側仕えが眠り姫
──やってしまった。
まさかそのようなミスを自分がするとは思ってもみなかった。
武器がなくなってしまった。
さっきまではもちろん持っていたが、大剣があまりにも重かったため、勢いあまって前方に投げてしまったのだ。
ウィリアムの方へ飛んでしまい、危うく殺してしまうところだったが、掠っただけで済んで心の底からホッとする。
しかし後ろからもっと恐ろしい言葉が聞こえてきた。
「勘違いするな海賊王。同じオリハルコンでもランクが違う。本物のオリハルコンはこの剣帝のみだ。偽物がいくら集まろうと、その一太刀の前には贋作がすぐにバレるぞ」
──そんな煽らないでよ!
剣帝のことはレーシュから教えてもらうまで全く知らなかった。
ものすごく強いらしく、そんな伝説の剣士とこの前までただの村娘だった私を一緒にしないでほしい。
これ以上聞くとどんどんプレッシャーが大きくなるので心を無にして、続きの言葉は遮断した。
まず一番に考えないといけないのは、どうやって剣を取りに行くかだ。
──素手ってあまり得意じゃないのよね。
大きな支障があるわけでもないが、やはり使い慣れている剣があると余裕が生まれる。
すぐにでも剣を取りたいのだが、この装備が予想以上に重く普段の速度が半減してしまっていた。
剣がなくなった分は軽くなったが、それでもやはり動くには邪魔になっている。
「お頭、流石にあんたとやり合うことができる相手だ。あまり甘く見過ぎないでくださいね!」
帽子を被った海賊ザスは腰から鞭を取り出す。
その鞭が私の左腕へ絡みつき、力比べをしようと引っ張られた。
動きを封じられたままではまずいので、手刀で切ろうと手を上げる。
しかし目の前にもうすでラウルがやってきている。
「本物の剣帝か確かめてやろう!」
私だと気付いていないラウルが変わった色をする大きな槍を突き出してきた。
当たってしまってはただでは済まないので、私は踊るように避ける。
動きを制限されているが、まだ遅いのが救いだ。
「嘘だろ……槍兵の勇者の攻撃だぞ?」
動きを封じようとするザスが上手くいかないことに信じられないものを見ているようだった。
このまま避けているばかりでは芸もないため、私は槍の突きを潜り込んだ。
体を柔らかく使って懐に入り、足を組み替えて槍を蹴り上げた。
「うぐっ!?」
槍が手から離れたので、その機を逃さない。
体を浮かして、さらに二段目の蹴りでラウルの顎を吹き飛ばす。
──ごめんなさい!
これまでお世話になった恩人だが、私も負けるわけにはいかないのだ。
重量の乗った攻撃は手加減していてもかなり効くはずだ。
少し時間も稼げるので、今のうちに掴んでいる鞭を逆に引っ張る。
「天の支柱!」
息を大きく吸い込み、血液の流れを加速する。
力が上昇し、普段の何倍もの力で引っ張るのだから、ザスは簡単に私のところまで連れてこられた。
「ヤッベ──!」
勢いよく近づいてきたので、私はなるべく加減してお腹に掌底を打ち込む。
リングの外枠ギリギリまで吹っ飛び、ピクピクと痙攣している。
鞭も手から離れて自由になった。
「うらぁぁああ!」
後ろから大きな気配を感じた。
軽く身を捻って避けると、私を後ろからしがみつこうとしたウィリアムの背中がガラ空きになる。
この男はおそらく並みの攻撃ではダメージが通らないので、本来硬い鱗を持つ竜に対して使う技を使うしかない。
「第五の型、仏の座!」
背中に手を当て、指先に力を入れた。
内部からダメージを与えることで、どんなに頑丈でもダメージが期待できる。
ビクンッ、と体を震わせてその場に倒れた。
相手を麻痺させる技だが、この巨体だとあまり長くは効果が保たなそうだ。
「待……てッ──!」
ラウルがふらふらの状態で立ち上がる。
槍もすでに回収しており、杖のように体を支えているが脳が揺れて平行感覚がなくなっているようだ。
もう少し復帰は遅れると思ったが、この装備のせいで加減しすぎた。
「これは失敬した。本物の剣帝に様子見は私の油断だ。ここからは本気でいく」
槍を地面へと力強く打ち付ける。
先ほどまでも槍は赤かったが、今はそれに加えて輝いているように見えた。
そしてラウルの体にも異変が起きる。
黒い紋様がどんどんラウルを侵食していく。
まるで呪いのようにも見え、ラウルの顔も苦しそうに歪む。
「加護、聖者の盾!」
その声と同時に彼の紋様が消えていく。
まるで浄化されたように、彼の表情は晴れやかになっていった。
「加護、聖者の盾“矛”!」
ラウルの槍が空高く上がり、どんどん巨大化していく。
一体どこまで大きくなるのか想像ができず、今ではこのリングに収まり切れないほどの大きさになっている。
──あんなの素手で防げない!
遠く離れた大剣を取りに行こうとすると、鋭い掌底が私の顔を掠めた。
「これでも喰らわねえか!」
ウィリアムが私の進路を邪魔してくる。
まるで熊のように狡猾に、私の一挙一足を見逃さないよう油断なく距離を一定に保つので私の気持ちが焦ってきた。
こんなところでモタモタできない。
私はすぐさま倒すため、全力の拳をぶつける。
「甲羅強羅!」
ウィリアムの胸へ打ち込んだ一撃は跳ね返された。
「くっ!」
流石は海賊王と呼ばれるだけあって、生半可な攻撃では傷付かない。
さらにウィリアムの場合には特に防御を得意としているようで、まるで世界一硬いとされるオリハルコンをその身に纏っているように感じられた。
──それなら技でッ──!?
