側仕えと怨敵
偶然出会ったラウルに食材を屋敷まで運んでもらい、遅めの昼食を作ることになった。
食事を誘おうかと思ったが、私が勝手に決める訳にはいかないのでマレインに尋ねてみよう。
「そうですね。流石にまだお客様を案内するほど整ってはおりませんので、神殿へ寄付をすることにしましょうか」
なるほど、それだったらお互いに角が立たない。
私が早速伝えに行こうとしたら、イザベルから引き止められる。
「それでしたらわたくしが向かいましょう。あなた方もご苦労様です。あとはやっておきますので、自分たちの仕事をお願いします」
応接室で休憩してもらっているラウルの相手はイザベルに任せた。
仕事も多く残っているので、まずはレーシュの食事を作ってしまおう。
その下げ渡しを私たちがもらえるので、まずは食事が一番大事だ。
この中で料理を作れるのは私だけのため、最近雇われた料理人ジャスマンがこちらにやってくるまでは仕事を兼任することになる。
もちろん貴族料理なんて洒落たものは作れないが、ここに来ている他の三人もそこまで厳しく言ってこないのは救いだ。
早速鍋に火を通して、材料を投下していき、料理に夢中になっていたが、慌ただしい足音が聞こえてきた。
「エステル! あの神官様ってもしかしてラウル様なの!」
元気良くやってきたのはマレインの双子の妹フマルだった。
短い髪を揺らしながら、まるで恋する乙女のように頬を赤くしている。
彼女からもタメ口で構わないと言われているので楽に話せるから、料理をしながら話を聞く。
「ええ。食材を分けてくれたの。でも意外ね。マレインはかなり警戒していたからお貴族様は神官様を毛嫌いしていると思ってたのに」
「それはそうだけど、ラウル様は別よ! だって槍兵の勇者様よ!」
頬に手を当ててまるで夢を見るように遠い目をしている。
平民と同じように貴族の娘たちも顔の良い男には弱いようで親近感が湧いてきた。
村の年下の子に接するように後押しを自然としてしまう。
「それならお声掛けしてみたら? もしかすると気に入ってもらえるかもよ?」
「何言っているのよ。そんなわけないじゃない。あー、でも間近で見られただけでイイ!」
「でもフマルもマレインもすごく可愛いから、もしかするかもしれないじゃない」
フマルは本気で言っているのかと言いたげに私を見た。
やれやれ、と出来の悪い子供を見るような目でこちらに近づいてくる。
「あのね、エステル! もし仮に私とラウル様が両思いだったとしても絶対に結婚はできないの!」
「絶対って……あっ、もしかして国が違うから!」
「ち、が、う! 私と結婚なんてしたらラウル様は必ず家督を奪われるの!」
どうして貴族同士の結婚なのに家主で無くなるのだろう。
困惑して手が止まった私に察して貴族の常識を教えてくれる。
「ラウル様はかなり身分がお高いの! そんな人が私のような下級貴族を娶ったりしたら家の格が下がってしまって、今後の貴族社会でかなり冷遇されるのよ。そうなったら私も結婚する意味がなくなってしまうという意味よ」
「えっと、好きで結婚はやっぱりダメってこと?」
「当たり前! お互いに意味があるからこその結婚よ。気持ちは二の次なの。それに私たちが貴族として優遇されるのは魔力があるからよ」
──そういえば貴族は魔力があるのが当たり前なんだっけ。
平民は魔力を持たない民だ。
もちろん例外はあるらしいが、私は会ったことがない。
そうすると貴族と平民の結婚を聞かないのは、魔力というのが大きな壁があるからだろうか。
「もしかしてその魔力で格付けが変わったりすることってあるの?」
「大ありよ! あきれた、本当にエステルって貴族のこと知らないんだ。今度みっちり教えてあげるからね、マレインが!」
面倒なことは他人に任せるあたりちゃっかりしている子だ。
マレインも手のかかる家族を持っているのだと思わず笑ってしまった。
でもこのまま何も知らないでいると大きな間違いが起きてしまうかもしれないと強く心に留めておく。
「フマル、大きい声を出しすぎよ。それと、勝手に私に全て放り投げるのはやめなさい」
どうやら廊下まで声が響いていたようでマレインが注意しにやってきた。
だがフマルは反省することなく、笑って誤魔化している。
いつもこの調子だな、と彼女はお調子者と心に刻んでおこう。
「それとエステル、社交の案内が来ていますが、旦那様があの様子だとおそらく出席は難しいと思います。代理で私が参加しますので、お供として付いてきてもらいますね」
「側仕えだけでパーティに出るの!?」
これまでレーシュのお供として行くことはあっても、サリチルと行くことなんてなかった。
それに使用人が主人の代わりに出席なんてしていいのだろうか。
「エステルは平民ですので旦那様もそこまで要求はされなかったと思いますが、本来の側仕えが行う業務は多岐に渡ります」
「そう、だったのですね……。てっきり、掃除や洗濯、料理に護衛くらいだと思っていました」
「ごめんなさい、エステルは特殊でしたね。後ろの二項目は側仕えの仕事ではないので、変な誤解はやめてね。貴女は十分すぎるほど頑張っているから、あまり気負いすぎないようにしてください」
突然謝られて逆に可哀想な目で見られた。
確かに考えてみると、貴族が料理をできないのは平民に任せているからだ。
フマルも苦笑いをしていた。
「どう考えてもエステルは働きすぎだよ。これまで全部一人でやってたんだから」
「ええ、だから私たちで業務をもっと受けないと、今後はエステルの社交も増える可能性もあるから」
──ん?
