側仕えと進展
廊下を進んでいく中で誰とも出会わなかった。
今は客人を迎えるために全員で準備しているのだ。
私が失敗してはいけないと分かりつつも、不慣れな駆け引きをするかもしれないと思うと緊張で手が冷たくなっていく。
震える度にレーシュが強く握って存在を教えてくれる。
「お前でも緊張するんだな」
「当たり前です。まだ剣を持った方が落ち着けますよ」
「それはもう少し後だ。これが終わったら少し休暇もやるから、もう少しだけ頑張れ」
──休暇かぁ、何しよう。
ずっと忙しくて休暇なんて考えてもいなかったが、せっかくなので魚料理にも挑戦してみたい。
そしたら弟が来た時にも食べさせられる。
でも海賊は売ってくれるのかが心配だ。
急に休日について考えるようになると、どんどん妄想が膨らんでいく。
「良くもまあ、綺麗になっても庶民的な考えが出てくるな」
「うっ……」
どうやら思わず考えていたことが漏れていたようだ。
だが一つだけ耳に残った言葉があり、少しからかいたくなった。
「今、綺麗って言いましたか? 最初の頃は、水溜まりで見ろ、とか言ってい、た……のに?」
私もやれば可愛いでしょう、と冗談交じりに言うつもりだけだったのに、レーシュの顔が赤くなっていた。
「うるさい! もうすぐ着くぞ」
「あっ、は……い」
何だか変に私も意識をしてしまった。
手もいつの間にか温かくなっており、この繋いだ手がおかしな距離感を生む。
もうすぐ玄関に着くところまで行くと見覚えのある人物と目が合った。
ジギタリス夫婦も迎え入れのため待っているようで、私たちに憤りの目を向ける。
ナビ・アトランティカに文句を言っているようだが、おそらく私たちのことだろう。
あの男たちのおかげで若干だが冷静になれたので、たまには役に立つ。
汗だくになりながら、ナビはこちらへ走ってきた。
「どうしてお前が来る! もうすぐお出迎えの時間だと言うのに! お前たち!」
騎士の何人かがやってきて、私たちを取り押さえようとしてきた。
だが玄関の扉が開かれ、客人の到着の知らせが大きく響き渡る。
「あのお方の前で要らぬ騒ぎを起こすつもりですかな?」
「ぐぬぬ! 頼むから下手なことはしないでくれよ!」
ナビはもう私たちに構っていられないと元の場所へ戻っていく。
だが私たちがそれで退くことはない。
今日の客人の名前が大きく響き渡る。
「ネフライト・スマラカタ様、ご入場!」
一斉に今日の来訪を喜ぶ声が上がっていく。
この領土で領主の次に権力を持つ二大公爵家の訪問に、全員の意識がそちらへ向けられた。
「歓迎ありがとう存じます、ナビ・アトランティカ」
「もったいなきお言葉です。狭い居城ですがごゆっくりくださいませ」
ネフライトは私が偶然助けたお貴族様で、その時はそれが大貴族なんて予想していなかった。
本来ならほとんどの貴族が接点すら持てないのに、彼女は私を友人と言ってくれた。
それを利用するのは心を痛めるが、彼女無くして私たちは貴族社会では生き残れない。
「ジギタリス様ご夫婦もお出迎えいただけるとは知りませんでしたわ」
「私たちは偶然にも仕事がございましたので、ネフライト様とこちらでもお会いできたことを最高神へ感謝いたします。」
ジギタリスもいつもの小馬鹿にする態度が薄れ、ネフライトに対して真摯に対応する。
ネフライトの声が疑問を持って発せられた。
「もう一人足りないわね? 確かアビからここの代行を任せられたモルドレッドはいませんの?」
「そ、それは……」
ジギタリスが慌ててふためている。
私とネフライトの関係を知っているからこそ、ここで来て欲しくなかったのだ。
レーシュは私を連れて前まで向かい、ネフライトの顔が見える場所まで向かう。
「大変お待たせいたしました、ネフライト様。少々驚かせようと思い、最後の挨拶になるのをお許しくださいませ。ご友人のエステル、君も挨拶をしなさい」
