生活を送れるとは思えず、さらに言えばフェニルの治療費すら払えなくなる。

 一気に現実に戻り、頭が痛くなってきた。


「でも本当に稀だけどね。それよりも遊びで手を出す人の方が多いかも。子供が出来ても全く認知しないとか、もし魔力が一定以上あればその限りではないかもしれないけど」

「あ、遊び……」



 考えてみると当たり前のことばかりだ。

 お金も教養もない平民より、同じくらいの生活を送っている貴族の方が釣り合うだろう。

 ここで学ぶ社交の訓練は普通の生活では絶対に使わない。

 そして一番は、レーシュは遊びそうなところだ。



「エステル、顔が青いけど大丈夫? もし仮にそんなお話があっても、簡単に心を許さないようにね」

「う、うん。わかった……他に貴族社会でお見合い以外で結婚するとかあるの?」

「あるけど、それは身分が同じ時だけかな。たまに主人と側仕えがそういう関係になることはあるみたいだけどね。」



 フマルとマレインはモルドレッド家とは遠縁らしく、それでここを紹介してもらったらしい。

 だから彼女たちの場合にはそれは当てはまらないのかもしれない。

 レーシュもどこか妹でも見るように接している気がする。



「ちなみに側仕えとの恋愛ってどんな感じなの?」

「エステルってこういう話好きなんだね」



 ニヤニヤとするフマルに曖昧な顔で明言するのは避けた。

 だけど彼女も話したがり屋なので、教えてくれるようだ。



「主人と側仕えも似たようなものかな。遊びで手を出して、第二夫人にしたりするくらいとか」

「第二夫人!?」

「そうだよ。もちろんその人が同じ身分だったら第一夫人もあり得るけどね」

「へ、へえ……」



 これはフマルから話を聞けたのは良かったかもしれない。

 私が雰囲気に流されてしまったら、それこそおしまいだ。

 フマルにお礼を伝えて、私は先に仕事を上がらせてもらった。



「あんまり考えすぎないように……」


 冷静になろう。

 まずゆっくりとお風呂に浸かり、いつもより清潔にして、髪もブラシで梳かす。

 休む服も一番お気に入りの少しおしゃれな服にして、若干だが薄着のため上にカーディガンを羽織った。

 そしてあまり失礼がないように覚えたての化粧をしっかりと──。



 ──いや、意識しすぎでしょ!



 あれだけフマルから色々教わったのに、全く活かせてない。

 本当に落ち着くべきだと、一度ベッドに座るとドアがノックされた。


「エステル、入っていいか?」



 体が驚いて姿勢がまっすぐになった。

 頭がパニックになり、どうしよかと返事ができないでいた。



「いないのか?」

「い、います! すぐに開けますので」



 私は急いでドアまで向かい扉を開くと、先程の服と変わらないレーシュがやってきた。

 まだお風呂には入っていないようで、おそらく仕事を終えてからすぐにやってきたのだろう。

 レーシュの目が泳ぎだし、少し顔が赤くなっていた。


「お前……男が来るというのに無防備すぎだ!」



 レーシュがドアを閉めながら部屋に勢いよく入ってきて、私の手を引いてベッドまで連れて行く。

 触れられる手にドキドキとしながら、彼は私だけを座らせる。

 そして腰を落として、私を下から見上げる。


「お前、あの時の男にもこの姿を見せたんじゃないだろうな?」

「あの時の男って……お兄さんのことですか?」


 レーシュが私の近辺で知っている人物は、ご近所で弟の世話などをしてくれたマチルダの長男しか思い付かない。

 合っていたようでレーシュも頷いた。


「そうだ。こんな格好なら何されても仕方ないぞ!」

「し、してません! ただレーシュ様から夜に来ると言われたから、思わず、そのぉ……」


 何だかどんどん泥沼にハマっている気がしてきた。

 どうやら意識していたのは私だけのようで、それが一層羞恥心を駆り立ててくる。

 レーシュは顔を抑えており、私の行動に幻滅しているのかもしれない。



「ならいい。俺が夜に来たのは邪魔が入らんからだ」


 ゆっくりと右手が私の頬を触る。

 体温が伝わり、私の心臓もどんどんドキドキし出した。

 目が私を離さず、目を背けることができない。


「俺の気持ちに応えてくれるか?」


 喉が鳴り、私はなんと答えたらいいのかわからない。

 頭がぐちゃぐちゃになっており、気恥ずかしさから勝手に口が動く。


「その、私は農民ですよ?」

「だからどうした。俺は逆臣の家の当主だ」

「それに私より綺麗な人も多いだろうし……」

「お前が一番綺麗だ」


 何を言っても返される。

 どうしてこんなにも自分を否定する言葉が出てくるのだろう。

 レーシュも少しばかり視線が落ちた。


「もし嫌なら断ればいい。俺も無理強いはしない」


 彼は本当に私の気持ちを尊重してくれるようで、戸惑う私の答えを待ってくれた。

 だからこそ真摯に応えたい。


「い、嫌では! ……ないですよ?」



 先程の比ではないほど顔が熱くなっており、もうレーシュを見ることすら出来ずに顔を下に隠してしまった。

 急に両肩を掴まれ、私はベッドに倒された。

 レーシュを下から見上げ、ゆっくりと彼の顔が近づいてきた。


「なら好きだと思っていいな?」


 彼の唇があと少し動かせば重なるところで止められた。

 お互いの視線が間近で交わされ、私も返事をする。


「は……い──」


 彼と再びキスをする。

 心に染み入るほど熱く、長く、二人だけの時間を堪能する。

 そしてとうとう名残惜しくもお互いの唇が離れた。



「悪い、少し強引だったな。ちょっと落ち着かせてくれ」


 レーシュがベッドに横掛けしたので、私も起き上がって座り直した。


「エステル……俺にはお前が必要だ。だから俺の側にずっといろ」

「はい……」


 首を思わず彼の肩に倒してしまう。

 我に返り、顔を退けようとしたが、彼の腕が私の肩を持つのでそのままの姿勢になった。



「俺とお前はまだ結婚はできない」

「えっ?」



 どういう意味なのだろう。

 もしかするとずっとこの関係を続けていくということだろうか。

 だが彼からそんな後ろめたさはなかった。


「だから俺がナビになって誰も逆らえないようにしてやる。だから少しだけ待ってくれ。この海の魔王を倒せば、俺の地位も不動となる。結婚して不幸にはさせない」



 彼の思いを受けて、私もそれに応えたい。


「レーシュ様」


 私は彼の手を下ろし肩に預けていた首をあげて、彼をまっすぐと見た。


「それなら二人で乗り越えましょう。私は剣ですから」



 レーシュの目が大きく開き、そしてゆっくりと頬が上がっていく。


「ああ、俺はもう一人じゃない。お前がいればなんでもできる気がする」



 お互いの気持ちを確かめ合い、目指す道も一緒になった。

 これからの障害も一緒に乗り越えていこう。


 ただ私はまだ理解していなかった。

 どうして貴族と平民がこれまで結婚しなかったのかを。

 いや、頭の片隅にあるのに無視してしまったのだ。

 今の幸せは営利関係という薄い運命の糸で繋がっているだけということに。

 それが後に彼を苦しめてしまうことに。

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