そう思った時にドクンッと心臓が脈打つ。
体から何かが噴き出そうになる。
立ち続けることもできず、膝から崩れ落ちていく。
外傷はないのに、力が入らないのだ。
どんどん目の前が真っ暗になっていく。
「ザス生きていたか?」
「勝手に殺さないでくださいよ」
意識がどんどん奪われそうになる中で、起き上がってこちらに向かうザスの姿が見えた。
「俺の加護は海千山千。あんたにとって地獄の時間を体験してもらう。本物の剣帝なら絶対に効かないが、あんたなら効くかもと思ったぜ」
一体どうして私には効くのか、それを聞く余裕もない。
後ろからレーシュの声も聞こえてくるがもう返事もできない。
──こんなところで……。
抗うことができず、私の目はとうとう開けられなくなった。
そして私の意識は消え去った。
真っ暗な暗闇の中だった。
一体どうしてここにいるのか思い出せない。
一筋の光が見えた。
私はそこへ足を運ぶ。
出てきた場所で私は包丁を握り、キッチンで鍋が煮立っていた。
使い古したキッチンに、家の中なのに寒い部屋に急に懐かしさを覚えた。
何をしていたんだっけ。
「どうしたの、お姉ちゃん?」
目の前のベッドで私の弟が横になりながら、私の心配をしていた。
「フェー?」
──そうだ、私は料理をしていたのだ。
どうして呆けていたのか分からないが、心配そうにしている弟に笑顔を向ける。
「ううん、なんでもない! すぐにお昼を作るね!」
今日も牛の世話がある。
あまり長く休憩しては、今日の仕事が終わらなくなってしまう。
「もうやらなくていいよ、お姉ちゃん……」
「えッ──?」
不安になるような低い声に思わず振り返った。
もしかすると家を空ける時間が長くなって心細くなったかと思い、私は作業を止めて急いで弟の様子を見る。
ベッドで体を起こしたフェニルの顔はまるで生きることを諦めたような暗い顔になっている。
「僕なんて邪魔でしょ……」
「なに……言ってるの?」
今日のフェニルはどこかおかしい。
心臓が変な音を立てながら、呼吸が苦しくなっていく。
「僕はこれで死ぬよ」
いつの間にかナイフを持っており、それを首元へ思いっきり突き刺そうとする。
「やめなさい!」
ギリギリのところでそのナイフを止められた。
だがフェニルの力が私とほとんど同じくらいあり、いつもの弟の力とは違っていた。
だがそんなことを気にしている場合ではなく、力比べをして絶対に止めなければならない。
「離してよ……僕がいたら不幸になるんだよ?」
「なに、言ってんの! 離してッ、離してッ──!」
どんどん喉まで吸い込まれていき、涙が溢れ出るのを止めらない。
大事な家族がこのままでは死んでしまうのに、こんなにも力を入れているのに、全く止まらないのだ。
一体私の何が悪かったのか分からない。
もしかするとそれが全て悪かったのかもしれないが、今は懺悔している時間もなかった。
──誰か止めてッ!
どんなに力を入れてもびくともしない。
とうとうその切先が喉に触れ、血が少しずつ溢れていく。
どうすれば止まるのか思い付かないことに焦ってくる。
……──ッテル!
どこから声が聞こえてくる。
だがそれに構ってはいられない。
すぐにでも止めないと──。
……エステルッ!
──絶対に殺させない! 私が必ず守る!
「エス──! しっ──しろ!」
──苦しいのならいくらでも私が代わる。だから、どうか──。
ふと温かいものが全体に広がる。
気付けば弟の姿はなく、草木の臭いからどこか錆くさい臭いが鼻を刺激した。
さらに目の前には、誰かの背中があった。
目から溢れた涙がゆっくりと頬を伝って、誰かの肩に落ちるのだった。
「えっ……?」
そこは農村ではなかった。
さらにいえば私はもう農村には住んでいない。
「やっと落ち着いたか」
聞き覚えのある声が聞こえてきて、私の頭と背中に手が添えられているのに気が付く。
そして体勢から考えると抱き締められていることにも。
ゆっくりと体を離すと、いつもの太々しい顔のレーシュが今日だけどこかほっとした優しい表情になっていた。
「レーシュ様? いったい……?」
ゆっくりと首を周りを見るために動かすと、見るも無惨な光景に驚愕した。
観客席には誰もおらず、至る所が抉れている。
さらには一部の観客席がごっそりと削れているではないか。
座り込んでいるラウル、ウィリアム、ザスにも目がいく。
みんなが傷だらけになっており、満身創痍といったところだ。
「まさかエステルさんが剣帝とは……女性に手をあげようとしたなんて……」
ラウルの独り言で私も自分の兜がなくなっていることに気が付いた。
せっかく剣帝のふりをしたのに、全てが台無しになってしまった。
ここまで来て足を引っ張ったことで、顔から血の気が引いていく。
「も、もしかして……レーシュ様、申し訳、ございません。せっかくの策を──」
「お前は何も気にするな。一旦、家に帰るぞ。立てるか? その鎧は目立つから一度着替えるからな」
このまま、あそこの人たちを放っておいていいのだろうか。
もしや、もう取り返しがつかないところまでいってしまって、レーシュ自身も諦めてしまったのかもしれない。
──どうしよう……私が負けたから──。
私の油断が招いた結果だ。
せっかくもう少しで全てがうまくいくところだったのに、全てが無駄になってしまったかもしれないのだ。
どんどん心が重くなっていき、レーシュの背中が私を怒っている気がした。
足取りが重くなり、目に見える石造の通路までもが私を責めているような気がするのだった。