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側仕えへの侮辱

 朝にはやっとレーシュの体調も復活しており、元気な姿で食事を摂っていた。

 普通通り仕事をすれば──。


「何かあったか?」


 心臓が跳ねた気がした。


「いいえ、ただ慣れない土地で少し疲れただけです」

「……そうか」


 レーシュは特に深く追及してこないのは助かった。

 いつも全てレーシュに頼っていたこともあり、彼がいないことで貴族社会の大変さを垣間見た気がする。

 だがまだ解決していると言い難く、今日はまた領主の側近であるジギタリスから招待を受け、マレインと二人で行くことになっている。

 それはレーシュには話しておらず、マレインからも口止めをされている。

 マレインにレーシュに変化がないかを確認する。


「レーシュ様にはバレなかったかな?」

「フマルにも上手く誤魔化すように言ったから大丈夫なはずよ。イザベルさんにも黙っていたのは少し恐いけどね」



 どうやらイザベルが恐いと思っているのは私だけでないようで安心した。

 もちろん嫌いではないが、怒るとものすごく恐いので叱られたくない。



「でも昨日の怪我は大丈夫?」

「大丈夫よ。これくらいは隠せなくてはいけませんから」


 簡単に痛み止めをしたが、足を動かす時にやせ我慢をしていた。

 しかしそれを顔に出さず平然としているのは側仕えとしての意地であろう。

 だが彼女の肩が若干だが震えているので、私は背中を支えてあげた。



「エステル……」

「エスコートしますよ」

「それは殿方が言うセリフよ。でも……今日ばかりはお願いするね」



 大人びた彼女も私と歳は変わらない。

 少しでも危なくなれば、私が盾になって守ってみせる。


「今日のマレインって素敵ね。特に綺麗な純白なドレスが本当に似合う」

「ありがとう。側仕えになる時にお母様が持たせてくださったの。下級貴族には少し高いけど、私のためにね」


 昔を思い出し、悲しみの色もある彼女の目を見る限り、おそらくもう生きてはいないのだろう。

 そういえば私が借りているドレスは、もしかするとレーシュのお母様の物だろうか。


 屋敷にたどり着くと今日は最初からジギタリスが来ているようだ。


「感心だね。しっかり来たようだ」

「もちろんでございます。本日もお招き頂けたことを感謝させていただきます」


 マレインの挨拶を無視して、ニタリと笑う顔にどこか不穏な影を感じた。

 昨日と同じように多くの貴族が集まっているが、やはり腫れ物に扱うように私たちと話をしようとする貴族はいなかった。

 どうしてわざわざ私たちを呼んだのだろう?


 もうじき夜会の時間も終わる頃になって、複数の取り巻きを引き連れた美魔女と呼ぶべき令嬢がやってきた。

 紫のドレスを身に纏い、若くはないのに多くの男性の目を惹きつけていた。

 おそらくこの人がジギタリスの奥さんなのだろう。

 多くの装飾品が彼女の富を象徴する。



「貴女達がモルドレッドの側仕えね」

「はい。マレインと申します」

「うちの主人がごめんなさいね」



 突然謝ってきたことに周りが騒然とした。

 マレインも予想だにしていないことに目を瞬いてる。

 すぐさまマレインは頭を下げるジギタリス夫人へ頭を上げるようにお願いした。

 それでやっと顔を上げてくれた。



「こんな場所に呼んだのにお相手できなくてごめんなさいね」

「いいえ、こちらに参加させていただいたことだけでもありがたいです」

「そう? もっとこっちへいらっしゃい。あちらで皆さんを交えてお話をしましょう」



 ジギタリス夫人のにこやかな笑顔につられて、私たちも安心してついていく。

 旦那は最低な輩だったが、奥さんまではそうでもないのかもしれない。

 ジギタリス夫人はワインのグラスを一つ取った。


「あら、貴女のドレス綺麗ね。白のドレスにいい刺繍がされているわ」

「ありがとう存じます。これは母から頂いた──」


 マレインが褒められたことを喜んでいる時に、頭からワインをかけられた。

 赤い水をどんどんドレスを変色させていく。

 せっかくの綺麗なドレスが無残な色に変えられていく。


「あらごめんなさい。そんな綺麗だとわたくしが映えないじゃない」


 見下した目でマレインを見るのに耐えきれず私は前に出ようとした。


「エステル、何もしないで」


 大事なドレスを汚されたのに彼女は怒る顔を見せずに、笑ってそれを受け入れていた。

 後ろの取り巻きはせせら笑い、この場に来ている男性の貴族からも品のない笑いが聞こえてきた。

 女の子が恥ずかしめを受けているのに、どうしてそこで笑えるのだ。



「おい、平民の娘よ」



 ジギタリスもワインを飲みながら近づいてくる。

 元々こいつが誘ったのは、見せ物にするためだったのだろう。



「どうしてこの娘が無抵抗でいるか知っているか? もし少しでもこの場にいる貴族全員を敵に回せば、お前たちはこの町では生きていくこともできないからだ。今は食料が買えないくらいで済んでいるが、やろうと思えば毎日のように襲撃だってできる。そしてどんどん孤立していくお前たちは、いつかは貧困街でネズミでも食べる生活になるだろうよ」