何だか不穏な言葉を聞いた気がする。
どうして平民の私に社交が増えるのだろう。
「ねえ、マレイン、私の社交ってネフライト様だけよね?」
「エステルは一度の予行練習なしで演奏会に出られるかしら?」
例えが貴族らしいが、言いたいことはわかった。
まずは簡単な社交で経験を積んでから、ネフライトとのお茶会に挑めとのことだろう。
しかしイザベルの落胆を毎日のように見ているので気が遠くなりそうだ。
──だめだめ、フェーのために頑張る!
弟が良くなるのならいくらでも頑張ってみせる。
昼食も作り終えたので、レーシュの部屋まで料理を持っていく。
氷で頭を冷やしているが、なかなか熱が引かない。
「レーシュ様、お食事をお持ちしました」
ワゴンから出した食事をテーブルへ運ぶ。
病人のため消化によい食べ物を選んでおり、少しでも早く元気になって切り盛りしてもらわないといけない。
「ああ……うっ!」
まだ熱も下がっていないせいか、頭痛がするようで頭を押さえている。
私はレーシュの背中を支えて、起き上がってもらう。
歩行は問題なくできるようで、椅子に座ってきつそうな顔を浮かべながら料理に口を付けていく。
「迷惑をかけるな」
「お気になさらず」
「しばらく指示を出せてないが屋敷の仕事は滞っていないか?」
「ご安心ください。マレインとフマルのおかげですが」
海賊や商人、そしてパーティの件もあるが、流石にここまで辛そうな病人に伝えるべきではない。
少しでもできることはやって、主人の仕事を減らすのが私たちの仕事とイザベルから再三言われている。
しかしレーシュの顔は少しばかり暗くなっていた。
「あの二人には本当にすまないと思っているんだ」
いつになく不安な声を出していた。
病気のせいかこれまで溜め込んでいたものが出てきているのかもしれない。
一度吐き出させるためにも私は無言で聴き続ける。
「どちらとも俺の家のことがなければもう少し良い嫁ぎ先があったんだ……。親父のせいで、俺のせいで」
懺悔するかのように言葉を絞り出し、レーシュは食事を少しだけ摂った。
そしてまたベッドに戻って体を休ませる。
おそらくここに来るまでに体も酷使していたから反動がやって来たのだろう。
領主を必要以上に怯えるのは、過去に何かがあったためと推測している。
──国王殺しって一体どうしてレーシュ様のお父様はされたのだろう。
大きな罪を背負う彼の辛さは彼にしか分からない。
うわ言を呟いていたので、何を言っているのか耳を近づけてみた。
「イザ、ベル……あいつだけは、俺の、味方だ」
どうやら頭が朦朧としているようで、先ほどの弱音はイザベルに話しているつもりのようだ。
あまり聞くべきでないかと思ったが、私の袖を引っ張るので逃げられなかった。
「だからもし、何かあ、ればすぐに報告しろ。特にあいつは……怒ったら手が付けられん、からな。貴族の作法を、しっかり教えろ……」
一言余計だ、と言いたいが確かに怒ったら考えるより行動してしまう。
しかしこんな状態になってもこちらの心配とは、流石はこの歳で屋敷を取り仕切っているだけはある。
「分かりました」
これもイザベルの声に聞こえているのだろう。
彼も安心して、また眠りについたようだ。
責任感の強さは彼の美徳だ。
だからこそマレインたちもここに戻ってきても、レーシュへの敬意を忘れていない。
もし本当に恨んでいるのなら、主人の言いなりにならず平民の私に優しくしてくれないはずだ。
社交の一つや二つくらいなら簡単に乗り越えてみせる。
夜になり、私とマレインはドレスに着替えて招待してくれた人のお屋敷に向かった。