レーシュからゆっくりと手を引かれて、私の姿が完全にネフライトの目に入る。
イザベルから教わった令嬢の足運びでゆっくりと進み、ドレスの裾をあげて挨拶をする。
「お久しぶりでございます。ネフライト様のご来訪を心よりお待ちしておりました」
「まぁ……!」
ネフライトも一度ドレスの裾を引っ張ってお辞儀をすると、すぐさまこちらへ駆け寄ってきた。
まるで子供のようにはしゃぐ彼女なのに、それすら優雅に見えるのは育ちの差だろうか。
私の手を掴んで目を輝かせていた。
「素敵ね、エステル! そのドレスも本当に似合っているわ!」
「恐れ入ります。ネフライト様もあれからお変わりないようで安心しました」
「冬はどこにもいけませんでしたもの。エステルは特に変わりはなかったかしら? 少し痩せた?」
そこでレーシュが口を挟む。
「大変申し訳ございません。数日ほど我々には食事がまともに摂れない時期がありましたゆえ、私の責任でございます。まさか我々には物を売ってはいけないという法があるとは知らず準備が足りていませんでした」
わざわざ大きな声で言うことで周りの貴族たちにもアピールする。
それに関与したであろう者たちはみんなが顔を青くする。
ネフライトの表情が笑顔から怒りのこもった顔に変化すれば、誰だって身を震わせる。
鋭い視線がナビへ向けられた。
「そんな法を誰が決めたのですか、ナビ・アトランティカ?」
流石は大貴族というべきか、彼女もまた上に立つ風格がある。
そんな彼女の底冷えする声にナビも例外なく圧倒されている。
「いいえ、私はそんなもの──!」
「ご安心くださいませ。本日全ての立て札を変えましたので、今日からはしっかり食事が取れます」
慌てるナビが言い訳をする前にレーシュが助け舟を出す。
ホッとしているようだがこれはまだ序の口だ。
私は少し頭が痛いふりをして、頭を押さえるとネフライトから心配の声が上がり、またもやレーシュが声を上げた。
「申し訳ございません。昨日夜会でひどい仕打ちを受けましたので、まだその傷が痛むようです。なにぶん彼女は平民、招待されてしまったら彼女も断れず、まさかあのようなことが起きるとは。私が到着するのが遅ければどうなっていたか考えたくもありません。今日のネフライト様とのお茶会だけを楽しみにしていたので、どうか彼女にもひと時の安らぐ時間をお与えくださいませ」
よくもそこまで口が回ると感心する。
誇張気味に言っているところもあったが、ネフライトの怒りに火をつけるには十分すぎるほどだった。
「ナビ、後でお話があります。是非ともその時のお話をお聞かせください。もしかして、アビ・ローゼンブルクの命令を忘れて、ナビ代行となったモルドレッドの邪魔をしていませんわよね?」
「もちろんでございます! 我々はアビから授かりし、この地を栄えさせるためにいるのですから!」
年寄りのナビもこんな歳下の女の子に怯えながら答えるので、地位の高さは強力な武器になると知る。
我ながら私が彼女と出会った奇跡に感謝する。
ネフライトと共に中庭へと移動して、日差しを遮る東家で今日のお茶会をすることになる。
準備も終えているようで、お菓子と紅茶の匂いが漂ってくる。
他にも呼ばれたであろう令嬢が三人ほど参加した。
若い令嬢であるので、おそらくはネフライトと個人的に仲の良い関係のようだ。
見た限りで夜会にはいなかったと思う。
全員で席に座り、どの方達も綺麗で少し肩身が狭かった。
だが一番の心配は──。
──すごく美味しそう……。
目の前のお菓子は見たことのないものばかりだ。
どんな味がするのか気になり、チラチラとそちらばかり目がいく。
柔らかそうな生地は一体どんな材料を使っており、いちごが乗っているのは一緒に食べろということだろうか。
見た目も美しいお菓子に目が奪われる。
「ふふ、エステルって本当に正直ね」
ハッとなったころにはネフライトは笑っており、他の令嬢も同じく笑っていた。