 最低な脅し方に吐き気を催す。

 前のことを根に持っているからと、権力で潰そうとしているのだ。

 だがこいつの言う通り、今では食事を買うのすらできていない。

 ジギタリスは私の元まで近づいて、汚い手で私の顔を持った。


「まあ、悪くはないな」



 下卑た目が私に何を求めようとしているかを如実に表す。


「ジギタリス様、どうかその娘には──ッ!?」



 マレインが私を助けようと駆け寄ろうとした瞬間、ジギタリスは顔を叩いて吹き飛ばした。

 倒れた拍子に足を打ったみたいで、前に挫いた足を押さえて痛みを我慢していた。



「マレインッ──!? くッ……!?」



 駆け寄ろうとした私の髪を引っ張り無理矢理に顔を近づける。



「おいおい、私は寛大だ。本来ならあの下級貴族の娘にお願いするところをお前で勘弁してやる。その服を脱いで裸で踊って見せろ。お前がやらないのならあの娘にさせるがな」



 卑怯な人質に怒りが込み上げてくる。

 最初からこいつの狙いはレーシュの使用人である私たちを辱めることだったのだ。

 さらにレーシュを利用しようとした作戦を潰した私に恥をかかせようというのだ。



「そんな顔もこのドレスを下ろしたらどんな顔をするかな」



 もう我慢できない、だがそこでレーシュの顔が頭をよぎった。

 私が問題を起こすと彼に大きな負担を掛けてしまう。

 ジギタリスの手が私の肩に手を掛け服を脱がそうとするのを無抵抗で受け入れる。

 すると突然ドアが大きな音を立てて、誰かが入ってきた。


「夜分遅くに失礼します!」



 その声はどこかふてぶてしく、だが味方でいるとこれほど安心するものはない。

 黒い髪が彼の自信をより強調し、そしてどんな相手でも戦略で圧倒する、私たちの主人がやってきたのだ。




「ここに私の大事な側仕えが代理で参加しているようですが、体調の戻った私が参加させて頂きます」




 レーシュの登場はここにいる貴族たち全員が驚いている。

 元々の招待客でもない彼が来たことが不思議な様子だ。

 レーシュは辺りを見渡して私と目が合った。



「やっぱりここに──」


 レーシュの目が鋭くなり、私へ向けていた目がジギタリスへと向かう。



「その汚い手でいつまで俺の側仕えに触れている」


 あまりも不遜な言葉にジギタリスの顔が真っ赤になっていき、他の貴族たちも小さな悲鳴を上げた。

 無言の睨み合いが続き、やっとジギタリスの手が離れた。



「君は招待していないはずだが、いきなりやってきて無礼ではないか!」



 ジギタリスは手で合図を送ると、騎士たちが取り囲む。

 殺伐とした雰囲気に招待客たちは悲鳴をあげ始めた。


「そちらこそ、人の側仕えに何をしようとしていましたか? この町では現在私が最高責任者です。部外者は早く帰って頂きましょう」

「生意気ですわよ!」



 強気なレーシュに対して、反抗的な態度を取るのはジギタリス夫人だった。

 他の令嬢たちも追従して矢継ぎ早にレーシュへ文句を言っていく。

 騎士たちが取り囲んでいるため私が守りに行こうとした時に、レーシュの隣に立つ神官ラウルの姿があった。



「モルドレッド殿のお嫌われようは流石ですね」


 ヤジがピタリと止まった。

 どうして彼がいるのか分からないが、周りの貴族たちの反応が劇的に変わっていくので、ラウルの存在はこの場でも大きな武器になるのだ。



「大きなお世話です」

「おや、ここのことを教えてあげた私に先ほど殊勝なほど頭を下げた姿から──」


 私がいなくても彼がいればレーシュの身も安全だろう。

 お互いに罵る時間が長くなりそうだったので、倒れているマレインの体を支えて起こす。

 痛みは一時的に去っているようだが、また動くと痛むだろう。



「エステル。ごめん、なさい……」

「気にしなくていいの」



 責任を感じて涙を堪えており、どうにか意地で耐えている状態だ。

 ここまで頑張って少し気が抜けたが、まだ切り抜けてはいないためレーシュたちに任せるしかない。

 お互いに罵り合っていたレーシュはやっとマレインにも気が付いた。


「エステル、マレインはどうして濡れている?」


 現状の全てを見ていたわけではないため、私は一部始終を話した。

 しかしジギタリス夫人は謝罪どころか笑うだけだ。



「そんな小娘の服装が夜会に合っていなかったから教えてあげただけよ。感謝して欲しいくらいよ」



 あっちが一番の服装で参加するように指示を出したくせにどの口が言っているのだ。

 だが私が何を言おうと煙に巻かれるだけだ。



「そうでしたか。失敬、私はまだワインをもらっていませんでしたな」


 こんな状況で呑気なことを言っていると思いきや、誰かの飲みかけのグラスをとる。

 その行動の先は予想できる、が本当にやるつもりなのか?