いつもなら少し派手目の服なのだが、マレインから社交ではあまり着飾りすぎるなと教わった。
どうもレーシュたち意見が違う気がすると思っていたら、しっかりと教えてくれる。
「今日は代理だからあまり目立たないようにね。どうしてもここは都市と比べて流行が遅れているから、私たちでも着られる衣装の方が華やかに見られることがあるの」
「そういえばあっちだともっと綺麗なドレスを着ている人ばかりだもんね」
マレインから教わるのはいい勉強になる。
ここでもどうせあまり歓迎されないのだろうことは想像に難くない。
案内状を渡してから応接室へと向かった。
「エステル、私が基本的に話すから、今日は頷くか返事をするだけにしてね」
「助かる」
私では貴族特有の言い回しなんてまだ早いため全てマレイン任せだ。
マレインはすぐさま集まっている令嬢たちの元へと足を運んで挨拶を行う。
「本日はお招きいただいた、モルドレッドの代理で参加させていただいております、マレインと付き人のエステルでございます。どうか本日は最高神の──」
令嬢たちはマレインの話を最後まで聞くことなく足早に去っていった。
避けているのは明白だったが、招待されている側なのにあまりにも失礼では無いだろうか。
「他の方からしましょう」
マレインはそれでもめげずに他の令嬢に声掛けをしに行った。
だがやはり同様に避けられる。
「これでは情報が集められませんね」
「でもこんなことをするくらいなら呼ばなければいいのに」
あからさまに厄介者扱いをしており、朝の市場を思い出せる。
「これも海賊が絡んでいるの?」
「おそらくは。前は貴族に意見できるほどの影響力はなかったと思うのですが……しばらく社交と離れていたことがこんなにも歯痒いことになるなんて」
マレインと共に一度壁際に移動する。
私たちをチラチラと見る人も多いが、普通に談笑が聞こえてくるので、いないものとして考えているに違いない。
「おお、貴女がモルドレッドの側仕えですか」
やっと私たちに話しかけてきたのは、穏やかそうな表情を浮かべる初老の男性だ。
髪はないが、白い髭が口周り多く生えていた。
「お初にお目にかかります。私はマレインと申します。ナビ・アトランティカとお会いできたことは最高神のお導きによるものでしょう。どうか本日の出会いに感謝とご挨拶をすることをお許しくださいませ」
ドレスの裾を持ち上げて優雅に挨拶する姿にマレインが頼もしく見えた。
私も同じく裾を持ちあげて会釈だけをする。
「許そう」
「ありがとう存じます」
「モルドレッドの当主は大丈夫かい?」
「はい。本日は参加できなかったことを惜しんでおりましたゆえ、私が代行を務めさせていただいております」
「そうか、ここのナビを代わりたがる酔狂な男はおらんからやっと後継者が出てくれて助かるよ。ただ代行とはいえあまりこの町で騒ぎだけは起こしてくれるな」
その顔は深く沈んでおり、海賊との衝突を望んでいないようだ。
「もしよろしければ、ここの海賊たちとの経緯をお伺いしてもよろしいでしょうか」
「つまらん話さ。私の息子が騎士を従えて戦い敗北した。海賊とはいえ平民に負けたことで、誇りを汚される前に自決しているんだよ」
「そんなことが……」
マレインと同様に私も驚いた。
ここを治めているナビの後継者がいないのは、子供が生まれなかったわけではなく命を絶っているのだと知る。
──騒がしいわね。
ガヤガヤ大きな騒いでいると思っていたら、誰か要人が来たらしい。
人混みを抜けてきてその顔が見えると、私が知っている人物だった。
──ジギタリス!?
