側仕えと剣帝 レーシュ視点
俺の名前はレーシュ・モルドレッド。
都市ではいざ知らず、ここでも俺の悪名は足を引っ張っていた。
だがそれも今日で多くの障害が解決していくだろう。
俺は目の前の大きな建物へ目をやった。
闘技場クレイモア。
その名前は剣帝が持っていた大剣から付けられた。
大振りの大剣を使い、フルアーマーを身に付け、鬼神の如き戦いに誰もが彼を尊敬した。
だからこそ、今日の闘技場はいつになく賑わっている。
──出場するのは、俺の側仕えだがな。
俺はエステルとイザベルを連れて、貴族専用の個室へ向かった。
剣帝の正体がバレるわけにはいかないので、イザベルに手配してもらい誰も付かないようにしてもらった。
控室にある重そうなフルアーマーを前にして、エステルは呆れた目を向ける。
剣帝だとバレないためとはいえ、体重と同じくらいの重量がある装備を身に付けるなんて正気の沙汰じゃないだろう。
そして極め付けは、普段の細身の剣ではなく、クレイモアを使うところだ。
「本当にこれを装備しないとダメですか?」
エステルが非難の目を向けてくる。
俺も流石にこんな重い装備を女に着せるのは抵抗があった。
だがこれを着ないとすぐに剣帝でないとバレてしまうので我慢してもらうしかない。
「なるべく軽量のやつを探してもらったんだが、どうしてもそれしかなかったんだ」
「それにしたって……剣だけでも代えられません?」
「剣帝の特徴を裏付けるには、クレイモアが必須だ」
残念そうに落ち込む。
こんな重い装備では普段の速さを生かした攻撃は使えない。
戦う相手がウィリアムとなると真っ向からの力勝負になり、少しばかり不利になるかもしれない。
だがそれでも圧勝できるほどの実力が無ければ、おそらく海の魔王に歯が立たない。
これはエステルの実力を見る絶好の機会ともいえる。
小さくため息を吐くが、そこで断らないでくれるのはありがたい。
「これだと少し強引な手になりますけど、怪我人が出た時にはしっかり手当をしてあげてくださいね」
「そこで負ける心配をしないのが俺の救いだ」
いつも通りのこいつの顔に安心する。
あのウィリアムと軽く手合わせをしたのに。それでも負けるはずがないという自信に俺は勇気を持てる。
「頼むぞ、今日はお前の全力を見れる機会だと思っている。海の魔王を前に戦力を把握するためにもな」
「分かっています」
今後のことを色々と頭の中で張り巡らせる。
これはまだ取っ掛かりに過ぎない。
エステルの大きな役目はここまでだが、ここから俺は多くの厄介事が待っている。
ふと、エステルがチラチラと俺の方を見ていた。
「どうかしたか?」
「いえ、その……」
何だか歯切れが悪い。
もしかすると怖気付いたのかもしれない。
そうならば俺も無理強いはせずに他の方法を考えるまでだ。
「ゴホンっ!」
イザベルがわざとらしく咳払いをする。
何か小言でもあるのだろうか。
「坊っちゃま。平民とはいえ、淑女の着替えを覗くのは感心致しません」
俺にしてはその言葉を理解するのに時間が掛かった。
だが少しずつ理解するにつれて、エステルと合わさっている目が見れなくなってきた。
「悪い!」
「い、いえッ──!」
お互いに顔を背け、どうにも羞恥を覚える。
「そうだな、鎧も着替えが必要か。イザベル手伝ってやれ!」
「もちろんそのつもりです。ですので、坊っちゃまが出てくださるのを待っているのですよ」
イザベルが手を頬にやって大きなため息を吐く。
これは俺にも教育が必要だと思っているときの仕草だ。
「上で応援している」
短く言葉を伝え、俺は逃げるように部屋を出た。
主賓の中央の席へ移動すると、そこの眺めは格別だった。
ここなら試合を観るのに申し分ない場所だ。
多くの観客が今回の戦いを観に来ているのを見て、これまた商売のチャンスだと貴族らしからぬ考えが出てくる。
──剣帝の名前は使えるな。
ハッタリで使ったので、エステルを矢面に立たせるより、記号として出した方が俺が自由に使えるかもしれない。
それにエステルにはそういった腹芸が苦手なため、俺が手綱を握った方がお互いにとっていいだろう。
考え事をしているといつの間にか貴族たちも数人座っている。
だが誰も俺に挨拶なんて来ない。
「ナビ代行ではこんなものか」
自分の嫌われ具合は自分がよく知っている。
国王殺しの父を持てば、誰だって俺と仲良くしたくないだろう。