恥ずかしくなってきたので、私は話をする。
「ネフライト様が今日来てくださったのは本当に助かりました。主人に代わってお礼をさせていただきます」
「本当よ。理由を見つけるのに苦労しました。モルドレッドに伝えてくださいませ。下手な芝居をもう一度させたら、あなたにも肝を冷やしてもらいますと」
恐ろしいことこの上ない。
しっかり伝えないとレーシュの今後が危なさそうだ。
それからこれまでの経緯を聞かれたので、私は起きたことを一部始終伝えた。
「そんなことになってましたのね。ごめんなさい。ここの海賊のことはどうにかしたかったのだけど、どうしても力が及ばなくて……」
ネフライトの顔が沈み、本当に海賊については貴族は手を焼いているようだ。
だからこそ誰もこの町の責任者に成ろうとする者がいないのか。
「エステル、そんな話はいいから一度そのお菓子を食べてみて」
嬉しい提案に難しい話のことは頭の片隅に追いやって、目の前のお菓子を食べてみる。
フォークで細い方から食べてみると、甘い味に何だか幸せな気分になった。
──お貴族様っていつもこんなの食べられるんだ……。
お腹はあまり膨れないが、いくら食べても飽きない。
他にも乾パンだと思っていた、ビスケットもサクサクで美味しい。
──フェーに持って帰れないかな?
こんな美味しいものを私だけ独占するのは何だか良くない気がする。
ただここで袋詰めして持って帰るなんてことを許されるのだろうか。
ムムムッ、とお菓子を見つめているとネフライトから不思議そうに尋ねられた。
「どうしたの、エステル? 美味しくありませんでしたか?」
「い、いいえ! ただ初めて食べる味ばかりでしたらので、思わず興奮しただけです」
私は心配しないでくださいと暗に伝えた。
だがネフライトは興味津々に私へと尋ねてくる。
「ねえ、エステル! 下町ではどんなおやつを食べますの?」
「もっと味気のないものですよ。干物や硬いパンしか平民は食べられません」
お貴族様と比べたらかなり地味ということを伝えたつもりが、逆に令嬢たちの間では新鮮であるようだ。
「干物って何かしら?」
「海産物を干した物と講義で習った気がしますわ。長期間保存できるとか」
「でも新鮮の方が美味しいと聞きますのに、どうしてわざわざ後で食べるのでしょう?」
流石はお嬢様方だ。
冬に食料が取りづらくなるなんて考えたことすらないようで、私とは別世界に住んでいると実感させられる。
私は静かに食べながら、貴族がどんな話をするのか黙って聞いてみる。
「ネフライト様、今年の染色はもうご覧になりましたか?」
「もうすぐですよ。ぜひ皆様もご参加くださいね」
染色ということは何かドレスを仕立てるのだろうか。
私が今着ているドレスもかなりお金を掛けたらしく、大貴族のネフライトとなると年に何回も新調しているのかも。
それからはドレスの話で持ちきりだった。
全く話についていけなかったが、私も話に交ぜてもらい分からないことはネフライトから少しずつ教えてもらう。
逆に私からも下町の常識を伝えると、目から鱗だったと新たなアイディアが生まれたらしい。
ある程度ドレスの話も落ち着き、次は情報交換に移っていく。
「それにしても最近は王都も大丈夫でしょうか?」
「そうね……正直あまり優秀な方がおられないようで、少しずつだけど不満の声が多くなっているそうよ」
「やはりあの時の政変が──失礼いたしました」
ネフライトの目が少し怒りの色が出たことで、慌てて令嬢が話題を止めた。
私をチラチラ見ているところを見ると、おそらくはレーシュ自身に関わることのようだ。
今はレーシュもいないため、第三者から教えてもらえる最大のチャンスだ。
「ネフライト様、差し支えなければ、レーシュ様はどうしてあれほどまで、他のお貴族様から目の敵にされていらっしゃるのですか?」
他の令嬢たちの目が泳ぎ、誰もがこの話題を望んでいないようだった。