 騎士たちもまさかと思ってその行動を止めることはしない。

 レーシュはジギタリス夫人の前まで向かい、グラスに入ったワインを思いっきりジギタリス夫人にぶっかけた。

 ビシャビシャと水が滴り落ちて、化粧が歪んでおり周りの取り巻きはわなわなと慌てる。



「これがどういう意味かわかっているのかしら?」



 マレインへされたことを仕返しをした。

 それに対してジギタリス夫人は静かに怒りを露わにしている。

 だがその態度にもレーシュの不遜な態度は変わらない。



「おや、これは失礼しました。夜会の格好に相応しくなかったので教えて差し上げようかと思いまして」



 にこやかな態度のレーシュにとうとうジギタリス夫人の平手が出た。

 私が防ごうと前に出ようとしたが、横目で来るな、と無言の圧力を掛けられた。

 心地の良いほどの音を立てて、レーシュの顔に平手が炸裂した。

 興奮して真っ赤な顔をしたジギタリス夫人はそれでも我慢ならないようで、歯を食いしばりながら恐ろしい形相をしている。

 どうして甘んじて受けたのだ?



「お、おッ、お前は! 私の妻に、何を、何ヲッ!」


 ジギタリスもやっと我に返ったようにレーシュへ詰め寄ってくる。

 まさか自分たちがそのようなことをされるなんて微塵も思ってなかったのだろう。



「ほう、女性に恥をかかせた罰は受けるのか。行為は最低だったが、姿勢は評価しよう」



 ラウルは誉めているのか分かりづらい言葉を送る。

 レーシュを守ると思いきや、ジギタリスがレーシュの胸ぐらを掴むのを黙って見ていた。


「貴様がッ、たとえナビの代理とはいえ、このようなッ、不遜な態度が許されるとでも──!」


 ラウルが瞬時に間に割って入って、その拘束を解いた。

 騎士がジギタリスを守るように囲み、ラウルもまたレーシュの前でレイピアを出して戦いの構えを取る。

 お互いに一触即発な雰囲気であっても、レーシュは臆することはなかった。



「言葉を返しましょう。貴方こそ態度がなっていない。ここでは私が最上位です。そこの元ナビ・アトランティカでも、ましてや部外者の貴方でもない。私が倒れている間に多くの労を費やしたようですが、そのような子供がするような甘ったれた権威にしがみつく年寄りの時代はもう終わりました」



 いつものように彼は自信に満ちた顔で、こちらが優位に立った時に行う相手への煽りは、領主の側近すらも怒りで燃え上がらせる。

 ジギタリスが言葉を挟むよりも早く、彼の言葉は紡がれていく。



「私への物流を止める? どうぞやってください。海賊と共謀して実績に傷を付ける? どうぞやってください。そんなことが障害になるのはもはや昔ですから。ただ覚悟はして頂きましょう。うちの大事な側仕えに暴行したのだ。私も貴方の奥様から手痛い一撃をもらったが、貴方はまだ受けていない。せいぜい枕を濡らして、懺悔の日々をお過ごしくださいませ」



 この場に似つかわしくない優雅なお辞儀はさらに相手の額に青筋を立てさせる。

 ジギタリスはまるで先ほどまでの気取った感じもなくなり、唾を飛ばしながら激昂した。



「どうして私がそんな小娘共のために罰を受けんといかんのだ! 下級貴族に、平民の小娘なんぞと私が同じではないだろう。いいかッ、今回のことはもう許さん! 私が一言号令をかければお前なんぞ、もう生きていけんのだからな!」




 レーシュは言葉の途中から歩き出し、全く聞いていなかった。

 座っているマレインの元にしゃがみ込んで彼女の心配をする。


「立てるか?」

「すいません、旦那様のお手を煩わせてしまいまして──きゃッ!」


 マレインを体を背中と脚を持って抱き抱えた。

 そして、ご機嫌よう、と呆けている連中に挨拶をして部屋から一緒に出ていく。

 ただここの貴族を全て敵に回しても良かったのだろうか。


「レーシュ様、その──」

「後にしろ。それよりも、だ」


 レーシュの肩がプルプルと震え、少しずつ歩く速度が落ちていく。

 せっかく格好と付けているのに締まらないと思っていると、ラウルが奪い取るようにマレインの体を抱き上げた。



「情けない男だ。傷付いた淑女に対して気を遣わせるとは。だが、あの啖呵の切り方は男として賛辞を贈らせていただこう」



 会うたびに口論になる二人なのに、ラウルはレーシュに対して最初ほどの嫌悪感は抱いていないようだ。

 だがレーシュはしかめっ面を作って、歩く速度を上げるという地味な嫌がらせをしていた。

 無事に屋敷に戻ってからマレインの足をすぐさま冷やしてもらう。

 一度客間に集まって、マレインを除いた全員が集まった。

 この場で事情を全て知っているのは私のため、みんなから何かを言われる前に立ち上がる。


「この度は勝手に動いてしまい申し訳ございません」


 全員の注目が集まり、これからの説教について身構えるのだった。

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