側仕えは本物の貴族を知る
ネフライトと離れて、私はドレスから着替えてレーシュの部屋へと戻る。
廊下を進むとレーシュの部屋の方から多くの貴族が行き交っていた。
新しき城の主人として、他の文官たちに仕事を振っているのだろう。
「なんで俺たちがあいつの──」
「っし! 隣見ろ、聞こえたらどうする!」
私に気付いて、通り過ぎる者たちは無言になっていく。
不満気な顔をする文官たちは嫌々やっているようだが仕事のためと一応は割り切ってくれているようだ。
部屋の入り口で、仕事の邪魔にならないように戻ったことだけ伝えよう。
「レーシュ様、ただいま戻りました」
挨拶だけのつもりだったが、レーシュは一度文官との話を止めた。
「戻ったか。少し待ってくれ。では後は任せる。私が慣れるまではしばらく今まで通りやってほしい」
文官に指示を出し終え、隣の個室へ移動することになった。
どうやら私の話がよっぽど大事らしい。
イザベルがお茶を出してくれたので、私は一息ついた。
「それでどうだった? 弟のことは何か聞けたか?」
「はい。ただやはりあまり馴染みがないようでして、平民しか罹らない病気なのでしょうか?」
「いいや、そんなことはない。貴族でも何人かそれで命を落としている。ただ単に奇病を研究するほどの重要性がないだけだろう」
どうしてほぼ全員が死んでしまう病気なのに誰も研究をしないのだろう。
もし自分たちの子供が罹っても気にならないということだろうか。
「勘違いするなよ。たとえばネフライト様がその病気になれば、その病気はもうすでに解明されていた」
「誰が罹ったかで研究するかどうかが決まるのですか?」
「そういうことだ。もちろん、国力を下げるほどの感染病ならすぐに対処はされる。だが跡取りでもない貴族、さらに下級貴族ならそんなお金も出せない。今のところは調べるほどでもないというところだ」
全ての基準は貴族であるという当たり前の事実は医療にまで適用されるらしい。
「確率的には、大貴族が罹る確率なんて低いから一生調べられない可能性もある。だからこそネフライト様が探すと言ったのは大きいことだ」
「それだけで本当に研究が進むのですか?」
「当たり前だ。もし見つければ大金だけではなく、大役を任せられる可能性もあるからな。ネフライト様以外にも令嬢たちが居ただろ?」
「ええ。どの方達もお綺麗な人たちでしたよ」
貴方の好きそうな女の子と暗に言ったが、どうやら伝わったらしく苦い顔をされた。
「勘違いするな。あんな金の掛かる女たちなんて興味がない」
「それはお金があれば興味があったということですか?」
あの花街での出来事を思い出せば、似たような人は居た。
もしあのお茶会に参加すればみっともない姿が見れたであろう。
さらに頭の片隅に浮かぶのは領主の姿だった。
──どうして私はこんなことを言うのだろう。
「いい加減にしろ! 俺はお──」
突然立ち上がってから何かをぶつけようとした。
しかしイザベルの目を見てから思いとどまったようで、不機嫌な顔で椅子にソファーに座り直した。
「とにかく、あの令嬢がいれば勝手に噂が広まる。他のお茶会で各自のコミュニティに共有されるからな」
「なるほど、そういうことなのですね。前のことがあったので邪推しました」
潔く謝ると彼は少し曇った顔をする。
少しおちょくりすぎたかと、ヒヤヒヤした気持ちになり、どんな言葉で取り繕うか考える。
適当に思い付いた話題で話を逸らす。
「そういえばお茶会で出たお菓子はすごく美味しくて──」
あの時の味を思い出しながら感想を伝える。
ずっと私が話すだけだったが、レーシュは黙って聞いてくれた。
「そんなに気に入ったのか。マレインたちがいなくなってから、食べる人がいなかったからな。俺はどちらかといえば腹にたまるかどうかで決める」
レーシュに持っていく軽食は、野菜などを挟んだパンや体の温まるスープくらいだ。
サリチルも特にお菓子などを注文しないので、それが当たり前だと思っていた。
「もし少しお金出せば私でも買えたりすのですか?」
「おそらく平民だと誰かの招待で一緒に入店するしか方法がないだろう」
やっぱり普通の平民では厳しいのね。
弟に買ってあげたかったため残念な気持ちになる。
マレインたちにお願いして一緒に行くことも考えたが、そこまでの馬車代を出しては出費も多くなってしまう。
やはり人生そこまで甘くないとため息が溢れた。
「気に入ったのなら今度連れて行ってやる。お前のことだから、あの弟を連れて行きたいとかだろ」
簡単に思惑がバレてしまった。
しかしそんな個人的なことにレーシュを利用していいのだろうか。
「あの、そんなに気を遣わなくてもよろしいですよ? 流石に私のわがままでレーシュ様の時間を使うわけにはいかないですし」
いくら常識のない私でも、私用のために主人を使うのは立場が逆になってしまう。
マレインたち他の側仕えに対しても申し訳なくなる。
だがレーシュは表情を緩めていた。
「俺も菓子が好きなんだ。お前が言うからたまに食べたくなっただけだ」
「でしたらお言葉に甘えさせていただきます」
これは一番の収穫はこの約束かもしれない。
もう少し落ち着いてから弟を呼べるようになった後の楽しみが増える。
「坊っちゃま」
先ほどまで静かにしていたイザベルが突然発言したことでお互いにビクッとなった。
やはり主人を利用してはいけなかったと、彼女の無表情が恐ろしく思えた。
「わたくしはりんごが入ったケーキをお土産でお願いいたします」
「「えっ?」」
イザベルがまさか甘い物を好きとは知らず、厳格な彼女の意外な一面を知れた気がした。
その時、外からドタドタと音が聞こえてくる。
誰かが慌てながらやってきているようだ。
許可を取らずに部屋が勝手に開けられると、そこには汗をダラダラ流したナビ・アトランティカが真っ青な顔をしていた。
「ナビ、ノックもなしに入るのはいささか無礼ではないか?