彼の汚名が少しの功績で洗い流せるほど簡単ではないことがわかる。
ネフライトだけは落ち着いて答えてくれる。
「先代モルドレッドは王位継承権二位の王子を擁立しようとしたの。それ自体は普通のことだけどやり方が過激すぎました。多くの者たちを上手く操り内乱が起こして、さらには先代アビ・ローゼンブルクもその最中にお亡くなりになられたのよ。そしてモルドレッドが国王と王太子の首を落として内乱が終わったわ」
それはあまりにも規模の大きな話に現実の世界ではないように思えた。
私たちは貴族の生活は知らず、外の世界でそのようなことが起きていたとは。
だがこれまでの敵意に納得がいった。
レーシュは親の業を背負って、一人で立ち向かっていき、どんな目に晒されても卑屈にならず進んでいく彼の気高さを感じた。
「そうすると今はその第二王子が国王様なのですか?」
ネフライトは首を横に振って否定した。
「もう少しで第二王子が王位に就けるところだったけど、国王を殺害した罪で第二王子もモルドレッドと共に公開処刑されたわ」
誰も報われていない最後に、レーシュはただ支払ってもいないツケを払わされているのだ。
そんなひどい世界があるのかと悲しい気分になっていく。
「もしレーシュ・モルドレッドが父親がやろうとしていることを報告しなければ、もっと被害は大きくなっていましたでしょうね」
──レーシュ様が父親を止めようとしたってこと?
そこでやっと、彼が今でも死なずにいる理由がわかった。
しかしそれでも父親の罪は彼を縛り付けている。
おそらく一生その罪を背負わなくてはいけないはずだ。
「領主様は、その……自分の親が殺されたことでレーシュ様をなぜ殺さなかったのですか?」
今の領主様からすればレーシュの家族によって父親を亡くしたのだから、その恨みから一族全てを殺そうとしてもおかしくない。
それほどまでに彼女は慈悲を与えない残酷さを感じる。
しかしネフライトは手を振って否定した。
「それはありませんわよ。だってレイラのお気に入りですもの」
「えっ……?」
他の令嬢も頷いているところを見るとどうやら同じ認識を共有しているようだ。
レーシュと領主を傍目から見る限りでは全くそのような関係に見えない。
むしろレーシュは怯えているように感じた。
しかし隣の令嬢が私に教えてくれた。
「ネフライト様から言われるまでは私たちも半信半疑だったのですが、アビは優秀な人間は殊の外大事にされますの。問題が多いモルドレッドですが、あの方の頑張りがあって、貴族院ではレイラ・ローゼンブルク様の次の領主への期待が高まりましたから、当然だと思います」
過去に何かしらの出来事があったようだ。
何だか私の知らない二人の関係にモヤモヤが残る。
ネフライトの側仕えがやってきて、お茶会終了の時間を知らせる。
だが私は最後の目的をまだ達成していない。
「ネフライト様、最後に一つだけお伺いしてもよろしいでしょうか」
「ええ、構いませんわよ」
「十歳病というのはご存知でしょうか?」
ネフライトは馴染みがない言葉らしく、他の令嬢に聞いても誰も知らなかった。
ただ一人、側仕えだけがそれに心当たりがあり、みんなに伝えてくれた。
そして私も何故それを聞いたかも説明する。
「まあ、そのような不治の病に侵されていましたのね」
「はい、それでその治療法を知ることができればと想ったのですが……」
期待していたがあまり貴族では話題にならない病気のようだ。
そうすると平民しか罹らない病気なのだろうか。
「エステルが困っているのなら協力するわ。私も色々な方に聞いてみますので、お返事をお待ちください」
「ありがとうございます! どうかお願いいたします」
ネフライトの協力を得られるのならかなり前進したと言える。
私一人では無理でも、彼女なら何か分かるかもしれない。
一筋の希望を胸に抱いて、今日は良き日となった。