──あいつも俺の過去を知れば遠ざかるのか。
農民出身で最初はただの家事ができる程度の存在としてしか見ていなかった。
だがあいつだけはどんな苦境でも側にいてくれる。
それは俺とあいつが営利関係で結ばれているからだ。
「弟の病気も無くなればおさらばか……」
ふと、自分がものすごく重く考えていることに気が付いて頭を振った。
イザベルから忠告されたことが何度も頭を反芻する。
……坊っちゃま、貴方様はモルドレッド家の当主でございます。もし汚名を返上した場合には、多くの令嬢から縁談がいただけますので、どうか短慮だけは控えてくださいませ。
俺もどうかしていると思っている。
たかが平民の小娘にうつつを抜かしていたら、また前に逆戻りする。
──それでもあいつしか俺の側にいなかったがな。
どんなに絶望的な状況でも乗り越えられた。
エステルは向こう見ずなところがあるが、その行動は全て俺のためにしてくれている。
メリットしか見ない貴族とは違い、彼女はやたらと突っ込みたがるが誰もが俺から離れた今ではそれが妙に心に残ってしまう。
それに嘘が下手なので、俺も下手な読み合いをしないでいいから信用もできた。
ジギタリスたちのような裏でこそこそするような輩はこちらも疲れてしまう。
──そういえば、あの男も近いうちに消さないとな。
ジギタリスがエステルの髪を引っ張った時には頭に血が上り、夫人にワインを掛けるという愚行を犯してしまった。
あれについては昨日ネフライトからも厳しく叱られた。
女性を周囲の目がある中で辱めるのは、己がいつかされることと心得よ、と。
それならされる前にジギタリスをどうにかすればいい。
──時間か。
まずは今回の責任者として挨拶をしないといけない。
立ち上がって、周りの声が静かになるのをただひたすら待つ。
どんどん小さくなり、完全に黙ったタイミングで俺は演説を始める。
「港町に住む全ての住民よ。私がこの町の新しい統治者である、レーシュ・モルドレッドだ。海が我々の敵になってから、幾年の年月が経っただろう。土地は痩せ、魚は満足に食べられない。我々貴族は役に立たず、海賊は統治を知らない。誰もが明日を不安に思っただろう」
この場にいる者たちが息をのんで耳を傾けている。
円形のリングにウィリアムと帽子を被ったザスという副船長がやってきた。
俺に対して挑発的な視線を向けて、何を言うのか興味があるようで黙っていてくれる。
「だが私は領主であるアビ・ローゼンブルクからこの地を発展させろと仰せつかった。領主のお言葉は絶対であり、それを覆すことはできない。だからこそ、私はここにいる皆に約束しよう。必ずこの暗黒の海に灯台を作ることを! そしてそれを行う者を紹介しよう。私の最強の剣である、剣帝を!」
カシャ、カシャ、鎧が歩く音が聞こえくる。
ゆっくりと歩く姿は、そのフルアーマーのおかげで貫禄がある。
顔を隠す二本ツノの兜は、それだけで存在をアピールした。
漂う雰囲気は剣帝に相応しく、見た目以上に大きく見える。
背中に差してある大剣は、普通の者では扱うことすら難しい。
そんな剣帝の登場を観客は待っていた。
溢れ出るほどの拍手と応援が飛んできた。
「ん? こんなちっこまいのが剣帝? それにこの背丈……どっかで──」
「ザス黙っとけ」
ウィリアムは己の腹心の言葉を遮る。
ウィリアムは俺に対して、含みのある笑みを浮かべていた。
だが今はそれを気にしている場合ではない。
「今日この場で証明しよう。剣帝の力を! 海賊王ウィリアムを打ち倒す伝説の冒険者の実力を! そしてこの勝利を持って、我々は海賊に正式に申し出よう。一緒に世界を変えることを! 海の魔王レヴィエタンを討伐することを!」
俺の大きすぎる言葉も、剣帝の登場によって真実味が増していく。
本来なら一笑に伏すような話でも剣帝がいることによって、本当にやってくれると思えるものだ。
どんどん観客の声が大きくなり、俺の演説の成功を感じた。
──エステル、頼むぞ。
リングの上で、剣帝──エステル、そしてウィリアムとザスが正面に立つ。
最強と呼ばれる者がここで雌雄を決することに民衆は一気に興奮を増していく。
だがどちらも動かない。
周りからも、どこか様子がおかしいと戸惑いが出てきているが、ウィリアムに対して大きな口を叩ける奴がいないのだ。
「まあ、待てよ。まだもう一人来る予定だからよ」
──もう一人?