レーシュを麻薬の首謀者にしたり、ネフライト暗殺の犯人にしたりと裏で手を引いていた領主の側近だ。
ガリガリとした体付きで、いやらしい目で多くの女性に目を奪われている。
だが私は前にレーシュにしたことを忘れてはいない。
ジールバンは捕まったが、こいつはのうのうと生活しているのだ。
「これはジギタリス殿、ようこそお越しくださいました!」
ナビ・アトランティカはマレインとの話を中断して、ジギタリスへ擦り寄っていた。
お互いにワインを当て、再開を喜んでいる。
あの時のことは恨まれているだろうから、私はなるべくバレないようにマレインの影に隠れた。
「ところでナビよ。ここにはモルドレッドの小倅が来ていると聞いたがどちらに?」
「それでございましたら、今日は体調を崩されたということで、あそこにいる側仕えが代理で参加しております」
余計なことを言うなと思ったがもうすでに遅く、ジギタリスはこちらへ目を向けて、私へ気が付いたようだ。
こちらを一瞬だけ睨んだが、すぐさま元の下卑た顔に戻る。
「これはこれは、そこの汚らしい平民に、下級貴族の妾か」
「ジギタリス様、私は妾ではなく側仕えでございます。このような場でそのような発言は──」
マレインは毅然と反論したが、それに気に入らないようで詰め寄ってくる。
流石のマレインも男からここまで詰め寄られることに恐怖して一歩下がる。
「この私に意見するとは生意気なッ!」
無理矢理に腕を引っ張り上げて、小柄なマレインの体が浮いた。
力を入れているのか、マレインの顔が痛みで歪む。
「その手を離ッ──」
「逆らったら、だめ……」
私はすぐに助けようとするがマレインから釘を刺される。
このまま見ているしかないのが腹立たしい。
顔を近づけて唾を飛ばしながら怒りをぶつけてきた。
「お前のご主人様のせいで、海賊から脅しが来たよ。お前たちの勝手な暴力のせいでね!」
腕を急に離したせいでマレインは着地を上手くできず転ぶ。
すぐさま手を貸して立ち上がらせるが、足を捻ったらしく起き上がるのに苦労していた。
痛みもあるのにそれを隠して、体を起こして情報を引き出そうとしていた。
「脅しとはどういうものですか?」
「ふんっ、どうせ明日には広まるだろうが、私が直々に話してやろう。今回のことで海賊どもは怒り、拠点を移すと言ってきた!」
それは願ったり叶ったりではないのか。
これまでも追い出そうとしたくらいだから、逆に感謝されてもいいくらいだ。
だがことはそう簡単ではなかった。
「隣の領土に移って、水産資源はそこだけに卸すそうだ、分かるか? お前らが勝手なことをしてくれたことで、こっちは海の資源を他領に奪われ、この町は資源もない寂しい町へとなる。我々貴族の生活をどうやって保障するつもりだ?」
そんなことを言われても、こちらは襲われたから撃退しただけだ。
非があるのは向こうなのにどうしてこちらのせいになるのだ。
マレインの肩が震えており、責任を感じているようだ。
「だがな、一つだけ条件を出してくれたよ」
ガバッと顔を上げるマレインに、ニタついた顔が近づく。
「知りたいか?」
「ぜひ教えてください!」
「そうか、そうか。それなら教えてやろう。大勢の平民がいる前で、海賊たちに謝罪と契約書をお前らの当主に書かせなさい。相手方もそれでお許しになるそうだ」
貴族とあろうものが海賊にここまで媚を売る姿に言葉を失う。
品位が落ちた貴族はこれほど醜いのだろうか。
「それは……旦那様に相談しませんと、お答えができません」
マレインも悔しそうにジギタリスから顔を背ける。
愉快げなこの男をすぐさま切り捨ててしまいたいが、これ以上レーシュに対して重荷を増やしくない。
「期日は七日後だ。ゆっくりと衣装の準備でもするといい。それと君たちは現在、町のサービスを受けれなくなっているらしいではないか」
お前たちがやったことだろ、と心の中でドス黒い何かが膨れ上がる。
この様子だとまだ何か条件を付けるつもりみたいだ。
「明日、またここに来なさい。ご主人様には適当な理由を付けて二人だけでね。そうすれば私が口を利いてこれまで通り生活ができるように取り計らってやろう」
「本当ですか!」
「ああ、だから一番美しいと思う格好で来たまえ。うちの妻も楽しみにしているよ」
最悪なことをするつもりかと思ったが、令嬢が来る場でいやらしいことを要求しないはずだ。
だがこの男の顔を見る限り、決してこちらにとっていいことは起きないはずだ。
追い出されるように私たちは会場から出された。
「マレイン、足は大丈夫?」
「ええーー痛ッ!?」
少し歩いだけで転びそうになったので、すぐに体を支えた。
一度ヒールを脱がせてみるとかなり赤くなっていた。
「あまり歩かないほうがいいわね」
「大丈夫よ。それに馬車もないで──キャッ!」
マレインの体を抱き上げて両腕を抱える。
今なら誰も人がいないので、こんな格好でも誰からも噂されないだろう。
「エステルって本当に力持ちね」
「しっかり掴まっててね」
服をしっかり握ったことを確かめてから走り出した。
距離も近いのですぐに屋敷の前にたどり着いた。
「エステル、お呼ばれのことは旦那様に秘密にしておいてね」
「伝えないの?」
「うん、私たちで解決できることはなるべく私たちで解決しましょう」
それが正解か分からないが、病み上がりのレーシュには海賊のことを専念してほしい。
私は了解したと首を縦に振った。