「そんなことはいい! 君は一体何をやらかしたんだ!」
一体何を慌てているのだろうか。
私は立ち上がって、代わりにナビをソファーに座ってもらうように伝えたが、それどころではないとそのまま話し出す。
「海賊たちが怒り狂ってどんどんこちらへ迫ってきているではないか! 一体何をしたんだ!」
今にも倒れてしまいそうなほどの慌てぶりに、思わず笑ってしまいそうになった。
全てレーシュが言った通りになり、もしかすると彼は未来が見えているのか。
「そうでしたか。ただ単純に謝罪をしただけなのですがね」
「謝罪だと? 今朝から来ている其方らがいつそのようなことしたのだ!」
確かにレーシュはどこも寄り道をせずにこの城に来た。
だが彼が行かずとも事は済む。
何故なら──。
「立て札を入れ替えたときに、一言入れただけですよ。見てくれないか心配になりましたがね」
「立て札だと? おい、一体何を入れたんだ!」
どんどん荒々しくなる態度にもレーシュの姿勢は変わらない。
どこか楽しげな彼の表情に、神経を逆撫でされているようだ。
「女性の側仕えが貴方様方を追い払ってしまい申し訳ございません。謝罪へ足を運ぶ際には手加減するように指導致します、とね」
「ふざけるな! お前らが来たせいでこの町がおかしくなっていく!」
わなわなと震えながらレーシュへ怒りの声をあげる。
海賊にここまでいいようにされているのに、少しくらい何かしたところで同じではないか。
レーシュも同じ考えのようで、冷たい言葉を投げる。
「貴族が貴族の振る舞いをできていないこの町に何を期待されている。私たち貴族がどのような振る舞いをするべきか、元中級貴族の私が教えてあげましょう」
上からものを言うレーシュにどんどんナビの怒りは上がっていく。
そのとき別の人物もまたやってきた。
「あらモルドレッド。何だか騒がしくなっているみたいね」
ネフライトがお供を連れて部屋にやってきた。
流石に大貴族の令嬢がくれば、ナビも怒りを止めるしかなくその場に膝をつく。
レーシュもまた膝をつくので私とイザベルも倣う。
ナビがすぐさま取り繕うように、この場を収めようとする。
「これはネフライト様、大変お見苦しいところをお見せしました。貴方様がいらっしゃるのにこのようなことに。命に代えてもお守り致しますのでどうかご安心を」
「いいのよ。それよりモルドレッド──」
ネフライトの目がまたレーシュへと向いた。
このような非常事態でも変わらない落ち着きようは彼女の器なのかもしれない。
「是非とも貴族が取るべき振る舞いを教えていただけますか?」
これは下手なことは言えなくなったはず。
許可をもらい、レーシュのみは立ち上がった。
彼女を満足させる言葉を果たして言えるのだろうか。
それを信じるのが私の役目──。
「簡単ですよ、身分の高い者はそれに応じた責任と義務を果たさなければならない、これこそが貴族の本来の振る舞いです」
胸の中にその言葉が染み込んでくる。
彼はいつだってその言葉通りにやってきた。
たまにハメを外すことはあっても、悪いものには蓋をせず、自分が不利になろうとも立ち向かっていった。
「私たちが責任を持って統治するからこそ、平民は安心して生活ができ、さらに未来がより良くなると思える。だがここにいる貴族は自分の保身ばかりで過去にしか目が向いていない」
未だ膝をついてるナビに軽蔑の視線を向ける。
本人も自覚があるのか、さらに顔色を悪くしていく。
ネフライトもまた、その言葉を自分の中に落とし込んでいるが、さりとてまだ納得していないようだ。
「では海賊を追い払うことでそれが達成されるのか?」
今まで誰もこの地で達成できなかった。
貴族が敗北してから、この町は完全に海賊に支配されている。
もしかするとそれは上手く回っているのかもしれない。
私たちが何かすることで、この町にもっと悲惨な未来が来るかもしれない。
だがレーシュの目にそんな迷いはない。
「戦いを交えるに当たって、我々の目的が平和にあることを忘れてはいけません。彼らにも未来を見せるからこそ、私は本物の統治者なのですよ」
その言葉はおそらく全員の心に響いただろう。
一体これからどのようになっていくのか、全員の不安を全て受け止めようとする彼のためにできることは、私が剣となり障害を取り除くだけだ。