だが誰が来ようと関係ない。
ウィリアムより強いやつがいないのなら、これ以上増えたところで意味はない。
「来たようだな」
ウィリアムがそう言うと、一人の男がこちらにやってくる。
白い白髪と神官の服。
そして大槍を持って来る槍兵に俺は一人しか思い当たる人物がいない。
「どうしてお前が、そこに……いる?」
「意外かね。レーシュ・モルドレッド?」
その男がどうして海賊の味方をするのか分からない。
だがその持っている槍は普段レイピアしか持たない彼が持ち出さないものだ。
そう、神国で英雄とまで言われている伝説の槍兵のラウルが敵として立ちはだかるのだ。
「槍兵の勇者……」
奥歯をギリギリッと噛む。
ウィリアムだけなら勝てるだろうと見積もっていた。
だが同じくらい伝説を残す男である、神国で最も恐れられる男が俺の敵に回ったのだ。
「海の魔王を討伐するという夢物語を語る大馬鹿者がいるらしいからね。その甘い幻想を直々に突き破ってやろうと思ってね」
大槍を俺に向け、噂に名高い魔槍に身震いする。
教王から授かったという魔道具──血槍グングニル。
その力は千の魔物を相手取り、一切の刃こぼれを起こさなかったらしく、まるで血を吸ったかのような赤い槍はラウルの代名詞とも言える。
「さて、お貴族様? これでもやるかい?」
ウィリアムが俺に対して提案をする。
それは俺の気持ちを悟ってのことだろう。
このまま戦えばどうなるか分かっているのか?
──あいつならこいつらくらい簡単に倒してくれる。
化け物的強さを持つのはエステルも同じ。
さらにそれを上回るはずだ。
その時、別の通路から檻に入った巨大な大蛇が身を縮めさせて入っている。
檻を開けるとすぐさまその巨体を外へと出して、屋敷を巻き付けられるほどの体躯を見せつける。
そんな化け物を見てしまった観客たちは一斉に逃げようとする。
あの大蛇に睨まれたら、自分が食われてしまう未来が見えてしまうのだ。
「あれは俺が捕まえた大蛇だ。アダマンタイトじゃ簡単に殺される大物だが、俺とこの神官さんは違う。なあ、神官さん。是非ともその槍の威力を見せてくれませんかね?」
ウィリアムはそんな大蛇に対して恐怖することなく、ラウルへ軽くお願いをする。
「ふんっ、少しばかりこの槍では物足りない相手だが、あの男にとって嫌なことならやってあげよう」
ラウルは飛び上がり、槍を振り上げる。
「天の支柱!」
大きく振り上げた血槍を振り落とすと、それは斬撃となった。
大蛇はその攻撃を避けることもできず、一撃で真っ二つになり、地面をその血で汚していく。
たった一発で化け物級の大蛇は倒れ伏したのだ。
「あんなの、騎士団でも大掛かりな準備をするはずだぞ……」
普段はお互いに罵り合うが、あの男が僧兵の勇者として確かな実力を持っているのは認めている。
勝てるだろうと甘く見積もっていたため、一瞬で希望を打ち砕かれた気分だ。
今日のエステルは特に慣れない重装備、さらに身の丈に合っていない大剣と全てがマイナスになっている。
「おいおい、いいのかい? 大事な大事な、剣帝様があの大蛇みたいになるぞ? あんたの大事な人なんだろ?」
こいつはエステルと分かって、俺からこの場を引かせるようにするため、特に何も言わなかったのだ。
エステルは一歩も動かず、立ち尽くしている。
ここで無理する場面じゃない。
エステルが無事ならまた別の戦略を立てられる。
ここで彼女を失うことこそ、もう起死回生のチャンスがなくなるのだ。
多くの言い訳が頭に出てきて、俺は戦いを放棄することで頭が一杯になった。
「この勝負は──」
棄権する、と言おうとした時に、エステルは大剣クレイモアを引き抜いた。
何をするつもりなのかと思っていると、大剣がウィリアムの方へ飛んでいった。
「なっ!?」
あまりに早い速度に、大剣の重量が軽くなったのかと錯覚するほどに。
それはウィリアムの頬を掠めて、血を流させた。
俺だけは感じ取った。
エステルから俺へのメッセージを。
こちらを見ずにまっすぐと敵を見据えているのはそういうことだ。
自分の武器が無くとも勝てると、あいつは俺に無言の思いを送っているに違いない。
それなら──。
「勘違いするな海賊王。同じオリハルコンでもランクが違う。本物のオリハルコンはこの剣帝のみだ。偽物がいくら集まろうと、その一太刀の前には贋作がすぐにバレるぞ」
剣聖の加護は彼女だけに与えられた天からの贈り物だ。
そして俺にとっても彼女こそが神からの頂いた天命なのだ。
俺の迷いは消え去り、いつものように自信を込めて言おう。
「さあ、是非とも楽しませてくれ。そして観客の皆様、是非とも剣帝の一騎当千をお楽しみくださいませ」
ウィリアムとラウルの顔が剣帝──エステルへ油断なく見据えられる。
そして敵二人が真っ先に動き出すのだった。